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1.The day before -前日-
*
しおりを挟む「いらっしゃいまっせぇーー」
自動扉の開く音が聴こえたらこの言葉が出てくるのは最早条件反射になっている。
振り返れば、腹が立つほどくっついた見るからにバカップルがイチャイチャしながら入ってきた。仕事中じゃなければ思いきり顔を顰めていたところだ。
こんな時間にこんなとこでイチャつくんじゃねぇ。
家でやれ家で。
思いながらチラと周囲を見ると今ホールで手が空いているのは俺しかいない。
仕方ないと思いながらもそれを客に気取られないようにすることだって、もう慣れた。
「2名様ですか?」
「見りゃわかんだろ」
「やだあもう、えーらーそおー」
……仕事中仕事中。
金金金金。
何回心の中で唱えたかわからない魔法の呪文を繰り返しながら、俺は営業用の声と顔で好きな場所を選ぶよう促した。
深夜のファミレスでバイトを初めてもう2年経とうとしている。
態度の悪い客に対するやり過ごし方も、表向きの笑顔もすっかり身に付いた。多分地元の連中が今の俺を見たら気持ち悪いと言いそうだ。愛想の良い方ではなかったから。
それを良しとするかは別として、スルースキルってやつはかなり高くなった気がする。
今入ってきたバカップルにお冷を運び、ベルが鳴れば注文を取る。
この時間に入る客のほとんどはあまりガッツリ喰わないから、楽な面もあった。勿論例外はあって、団体で呑めや騒げやという時もある。あくまで俺の働いた約2年の統計上のことだ。
何を隠そう、俺は料理の盛られた皿を持つことがあまり得意じゃない。まだ新人バイトだった頃何回か失敗して皿を割り、バイト代から天引きという手痛い経験もある。
ただし、変な客が多いのもまた深夜だ。
「お疲れ久住。時間」
「あっ、ハイ」
裏へ回ったところへ、先輩バイトの穂高が声を掛けてきた。
穂高の言葉に腕時計を確認すると時刻は午前3時。ようやく上がりの時間だ。腕を伸ばしてから首を傾けるとコキッと小さく鳴った。凝ったらしい。
「久住、それは裏でやれ。気持ちはわかるけどな」
穂高は笑いながら窘めてくる。
俺はウスと頷いて、欠伸を噛み殺しながら答えた。
「今日もお疲れさまでした。お先に失礼します」
「おう。お疲れ」
腰巻きエプロンの紐を後ろ手に解きながら事務所へと戻る。
上京2年目の夏休み。
特にこれといって特別な事のない、いつもの日々が続いていた。
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