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Bastard & Master 【22】
しおりを挟む【22】
暗くなった部屋で、レオンは沈み込んでいた。
先程から、世話係の女官が何度も訪ねて来ていたが、レオンはすべて追い払った。
そろそろ宴に招待された客も、集まり始めているのだろう。
それでも、レオンは宴に出席する気分では、到底ない。
クリステルは、王の寵愛を受けていた。
突如知る事となった事実は、レオンの頭を殴りつけるような衝撃であった。
どうやって自室へ戻ったか、その記憶はない。
彼女の青い瞳に、自分への恋情を見たような気がしたのは、自分勝手な思い込みだったのだろうか。
そうだ……
都合よく思い込むほどに、自分は彼女を愛していたのだ。
身を切られるような痛みと同時に、想いの深さを知った。
「クリステル……」
苦しげな呟きを漏らした時、扉がノックされた。
「レオン……私です。開けて下さいませんか?」
毎日ずっと側で聞いた声だった。
レオンは弾かれたように立ち上がり──そして、のろのろとドアに歩み寄った。
無言でドアを開けると、夜会用のドレスに身を包んだクリステルが佇んでいた。
「どうなさったのですか? 明かりもつけさせて貰えないと、女官たちが心配しています。……まもなくパーティーが始まりますよ。衣装は私が選んで参りましたので、着替えをなさって下さい」
クリステルは一着の衣装を差し出した。
レオンを気遣ってくれながら、自身も酷く疲れた顔をしている。
レオンの胸がきりきりと痛んだ。
夜会用のドレスを、クリステルは事も無げに着こなしている。
膨らんだスカート、大きく開いた胸元。結い上げた金色の髪。
淡く紅を差した唇──
すべてが眩しくレオンの心を揺さぶる。
身震いするほどに美しく、それ故に、濃い疲労の色がレオンの胸を貫く。
酷く疲れた顔をして……
その唇も、白い首筋も……その胸も……
それほどまでに愛されたのか?
あの男に……!
「レオン……?」
思わず背を向けたレオンに、クリステルは声を掛ける。
「女官たちの噂話を聞いてしまった……」
「え……?」
レオンはクリステルを振り返る。
「クリステルが……王の寵愛を受けていると」
クリステルが息を呑んだ。
白い胸元が大きく上下し、動揺している事が手に取るようにわかる。
その動きさえ艶めいて見え、手を触れた男がいるのだと思うと、レオンの心を激しい嫉妬の嵐が吹き荒れる。
「嫌だ……!」
レオンは激情のままに、クリステルをきつく抱き締めた。
クリステルの手から、レオンの衣装が滑り落ちる。
「嘘だと言ってくれ……」
「レオン……」
クリステルの瞳が、怯えたように揺らいだ。
その色を読み取って、レオンの嫉妬心は更に燃え上がる。
「あの男には一日中愛されたのに……俺は恐いのか……? 俺じゃ、駄目なのか?」
クリステルの顔が辛そうに歪んだ。
「違うって……言えよ……っ!」
レオンはクリステルの背中を壁に縫い止めるように押し付けると、震える唇に、乱暴に自分の唇を重ねた。
貪るような激しいくちづけ──
クリステルの目から溢れた涙が、レオンの頬を濡らし──レオンは突然、罪悪感に捕らわれる。
大切にしたいのに……
ただひとり……愛する女なのに……
そっと、クリステルから離れ、互いに荒い息をつきながら対峙する。
「それで……あなたはどうなさりたいの……?」
張り詰めた沈黙の時を破ったのはクリステルだった。
「もし……それが事実だとしたら……あなたはどうなさるの? 私を軽蔑して、王女を選びますか? それとも……私をここへ置き去りにして、ひとりで行ってしまわれるの?」
レオンは答えられない。
クリステルは悲しげに瞳を逸らせた。
「パーティーには出て下さいね……必ず……」
言い残して、頼りなげな足取りで、クリステルは部屋を出て行った。
