10 / 13
第十章 故郷へ
地下施設
しおりを挟む
二袈市内にでは一番高い、地上30階建ての円条ビル。
最上階の部屋に32歳になったスーツ姿の辰夫が豪華な革張りの椅子に腰を掛け、机を前で書類を書いている。
その隣に立つスーツ姿の女性の風貌はみどりと瓜二つ。ただし、表情はない。
この部屋には鹿の角に置かれた日本刀や鎧兜など、和風の美術品が置かれている。鹿の角は本物。
ノックの音する。
「入れ」
許可を受け、ドアが開く。部屋に入ってきたのは二袈市市長と秘書兼、ボディーガード。市長という役職にも拘わらず、その姿勢は低い。
「何か用か」
顔を上げることなく、書類を書き続けている。
「それはですね、町の住人から、ごみ処理施設建設の反対の署名が集まっていまして。あの場所は数少ない二袈市に残された、自然豊かな、みんなの憩いの場所で……」
市長は揉み手をしつつ、低姿勢のまま話す。
「説得したまえ、そのために君を市長にしたんだ。その歳で職は失いたくあるまい」
高圧的に言い放つ。年上である市長にも、その秘書にも敬意を払う様子すら見せず、顔を合わすことすらしようとはしない。
「何様のつもりだ! 若造の分際で」
その態度に秘書の堪忍袋の緒が切れた。今の態度だけではない、いつも同じような態度を取られ続け、積もり積もったものが、一気に爆発。
辰夫に掴みかかろうとした時、目の前に無表情のスーツ姿の女性が飛び出し、その首を掴んで、軽々と持ち上げた。
「殺すなよ、ヴェール。折角の絨毯が汚れる」
無表情の女性、ヴェールは無言で秘書を離す。
落ちた秘書はしりもちをついた、上等な絨毯が受け止めたので怪我はなし。
「今まで邪魔になってきた相手を、消してきたという噂は本当なのか」
怯えのあまり、市長は口走ってしまう。
若くして、資産家になった辰夫。ライバルや彼の成功の裏を調べようとした記者が、次々と事故死や行方知れずになったとの噂がまことしやかに囁かれていた。
「詮索はやめたまえ、君も噂のネタになりたくはないだろう」
慌て頭を下げ、まだ息の荒い秘書を連れ、いそいそと出て行った市長。その姿を辰夫は鼻で笑う。
無言でヴェールは辰夫の後ろに立つ。
「君も今は俺のものだ」
背後に立つ、ヴェールを眺める。
机の上の電話が鳴り、電話を取る。受話器から聞こえてきた声の主はブーガ。
「何か御用でしょうか」
内容は『ワルプルギス』が襲撃を受けたというもの。
「それでオーナーは? 海外へ逃亡ですか。今は海外へは手は出せませんね。所詮、小者、捨てておきましょう」
いくつかの会話を交わした後、電話をきる。
「誰だ、この俺に逆らう、愚か者は……」
万年筆を机の上に置き、
「まぁ、誰であれ、所詮、俺の敵ではあるまい」
椅子から立ち上がり、大きな窓のブラインドを開ける。窓からは、
二袈市が一望できる。
今や二袈市における辰夫の権力は、絶対のもの。その成功の影にいるのはブーガ。
くすくすと低い音程の笑い声。
「今や二袈市は俺のもの、まもなく日本も俺のものになる。そして――世界もいずれ俺にひれ伏す」
声を上げ、笑う。
☆
故郷に帰ってきた慧は呆然となった。自然豊かだった二袈市は、今や工場やビルが乱立、かっての面影はない。
「辰夫が二袈市の発展のためには、開発や誘致が必要だって……」
みどりが帰るのを避けていた理由の一つがこれ。
「慧ちゃんの家が火事になってから、辰夫は変わってしまったの」
慧の記憶の中に、呼び起こされるブーガの言葉、辰夫が裏切ったという囁き。
変わってしまった二袈市を見ても、それをやったのが辰夫だと聞いても、それでなお、信じたくはない気持ちが慧にはあった。
しばらく町を眺めていた慧だったが、振り返り。みどり、クレア、アーガトンを、1人、1人、見る。
「行きたいところがあるんだ」
家族の墓の前に花を添える。手を合わせ、黙祷。思い出す、父親の浩一、母親の栄美、妹の恵美、涙がこぼれる。
みどりの目にも涙。
クレア、アーガトンは顔を合わせたこが無いので涙こそ流さないが、悔やみの気持ちを持つ。
この墓石には、慧自身の名前も刻まれている。自分自身の墓に参っていることにもなり、なんとも奇妙な気持ち。
慧の身代わりに埋葬されているのは、おそらくはブーガの容姿いしたどこかの誰かだろう。
ふと、あることに慧は気が付いた。墓がとても綺麗、誰かが定期的に墓を手入れしてくれているらしい。
慧の家族はもういない。親類も遠方にいるので、頻繁には来れないはず。一体、誰が?
