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第3話
しおりを挟むみんなの前でジュークが団長に突き飛ばされたことで、私はその後誰からも殴られたりしなかった。
「アイナ、水が足りないよ!汲んでおいで!」
「あ、はい。分かりました」
すぐ近くに川がある。キラキラと水面が輝く、森林の中の綺麗な川。
4人が手伝ってくれていたら、朝のうちにもっとたくさん水を汲んでおけたのに‥。まぁもう慣れたことだけど。
リヤカーに樽を何個か積んで、私は川へ向かって前進した。
川に到着すると、川辺に座り込む影を見つけて私は思わず驚きの声をあげた。
「わっ」
この川辺で人を見かけるのは初めてのことだった。なんだか全体的に黒っぽい服装の男の人。この人も私と同じ黒髪だわ‥。私以外に黒い髪を持つ人は初めてみる。まぁ‥私の場合、黒い髪ではなくこの紅い瞳が他人から嫌われる原因のようだけど。
「‥‥」
突然声をあげた私に、目の前の男の人も少し驚いた表情を浮かべた。
なんて整った顔立ちなんだろう。うちのサーカス団とは比べ物にならない美少年ね。
「‥‥すみません」
驚かせてしまったようなのでとりあえず謝ってみる。
そもそもなんでこんなところにいるんだろう。
「‥‥‥そこのサーカスの人?」
「え?あ、はい」
考えてみたら突然現れた私に驚いたっていうより、見世物にされてしまうような私の容姿に驚いているんじゃないかな。うん‥不気味だよねそりゃ。裾も丈も長いぼろぼろのワンピースに、謎の首のスカーフ、左目の眼帯、真っ赤な瞳の右目。‥朝から嫌なものを見せてしまったかな‥。
まぁ好きでこんな容姿をしているわけじゃないし、私だって同じ人類なんだから、知らない相手に対して自分を卑下する必要もないけど。
「なんでわざわざ人力で水を‥?
魔法使わないの?」
ごもっともな質問です。
「‥みんなこんなことに魔力を消費したくないんです。
そもそも魔力があっても詠唱法を知らない人、すごく多いと思いますよ。このサーカス団」
サーカス団に限った話ではないだろうし、他の環境がどうかはわからない。だけど‥魔法が当たり前にある筈なのに魔法が全然浸透していないように感じる。まぁよっぽどこんな下仕事に魔力を割きたくないのかもしれないけど。
「へぇ‥」
男の人が何かを呟いた途端、一瞬で全ての樽に水が入った。
「え?え‥?!魔法‥?あ、ありがとうございます」
「いいえー。はい、これ」
「‥え?なんですか?これ」
男の人は私の手のひらに古びた紙切れを置いた。何やら魔法陣のようなものが描かれている。
「‥‥この魔法陣に向かって願いを請うと、魔力と引き換えに魔法が生み出される。ちなみにこの紙切れは“初級魔法用”で‥生活用水を生み出すくらいの力は持ってる」
「え‥まさか私に‥?」
「あぁ。悪いけど、あまりにも不憫に見えたからな。
俺のお下がりで悪いけど、安物だから気にせず受け取ってくれ」
「え、でも‥」
「いいからー」
そう言って彼は笑った。その綺麗な笑顔に私は思わずたじろいでしまった。‥陶器のような白い肌に、透き通るように揺れる艶やかな黒い髪。切れ長の瞳は一重だけど大きくて目力が強い。
私はそもそも魔力がありませんから、と突き返すのは野暮にも思えた。小さく頭を下げて、今まで見た人間の中でいちばん綺麗なこの男の人に感謝を述べた。
「ありがとうございます‥。大切にします」
例え使えなかったとしても‥この出会いに、この慈悲に感謝。
酷い境遇で生まれ育ち、見世物として生きる私にとって‥無条件に与えられた慈悲はこれが初めてだった。
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