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Bastard & Master 【19】
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眠り続けるクリステルを、レオンとネリーはただ見守った。
特にレオンは、クリステルの側を離れようとはせず、ほとんど付きっきりであった。
ネリーの方は、言葉数が減り、何事か考え込んでいるようであった。それでも、ダニエルを手伝って、皆の身の回りの世話によく働いた。
ラインハルトは一軍の将らしく、物静かにどっしりと構え、成り行きを見守っているようであった。
そうして二度目の夜を迎えた。
夕食を終え、早々にひとりハウスへ戻って来たレオンを、プティが待ち構えていた。
髪を巻き上げてじゃれつくプティに、レオンは微笑みかけた。
「こらプティ……おとなしくしてなきゃだめだろう」
呟きながら、クリステルの傍ら──すっかり定位置になっている場所へ、腰を下ろす。
昨日からずっと、飽く事なく見詰め続けている眠り姫に視線を落とし──
そこで固まった。
ロイヤルブルーの瞳が、穏やかにレオンを見上げていた。
「クリス……」
言葉が続かない。
「レオン」
反対に、名前を呼ばれた。
レオンは、ひんやりしたクリステルの手を取り、暖かい自分の手でそれを包み込んだ。
祈りを捧げるように頭を垂れ、握り締めた彼女の手を自分の額に当てる。
「良かった……」
呟いた声は、ほとんど吐息のようであった。
「すっかりお世話になってしまったようですね」
クリステルの言葉に、ダニエルは首を横に振った。
「いいえ、これくらいの事……。よくご無事でお戻りになられました」
目覚めたクリステルのために、レオンはスープを用意しようと出て行った。
クリステルはその時、レオンに頼んだのだ。
ダニエルと話をさせて欲しい……と。
ハウスに入ってきたダニエルは、フェルテ様……と、呟いて、恭しく礼をした。
クリステルは、そう呼ばれるには、私はまだ未熟でした……と、返す。
「命の水は……あなたが?」
クリステルが問う。
「いいえ……。レオン様です」
ダニエルが、クリステルを真っ直ぐ見て答える。
「そうですか」
クリステルは、ふっと、視線を逸らせ、しばし考え込むような表情を浮かべていた。
「その理由については……」
「どなたにも申し上げておりません。掟ですから」
ダニエルが心持ち表情を曇らせた。
恐らく、彼の主人に偽りを語らねばならないような質問を受けたのだろう……と、クリステルは察した。
ダニエルがラインハルトに語ったのは、決して嘘ではない。
しかし、全てではなかった。
それは、スピリッツ・マスターの掟で、禁じられている事のひとつであったから──
忠誠を誓った主人が、自分に大いなる信頼を寄せてくれているのに、偽らねばならない初めての事態に、ダニエルは気分を重くしていた。
「ダニエル殿」
クリステルは感謝の瞳をダニエルに向けた。
そっと、彼の手を取る。
「レオンによって助け出された私ですが、あなた方が駆け付けて下さらなければ、生き長らえる事は出来なかったでしょう。あなたの友情と慈しみの心に、私は感謝して止みません」
「フェルテ様……」
ダニエルの頬を、涙がひとすじ零れ落ちた。
「もう入ってもよろしいか?」
すでに半身をハウスの中に入れながら訊いたのは、ラインハルトであった。
自分が会うより前に、ダニエルがクリステルと二人きりで長話をしている事が気に入らない彼は、落ち着かない様子で、先程からハウスの周りを行ったり来たりしていたのだ。
「ラインハルト卿……」
しかし、クリステルにそう呼ばれ、微笑を向けられた途端に、紳士な自分を取り戻す。
「クリステル殿、ご無事で何より……っ?!」
言いながら歩み寄ろうとしていた彼を、後ろから弾き飛ばした人物がいた。
勢い良く駆け込んで来たものの、たたらを踏んで立ち止まり、涙を一杯に浮かべた瞳でクリステルを見詰めている。
下唇をきゅっと噛み締め、途方にくれたように立ち竦んでいる。
クリステルは微笑んで、手を差し伸べた。
「ネリー……」
優しく声を掛けられて、ネリーはポロポロと涙を零した。
「心配……したんだからね……っ!」
「ごめんなさい。ありがとう」
クリステルの言葉に、ネリーは激しくかぶりを振る。涙の雫が飛び散る。
「勘違いしないでよっ! あんな風に厳しく叱られたままで……みっともない、あたしの記憶を最後に残したままで……クリステルが死んじゃったら悔しいじゃないっ!」
クリステルは一瞬見開いた目を、すぅっと細め、心に染み入るような微笑を向ける。
「そうですね。厳しく叱ってしまいましたね」
ネリーはクリステルの側へ寄り、更に華奢になってしまった身体を抱き締めた。
「ごめんなさいって、ちゃんと言ってなかったもの……。あたしのせいで……クリステルが死んじゃったら……どうしようって……」
「あなたのせいではありませんよ」
嗚咽を漏らすネリーの背中を、そっと撫でてやる。
自分が眠り続けている間、この少女がどれほど心を痛めていたか──それを思うクリステルの眼差しは、聖母の如く暖かな色を浮かべる。
静かに側へ来たラインハルトに気付き、クリステルは顔を上げる。
「ラインハルト卿……あなたの友情に感謝致します。あの時のお約束、違えず駆け付けて下さったのですね」
ラインハルトは悔しそうに首を横に振った。
「いいえ……私の力及ばず、王弟アルバートに出兵を許してしまいました」
クリステルは、彼にも聖母の眼差しを向ける。
「あなたのお立場を思えば、ここにこうして留まる事さえ、後にフッサール王宮で確執を生む事にはなりませんか? 私は、それを案じております」
ラインハルトは肩を竦めてみせる。
「ボンクラの仕出かした大事の、後始末をさせられている……と、公言して参りました。誰もがあなたの力を恐れ、近寄れないのですから、文句は言わせませんよ」
くすっと、笑ったラインハルトは、子供の頃に仲良くしてもらった年上の友人のままであった。
「ジュリアスお兄さま、お口が悪くていらっしゃいますこと」
クリステルもくすくすと笑った。
ラインハルトもまた、可笑しそうにくすくすと笑って──
そんな二人の様子に、ネリーとダニエルが呆気に取られていた。
しばし楽しげに笑っていたラインハルトが、クリステルの手を取った。
「もう一度、あなたの口からジュリアスと呼んでいただく事が出来た……。本当に、ご無事で何よりでした」
そう言って、クリステルの手に、そっとくちづける。
「あ~~~っ! どさくさに紛れてっ!」
それを見咎めたネリーが叫ぶ。
ラインハルトがぎょっとして、赤くなった。
「何を申すかっ! 敬愛のキスは淑女への礼儀……」
「うそばっかり。クリステルにちゅ~したかっただけなんでしょう?」
「こ……このっ! 失敬だぞ……っ!」
なんだかちぐはぐな言い争いに、クリステルとダニエルが吹き出した。
スープの皿を持ってハウスに戻って来たレオンは、そこで大騒ぎしている一行に目を丸くした。
「おーい! 病人の部屋で騒ぐんじゃない! 追い出すぞっ!」
怒鳴り声に、全員がレオンを振り返る。
「ほぉら。仲間はずれにされて、レオンが焼きもち焼いてるじゃない」
ネリーの呟きに、また皆が笑い出した。
なんなんだよ……まったく……。
呆れて溜息をついたレオンであったが──
笑い転げるクリステルを初めて見て、まあ、いいか……と、思ったのであった。
プティが楽しげに、笑い声溢れるハウスの中を舞っていた。
つづく
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