クリステルが選んでくれた衣装が、床に散らばっていた。
レオンはそれをそっと拾い上げる。
衣装は、クリステルの瞳と同じ色だった。
大広間の扉が開かれる。
「フォンテーヌ皇太子・ヴィクトール・レオン殿下――っ!」
一歩足を踏み入れると名前が読み上げられ、会場の紳士・淑女が一斉にこちらを見た。
レオンは気圧される事無くゆったりと一同を眺め、優雅に一礼した。
その気品溢れる姿、美しい青年貴族ぶりに、溜息と賞賛の囁きが漏れる。
さっきまで心に吹き荒れていた嵐は、凍り付いたように静まり返っている。
何かを決意したような眼差しで、何者にも動じない仮面を被って見せる。
レオンは国王の玉座へ進むと、方膝をついて頭を垂れた。
「遅れまして、申し訳ございません。陛下にはご機嫌も麗しく、何よりでございます。今宵は私などのためにこのような宴を催して下さり、感謝の言葉もございません」
頭に叩き込まれた芝居の台詞のように、よどみなく、すらすらと口をついて出る。
王は、うむ……と、頷いて、玉座から立ち上がった。
「皆に紹介する。ここに控えし者……この顔立ちに覚えのある者もおろう。先代の王、ジョセフの忘れ形見、ヴィクトール・レオンである。今宵はヴィクトール帰国の祝いの宴……皆も存分に楽しむように」
会場から割れんばかりの拍手が湧き起こった。
レオンはもう一度、皆に向かって一礼をした。
「そなたも、楽しんで来るがよい」
王に言われて、レオンは小さく頭を下げた。
玉座に背を向け、パーティーの輪の中を進む。
レオンが真っ直ぐ向かった先には、クリステルがいた。
緊張した面持ちのクリステルに、レオンは手を差し伸べた。
「踊って頂けますか?」
我に返ったクリステルが、おずおずと手を差し伸べると、レオンはその手をとり、そっとくちづけた。
じっと見守っていた会場がざわめき、楽団が演奏を始める。
ふたりが滑るように踊り始めると、あちこちでカップルが出来、踊りの輪が広がって行く。
クリステルが部屋を去った後、レオンは彼女が口にした問いを思い返した。
私を軽蔑して、王女を選びますか?
それとも……私をここへ置き去りにして、ひとりで行ってしまわれるの?
何度も思い返し、そして気が付いた。
隠された彼女の想いに──
クリステルは自分を愛してくれているのだ。
そして、王の手から奪って欲しいと訴えているのだ。
置き去りにしないで……さらって逃げて……と……。
クリステルの、もの問いたげな眼差しが、レオンをじっと見詰めている。
レオンもそれを見詰め返す。
足元は、感情などお構いなしに、慣れたステップを踏み──
レオンは、愛しい瞳に答えるため、そっと囁いた。
「愛している……」
クリステルの瞳が見開かれる。
レオンは力強くクリステルをホールドし、ステップが乱れないようリードする。
「お前をひとりにはしない。たとえ王の怒りを買っても構わない。お前は、俺が貰って行く……」
「はい……」
「追われる身になるかも知れない。いばらの道かも知れない。もう二度と……都の土を踏む事は出来ないかも知れない……」
「はい……」
「それでも、いいか?」
クリステルが微笑み、瞳が涙で揺らいだ。
「はい……」
返事と同時に、涙が零れ落ちた。
ふたりは踊りの輪から離れ、玉座の前へ進み出た。
揃って、王に一礼する。
「陛下に、お詫びを申し上げに参りました」
レオンが口火を切った。
「詫び……とな?」
王が訝しげな眼差しを寄越す。
レオンはそれを真っ直ぐに見詰め返した。
「私が真に愛する女性は、クリステルただひとり。真に欲するものは、彼女の愛のみ……。それ以外は、ございません」
王は、レオンには答えず、玉座から立ち上がった。
手を上げる仕草に、楽団の演奏がぴたりと止む。
「皆の者……」
王の声が、静まり返った広間に響き渡った。
俺たちを取り押さえるつもりか?
兵を、呼び寄せようとしているのか?
