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第2章ーー起点ーー

第10話

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 私は今、とてつもなく場違いな場所にいた。


 大理石の床、真っ赤な絨毯、目を見開く程の高い天井。


「ささ、エレン様、こちらに」


 侍女のような方々に招かれ、先に大きなソファに腰を掛けているアレクさんの横に座らせられる。
 ソファに向かうまでの間、何回ドレスの裾を踏んでつんのめったか分からない。なにこの馬鹿みたいに重いヒラヒラ。なにこのヒール。


 人の手によって、まるで高貴な人間のように仕立て上げられている。用意されたドレスの中から、できる限り控え目でできる限り地味な物を選んだけれど、落ち着かないったらありゃしない。


「よく似合ってるよ」


 そう言って微笑むアレクさんを、ほんの少し睨んだ。命の大恩人であり、しかもこの世界の頂点のようなお偉いさんを睨むなんて本来許されない事だろうけど。


「あはは、怒ってる?」

「いや、だってこんな‥」


 こんな格好なんて、ましてやこの場所なんて、生まれ変わっても縁がないと思っていたのに。




 あれから紐解くように、一気に様々なことがわかった。
 まず、真偽官のトゥルク。青年である彼の横には、いつも気弱そうな秘書がいたらしい。彼が本当の『真偽』のスキル持ち。秘書に真偽を聞きながら、うまいこと真偽官として世渡りしていたんだとか。

 秘書よりも家柄の立場が強いだかなんだか、とりあえず秘書を虐げて、トゥルクは10年ほど前に真偽官になったそうだ。
 その際、もちろん不正がないように『探知』のスキル持ちが真偽官のスキルが正しいものかを判断するんだけど、その時にかなりの高額で買われたのが当時再婚前の後妻に命令されたバンだったんだそうだ。

 金で動く真偽官トゥルクのせいで、罪を着せられて刑に処していた人たちは多くおり、今回の件があって新たに真偽が行われ、私だけではなく色々な人たちの環境が急に変わった。


 私は、世に(と言っても私がいたのは田舎の領地だけど)本当の真偽を齎したスキル所有者として、突然その立場を上げられてしまった。

 ましてやそのスキルは、『二特級・奪取』『二特級・服従』『中級・浮遊』『中級・探知』‥そして、宿屋を燃やした犯人だとわかったプラムから、宿屋を再建する為という口実(アレクさんの入れ知恵)で、プラムのスキルだった『特級・建設』まで手に入れることとなった。

 これはもう、なんだかよくわからないが、アレクさん曰く「本当に凄いんだよー」ということらしい。

 そういうアレクさんは『三特級・不死』のスキルを持った、この国の建国者であり初代王という凄まじい人なんだけど。


「‥アレクさん、私にこんな格好させておいて貴方はどうして‥」


 アレクさんは、宿屋に来た時に来ていた鎧を脱いだ状態、というようなラフすぎる木綿の服に身を包んでいる。


「ほら、俺の防具も火事で燃えちゃったから」


 確かにそうだけど、燃えていなければあのぼろぼろの防具を付けた状態でここにいたのだろうか。


「それに、俺ってご隠居だから」


 へへっと茶目っ気な姿を見せたアレクさん。
まるで偉ぶらないその姿に、彼がとてつもなく高貴な人だと忘れてしまいそうになる。

 私が目を回してしまうほどの知識量と、危機的な場面での余裕たっぷりな様子と、優しく穏やかなところ。それらは長くこの世に生きているからこそ身に付いたものなのかな。


「‥アレクさん、20代半ばに見えます‥」


 初代王と知って、一旦バタバタが落ち着いた時、私は「初代王」と言い改まった。だけどアレクさんはそれを嫌がり、「アレク様」も嫌だと言い、結局アレクさんのままだ。

 よくよく考えれば、何百歳のお爺ちゃんなのかな。そう考えた途端、本当に遥か遠くの人なんだと感じた。
 ちくん、と何故か胸が痛む。


「なんかね、一番体の調子がピークで良い時のままになってるみたいなんだよね」


 そう言って指をパッと開いて関節を曲げてコキコキと音を鳴らした。綺麗な指だけど、大きくて逞しい。その手はお爺ちゃんの手ではなく、若く勇ましい男の人の手だった。


「へぇ‥凄い‥」


 思わずそんな声が漏れる。
不死のスキルだなんて、初めて聞いた。こんなにも人智の枠を超えた『スキル』という力は、絶大なものなんだと思い知らされる。


「欲しい?」


 アレクさんは、そう言って優しく微笑んだ。アレクさんの笑顔は、目尻が少し下がってとても柔らかい印象を与えてくれる。
 実際、私の心はアレクさんのおかげで随分と支えられ、癒されていた。


「欲し‥くはない‥です」


 思わず本音が漏れる。でも、よくよく自分の身に置き換えたら自然とその台詞が出てしまった。


「だよね」


 アレクさんは、変わらない笑顔のままそう言う。




 知人も、友人も、きっといつかできる旦那さんも、子供も孫も、そのまた子供も。
その大切な存在の最後を、全て見届けなくてはならないなんて、寂しくて、辛くてどうにかなってしまいそうだ。

 アレクさんの横顔をジッと見上げた。

 この人は、それを全て味わってきたのだ。そして、きっとこれからも‥



 そう思った途端、アレクさんを無性に抱きしめたくなった。そんなことできるわけがないし、差し出がましすぎるし、やった瞬間死刑になるかもしれないけれど。一介の町娘がしていいことではないだろうけども。

 ただただ、寂しいだろうな、辛いだろうな、と。


 私もまた、アレクさんよりも先にアレクさんの終わらない人生から消えていく人間のうちの1人に過ぎない。
 その頃にはもう、アレクさんは私のことなんて忘れているかもしれないけれど。

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