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第五話
結婚というものがこんなに幸せだとは思わなかった。ミルカとの結婚生活を存分に楽しむために、私はすぐさまミルカのご両親を遠く離れた場所にある別邸へと押しやった。この日のために観光地に新しく建てたのだ。最初は戸惑っていたご両親も、すっかり新しい土地での生活を気に入ってくれたようだ。ミルカの様子を手紙で聞いてくることはあっても、直接会いにくることはない。
この屋敷にはミルカと最低限の使用人しかいない。そのことにミルカが気づいたのは、結婚してから数カ月たった頃だった。
「本邸には私と、ミルカ。それと、最低限の使用人だけしかいないよ」
「……なんで?」
「必要かい?」
「え?」
「私がいるのに、他の者が必要?」
首をかしげると、ミルカの顔が強張った。ああ、その表情。よく知っている。追い詰められた敵と同じだ。
「ひ、必要よ。だって困るでしょう? 私たちの世話をしてくれる人がいないと……」
「そうでもないよ。私は自分のことは自分でできるから。たしかに、掃除や洗濯をする人は必要だとは思うけど……逆を言えばそれくらいだ。今この屋敷にいる人数で十分足りる。それに、今後はもっと減らすつもりだし」
「もっと減らす? え、で、でも、私の世話をする人は? さすがに残しておいてくれるんでしょう?」
「いや。最終的には出て行ってもらうよ」
「そんな。じゃ、じゃあ誰が私の面倒をみるの?」
不安がるミルカを見て、思わず笑ってしまった。――ああ、なんて可愛らしいんだ。
「ああ、ごめんね。ミルカは不安なのに。大丈夫。私が面倒をみてあげるから」
「ダヴィデが? でも……」
「安心して、私は医療の心得も多少ある。今、担当医からいろいろアドバイスを聞いているところだよ。あと、普段ミルカのお世話をしている人たちからもね。ミルカも嬉しいだろう。私とずっと一緒にいられて」
「……う、うん」
納得してくれた。よかった。ミルカが危機感の薄い子で、本当に。まあ、逃げ出そうとしても無駄だけど。これから、ミルカの筋力はどんどん落ちていくだろう。本人が気づいた時には、もう自力では逃げられないくらい。誰かを頼りたくても、私以外誰も頼る相手はいない。残っている使用人はすべて私に忠誠を誓った者ばかり。
ああ、想像しただけで、胸が幸せな気持ちでいっぱいになる。
はやく気づいておくれ。ミルカ。君はもう私なしでは生きてはいけないんだよ。
そのことにミルカが気づいたのは結婚してからちょうど一年たった頃だった。
「お、姉さま」
「ミルカ」
イラリア嬢を屋敷に呼んだのは私ではない。ミルカだ。何度もイラリア嬢に手紙を書いていた。ミルカはおそらくイラリア嬢に助けを求めるつもりなのだろう。今までのようにイラリア嬢を頼って……でも、残念ながらイラリア嬢はミルカの助けにはならない。むしろ、ミルカに現実を教えにきてくれたのだ。姉として、最後に。私は久方ぶりの姉妹の再会を静かに見守る。
「お姉さま」
「なにかしら?」
「お姉さま、おねがいがあるの」
涙を流しているミルカ。――ああ。その涙は私を見て流してほしいのに。ダメだ。まだ我慢だ。
イラリア嬢は困った子を見るような目でミルカを見つめ、首を横に振る。
「ミルカ。その願いは聞けないわ。言ったでしょう? ミルカのお願いを聞くのはもう私の役目ではないの。それをするのはあなたの愛する夫よ。大丈夫。彼ならあなたの願いを聞いてくれるわ。以前、誓ってくれたもの。ねえ?」
イラリア嬢の問いに「ああ」と頷き返す。
「私は約束を守る男だからね。だから、私に言ってごらん?」
ミルカの頭を撫でると、途端にミルカがプルプルと震え出した。最近のミルカはよくこうなる。ああ、可愛い。まるで、昔飼っていた子犬のようだ。――成犬になる前に亡くなってしまったけど。
私が手をどけると、またミルカは話し始めた。
「ちが、ちがうの。私、こんなの望んでないの」
「こんなのって? ミルカの願いはどんなものなの?」
「わ、私は、ただ、お姉さまよりも誰よりも愛されるお姫様になりたかっただけで」
「あら。それならもうなっているじゃない。もしかして、愛され過ぎて怖いというやつかしら」
イラリア嬢の台詞に笑わなかった自分を褒めたい。イラリア嬢は本当にすごい。的確にミルカが嫌がる言葉を発し続けている。それでいて、他の人からはそれが嫌みだとはわからない言葉選び。見事だ。
「ちが、ちがうちがうちがうちがう」
ミルカが必死に首を横に振る。慌ててミルカの肩に手を置いた。
「ああ。そんなに興奮してはダメだよ。落ち着いてミルカ。イラリア、エミリオ。せっかくきてもらって悪いんだけど」
二人を見やれば、イラリア嬢は心得ているように頷く。
「ええ。私たちはここらへんでお暇するわ」
「ま、まってお姉さま」
イラリア嬢はミルカを無視して、部屋を出て行った。追いかけるつもりだったのか、体を浮かせようとしたミルカ。そのミルカの両肩を手で押さえ、耳元でささやく。
「無駄だよ。イラリア嬢とはそういう契約を結んでいるから」
その言葉でミルカは理解できたらしい。大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。
「あ、ああ……お姉さま、そんな、あああ……」