「ここに宣言する。只今よりこの宴を……」
レオンは身構え、寄り添うクリステルの手を強く握り締めた。
「皇太子ヴィクトール・レオンと、我が娘、ベアトリーチェ・クリステルの婚約披露の宴とする!」
わぁ……っと、歓声が上がった。
ファンファーレが鳴り響き、怒涛のような拍手が湧き起こる。
呆然としているレオンに、王は微笑みかけた。
「まったく焦らしおって……。我が寵愛の娘を気に入らぬのかと、冷や冷やしたぞ」
驚くほど、人懐っこい笑顔だった。
呆気にとられてクリステルに視線を移すと、彼女は花のように微笑んでいた。
「あなたが会いたがっていらした、豪傑親父です」
レオンに耳打ちして、肩を揺らして笑った。
一歩あるく度に囲まれ、祝いの言葉を投げ掛けられた。
ほとんど揉みくちゃにされるような状態で会場を回り、常に付き纏う視線から逃れるように、ふたりは漸くバルコニーへ出た。
手すりにもたれて、大きな溜息をつくレオンを見て、クリステルは、ふふっと笑った。
レオンもそんな彼女を愛しげに見る。
「まだ……状況が飲み込めてないんだが……」
レオンが言うと、クリステルは、ごめんなさい……と頭を下げた。
事の始まりは、ジョセフの忘れ形見がトレッカの町で生きているとわかった時まで遡る。
王はその時からすでに、その落胤と自分の娘であるクリステルを結婚させるつもりでいた。
国民が納得する後継者を育てるためであった。
しかしクリステルは簡単に呑むつもりはなかった。
そして父王に宣言したのだ。
王たるにふさわしい男か……
自分の夫として尊敬に値する人物か……
その男の人となり、自分がこの目で見極める……と。
ベアトリーチェ・クリステルは王女でありながら、スピリッツ・マスターでもあった。
王女としてある時はベアトリーチェ。
スピリッツ・マスターである時はクリステル。
そう呼び分ける事にしていたが、供も付けず出歩き、身分に関係なく気さくに接する美しい術師は、皆に愛され、いつしかクリステルと呼ばれる事の方が多くなって行った。
クリステルとして、身分の枠を越えて人々の日常に触れるようになると、自分が王女である事を疎ましく感じる事もあった。
いつか自分の夫となる男は、愛ゆえに、自分を妻に迎えるのだろうか……
それとも、王女だから……?
そんな疑問は、クリステルとして生きる時間が長くなるほどに、彼女の中で大きくなって行ったのである。
「そうなる運命だったのでしょうか。私はあなたを愛してしまいました。だからこそ不安だったのです。あなたが妻に選ぶのは私自身なのか、それとも王女の私なのか……」
クリステルも手すりにもたれて、少し欠けた月を仰ぎ見る。
夜の風が、優しくうなじの後れ毛を揺する。
「あなたの口からはっきりと想いを伺うまでは、王女と私が同一人物である事を告げないで欲しいと……私は父に願い出ました」
クリステルの視線がレオンに向けられる。
レオンもそれを真っ直ぐ受け止めた。
「今朝……想う女性がいると仰った、あなたの言葉に胸が躍りました。あなたはきっと、父に相談にいらっしゃるだろうと……私を愛していると、父に告げてくださるだろうと……。その時に全てをお話して、お詫びを申し上げようと思っていました。私は一日中、父の部屋であなたがお見えになるのを待っていたのです。でも……あなたはおいでにならなかった……」
レオンが目を見開いた。
一日中、王の部屋にいたのは……俺を待っていたから……
「酷く落胆して、パーティーの前にあなたのお部屋に伺ったら……あなたは勘違いをなさっていて……あんな風に……私を……」
クリステルは頬を染めて俯いた。
落胆……していたから……
それを、俺はますます勘違いして……嫉妬に狂って……
レオンはクリステルをやんわりと引き寄せ、そっと、抱き締めた。
「ごめん。俺……嫉妬して、あんな風に乱暴に……恐かっただろ……?」
しかしクリステルは、静かに首を横に振った。
「いいえ……初めて、あなたの激しい想いに触れて……私は、その情熱にこのまま呑まれてもいいと……そう思った自分が恐かったのです。あなたの決意は変わってしまったかも知れないのに……もう、私を愛して下さらないかも知れないのに……。コントロールが利かなくなりそうな自分が恐くて、逃げるように部屋を出て……」
「馬鹿だな……」
レオンはクリステルを抱き締める手に力を込めた。
「愛してるから嫉妬した。愛してるから苦しんだ。お前を、失いたくなかった……」
クリステルは、レオンの腕の中で、そっと頷いた。
また涙が、ぽろり、と、薔薇色の頬に零れた。
「あの時……私を救い出して下さった時の言葉。もう一度聴かせて……」
不意に、クリステルが顔を上げて呟いた。
青い瞳が、揺らめいて、自分を映している。
愛しさを分け合うように、レオンはクリステルにくちづけた。
「愛している。俺たちはいつも一緒だ……いつまでも……」
クリステルは恥じらうように微笑んで──
「はい……」
答えた声は、ふたりに、生涯続く幸せを与える事になるだろう。
大広間から漏れてくる宴のざわめき。楽団の奏でる音楽。
少し欠けた月の明かり。
ふたりの頬を撫でる風の精霊──
近い将来誕生する若い国王と美しい王妃を、万物に宿る気が祝福していた。
END
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