怖がりの少年

火吹き石

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 村につくと、若者たちはイワを集会所に連れて行った。集会所は、村の中心に近い、いちばん大きな建物だった。村で何かを決める必要があるときにはここに集まる。村でうたげをするときにも使われるし、客人があればここに通される。少年組や若者組の怪我人もまた、ここで寝かされることが多い。ここならば、静かに休んでいられるのだ。

 ツノは後輩たちを家に帰らせた。あまりに人が多いとイワが寝られないだろうし、みんな疲れていたからだ。ほんとうならツノが慰めてやったほうがいいのだろうが、それよりイワが心配だったので、ツノはつき添うことにした。

 集会所では、すでに人が待っていた。床の一角には厚く敷物が伸べられ、炉には湯が沸かされ、手当の用意が整えられていた。そこにはシッポもまたいた。少年は頬を紅潮させ、疲れた様子を見せていた。村に駆け戻り、助けを求めたのがシッポだということは、ツノも道中に若者たちから聞いていた。

 さっそくイワは傷を洗ってもらい、包帯を巻いてもらってから、寝床に寝かされた。とはいえ、傷は浅くなかった。悪化してはいけないからと、若者がひとり、まじない師を呼ぶために遣わされた。まじない師は氏族の墓場の近くに住んでおり、その墓場は、村々から離れたところにあった。

 イワが手当を受けている間、ツノはシッポと手を繋ぎ、ずっと握っていた。シッポは震えていた。まるで自分自身が怪我をしたかのように、顔を真っ青にしていた。ツノは何か言葉をかけたいと思ったが、自分自身も疲れ、心が乱れていたので、何も言うことができなかった。

 手当が一通り済むと、仕事に当たったおとなは、ツノとシッポに帰るように促した。だが、ふたりとも帰ろうとしなかった。シッポはなお心配そうにしていたし、ツノもまた、イワとシッポが心配で、離れられないのだった。それで、おとなたちはふたりに、何かあったら呼ぶようにと言い置いて、集会所を出ていった。こうして、ツノはふたりの後輩とともに集会所に残された。

 イワは、もう泣いてはいなかった。体中に巻かれている包帯は血に染まり、湿ってはいたが、出血はだいぶ収まっているように見えた。ただ、たくさん泣いて、目を腫らして、顔には疲れをにじませていた。そして、ときおり苦しげに小さく呻いた。

 ツノはイワの手をずっと握っていた。シッポはツノの隣で、じっとイワのことを見ていた。ツノは何度か、すぐにまじない師さまが来てくれると声をかけたが、それ以外は黙っていた。

 黙っていると、ツノは自分のことを心中で責めはじめた。年長の者として、後輩が怪我をしないように気を配るのは、ツノの責任だった。ツノは、イワを止めるべきだったのだ。シッポが飛び込み遊びを怖がったときにでも、みなをとめて、村に帰るように言うべきだったのだ。それなのに、自分も遊んでばかりいて、周りのことがちっともわからなくなっていた。

 そうやって考えていると、ツノはまた泣きそうな気持ちになった。

 物思いに沈んでいたから、ツノは時の流れに気づいていなかった。集会所に人が入ってきて、顔を上げると、そのときはじめて、広い集会所に夕闇が忍び込もうとしていることを知った。

 集会所に入ってきたのは、まじない師ではなく、手当をしてくれた壮年だった。片手には鍋が下げられ、もう一方の手には大きな鉢があった。その人はツノと目を合わすと、にこっと笑った。

「さあ、飯だぞ。腹が減ってるだろう。」

 そう言われても、ツノは頷かなかった。空腹は感じなかった。シッポも、黙って俯いたままだった。

 だが、壮年は気にした様子もなく、食事の準備をはじめた。鍋を火にかけ、鉢に入っていた練った粉を薄く伸ばし、炉端の石で焼いていく。集会所に、うまそうな香ばしい匂いが広がった。壮年は壁際の戸棚から食器を持ってくると、さっそく食事を振る舞った。

 ツノははじめ、壮年が調理しているところを見ていても、食べる気にはならなかった。気持ちが沈んでいて、胃が受けつけそうになかったのだ。だが、実際に食べ物を差し出されると、自分が空腹を覚えていることに気がついた。それで食べはじめたが、怪我をしているイワに食わせることも忘れなかった。この大柄な後輩は、腕を怪我していたから、食事に不便だったのだった。

 やがて食事が終わると、壮年は食器を集めながら言った。

「もう家に帰りな。おれが見といてやるから。」

 ツノは首を横に振った。

「いいよ。おれが見てる。」

「だめだ。シッポも、疲れただろう。」

 ツノはシッポを見た。確かに、シッポは青ざめて、やつれて見えた。だが、シッポもまた、立ち上がろうとはしなかった。

 壮年は笑い混じりの溜め息をこぼした。

「そうかい。じゃあ、おれといっしょに待ってるか。」

 そう壮年が言った、まさにそのとき、戸口のほうから足音が聞こえた。まじない師が来たのだと思って、ツノは勢いよく振り返った。だが、そこに立っていたのは、同輩のツチと、少年の家の年寄りのひとりだった。

 ツチは、ひどく気難しそうな顔をしていた。壮年にひとつ会釈したほかは、挨拶もなく部屋に足を踏み入れると、イワを立ったまま見やった。

「よし、意識はあるんだな。痛いか。」

「痛いよ。」

 イワがひどく気弱な声で言った。ツチは頷いた。

「そうだろうな。聞いたぞ、岩場で転げ落ちたんだってな。これからは、危なっかしい遊びをしようとするときに、いま感じている痛みを思い出すんだな。」

 言葉の辛辣さにもかかわらず、ツチは目元に笑みを浮かべ、その声には優しい響きが籠もっていたし、イワも気恥ずかしそうに笑った。しかし、それからツノに転じた目には、冷たい、射抜くような光が浮かんでいた。

「ツノ、来い。話すことがある。」

 冷たい声で言い放つと、返事も聞かずに背を向け、戸口をくぐっていった。年寄りはツノに近づくと、ぽんと肩を叩き、それからイワのそばに腰を下ろした。

 胃のひっくり返るような感覚を覚えながら、ツノは立ち上がった。シッポが顔を上げ、心配そうな視線を向けた。ツノは作り笑いを浮かべた。

「叱られてくるよ。」

 そう言って、ツノは集会所を出ていった。
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