星のカケラ。

雪月海桜

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星の名前。

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 何年も前、両親に連れられて訪れた地元の遊園地があった。当時からわたしは何よりも星が好きで、どうせならプラネタリウムに行きたかったな、なんて思うような可愛げのない子供だったのだけど、行ってみるとそれはそれで楽しくて、すっかり夢中になったのを今でも覚えている。

 あの頃は妹の『りっちゃん』が生まれたばかりで、両親は当然のようにりっちゃんにかかりきりだった。
 それまで両親の愛情を一身に受けていたわたしが、妹の誕生をきっかけに寂しい想いをして、一人で去年買って貰った星の本ばかり読んでいるのに気付いてくれたのは、りっちゃんの顔を見に遊びに来た祖母だった。

「たまには二人とも、あーちゃんと遊んで来たら? あーちゃんも、パパとママと遊びたいわよね?」
「……うん!」

 遊園地行きはそんな祖母の提案で、祖母の家で一日りっちゃんを預かって貰って、久しぶりの家族三人だけでのお出かけだった。
 色とりどりの風船を配るファンシーな動物の着ぐるみ、甘い香りのポップコーンやチュロス、見たことのない色をしたドリンク、ショップに並ぶ同じ顔のたくさんのぬいぐるみ達、付け耳や帽子を被りながら行き交う見知らぬ人々の笑顔。

 非日常の空気がわたしを包んで、りっちゃんの分もと貰った二つの風船を手に園内を駆け回る。いつになくはしゃぐわたしを嗜める両親の声は、すぐに喧騒の中に消えていった。

「ねえ見て、あそこ、お星さまのお店がある!」

 遊園地の片隅に見付けたのは、やけに古びた小さな建物。人々から忘れ去られたような雰囲気のその建物には、事実誰も見向きもしない。
 けれど遠目に見えた『星の生まれる場所』という文字と星空の看板に惹かれて、わたしは一人メインストリートを逸れて建物に近付いた。
 その建物は、どうやらプラネタリウムのようだった。看板の下には『星を見つけよう』等と書かれている。

「ねえ、わたしここに入りたい! ……あれ、パパ、ママ?」

 けれどわたしが今日一番のテンションになった所で、ふと辺りを見渡すと両親の姿はどこにもなかった。

「どうしよう……」

 背の低い小学生のわたしが、この人混みの中から両親を探すのは困難だった。先程までの高揚感は一気に消え失せて、周囲の賑わいの中、世界にひとりぼっちになったような不安感に涙が滲む。

「パパ、ママ……」
「こんにちは、お嬢さん。星はお好きかな?」
「え……?」

 絶望の中不意に声を掛けられて、わたしは顔を上げる。そこに居たのは、見たことのない着ぐるみだった。メルヘンチックな白いうさぎの頭部に、顔の雰囲気とミスマッチな黒い燕尾服にシルクハットを合わせたスマートな装い。帽子と服のアクセントには星のブローチが煌めいていた。

「ああ、怖がらないで。僕は『星の生まれる場所』の案内人。お嬢さん、迷子だろう? パパとママを待つ間、良ければ星を見ていかないかい?」
「……」

 知らない人についていってはいけない。それは分かっていた。けれどここは遊園地で、相手は着ぐるみ、行き先も小さなプラネタリウム。
 両親も、わたしが星を好きなことは知っている。もしかしたら、ここに居れば迎えに来てくれるかもしれない。

 わたしはひとりぼっちの不安に耐えきれずに、優しく差し出されたふわふわのうさぎの手を取った。


*******


「わあ……きれい!」
「そうだろう。ここでは生まれたての星や、これから生まれて来る星が見られるんだ。新たに煌めく星は、普通の夜空の星よりもフレッシュで無垢で美しい!」

 外の賑わいとは異なり他に人の居ない貸し切りのプラネタリウムで、わたしはうさぎと共に映画館のような椅子に腰掛けて、狭い建物の広い星空を眺める。そこは普通のプラネタリウムとは違って、ガラス張りの天井に星空が映し出されていた。まるで星の水槽だ。

 正直うさぎの説明は良く分からなかったけれど、確かに今まで見たどの星空よりも美しく感じる。そして不安も寂しさも、その美しい光景を前にすっかり何処かへ行ってしまった。

「あ、すみっこのぼんやりしてるあの星、ちっちゃくてピンクでかわいい!」
「おや、お嬢さんは目がいいね。あれは明日にでも生まれる星なんだ」
「星の赤ちゃんなの?」
「ふふ……そうだね。星の赤ちゃん。だからあの星には、まだ名前もないんだよ」