「きやっ!」
唐突にクレアの声が上がった、とても可愛い声で。
「お嬢さん、少々、背骨が歪んでおるようじゃな」
いきなり背中を撫でられ、驚いて飛びのく。
「久しいの慧、みどりちゃん」
「師匠」
「剛三さん」
クレアの背後に現れた剛三。黒かった髪も鬚もすっかり白くなっていた。杖は突いているが腰は曲がらず、真っ直ぐ。
「今日は月命日じゃからな」
手にしたバケツを置き、墓の前で手を合わせる。墓の手入れをしてくれていたのは剛三。
あっさりと背後を取られたクレアは、動揺を隠せない。
異世界では数多くの戦闘を繰り広げ、勝ち抜き、魔族の不意打ちも返り討ち。
にもかかわらず、簡単に背後を取られた。気配すら感じさせずに。
最強の傭兵と言われたアーガトンも同じ思いを持つ。クレアが背後を取られるまで、全く気が付かなかった。
墓の前から立ち、そんなクレアとアーガトンに、他人をホッとさせるような笑顔で、
「どうやら、弟子がお世話になったようですな。申し遅れました。儂は円条剛三と申すものです」
2人の前でぺこりと頭を下げる。
「あたしはクレア・ティナ・シフォンハート」
「アーガトン・バッハシュタイン」
名乗られたので、名乗り返さなくてはいけない。
32歳になっているみどりはともかく、死んだはずの弟子が髪が長くなっていることを除けば、何にも変わらない姿で現れても、自然体のまま。
「積もる話もあるじゃろ、今の儂の寝床にくるとよい」
好々爺の顔で歩き出す。そんな後姿を眺めるクレア。
「あの爺さん、ただもんじゃないな」
町はずれにある『癒し堂』という名前の整体屋が、今の剛三の住居。
「道場は工場になってもうての。今は円条流の応用で施術をやりながら,飯を食っとる」
玄関の鍵を開けて、慧たちを中に招く。
整体用ベッドと机の置かれた簡素な診療所に慧たちは通された。
用意された折り畳みの椅子に慧たちは腰を下ろす。
自分の身に起こったことを、どう説明したものかと考えていると。
「よいよい、お前が無事に戻ってきただけで十分じゃ。詮索する気はない」
お馴染みの好々爺の顔で話すのを止めさせ、机の上に人数分のお茶を用意。
皆が湯呑みを手に取ったのを見計らい、
「それよりも、辰夫の話を聞きたかろ」
もう一脚の折り畳みの椅子を出し、わざとらしく、どっこいしょと腰を下ろす。
「大学時代に辰夫は投資で成功し、その金を元手にいくつもの会社を買収、経営を始めた。さらに大手企業の工場を誘致して、莫大な資産と権力を築き上げあげよった。今や二袈市では、辰夫に逆らえるものはおらん」
今や辰夫は二袈市の支配者。これもみどりが戻らなかった理由。
「二袈市は豊かになったがの、失われたものも多い。辰夫のやり方に不満を唱える者も多い。じゃが、全く聞く耳を傾けようとはせぬ」
失われた自然、それを辰夫がやった。辰夫は本当に変わってしまったことを慧は自覚せざるえない。
「15年前のあの日を境に辰夫は変わりよった。力、特に権力を求めるようになってな。儂にはあれは己をごまかし、何かから逃げているように見える」
そこまで言って、一口、剛三はお茶を飲み、好々爺を崩した。
「一つ、聞きたい。今、二袈市で起こっていることは、人道に反する行為なのか。それに辰夫は係わっておるのか? それを壊すためにお主たちはやってきたのか?」
「……」
どう答えたらいいか慧は解らない。師匠である剛三に対し、慧は信頼の思いを持ち、実の祖父のような思いもある。辰夫は、そんな師匠の孫。
慧が迷っていると、
「あんたの孫がどこまで係わっているかは知らないが、ここで行われていることは外道な行為だ。それをぶっ壊すために、あたしたちはきた」
代わりにクレアが話す。
「そうか……」
静かに呟く。その言葉の中に悲しさがこもっているのを誰もが窺い知れた。
「覚えておるか、お前たちが子供のころ、蝉を取りに行った林のことを」
林のことは慧もみどりも、よく覚えている。辰夫とみどりの3人で蝉を取りに行った。そして奥の廃墟であの怪物に出会った。忘れることなど出来ない。
「あそこは図書館になっておってな。辰夫は、あそこの地下になにかを隠しておる」
辰夫が図書館の地下に何かを隠している。
「どんなに辰夫が隠し事をしても、剛三さん、必ず見破ったものね」
0点の答案用紙を隠したとき、皿を割ったとき、いつも見破られ、辰夫は叱られていた。あの頃は、いつも一緒だった。みどりにとって、あの頃の思い出は甘酸っぱく、ほろ苦い。
「持ち出し禁止書庫の、一番奥の本棚の一番上の段にある『相対性理論』の本がカギになっとる」
ここまで語った剛三は、自嘲的な表情になる。
「ここまでは調べたがな、儂には、その先を見る度胸はなかった」
親友の辰夫が人の道に外れるような行為をしているのだとすれば、慧もみどりも辛い。でも剛三の方が、尚辛い、辰夫は血の繋がった孫なのだから。
「なら、とっとと、殴り込みに行こう」
この場の空気を打ち破るように、クレアが立ち上がる。
今の時間は図書館は開いていて、殴り込めば一般人と鉢合わせしてしまう。無関係なものは巻き込むべきではない。
確かにと、クレアは座り直す。
「図書館の閉館時間は、午後の5時じゃよ」
壁時計をみる慧。まだ、かなり時間がある。それまで、時間を潰す必要あり。
