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第44話『銀の懐中時計』
しおりを挟むーーー寡黙なユーリの首からは、いつも古臭い銀の懐中時計が垂れ下がっていた。皮の紐が切れそうになる度にせっせと付け替える大切な懐中時計。
それは、なんだか照れ臭さも有り、人目にはつかないよう肌着の下に忍ばせる。
チクチクと刻むそれは、おおよそ10年前からユーリの物だ。
ーーーー遡ること20年以上前
当時13歳だったユーリは、貧しき村で幼い頃から周りの大人達に混ざり、村を守るために剣を握っていた。
恵まれた体格、飲み込みが早くセンスのある剣術、そして優しい瞳とは裏腹に、迷いのない剣‥。
貧しい家庭に生まれたユーリは、内戦に巻き込まれて剣を握れなくなった父の代わりに、村‥そして家族を守るために日々を過ごしていた。
普段は畑仕事を手伝い、10も離れた弟の面倒を見て、有事の際はいの一番に敵を斬りつける。
寡黙で優しいその大柄の男ユーリは、15歳の頃に隣町の貴族に気に入られ、村を離れて私兵となった。
それまでの生活よりも、断然戦の場数は多かった。
それでも家族の安定した生活のため、ユーリは若くして数々の死線を潜り抜けた。
心優しき少年は、『戦場のオーガ』とまで呼ばれるようになった。
全ては家族のため。
ユーリが19歳の頃だった。
ユーリが出兵している最中、ユーリの村は燃やされた。
父、母、そして可愛がっていた弟‥
ユーリが戦が終わり、村へ駆けつけると、そこは全て焼け野原と化していた。
わずかな休みの日に、弟のために作った家の裏の秘密基地や、補強して住みやすくした実家も、愛する家族すらも‥ただの炭になってしまったのだ。
家族を守るために、自分が一番死に近い所にいたはずなのに、自分以外のかけがえのない人たちが死んだのだ。
生きる気力を失った。
だけど、簡単に命を投げ出すのは、一番の親不孝なのではないか。
私兵を辞め、彷徨いながら、ユーリは生きる意味を何度も何度も考えた。
とうとう生きる糧を見出せず、何度も死のうと考えた。
家族のため、村のため、そのために戦場のオーガとなった男。
だが、父と母のおかげで頑丈な体を手に入れたユーリは、簡単には死ねなかった。
ーーー崖から落ちても腕が折れるだけ。
野盗に襲われても、最後の最後で弟の笑顔が過り、野盗を返り討ちにしてしまう。
結局ユーリは、涙さえ流せずに、ただただ各地を転々としながら、何の為に生きているのかもわからないまま、彷徨っていたのである。
そんな放浪の旅も3年ほど経過した頃だった。その頃の国内は荒れに荒れていた。
革命軍が現れ、王権を奪取しようと戦が勃発していたのである。‥もちろん、ユーリには関係ない話なのだが。
とある雪が舞う冷えた朝、路地裏で血生臭い毛皮を纏い、ガチガチに震える1人の少年を見つけた。
革命軍が旗を揚げてからはよく見るような光景だった。あちこちに死体が転がり、町が燃える。
人々は瞳に力を無くし、死を怯えながら生きているというのに‥
その少年は、ユーリを見上げる目ヂカラがとても強かった。
黒い髪は乱れ、あどけなさの残る整った顔には泥や血が付き、手には歯が欠けた短剣が握られていた。
「あんた‥国王軍じゃないね」
その少年の問いに頷くと、少年は短剣を握りしめる力を緩めた。
国王軍を警戒している‥ということは革命軍派なのだろうか。
弟が生きていれば、まさに同じ歳くらいだろう。そんな少年が、この状況でこんなにも「生きる」気でいる。
何故こんな争いの世界で、そんなに逞しく心を保持できるのだろう。
ユーリは少年の近くに座り込み、鞄からごそごそと硬くなったパンを取り出した。
少年にパンを差し出すと、少年はじっとユーリを見据えた後に受け取った。
「お前何歳だ」
「12」
やはり、弟と同じ歳だった。
何故か勝手に、ほんの少し親近感が湧く。
「名前は」
「‥‥‥あのさぁ、まずは自分から名乗ったら?」