 生まれる前の星なんて、そんなの初めて聞いた。もう何度も読んだ大好きな本にも書いていなかったことだ。
 うさぎの話を聞きながら、わたしは見失わぬようにとその仄かな明かりの星へと手を伸ばしかけて、手に握ったままの二つの風船に気付く。赤いのはわたしの、ピンクはりっちゃんのだ。

「……うちにもね、赤ちゃんがいるの。夏に生まれたばっかりの子」
「へえ、そっちの赤ちゃんも、可愛いかい?」
「うん、あの星みたいに、ちっちゃくてかわいいよ。……でもね、りっちゃんが生まれてから、パパもママもわたしに構ってくれないの」
「そうか、それは寂しいね……」
「うん……今日は久しぶりの、りっちゃんのいない三人のお出かけだったのに……」

 そこまで話して、せっかくのお出かけなのに迷子になってしまった事実を急に思い出して、忘れかけていた涙の気配が押し寄せてくる。
 するとうさぎは慌てたようにガラスの夜空を指差して、涙が溢れないようにとわたしの視線を再び上に向かせた。

「お嬢さん、泣かないで。ああ、ほら、あの星の赤ちゃんに名前をつけてみない?」
「……なまえ?」
「そう。これから生まれるあの星に名前をつけたら、きっともっと綺麗に煌めくよ」
「……、じゃあ『りっちゃん』。おんなじ赤ちゃんだから、りっちゃんにする」

 名付けなんて、すぐに思い浮かぶものじゃない。ましてや泣いている時だ、咄嗟に今頭にあった名前しか出てこないものだろう。何の気なしに、わたしは妹の名前を呟いた。

「それじゃあ、明日生まれるあの星は『りつか』だ」
「……、え?」

 わたしはこれまで『りっちゃん』としか口にしていない。なのにどうして、うさぎは妹の名前を知っているのだろう。
 途端に怖くなって、うさぎへと視線を向ける。けれどその表情は当然のように変わらずに、ゆるくて可愛い顔のままだ。

「星は古来より、願いを叶えるものだ。お嬢さんの願いも、きっと叶うよ」
「わたしの、願い……?」

 視界の端で、先程名付けた小さな星が、一際強く瞬いたように見えた。


*******


「あーちゃん! ああもう、どこに行ってたの、探したのよ!」
「……え?」

 気が付くと、わたしは外に寝転んでいた。そこにはプラネタリウムなんてなくて、遊園地の隅っこのぽっかり空いた芝生の休憩スペース。空は既に夜に染まって、本物の星空が広がっていた。

「心配したんだぞ、急に居なくなって駄目じゃないか!」
「……ごめん、なさい」

 泣きそうになった両親に抱き締められて、夢でも見ていたのかと呆然とする。抱き締め返そうとして、手には赤い風船が一つしかないことに気付いた。もう一つは何処かに行ってしまった。寝ている間に飛ばされてしまったのだろうか。

「あのね、わたし、プラネタリウムに……」
「遊園地にはプラネタリウムなんてないから、今度りっちゃんと四人で行こうな」
「……、うん」

 どれが夢で現なのか、答えが出ることのないまま両親に手を引かれ、久しぶりに両手の温もりを堪能しながら夜道を歩く。
 不意に見上げたガラスのない夜空にも、先程名付けたピンクがかった星がぼんやりと光って見える。
 あれは明日にも生まれると、うさぎは言っていた。明日になれば、きっと霞は晴れてもっと綺麗に見えるはずだ。

「ねえ、パパ、ママ。ピンクの風船、なくしちゃった」
「飛んでっちゃったのか?」
「その赤いのはあーちゃんのだもんね。また風船配りの猫さんに貰って帰ろうか」
「うん!」

 明日にはまた、二人はりっちゃんにかかりきりになるだろう。それでもわたしは新しい星の誕生を楽しみに、手元に残った風船を揺らしながら帰路についた。


*******


 翌日には、うさぎの言った通り『りっちゃん』が空に生まれ落ちて、綺麗なお星さまになっていた。
 四人でプラネタリウムにはもう行けないけれど、空を見上げればりっちゃんに会えるし、両親はこれまで以上にわたしを大切にしてくれた。

「……お星さまになってくれてありがとう、りっちゃん。これでやっと、りっちゃんのこと好きになれるよ」

 あの日星が生まれて、みんなはたくさん泣いていたけれど。ピンクの風船は、結局もうなくて貰えなかったけれど。
 わたしはもう、寂しくはなかった。だってうさぎの言う通り、星が願いを叶えてくれたのだから。



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