椅子から立ち上がる剛三。
「折角じゃがら、お主たちの体の歪みを治してやろう」
好々爺が戻ってくる。
うつ伏せでベットに寝そべる慧。剛三は背中に毛布をかけ、まずは背骨の両端を上から下へ、グイッグイッ、グリグリッと指圧。
「ううっ」
強く押されるたび、いいしれない快感が走る。
指圧の次に背骨を両の掌で、ギュギュギュと体重をかけながら押す。
物心ついたころより、武術の特訓は受けてはいるが、施術をされるのは初めて、痛いことは痛い、しかし、それ以上の心地よさが押し寄せてきて、睡魔の袂へ誘おうとする。
「ほぅ、刀法の鍛錬を積んでおるようじゃな」
施術をしながら、そこまで解ってしまう。
左腕を持ち上げ、体を捻り、続いて右腕を持ち上げ、逆に捻る。続いて上半身をエビぞるように反らさせると、パキッポキッぺキッポキと骨が鳴り響く。
「師匠、これは、き、効きすぎます」
「刀法は基礎しか教えとらんのに、結構な腕前になっておるの。これなら、もう儂の教えることは無いようじゃ。後は自ら精進するとよい」
弟子の上達のレベルまで見破る。
次に施術を受けたのはクレア。ギュギュ、背中のツボを押していく。
「お主、随分と不摂生な生活をしておるの。それに最近、左肩が重いじゃろ」
普段の生活や体の不調な場所を見破り、告げ、肩甲骨の辺りを力強く、両手で押した。
「あぁん」
思わず声を漏らしてしまう。
次はアーガトン。
「ほう、お主は見た目と違って、規則正しい生活をしておるの。これは、少々、寝不足のようじゃな」
普段から寡黙なだけあり、終始、声は出さないが、僅かながらも表情には快楽の兆候が出ていた。
最後に整体を受けたのはみどり。
「うむ、机の上での仕事ばかりをしておるの。それに運動不足、後、猫背じゃな。ともかく、骨の歪みを治しておこう」
音を鳴らしながら、ベキバキボキキッ骨を正しい位置に矯正。
「ああっっつ」
思いっきり、声を上げる。
整体を終えた剛三は部屋の奥へ。
「すごい、体が軽い。左肩の重みもなくなっている」
嬉しそうにクレアは左肩を回す。
みどりも体が軽くなった気がするし、疲れもどこかへ飛んでいていった。
無言だが、アーガトンも自分の体の調子の良さを喜んでいる様子。
腰を動かし、軽くジャンプ、慧も体の様子を確かめる。剛三の武術の 腕前は知っていたが、施術の腕前も一級品。
部屋の奥に行っていた剛三が戻ってきて、
「道場が潰されたとき、指南書は、全部、辰夫に持っていかれたがな、これだけは隠し通したわい」
紫色の刀袋を慧に手渡す。
「餞別じゃ、持っていけ」
受け取った刀袋の中を見ると、赤い柄巻きに黒鞘の一振りの日本刀が入っていた。
「これは……」
日本生まれの人なら、日本刀には惹かれてしまうのは防ぎようがない。
「話したことがあるじゃろう。それが蘇芳夜叉(すおうやしゃ)じゃ」
驚いて、再度、日本刀を見る。斬った相手の血肉を食らい、抜刀した相手を操り、殺人鬼に変える妖刀。
「これが、あの怪談話の!」
みどりのミステリー好きの血が騒ぐ。
「今のお前なら、蘇芳夜叉を使いこなせるじゃろう。そやつ自身、お前に所有されたがっておる」
まるで蘇芳夜叉に心があるような言い方。ただ、この刀を見ていると、本当に心がありそうな気がしてくる。
「師匠が持っていたんですね」
「先祖から伝わっておったのじゃよ。いつか、相応しい持ち主に渡すために」
剛三は、慧が、それに相応しいと判断した。これは確信事。
「今の儂に出来ることは、これぐらいだけじゃ」
どこか遠くを見つめる。
「本来ならば辰夫が馬鹿をやっておれば、儂が何とかしなくてはいかん、それが祖父としての義務。だがな、あんな馬鹿でも、儂の孫なんじゃよ、儂には到底できん。儂は未熟者、いや、卑怯者じゃな。儂に、できんことをお前たちに押し付けるのじゃから」
「師匠……」
「剛三さん……」
剛三の気持ちは痛いほど分かる慧とみどり。初対面だが、クレアもアーガトンも、その気持ちは伝わってきた。
だが辰夫がブーガと組んで行動しているのなら、このままにはしておけない。
決意を決め、蘇芳夜叉を片手に持ち、お辞儀をする慧。みどりもクレアもアーガトンも、揃ってお辞儀。
それに答えるように、剛三も頭を下げる。
「あの馬鹿を頼む」
日も落ち、周囲が闇に包まれ始める時間になり、中に誰もいなくなったのを確認してから、図書館に侵入を試みる慧たち。
鍵の解除、無駄のない侵入術にクレアもアーガトンも長けていた。異世界で魔族の作った建物、占拠した建物に忍び込んでいるうち、自然に身に着いた技術。
それでも警戒しつつ、アーガトンの持つペンライトの明かりを頼りに、持ち出し禁止書庫へと進む。
明かりに気が付かれても、アーガトンは騒がれる前に相手を倒す自信があるので、先頭に立っている。
持ち出し禁止書庫にたどり着くと、アーガトンが、手際よく、鍵を解除、全員中へ。
「確か、一番奥の本棚の一番上だったね」
師匠の情報を頼りに慧は目的の本棚を探し、やがて目的の本棚を見つけた。ペンライトの明かりに『相対性理論』の本が浮かび上がる。持ち出し禁止書庫にあり、こんなタイトルを読もうとするやつは、そうそういないだろう。
本を掴み、慎重に引っ張った。