「ミルカ、大丈夫だよ。私はずっと君の側にいるから、ずっとね」
そのために、私は陛下とも取引をしたんだから。だから……できるだけ長生きしてね。ミルカ。そのためなら私はなんでもするから。
この屋敷にはミルカと最低限の使用人しかいない。そのことにミルカが気づいたのは、結婚してから数カ月たった頃だった。
「本邸には私と、ミルカ。それと、最低限の使用人だけしかいないよ」
「……なんで?」
「必要かい?」
「え?」
「私がいるのに、他の者が必要?」
首をかしげると、ミルカの顔が強張った。ああ、その表情。よく知っている。追い詰められた敵と同じだ。
「ひ、必要よ。だって困るでしょう? 私たちの世話をしてくれる人がいないと……」
「そうでもないよ。私は自分のことは自分でできるから。たしかに、掃除や洗濯をする人は必要だとは思うけど……逆を言えばそれくらいだ。今この屋敷にいる人数で十分足りる。それに、今後はもっと減らすつもりだし」
「もっと減らす? え、で、でも、私の世話をする人は? さすがに残しておいてくれるんでしょう?」
「いや。最終的には出て行ってもらうよ」
「そんな。じゃ、じゃあ誰が私の面倒をみるの?」
不安がるミルカを見て、思わず笑ってしまった。――ああ、なんて可愛らしいんだ。
「ああ、ごめんね。ミルカは不安なのに。大丈夫。私が面倒をみてあげるから」
「ダヴィデが? でも……」
「安心して、私は医療の心得も多少ある。今、担当医からいろいろアドバイスを聞いているところだよ。あと、普段ミルカのお世話をしている人たちからもね。ミルカも嬉しいだろう。私とずっと一緒にいられて」
「……う、うん」
納得してくれた。よかった。ミルカが危機感の薄い子で、本当に。まあ、逃げ出そうとしても無駄だけど。これから、ミルカの筋力はどんどん落ちていくだろう。本人が気づいた時には、もう自力では逃げられないくらい。誰かを頼りたくても、私以外誰も頼る相手はいない。残っている使用人はすべて私に忠誠を誓った者ばかり。
ああ、想像しただけで、胸が幸せな気持ちでいっぱいになる。
はやく気づいておくれ。ミルカ。君はもう私なしでは生きてはいけないんだよ。
そのことにミルカが気づいたのは結婚してからちょうど一年たった頃だった。
「お、姉さま」
「ミルカ」
イラリア嬢を屋敷に呼んだのは私ではない。ミルカだ。何度もイラリア嬢に手紙を書いていた。ミルカはおそらくイラリア嬢に助けを求めるつもりなのだろう。今までのようにイラリア嬢を頼って……でも、残念ながらイラリア嬢はミルカの助けにはならない。むしろ、ミルカに現実を教えにきてくれたのだ。姉として、最後に。私は久方ぶりの姉妹の再会を静かに見守る。
「お姉さま」
「なにかしら?」
「お姉さま、おねがいがあるの」
涙を流しているミルカ。――ああ。その涙は私を見て流してほしいのに。ダメだ。まだ我慢だ。
イラリア嬢は困った子を見るような目でミルカを見つめ、首を横に振る。
「ミルカ。その願いは聞けないわ。言ったでしょう? ミルカのお願いを聞くのはもう私の役目ではないの。それをするのはあなたの愛する夫よ。大丈夫。彼ならあなたの願いを聞いてくれるわ。以前、誓ってくれたもの。ねえ?」
イラリア嬢の問いに「ああ」と頷き返す。
「私は約束を守る男だからね。だから、私に言ってごらん?」
ミルカの頭を撫でると、途端にミルカがプルプルと震え出した。最近のミルカはよくこうなる。ああ、可愛い。まるで、昔飼っていた子犬のようだ。――成犬になる前に亡くなってしまったけど。
私が手をどけると、またミルカは話し始めた。
「ちが、ちがうの。私、こんなの望んでないの」
「こんなのって? ミルカの願いはどんなものなの?」
「わ、私は、ただ、お姉さまよりも誰よりも愛されるお姫様になりたかっただけで」
「あら。それならもうなっているじゃない。もしかして、愛され過ぎて怖いというやつかしら」
イラリア嬢の台詞に笑わなかった自分を褒めたい。イラリア嬢は本当にすごい。的確にミルカが嫌がる言葉を発し続けている。それでいて、他の人からはそれが嫌みだとはわからない言葉選び。見事だ。
「ちが、ちがうちがうちがうちがう」
ミルカが必死に首を横に振る。慌ててミルカの肩に手を置いた。
「ああ。そんなに興奮してはダメだよ。落ち着いてミルカ。イラリア、エミリオ。せっかくきてもらって悪いんだけど」
二人を見やれば、イラリア嬢は心得ているように頷く。
「ええ。私たちはここらへんでお暇するわ」
「ま、まってお姉さま」
イラリア嬢はミルカを無視して、部屋を出て行った。追いかけるつもりだったのか、体を浮かせようとしたミルカ。そのミルカの両肩を手で押さえ、耳元でささやく。
「無駄だよ。イラリア嬢とはそういう契約を結んでいるから」
その言葉でミルカは理解できたらしい。大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。
「あ、ああ……お姉さま、そんな、あああ……」
「ミルカ、大丈夫だよ。私はずっと君の側にいるから、ずっとね」
そのために、私は陛下とも取引をしたんだから。だから……できるだけ長生きしてね。ミルカ。そのためなら私はなんでもするから。
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