怖がりの少年

火吹き石

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 ――危ないのになあ。

 シッポはそう思いながら、岸辺をぷらぷらと歩きつつ、横目で仲間たちが遊ぶさまを見ていた。

 ツノと話してから、しばらく経った後だった。まだまだ昼は続くが、日は中天から傾いていた。向こう岸の岩場に集まった少年たちは、次から次へと川に飛び込み、水しぶきを上げ、歓声を響かせていた。

 楽しそうだな。そう思いはするものの、シッポはいっしょになって遊ぶ気にはならなかった。明らかに危ない遊びだった。跳び方を間違えれば、岩の上に落ちてしまうかもしれないし、足を滑らせれば岩肌を転がることになる。きっと、とても痛いことだろう。

 それに寒そうでもあった。水遊びにはまだまだ早い春のことであり、少年たちは川から上がると、体をぶるっと震わせていた。歯をかちかちと鳴らす者もいた。見ているだけで、シッポは体が寒くなるような気がした。

 この場にいる最年長であるツノは、おそらく、みなを止めるべきなのだろう。そうシッポは思うのだが、名づけの親たる先輩は、率先して高い岩に登って、危なっかしい跳躍を繰り返していた。遊びにのめり込んで、周りが見えていないようだった。

 たぶん、この場にツチがいたら、ツノのことを叱っているところだろう。そうシッポは思った。

 ――こんなに寒いのに、水遊びなんかして、ちびどもが風邪を引いたらどうするんだ。怪我をしたら、いったいどうするつもりなんだ。

 そんな先輩の声が聞こえてくるようだった。

「危ないのになあ。寒いのになあ。」

 シッポは小さく呟いた。

 たぶん、自分は怖がりなのだろう。自分には、あんな危なっかしいことをする気にはなれない。それに、たぶん、意気地なしなのだろう。寒いこともいやだったし、痛いこともいやだった。

 仲間たちは、いったいどうしてこんなに危ない遊びをこのむのだろうかと、シッポは首をひねった。幼い子どもを見ているほうが、よほど楽しかった。きょろきょろと周りを見渡したり、何気ないものを熱心に見つめたり、言葉にならない言葉で話したり、そんな様子を見ているほうがすきだった。

 ツノは、いつもシッポを遊びに連れ出そうとしていた。ツノが、自分のことを気に入っているのは、シッポにもわかっていた。木の根元で丸まっていた赤子を抱き上げ、シッポという名前をつけたのがツノだった。もっと幼かった頃には、ツノはシッポをずっと放さなかったし、シッポも名づけの先輩のことを追いかけていたものだった。

 ツノが自分と遊びたがっていることも、気にかけていることも、シッポは理解していた。シッポの少し臆病なところを、ツノがなんとか鍛え、勇気をつけさせたがっているということも、わかっていた。だが、その試みはいまのところ成功していなかったし、成功する見込みも、あるようには思えなかった。

 シッポにはどうしても、先輩がするような、危なっかしくて荒っぽい遊びをする気にはならなかった。

 ――意気地なしなんだろうなあ。

 シッポは遊ぶ仲間のことを見ながら、自分のことをそう思った。年長になったら、大変かもしれないなと思う。若者組に入る前に、数年の間、少年たちは武術の訓練をする。シッポは、自分が槍や剣を扱うところを想像できなかった。

「まあ、なんとかなるだろ。」

 それほど心配してはいなかった。これまで、ほとんどすべての少年が、武器を扱えるようになってきたのだ。自分にだってできるだろう。それほど上手にはならなかったとしても。

 そんなこんなと考え事をしながら、岸辺を行ったり来たりしていると、ふと、シッポは顔を上げ、遊ぶ仲間たちを見やった。なんだか足の裏から見えない手が這い上がってくるような、気味の悪い予感のようなものを覚えていた。

 向こうの岸辺には、ごつごつとした大きな岩が連なっていて、そこここにある出っ張りや突き出た岩の頭の上に、少年たちは散らばっていた。シッポの視線は少年たちの上をふわふわと泳ぎ、それから、あるひとりの上で止まった。

 大柄なその少年は、イワだった。少年は手足を使って、岩場を登っていた。その視線は、上のほうで大きな岩に腰を落ち着けている、ツノに向けられていた。

 イワは、何かとツノといっしょに遊びたがっていた。シッポは、自分の代わりに、ツノがイワのことを抱き上げていたらよかったのにと、たまに思っていた。そうすれば、ツノはずっとお気に入りの後輩と遊ぶことができただろうに。

 そんなことを少し頭に浮かべながら、シッポはイワから目を離せなかった。ごつごつとした岩壁を、濡れた体でよじ登るというのは、どう考えても危ないことだった。ツノが得意げに座っているのは、イワの背丈の何倍も川面から上がったところだった。他の少年たちは、さすがに怖いのか、そこまでは登ろうとしていなかったが、勇気を示すためだろう、イワはツノのところまで登るつもりのようだった。

 ――危ないのに。

 シッポは背中を冷たいものが走るのを感じた。ツノがとめてくれたらいいのにと思った。だが、ツノはむしろ笑顔で、イワのことを応援しているようだった。

 心配し過ぎだと、シッポは自分に言い聞かせた。心配し過ぎなのだ。しかし、あの高さから落ちたら、きっとひどく痛いだろうと思うと、瞬きもできず、少年から目が離せなかった。

 しばらくして、イワがツノのすぐ近くにまで登ったとき、誰かがあっと上げた声が、耳に入ってきた。シッポは目を見開いた。イワの手が、岩から滑って離れた。大柄な少年は、すぐに手がかりを探そうと、手で岩肌を引っ掻いた。だが、手がかりは見つからなかった。片手が離れ、もう一方の腕だけで、少年の大きな体がぶら下がっていた。

 ツノが身を屈めて、手を伸ばした。だが、遅かった。イワがぶら下がっていられたのは、ほんのひとつ息をする間のことだった。すぐにもう一方の手も離れると、イワは固い岩場を滑り落ちていった。

 イワの体は、ぎざぎざした岩や段差の上を、転げて落ちていった。転がるたびに、どん、どん、と音がして、その肌は赤く染まっていった。シッポは思わず自分の体を抱いていた。全身の肌を引き裂く痛みが感じられるようだった。

 やがて、その体は川面に落ちた。何度も岩にぶつかって、勢いは殺されており、水飛沫はほとんど上がらなかった。

 イワのすがたが水の下に隠れると、シッポを縛っていた凍りつくような痺れが緩んだ。そして、少年は川に背を向けると、幻想の痛みと恐怖とに苛まれながら、走り去った。
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