小さな音を立てて、本棚が左右にずれ、下へ降りる階段が出現。
「こんな仕掛け、フィクションの中だけと思っていたわ」
ついみどりは言ってしまう。少し興奮気味、昔から、こんなシチュエーションに憧れていた。
無言でアーガトンが先行。中の安全を確認してから、来るように合図。
階段を進む間、アーガトンだけではなく、慧、みどり、クレアは、一言も喋らず、階段を下りていく。
階段が終わり、明かりが見えてきたので、ペンライトの明かりを消し、ポケットにしまう。
下の施設は無機質な廊下が続いていた。進んでいくと、とても広い部屋に出る。
そっと、広い部屋を慧たちは覗く。
一見、何かの工場のよう。何人もの従業員らしき人が働いていて、ベルトコンベヤーの上を規則正しく、並んで運ばれている青いガラス瓶は聖水リベラシオンに間違いない。
クレアはベルトコンベヤーの先を見ていた。慧もみどりも同じ方向を見る。
上に吊り下げられた2つの容器から、2種類の虫が大きなミキサーの中に落ち、すり潰され混ぜられ漉されて、青いガラス瓶の中に入れらている。
「気持ちの悪い虫ね」
みどりの素直な感想、2種類ともグロテスク。慧もみどりも見たことがない虫。
「あれは、あたしの世界の虫だ。一匹は暗怨虫(あんおんちゅう)と言って噛まれると、凶暴化する。もう一匹は業葬蛭(ごうそうひる)と言う虫で噛まれると、運動能力は上がるが、発狂してしまう。確か、二匹、同時に噛まれたら、魔物化するって、学者が言っていたな」
その学者は実験で小動物を、強引に二匹に同時に噛ませて、実験して確かめた。
「ブーガの野郎、暗怨虫と業葬蛭をこっちに持ってきて、養殖してやがったんだな」
噛まれたら魔物化する暗怨虫と業葬蛭そのものを、原材料にして、聖水(リベラシオン)を作っていたのだ。その効果も高くなる。
「元々、飲みたくなかったけど、死んでも飲みたくなくなったわ」
吐き気を催すみどり。慧もごめんである。
ここが聖水(リベラシオン)の製造工場で間違いない。
「なら、さっさと片付けるか」
【天空】と【大地】を引き抜き、工場に飛び込む。それに続くアーガトン。
工場で働いていた作業員たちは驚く間もなく、アーガトンの【ライトニング】で、次々と殴られ、意識を失う。
一足遅れ、慧も工場に飛び込む。
クレアは虫の入った2つの容器に【大地】を向け、発砲。たちまち容器は燃え上がった。
「こいつらの弱点は熱なんだ」
【ライトニング】で殴られて、意識を失った従業員たちが、砂のように崩れていく。
「何これ?」
「《人型》だよ、土で作っ人形に魔法をかけて、人間の様にして働かせる。安く文句の言わない労働力として重宝しているんだ」
崩れた従業員のことをみどりに説明するクレア。
「言ってはしまえばゴーレムね」
「みどり、クレア、危ない!」
慧の忠告でクレアはみどりの手を引き、その場を飛びのく。
それと同時に、クレアとみどりのいた場所に筋肉質のスキンヘッドの大男が飛び下りてきた。もし飛びのくのが、一瞬でも遅かったら、今頃、スキンヘッドの男の直撃を受けていただろう。
飛び下りてきた大男の胸には、工場長と書かれた名札がある。どうやら、こいつがここのボス。
元から大きかった工場長の体が服を引き裂き、膨らみ、さらに大きくなっていった。
全身を鱗が包み込み、ファンタジー世界に出てくるドラゴンのような姿に変身。顔には嘴があり鳥のようで、羽根はない。
「あれも変異魔物?」
「いや、違う。こいつは天然ものの魔族、人間に化けていたんだ。多分、ブーガと一緒にこっちに来たんだ」
僅かな魔族の生き残り。
クレアは【天空】と【大地】を構えた。アーガトンも【ライトニング】を構える。
「あいつとは僕が戦う」
刀袋から蘇芳夜叉を取り出し、慧は工場長の前に立つ。
振り下ろされた工場長の前腕を躱し、蘇芳夜叉の柄に手をかけた。一瞬、慧は師匠の『蘇芳夜叉は人を使う妖刀』抜いたら、支配され、殺人鬼に変えられる』話を思い出す。
みどりも思い出し、祈るような気持ちになって、瞳を閉じる。
師匠の『今のお前なら、蘇芳夜叉を使いこなせるじゃろう』その言葉を信じ、一気に引き抜く。
開いた嘴から衝撃波が迸る。真横に移動し、衝撃波を命中させない。後ろにあったベルトコンベヤーが、木端微塵に吹っ飛ぶ。
後ろ脚立ちになり、太い鉤爪で攻撃。蘇芳夜叉の刀身で受け止め、腹に掌打を喰らわせ、後方へ飛ぶ。
振り下ろされた鉤爪が床を粉砕。
間合いを詰め、工場長の脇を通り抜けながら、横っ腹らを斬る。
傷つけられた怒りを込めた、嘴からの衝撃波。
それを躱す。続けさまに鉤爪の一撃、素早い身のこなしで、ヒットを防ぎ、その鉤爪を足場にして、ジャンプ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
気合を込めた蘇芳夜叉の一閃、上から下へ。
慧は着地、工場長の巨体は、真ん中で真っ二つ。
切れ味もさることながら、伝説通り、蘇芳夜叉の刀身には血も油も付いていない。
「慧ちゃん?」
心配しながら、名前を呼ぶ。
ちぃん、蘇芳夜叉を鞘に納める。
「大丈夫、僕は操られていないよ、みどりちゃん」
蘇芳夜叉に支配されていないことを笑顔でアピール。