硬いパンを噛みちぎりながら、少年は悪態を吐く。
ユーリは、物怖じしない少年に小さく笑いながら、自分の名を名乗った。
少年は、ふーん、と相槌を打つと、またパンをかじる。
しばらくの間があり、ユーリは少年が名乗る気がないのだと気がついた。
少年の身を包む毛皮は、コートというにはあまりに雑破だろう。ただの毛皮に身を包まっている、といった表現が似合っている。
大方、どこかから盗んできたのだろう。
毛皮の下に着ているシャツは、すっかり血や泥で汚れ、一部は破れ、白い肌が見えている。しかし、恐らく元は上質なものだったはずだ。
ベルトや短パン、破れかかった黒いタイツ。
ユーリが元々いた地域は廃れかかった貧しい農村だったが、のらりくらりと旅をしている間に、ユーリは随分と栄えた地域まで来ていた。
しかし、こんな栄えた地域でも、ただの町息子がこんな品のある格好はしていない。
「お前、貴族の息子だろう」
“元”貴族と言った方が正解だっただろうか。
なにせ護衛もなく、こんな格好で逃げている。
大方、革命軍側の貴族‥で間違いないだろうな。
「ふんっ、そういうお前は何者だよ。
戦乱に乗じて金品でも盗みに来た野盗か何かか」
「野盗ほど野蛮じゃないさ。
ところで、お前‥‥‥
うーん、そうだなぁ。“キリス”と呼ぼうか」
名乗る気がないのなら、とユーリが提案した名前は、ユーリのかけがえのない『弟』の名前だ。
この少年に、弟の面影を重ねている自分が情けなくなり、ユーリは小さく笑った。
しかし、どうにもこの少年を見捨てるのには気が引ける。何年かぶりに心が解れたことには変わりはないのだ。
それならば、この少年に弟を重ねたとしても、罪はないだろう。
少年は、ユーリの様子をじっと見たあとに、吐き捨てるように言った。
「‥なんかその名前は重く感じる」
たかだか12歳の少年に見透かされてしまうなんて、俺はそんなに顔に出やすいのだろうか。
「あー、そうか」
ユーリがぽりぽりとこめかみを掻くと、少年はガサゴソと首から下げていたものを取り外し、ぶっきらぼうにユーリに手渡した。
「なんかお前悪いやつじゃなさそうだし、これはパンのお礼だ。ついでに、俺をこの町から連れ出してくれ」
そう言って手渡されたのは、銀の懐中時計だった。
よく見れば、家紋のような刻印まで入っている。
「お前の大切なもんなんだろ、別に見返りなんかいらないよ」
ユーリがそう言うと、少年は立ち上がって懐に短剣をしまった。
「もう俺の家はない。残念ながら俺が持ってる金品といえばそれくらいだ。ガキ連れて歩くんだから迷惑かけるかもしれないが、それで勘弁してくれ」
子供のくせに、随分と大人びたやつだ。
いや、こうならざるおえなかったんだろう。
何せ、こんな時代だ。
「町を出たって、その先1人で生きていける保証はないぞ。
しばらく付いて来い。生き抜く術は教えてやるから。
それまでこの懐中時計は預かっておくよ」
ユーリがそう言って立ち上がると、少年はやっと笑顔を見せた。笑うとまだあどけない。
「俺の名前はネロだ。よろしくな、ユーリ」
そう言って、少年はユーリとその町を抜け出した。
ーーーーーーーーーー
酒と女の町“ジュール”
バーの奥には、真っ赤なソファに腰を掛ける1人の男がいた。
両脇にいる女達は、その筋肉質な男に媚びるように擦り寄っている。
「‥目星はついたのか?
お前が息巻いていた魔法で」
男がそう言うと『花の魔法使い』ルージュは、頷いた。
「はい、奴らが潜伏していた山小屋は見つけたと報告がありました。その後向かったとされる人里付近での目撃情報もあります」
「そうか、じゃあ俺たちもそっちに向かうか」
黒い革の服、金色の存在感のある装飾品、黒いサングラス。両脇の女達を退けて、その派手な男は立ち上がった。
「はい、キリス様ーーーーーーー」
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