ホッと胸を撫で下ろすと、安心感のあまりに、つい慧に抱きついてしまう。
「わっ」
驚いて、照れる。
そんな慧とみどりをクレアとアーガトンは、微笑ましく見ていた。
唐突に、魔女っ娘アニメの歌が響き渡った。場違いな音源は破れた工場長の服から、こぼれ落ちた携帯電話。
電話を拾い慧は出てみる。
『工場長、どこの愚か者の仕業か分からんが、例のバーが襲撃された。もしかしたら、そこも襲撃されるかもしれん。警戒しておけ』
この声は覚えている、聞き間違えるはずのない声。
「……辰夫」
一呼吸の間を置き、話しかける。
『その声は慧! ま、まさか、生きていたのか』
「生きているよ」
しばらく、辰夫は沈黙していたが、
『円条ビルへ来い。二袈市で一番高いビルだ、すぐに分かる。そこで再会を祝おうじゃないか』
電話の向こうから含み笑いが聞こえてくる。
「解った、すぐに会いに行くよ」
最上階の部屋に32歳になったスーツ姿の辰夫が豪華な革張りの椅子に腰を掛け、机を前で書類を書いている。
その隣に立つスーツ姿の女性の風貌はみどりと瓜二つ。ただし、表情はない。
この部屋には鹿の角に置かれた日本刀や鎧兜など、和風の美術品が置かれている。鹿の角は本物。
ノックの音する。
「入れ」
許可を受け、ドアが開く。部屋に入ってきたのは二袈市市長と秘書兼、ボディーガード。市長という役職にも拘わらず、その姿勢は低い。
「何か用か」
顔を上げることなく、書類を書き続けている。
「それはですね、町の住人から、ごみ処理施設建設の反対の署名が集まっていまして。あの場所は数少ない二袈市に残された、自然豊かな、みんなの憩いの場所で……」
市長は揉み手をしつつ、低姿勢のまま話す。
「説得したまえ、そのために君を市長にしたんだ。その歳で職は失いたくあるまい」
高圧的に言い放つ。年上である市長にも、その秘書にも敬意を払う様子すら見せず、顔を合わすことすらしようとはしない。
「何様のつもりだ! 若造の分際で」
その態度に秘書の堪忍袋の緒が切れた。今の態度だけではない、いつも同じような態度を取られ続け、積もり積もったものが、一気に爆発。
辰夫に掴みかかろうとした時、目の前に無表情のスーツ姿の女性が飛び出し、その首を掴んで、軽々と持ち上げた。
「殺すなよ、ヴェール。折角の絨毯が汚れる」
無表情の女性、ヴェールは無言で秘書を離す。
落ちた秘書はしりもちをついた、上等な絨毯が受け止めたので怪我はなし。
「今まで邪魔になってきた相手を、消してきたという噂は本当なのか」
怯えのあまり、市長は口走ってしまう。
若くして、資産家になった辰夫。ライバルや彼の成功の裏を調べようとした記者が、次々と事故死や行方知れずになったとの噂がまことしやかに囁かれていた。
「詮索はやめたまえ、君も噂のネタになりたくはないだろう」
慌て頭を下げ、まだ息の荒い秘書を連れ、いそいそと出て行った市長。その姿を辰夫は鼻で笑う。
無言でヴェールは辰夫の後ろに立つ。
「君も今は俺のものだ」
背後に立つ、ヴェールを眺める。
机の上の電話が鳴り、電話を取る。受話器から聞こえてきた声の主はブーガ。
「何か御用でしょうか」
内容は『ワルプルギス』が襲撃を受けたというもの。
「それでオーナーは? 海外へ逃亡ですか。今は海外へは手は出せませんね。所詮、小者、捨てておきましょう」
いくつかの会話を交わした後、電話をきる。
「誰だ、この俺に逆らう、愚か者は……」
万年筆を机の上に置き、
「まぁ、誰であれ、所詮、俺の敵ではあるまい」
椅子から立ち上がり、大きな窓のブラインドを開ける。窓からは、
二袈市が一望できる。
今や二袈市における辰夫の権力は、絶対のもの。その成功の影にいるのはブーガ。
くすくすと低い音程の笑い声。
「今や二袈市は俺のもの、まもなく日本も俺のものになる。そして――世界もいずれ俺にひれ伏す」
声を上げ、笑う。
☆
故郷に帰ってきた慧は呆然となった。自然豊かだった二袈市は、今や工場やビルが乱立、かっての面影はない。
「辰夫が二袈市の発展のためには、開発や誘致が必要だって……」
みどりが帰るのを避けていた理由の一つがこれ。
「慧ちゃんの家が火事になってから、辰夫は変わってしまったの」
慧の記憶の中に、呼び起こされるブーガの言葉、辰夫が裏切ったという囁き。
変わってしまった二袈市を見ても、それをやったのが辰夫だと聞いても、それでなお、信じたくはない気持ちが慧にはあった。
しばらく町を眺めていた慧だったが、振り返り。みどり、クレア、アーガトンを、1人、1人、見る。
「行きたいところがあるんだ」
家族の墓の前に花を添える。手を合わせ、黙祷。思い出す、父親の浩一、母親の栄美、妹の恵美、涙がこぼれる。
みどりの目にも涙。
クレア、アーガトンは顔を合わせたこが無いので涙こそ流さないが、悔やみの気持ちを持つ。
この墓石には、慧自身の名前も刻まれている。自分自身の墓に参っていることにもなり、なんとも奇妙な気持ち。
慧の身代わりに埋葬されているのは、おそらくはブーガの容姿いしたどこかの誰かだろう。
ふと、あることに慧は気が付いた。墓がとても綺麗、誰かが定期的に墓を手入れしてくれているらしい。
慧の家族はもういない。親類も遠方にいるので、頻繁には来れないはず。一体、誰が?
「きやっ!」
唐突にクレアの声が上がった、とても可愛い声で。
「お嬢さん、少々、背骨が歪んでおるようじゃな」
いきなり背中を撫でられ、驚いて飛びのく。
「久しいの慧、みどりちゃん」
「師匠」
「剛三さん」
クレアの背後に現れた剛三。黒かった髪も鬚もすっかり白くなっていた。杖は突いているが腰は曲がらず、真っ直ぐ。
「今日は月命日じゃからな」
手にしたバケツを置き、墓の前で手を合わせる。墓の手入れをしてくれていたのは剛三。
あっさりと背後を取られたクレアは、動揺を隠せない。
異世界では数多くの戦闘を繰り広げ、勝ち抜き、魔族の不意打ちも返り討ち。
にもかかわらず、簡単に背後を取られた。気配すら感じさせずに。
最強の傭兵と言われたアーガトンも同じ思いを持つ。クレアが背後を取られるまで、全く気が付かなかった。
墓の前から立ち、そんなクレアとアーガトンに、他人をホッとさせるような笑顔で、
「どうやら、弟子がお世話になったようですな。申し遅れました。儂は円条剛三と申すものです」
2人の前でぺこりと頭を下げる。
「あたしはクレア・ティナ・シフォンハート」
「アーガトン・バッハシュタイン」
名乗られたので、名乗り返さなくてはいけない。
32歳になっているみどりはともかく、死んだはずの弟子が髪が長くなっていることを除けば、何にも変わらない姿で現れても、自然体のまま。
「積もる話もあるじゃろ、今の儂の寝床にくるとよい」
好々爺の顔で歩き出す。そんな後姿を眺めるクレア。
「あの爺さん、ただもんじゃないな」
町はずれにある『癒し堂』という名前の整体屋が、今の剛三の住居。
「道場は工場になってもうての。今は円条流の応用で施術をやりながら,飯を食っとる」
玄関の鍵を開けて、慧たちを中に招く。
整体用ベッドと机の置かれた簡素な診療所に慧たちは通された。
用意された折り畳みの椅子に慧たちは腰を下ろす。
自分の身に起こったことを、どう説明したものかと考えていると。
「よいよい、お前が無事に戻ってきただけで十分じゃ。詮索する気はない」
お馴染みの好々爺の顔で話すのを止めさせ、机の上に人数分のお茶を用意。
皆が湯呑みを手に取ったのを見計らい、
「それよりも、辰夫の話を聞きたかろ」
もう一脚の折り畳みの椅子を出し、わざとらしく、どっこいしょと腰を下ろす。
「大学時代に辰夫は投資で成功し、その金を元手にいくつもの会社を買収、経営を始めた。さらに大手企業の工場を誘致して、莫大な資産と権力を築き上げあげよった。今や二袈市では、辰夫に逆らえるものはおらん」
今や辰夫は二袈市の支配者。これもみどりが戻らなかった理由。
「二袈市は豊かになったがの、失われたものも多い。辰夫のやり方に不満を唱える者も多い。じゃが、全く聞く耳を傾けようとはせぬ」
失われた自然、それを辰夫がやった。辰夫は本当に変わってしまったことを慧は自覚せざるえない。
「15年前のあの日を境に辰夫は変わりよった。力、特に権力を求めるようになってな。儂にはあれは己をごまかし、何かから逃げているように見える」
そこまで言って、一口、剛三はお茶を飲み、好々爺を崩した。
「一つ、聞きたい。今、二袈市で起こっていることは、人道に反する行為なのか。それに辰夫は係わっておるのか? それを壊すためにお主たちはやってきたのか?」
「……」
どう答えたらいいか慧は解らない。師匠である剛三に対し、慧は信頼の思いを持ち、実の祖父のような思いもある。辰夫は、そんな師匠の孫。
慧が迷っていると、
「あんたの孫がどこまで係わっているかは知らないが、ここで行われていることは外道な行為だ。それをぶっ壊すために、あたしたちはきた」
代わりにクレアが話す。
「そうか……」
静かに呟く。その言葉の中に悲しさがこもっているのを誰もが窺い知れた。
「覚えておるか、お前たちが子供のころ、蝉を取りに行った林のことを」
林のことは慧もみどりも、よく覚えている。辰夫とみどりの3人で蝉を取りに行った。そして奥の廃墟であの怪物に出会った。忘れることなど出来ない。
「あそこは図書館になっておってな。辰夫は、あそこの地下になにかを隠しておる」
辰夫が図書館の地下に何かを隠している。
「どんなに辰夫が隠し事をしても、剛三さん、必ず見破ったものね」
0点の答案用紙を隠したとき、皿を割ったとき、いつも見破られ、辰夫は叱られていた。あの頃は、いつも一緒だった。みどりにとって、あの頃の思い出は甘酸っぱく、ほろ苦い。
「持ち出し禁止書庫の、一番奥の本棚の一番上の段にある『相対性理論』の本がカギになっとる」
ここまで語った剛三は、自嘲的な表情になる。
「ここまでは調べたがな、儂には、その先を見る度胸はなかった」
親友の辰夫が人の道に外れるような行為をしているのだとすれば、慧もみどりも辛い。でも剛三の方が、尚辛い、辰夫は血の繋がった孫なのだから。
「なら、とっとと、殴り込みに行こう」
この場の空気を打ち破るように、クレアが立ち上がる。
今の時間は図書館は開いていて、殴り込めば一般人と鉢合わせしてしまう。無関係なものは巻き込むべきではない。
確かにと、クレアは座り直す。
「図書館の閉館時間は、午後の5時じゃよ」
壁時計をみる慧。まだ、かなり時間がある。それまで、時間を潰す必要あり。
椅子から立ち上がる剛三。
「折角じゃがら、お主たちの体の歪みを治してやろう」
好々爺が戻ってくる。
うつ伏せでベットに寝そべる慧。剛三は背中に毛布をかけ、まずは背骨の両端を上から下へ、グイッグイッ、グリグリッと指圧。
「ううっ」
強く押されるたび、いいしれない快感が走る。
指圧の次に背骨を両の掌で、ギュギュギュと体重をかけながら押す。
物心ついたころより、武術の特訓は受けてはいるが、施術をされるのは初めて、痛いことは痛い、しかし、それ以上の心地よさが押し寄せてきて、睡魔の袂へ誘おうとする。
「ほぅ、刀法の鍛錬を積んでおるようじゃな」
施術をしながら、そこまで解ってしまう。
左腕を持ち上げ、体を捻り、続いて右腕を持ち上げ、逆に捻る。続いて上半身をエビぞるように反らさせると、パキッポキッぺキッポキと骨が鳴り響く。
「師匠、これは、き、効きすぎます」
「刀法は基礎しか教えとらんのに、結構な腕前になっておるの。これなら、もう儂の教えることは無いようじゃ。後は自ら精進するとよい」
弟子の上達のレベルまで見破る。
次に施術を受けたのはクレア。ギュギュ、背中のツボを押していく。
「お主、随分と不摂生な生活をしておるの。それに最近、左肩が重いじゃろ」
普段の生活や体の不調な場所を見破り、告げ、肩甲骨の辺りを力強く、両手で押した。
「あぁん」
思わず声を漏らしてしまう。
次はアーガトン。
「ほう、お主は見た目と違って、規則正しい生活をしておるの。これは、少々、寝不足のようじゃな」
普段から寡黙なだけあり、終始、声は出さないが、僅かながらも表情には快楽の兆候が出ていた。
最後に整体を受けたのはみどり。
「うむ、机の上での仕事ばかりをしておるの。それに運動不足、後、猫背じゃな。ともかく、骨の歪みを治しておこう」
音を鳴らしながら、ベキバキボキキッ骨を正しい位置に矯正。
「ああっっつ」
思いっきり、声を上げる。
整体を終えた剛三は部屋の奥へ。
「すごい、体が軽い。左肩の重みもなくなっている」
嬉しそうにクレアは左肩を回す。
みどりも体が軽くなった気がするし、疲れもどこかへ飛んでいていった。
無言だが、アーガトンも自分の体の調子の良さを喜んでいる様子。
腰を動かし、軽くジャンプ、慧も体の様子を確かめる。剛三の武術の 腕前は知っていたが、施術の腕前も一級品。
部屋の奥に行っていた剛三が戻ってきて、
「道場が潰されたとき、指南書は、全部、辰夫に持っていかれたがな、これだけは隠し通したわい」
紫色の刀袋を慧に手渡す。
「餞別じゃ、持っていけ」
受け取った刀袋の中を見ると、赤い柄巻きに黒鞘の一振りの日本刀が入っていた。
「これは……」
日本生まれの人なら、日本刀には惹かれてしまうのは防ぎようがない。
「話したことがあるじゃろう。それが蘇芳夜叉(すおうやしゃ)じゃ」
驚いて、再度、日本刀を見る。斬った相手の血肉を食らい、抜刀した相手を操り、殺人鬼に変える妖刀。
「これが、あの怪談話の!」
みどりのミステリー好きの血が騒ぐ。
「今のお前なら、蘇芳夜叉を使いこなせるじゃろう。そやつ自身、お前に所有されたがっておる」
まるで蘇芳夜叉に心があるような言い方。ただ、この刀を見ていると、本当に心がありそうな気がしてくる。
「師匠が持っていたんですね」
「先祖から伝わっておったのじゃよ。いつか、相応しい持ち主に渡すために」
剛三は、慧が、それに相応しいと判断した。これは確信事。
「今の儂に出来ることは、これぐらいだけじゃ」
どこか遠くを見つめる。
「本来ならば辰夫が馬鹿をやっておれば、儂が何とかしなくてはいかん、それが祖父としての義務。だがな、あんな馬鹿でも、儂の孫なんじゃよ、儂には到底できん。儂は未熟者、いや、卑怯者じゃな。儂に、できんことをお前たちに押し付けるのじゃから」
「師匠……」
「剛三さん……」
剛三の気持ちは痛いほど分かる慧とみどり。初対面だが、クレアもアーガトンも、その気持ちは伝わってきた。
だが辰夫がブーガと組んで行動しているのなら、このままにはしておけない。
決意を決め、蘇芳夜叉を片手に持ち、お辞儀をする慧。みどりもクレアもアーガトンも、揃ってお辞儀。
それに答えるように、剛三も頭を下げる。
「あの馬鹿を頼む」
日も落ち、周囲が闇に包まれ始める時間になり、中に誰もいなくなったのを確認してから、図書館に侵入を試みる慧たち。
鍵の解除、無駄のない侵入術にクレアもアーガトンも長けていた。異世界で魔族の作った建物、占拠した建物に忍び込んでいるうち、自然に身に着いた技術。
それでも警戒しつつ、アーガトンの持つペンライトの明かりを頼りに、持ち出し禁止書庫へと進む。
明かりに気が付かれても、アーガトンは騒がれる前に相手を倒す自信があるので、先頭に立っている。
持ち出し禁止書庫にたどり着くと、アーガトンが、手際よく、鍵を解除、全員中へ。
「確か、一番奥の本棚の一番上だったね」
師匠の情報を頼りに慧は目的の本棚を探し、やがて目的の本棚を見つけた。ペンライトの明かりに『相対性理論』の本が浮かび上がる。持ち出し禁止書庫にあり、こんなタイトルを読もうとするやつは、そうそういないだろう。
本を掴み、慎重に引っ張った。
小さな音を立てて、本棚が左右にずれ、下へ降りる階段が出現。
「こんな仕掛け、フィクションの中だけと思っていたわ」
ついみどりは言ってしまう。少し興奮気味、昔から、こんなシチュエーションに憧れていた。
無言でアーガトンが先行。中の安全を確認してから、来るように合図。
階段を進む間、アーガトンだけではなく、慧、みどり、クレアは、一言も喋らず、階段を下りていく。
階段が終わり、明かりが見えてきたので、ペンライトの明かりを消し、ポケットにしまう。
下の施設は無機質な廊下が続いていた。進んでいくと、とても広い部屋に出る。
そっと、広い部屋を慧たちは覗く。
一見、何かの工場のよう。何人もの従業員らしき人が働いていて、ベルトコンベヤーの上を規則正しく、並んで運ばれている青いガラス瓶は聖水リベラシオンに間違いない。
クレアはベルトコンベヤーの先を見ていた。慧もみどりも同じ方向を見る。
上に吊り下げられた2つの容器から、2種類の虫が大きなミキサーの中に落ち、すり潰され混ぜられ漉されて、青いガラス瓶の中に入れらている。
「気持ちの悪い虫ね」
みどりの素直な感想、2種類ともグロテスク。慧もみどりも見たことがない虫。
「あれは、あたしの世界の虫だ。一匹は暗怨虫(あんおんちゅう)と言って噛まれると、凶暴化する。もう一匹は業葬蛭(ごうそうひる)と言う虫で噛まれると、運動能力は上がるが、発狂してしまう。確か、二匹、同時に噛まれたら、魔物化するって、学者が言っていたな」
その学者は実験で小動物を、強引に二匹に同時に噛ませて、実験して確かめた。
「ブーガの野郎、暗怨虫と業葬蛭をこっちに持ってきて、養殖してやがったんだな」
噛まれたら魔物化する暗怨虫と業葬蛭そのものを、原材料にして、聖水(リベラシオン)を作っていたのだ。その効果も高くなる。
「元々、飲みたくなかったけど、死んでも飲みたくなくなったわ」
吐き気を催すみどり。慧もごめんである。
ここが聖水(リベラシオン)の製造工場で間違いない。
「なら、さっさと片付けるか」
【天空】と【大地】を引き抜き、工場に飛び込む。それに続くアーガトン。
工場で働いていた作業員たちは驚く間もなく、アーガトンの【ライトニング】で、次々と殴られ、意識を失う。
一足遅れ、慧も工場に飛び込む。
クレアは虫の入った2つの容器に【大地】を向け、発砲。たちまち容器は燃え上がった。
「こいつらの弱点は熱なんだ」
【ライトニング】で殴られて、意識を失った従業員たちが、砂のように崩れていく。
「何これ?」
「《人型》だよ、土で作っ人形に魔法をかけて、人間の様にして働かせる。安く文句の言わない労働力として重宝しているんだ」
崩れた従業員のことをみどりに説明するクレア。
「言ってはしまえばゴーレムね」
「みどり、クレア、危ない!」
慧の忠告でクレアはみどりの手を引き、その場を飛びのく。
それと同時に、クレアとみどりのいた場所に筋肉質のスキンヘッドの大男が飛び下りてきた。もし飛びのくのが、一瞬でも遅かったら、今頃、スキンヘッドの男の直撃を受けていただろう。
飛び下りてきた大男の胸には、工場長と書かれた名札がある。どうやら、こいつがここのボス。
元から大きかった工場長の体が服を引き裂き、膨らみ、さらに大きくなっていった。
全身を鱗が包み込み、ファンタジー世界に出てくるドラゴンのような姿に変身。顔には嘴があり鳥のようで、羽根はない。
「あれも変異魔物?」
「いや、違う。こいつは天然ものの魔族、人間に化けていたんだ。多分、ブーガと一緒にこっちに来たんだ」
僅かな魔族の生き残り。
クレアは【天空】と【大地】を構えた。アーガトンも【ライトニング】を構える。
「あいつとは僕が戦う」
刀袋から蘇芳夜叉を取り出し、慧は工場長の前に立つ。
振り下ろされた工場長の前腕を躱し、蘇芳夜叉の柄に手をかけた。一瞬、慧は師匠の『蘇芳夜叉は人を使う妖刀』抜いたら、支配され、殺人鬼に変えられる』話を思い出す。
みどりも思い出し、祈るような気持ちになって、瞳を閉じる。
師匠の『今のお前なら、蘇芳夜叉を使いこなせるじゃろう』その言葉を信じ、一気に引き抜く。
開いた嘴から衝撃波が迸る。真横に移動し、衝撃波を命中させない。後ろにあったベルトコンベヤーが、木端微塵に吹っ飛ぶ。
後ろ脚立ちになり、太い鉤爪で攻撃。蘇芳夜叉の刀身で受け止め、腹に掌打を喰らわせ、後方へ飛ぶ。
振り下ろされた鉤爪が床を粉砕。
間合いを詰め、工場長の脇を通り抜けながら、横っ腹らを斬る。
傷つけられた怒りを込めた、嘴からの衝撃波。
それを躱す。続けさまに鉤爪の一撃、素早い身のこなしで、ヒットを防ぎ、その鉤爪を足場にして、ジャンプ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
気合を込めた蘇芳夜叉の一閃、上から下へ。
慧は着地、工場長の巨体は、真ん中で真っ二つ。
切れ味もさることながら、伝説通り、蘇芳夜叉の刀身には血も油も付いていない。
「慧ちゃん?」
心配しながら、名前を呼ぶ。
ちぃん、蘇芳夜叉を鞘に納める。
「大丈夫、僕は操られていないよ、みどりちゃん」
蘇芳夜叉に支配されていないことを笑顔でアピール。
ホッと胸を撫で下ろすと、安心感のあまりに、つい慧に抱きついてしまう。
「わっ」
驚いて、照れる。
そんな慧とみどりをクレアとアーガトンは、微笑ましく見ていた。
唐突に、魔女っ娘アニメの歌が響き渡った。場違いな音源は破れた工場長の服から、こぼれ落ちた携帯電話。
電話を拾い慧は出てみる。
『工場長、どこの愚か者の仕業か分からんが、例のバーが襲撃された。もしかしたら、そこも襲撃されるかもしれん。警戒しておけ』
この声は覚えている、聞き間違えるはずのない声。
「……辰夫」
一呼吸の間を置き、話しかける。
『その声は慧! ま、まさか、生きていたのか』
「生きているよ」
しばらく、辰夫は沈黙していたが、
『円条ビルへ来い。二袈市で一番高いビルだ、すぐに分かる。そこで再会を祝おうじゃないか』
電話の向こうから含み笑いが聞こえてくる。
「解った、すぐに会いに行くよ」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
2
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる