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3.冬のおとずれ
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「――バッカじゃないの。些細なことでキレて呼び出し食らうとか。ガキじゃないんだから。いい加減大人になりなよ」
放課後。担任に生徒指導室に呼び出され、教室に帰ってみると、待っていた真那が呆れた顔をしながら幸太に言った。
「担任と一言一句、同じこと言ってんじゃねえよ」
幸太は言った。真那は笑った。
「あんた最近、清香とあんまり話してないんだってね?」
真那は言った。
「誰から聞いた?」
「清香本人から」
にこりと笑って、真那は平然と言った。
「おい……、お前にはちゃんと返事するのかよ」
「するでしょ。友達だもん」
勝ち誇ったように笑う真那。幸太は溜め息をついた。
「やばい……、なんかマジで自信無くなってきた」
幸太は言った。
真那はそんな幸太の頭をぺしぺしと軽く叩く。
「それは違う。清香があんたとなかなか連絡取れないのは、あんたのことがめちゃくちゃ好きで、あんたには嘘をつけないからだよ」
真那は言った。
「意味がわからん。俺には嘘をつかないってことは、お前には嘘つくの?」
幸太は尋ねた。
「ついてるよ、いっぱい。たぶん。けど、それも飲み込めてこその友達でしょ。お互い相手に絶対誠実じゃないと友達でいられないなら、それは友達じゃなくてただの契約だと思う」
そう言った真那は、すっきりと爽やかな表情をしていた。
真那は見えなくなる清香とのこれからの付き合い方を、もう完全に見つけているようだった。
けれど、同じ期間清香と一緒にいる自分は全くそれが見つけられていない。この違いは何なんだろう。彼氏と友達の違い? それとも自分がまだガキだから? ……たぶん両方だ。
それから幸太は真那と途中まで一緒に帰った。
真那は幸太を安心させるためにか、今清香がハマっている小説や、最近退屈すぎて自分でも小説を書き始めているらしいことを教えてくれた。
真那が教えてくれたことは、全部、何一つ、幸太が知らなかったことだった。
「まあ、そんなもんでしょ、彼氏なんて」
別れ際、落ち込む幸太に真那は言った。
「大丈夫。なんとかなるよ。あんたが清香のことをずっと大切に想い続ければ。余命あと何ヶ月って病気でもないんだし」
真那は笑った。
幸太も笑った。
「ありがとう。だいぶ救われた気がする」
空を見上げると、西の空が赤く染まりかけていた。
もうすぐ冬だね、と言って、真那は手を振りながら去っていった。
冬はあっという間にやってきた。
教室の話題は、日に日に進路の話や受験の話ばかりになっていった。
部活にも入っておらず、清香と一緒にいられない時間、ずっと勉強をしていたせいか、幸太は模試の第一志望がA判定だった。予備校には行くかどうか迷ったけれど、周りのクラスメイトが皆行くと言っていたし、両親も行くならお金を出してくれるというので素直に好意に甘えることにした。
とにかく、絶対に大学に落ちるわけにはいかなかった。
一年浪人すれば、一年清香を迎えに行くのが遅くなる。
今自分が清香に出来ることは、とにかく受験勉強を頑張って、第一志望の大学に受かることだと考えるようにした。
その夜、幸太は予備校の帰りだった。
街の大通りに灯り始めたクリスマスイルミネーションを横目に見ながら、駅の改札を抜け、ホームで地下鉄を待っていると、隣の列に清香のお母さんが並んでいた。
「こんばんは」
幸太は会釈をしながら、挨拶をした。
「ああ、幸太くん。こんばんは。ひさしぶりね」
お母さんは幸太に優しい笑顔を向けてくれた。
けれど、その笑顔は以前向けてくれた笑顔よりも、疲れているというか、すごくやつれている感じがした。
「幸太くん、受験勉強はどう? 順調?」
「はい。今の調子でいけば、無事に大学生になれそうです」
幸太は答えながら、列を並び直してお母さんの隣に立った。
「清香、元気ですか?」
幸太は言った。
お母さんは戸惑った。
「……えっ……、幸太くん、清香から聞いてない?」
困惑した表情をしながら、お母さんは言った。
「すみません。最近、そんなに清香と連絡が取れてなくて」
幸太は言った。お母さんは何かに納得したらしく小さく何度か頷いた。
「あのね。清香、来週から入院するの」
「えっ?」
幸太は思わず大声で言ってしまった。
周りに並んでいた人達が幸太の声を聞いて、こちらを一瞬向いた。
少し間を置いてから、お母さんは話を続ける。
「入院するのはいつも通っているメンタルクリニック。私達が家を留守にしても、ご飯をつくって置いておけば勝手に食べてくれるから、生活にはあまり支障はないんだけどね。やっぱり発作が起こった時の心のケアが難しくて。清香に無視をされたら、こちらからのコミュニケーションが一切取れないから……」
お母さんは反対側のホームを見ながら、遠い目をして言った。
「……清香、お母さん達を無視するんですか?」
幸太は言った。
「するわよ、年頃だもの。親に不満があれば、幸太くんだって少しくらいはするでしょ」
お母さんはそう言って、仕方なさそうに力なく微笑んだ。よく見れば、前よりずいぶん白髪が増えたようで、毛先がぼさぼさになっていた。
入院の話を聞いた幸太は、すぐに清香に確認のメッセージを送信した。
<入院するなら、その前に一度でいいからちゃんと会って話がしたい>
既読の表示はすぐ付いた。けれど、返事はなかなか来なかった。最近多い、いつものパターンだ。
返事が来たのはその翌日の昼休み、クラスメイト達と食堂で昼食を食べ終え、教室に帰ろうとしていた時のことだった。
<明日の夕方でいいなら>
返事が遅れた謝罪も、言い訳もない、たった十文字の淡白な返事。
けれど、ちゃんと清香が返事をしてくれたことに、幸太は思わず笑みがこぼれた。
<九時四時ルールは?>
すぐに既読表示が付く。
<忘れてた。でも重大案件だから、ノーカンだよね>
<冗談だよ。返事をくれてありがとう>
既読。
<ずっと返事が遅れててごめんね。でも、幸太のことはずっと好きだったから>
久しぶりに見た、清香から送られてきたメッセージの『好き』という単語に、幸太は嬉しくなった。
<それだけで十分。明日の放課後、会いに行くから>
既読。
<うん。待ってる>
翌日の放課後、幸太は急いで掃除当番を終え、清香の家へと向かった。
清香の家に行くのは四ヶ月ぶりほどだったけれど、外から見た感じではあまり変化がないようだった。しいて言えば、倉橋家は毎年十二月になるとクリスマスイルミネーションで玄関を飾るのだけど、今年に限っては何もしないようだった。
幸太は玄関のチャイムを鳴らした。
直後、幸太のスマホが振動で通知を報せた。
<今、チャイム鳴らしたの幸太?>
<そう。発作中?>
幸太はメッセージを打って返した。
<うん。今、鍵開ける>
がちゃん、と玄関の扉の鍵が開く音がした。
<入って。中に入ったら鍵閉めて>
清香の指示通り、幸太は扉を開けて中へと入る。
玄関には清香が立っていた。清香は少しぎこちない感じで笑っていた。髪は以前よりずっと長く腰のあたりまで伸びていて、長袖のカーディガンを着て、スマホを手に持っていた。
「幸太、久しぶり。会いたかったよ」
清香は言った。
幸太は扉の鍵を閉めてから、メッセージを返した。
<俺もだよ。ちょっとやせた?>
清香はメッセージを見て頷く。
「幸太、ごめん。ここじゃ落ち着かないから部屋で話そう。私が先に行くからついてきて」
清香はそう言うと、幸太がメッセージを打つ暇も与えずに階段を上り始めた。
幸太は言われるがままに清香の後ろをついていき、清香の部屋へと入った。
清香はいつも幸太が座っていたクッションを指差す。
「そこ。幸太はいつも座っているそこに座って」
清香の指示通り、幸太はいつもの場所に座った。
クッションの動きをずっと見ていたのか、清香は幸太が座ったのを確認すると、小さく頷いてから、丸テーブルの幸太の対面へと座った。
そうしてようやく、ぎこちなかった清香の笑顔が、いくぶんか元に戻った。
「懐かしいね、この感じ。ごめんね。なんか、命令するみたいにしちゃって」
清香は言った。
テーブルにはメモ用紙とマスコットの付いたボールペン。
「あ、メッセージは全部これに書いて。幸太の字、いつでも見れるように取っておきたいの」
清香は言った。
幸太はボールペンを手に取り、返事を書く。
『わかった』
「ありがとう。ごめんね、面倒くさくて」
清香は言った。
『入院するんだって?』
「うん。ごめん。本当は私の口から言わなきゃダメだったよね。幸太に伝えなきゃと思ってたんだけど、どんな顔して伝えればいいかわかんなくて。そうしたら、どんどん言い出しづらくなっちゃって」
清香は幸太のいる方をじっと見ながら言った。
『大丈夫?』
「大丈夫だよ。私は大丈夫だって言ってるんだけど、先生やお母さん達がそうした方がいいんじゃないかって言ってるだけだから。お母さん達の重荷になるのも嫌だし、先生方も看護師さん達もみんな知ってる人ばかりだから、入院する方がみんな楽なのかなと思ったんだ」
清香は言った。
『入院したらお見舞いに行っていい?』
「もちろんだよ。先生の許可が出たらになっちゃうけど、絶対毎日退屈になると思うから幸太が来てくれると嬉しいよ。でも、受験勉強もちゃんとやんなきゃダメだよ」
『うん。大学には意地でも絶対合格するから。落ちたのが清香のせいだなんて誰にも言わせないためにも』
清香は笑った。そして、涙ぐんで両手で口を押さえた。
「あのね、幸太。私は本当に幸太のことが好きだよ。私がこれから先、誰かとずっと一緒に暮らしていくなら、それはきっと幸太しかいないって思ってる」
清香はそう言って、後ろにあったベッドに体を投げ出した。
「幸太、今までごめんね。彼女らしいこと、何もしてあげられなくて。私に何かしたいことがあったら何でもしていいよ。入院したらきっと、こういうことは出来なくなると思うから。今のうちに。私は何されても、どうなっても絶対に抵抗しないから。幸太を信じてるから」
だらんとベッドに体重を預けて、天井をじっと見つめ続ける清香。
そんな少し自棄になったような清香の姿を見て、幸太は思わずいたたまれない気持ちになった。
もっと早くに気づかなければならなかった。
清香の中には、もう昔の幸太はいない。清香が今、自分と一緒に居ると思っているのは、完全な透明人間になった幸太だった。それでも清香は、そんな透明人間の幸太を、必死で受け入れようとしているのだ。
幸太は涙を拭き、鞄の中から小さな黒い箱を取り出してテーブルに置いた。そして、清香を呼び出す『きらきら星変奏曲』をスマホで鳴らし、清香に箱の存在を気付かせる。
「これ、何?」
箱を見て、清香がきょとんとした顔をしながら言った。
『俺が触ると見えなくなるだろうから、自分で開けてみて』
清香は箱を開けた。
中から出てきたのは、指輪だった。幸太がずっと前に買って、いつか清香に渡そうと思っていた、エンゲージリングだった。
『今すぐは無理だけど、大学を卒業して就職して、稼げるようになったら、俺と結婚してくれませんか?』
清香はメッセージを見て、しばらく戸惑っていた。
しかし、やがてだんだんとうつむき始めて、
深く溜め息をついた。
「幸太は私に優しすぎるんだよ。こんな誰も見えない私の何がいいの……?」
『全部』
メモ用紙を見て、清香は自嘲するように笑った。
そして、幸太の座っている方へと向き直って、涙を流しながら微笑んだ。
「ごめんなさい、これは受け取れません。お願いだから、私と別れてください」
幸太は返事を書くためテーブルに置かれたボールペンに手を触れた。
瞬間、清香はメモ用紙の束をつかみ取り、自分のカーディガンのポケットに突っ込んだ。
「本当にお願い! 幸太と一緒にいると辛いの! 好きだけど、もう無理なんだよ! 幸太と一緒にいると、私は自分がどんどん惨めに思えてくるの! 幸太の好意に甘えて、幸太に寄生して生きようと考え出す自分が本当に嫌になるの! お願いだからもう帰って! 二度と私に会いに来ないで! お願いだから、他のちゃんと幸太が見える誰かと幸せになって!」
清香は立ち上がると、ベッドに上がって布団に潜り込んだ。
「出てって! 早く出てって! ――出てけッ!」
清香は布団の中で、嗚咽をもらしながら泣き始めた。
こちらからコミュニケーションが全く取れない状態――。幸太は清香のお母さんが言っていた言葉を思い出した。
仕方なく幸太は立ち上がり、鞄の中に入っていたノートのページをちぎって、その切れ端にメッセージを書いた。
『絶対に清香を独りにはしないから』
テーブルの上に置かれた指輪の傍にそれを書き置きとして残し、幸太はその場を去った。
それから、幸太が清香にメッセージを送っても、既読表示が付くだけで返事が戻ってくる気配はなかった。
既読表示が付くということはブロックはされていないはずだ、だったら気長に清香の気が変わるのを待とう、幸太はそう考えることにした。
けれど、清香と会って一週間ほど経った夜、清香のお母さんが突然、幸太の家へと訪ねてきた。
お母さんは清香が入院したことを幸太に伝え、清香から預かった手紙と指輪の入った箱を幸太に渡した。
「今まで、清香と一緒に居てくれて本当にありがとう」
お母さんはそう言って、すぐに去っていった。
渡された清香の手紙には、清香からの別れの言葉と謝罪の言葉、そして最後に幸太への感謝への言葉が書かれていた。
それを読んだ幸太は、指輪の入った箱を強く握りしめながら、その場に崩れて思い切り泣いた。
放課後。担任に生徒指導室に呼び出され、教室に帰ってみると、待っていた真那が呆れた顔をしながら幸太に言った。
「担任と一言一句、同じこと言ってんじゃねえよ」
幸太は言った。真那は笑った。
「あんた最近、清香とあんまり話してないんだってね?」
真那は言った。
「誰から聞いた?」
「清香本人から」
にこりと笑って、真那は平然と言った。
「おい……、お前にはちゃんと返事するのかよ」
「するでしょ。友達だもん」
勝ち誇ったように笑う真那。幸太は溜め息をついた。
「やばい……、なんかマジで自信無くなってきた」
幸太は言った。
真那はそんな幸太の頭をぺしぺしと軽く叩く。
「それは違う。清香があんたとなかなか連絡取れないのは、あんたのことがめちゃくちゃ好きで、あんたには嘘をつけないからだよ」
真那は言った。
「意味がわからん。俺には嘘をつかないってことは、お前には嘘つくの?」
幸太は尋ねた。
「ついてるよ、いっぱい。たぶん。けど、それも飲み込めてこその友達でしょ。お互い相手に絶対誠実じゃないと友達でいられないなら、それは友達じゃなくてただの契約だと思う」
そう言った真那は、すっきりと爽やかな表情をしていた。
真那は見えなくなる清香とのこれからの付き合い方を、もう完全に見つけているようだった。
けれど、同じ期間清香と一緒にいる自分は全くそれが見つけられていない。この違いは何なんだろう。彼氏と友達の違い? それとも自分がまだガキだから? ……たぶん両方だ。
それから幸太は真那と途中まで一緒に帰った。
真那は幸太を安心させるためにか、今清香がハマっている小説や、最近退屈すぎて自分でも小説を書き始めているらしいことを教えてくれた。
真那が教えてくれたことは、全部、何一つ、幸太が知らなかったことだった。
「まあ、そんなもんでしょ、彼氏なんて」
別れ際、落ち込む幸太に真那は言った。
「大丈夫。なんとかなるよ。あんたが清香のことをずっと大切に想い続ければ。余命あと何ヶ月って病気でもないんだし」
真那は笑った。
幸太も笑った。
「ありがとう。だいぶ救われた気がする」
空を見上げると、西の空が赤く染まりかけていた。
もうすぐ冬だね、と言って、真那は手を振りながら去っていった。
冬はあっという間にやってきた。
教室の話題は、日に日に進路の話や受験の話ばかりになっていった。
部活にも入っておらず、清香と一緒にいられない時間、ずっと勉強をしていたせいか、幸太は模試の第一志望がA判定だった。予備校には行くかどうか迷ったけれど、周りのクラスメイトが皆行くと言っていたし、両親も行くならお金を出してくれるというので素直に好意に甘えることにした。
とにかく、絶対に大学に落ちるわけにはいかなかった。
一年浪人すれば、一年清香を迎えに行くのが遅くなる。
今自分が清香に出来ることは、とにかく受験勉強を頑張って、第一志望の大学に受かることだと考えるようにした。
その夜、幸太は予備校の帰りだった。
街の大通りに灯り始めたクリスマスイルミネーションを横目に見ながら、駅の改札を抜け、ホームで地下鉄を待っていると、隣の列に清香のお母さんが並んでいた。
「こんばんは」
幸太は会釈をしながら、挨拶をした。
「ああ、幸太くん。こんばんは。ひさしぶりね」
お母さんは幸太に優しい笑顔を向けてくれた。
けれど、その笑顔は以前向けてくれた笑顔よりも、疲れているというか、すごくやつれている感じがした。
「幸太くん、受験勉強はどう? 順調?」
「はい。今の調子でいけば、無事に大学生になれそうです」
幸太は答えながら、列を並び直してお母さんの隣に立った。
「清香、元気ですか?」
幸太は言った。
お母さんは戸惑った。
「……えっ……、幸太くん、清香から聞いてない?」
困惑した表情をしながら、お母さんは言った。
「すみません。最近、そんなに清香と連絡が取れてなくて」
幸太は言った。お母さんは何かに納得したらしく小さく何度か頷いた。
「あのね。清香、来週から入院するの」
「えっ?」
幸太は思わず大声で言ってしまった。
周りに並んでいた人達が幸太の声を聞いて、こちらを一瞬向いた。
少し間を置いてから、お母さんは話を続ける。
「入院するのはいつも通っているメンタルクリニック。私達が家を留守にしても、ご飯をつくって置いておけば勝手に食べてくれるから、生活にはあまり支障はないんだけどね。やっぱり発作が起こった時の心のケアが難しくて。清香に無視をされたら、こちらからのコミュニケーションが一切取れないから……」
お母さんは反対側のホームを見ながら、遠い目をして言った。
「……清香、お母さん達を無視するんですか?」
幸太は言った。
「するわよ、年頃だもの。親に不満があれば、幸太くんだって少しくらいはするでしょ」
お母さんはそう言って、仕方なさそうに力なく微笑んだ。よく見れば、前よりずいぶん白髪が増えたようで、毛先がぼさぼさになっていた。
入院の話を聞いた幸太は、すぐに清香に確認のメッセージを送信した。
<入院するなら、その前に一度でいいからちゃんと会って話がしたい>
既読の表示はすぐ付いた。けれど、返事はなかなか来なかった。最近多い、いつものパターンだ。
返事が来たのはその翌日の昼休み、クラスメイト達と食堂で昼食を食べ終え、教室に帰ろうとしていた時のことだった。
<明日の夕方でいいなら>
返事が遅れた謝罪も、言い訳もない、たった十文字の淡白な返事。
けれど、ちゃんと清香が返事をしてくれたことに、幸太は思わず笑みがこぼれた。
<九時四時ルールは?>
すぐに既読表示が付く。
<忘れてた。でも重大案件だから、ノーカンだよね>
<冗談だよ。返事をくれてありがとう>
既読。
<ずっと返事が遅れててごめんね。でも、幸太のことはずっと好きだったから>
久しぶりに見た、清香から送られてきたメッセージの『好き』という単語に、幸太は嬉しくなった。
<それだけで十分。明日の放課後、会いに行くから>
既読。
<うん。待ってる>
翌日の放課後、幸太は急いで掃除当番を終え、清香の家へと向かった。
清香の家に行くのは四ヶ月ぶりほどだったけれど、外から見た感じではあまり変化がないようだった。しいて言えば、倉橋家は毎年十二月になるとクリスマスイルミネーションで玄関を飾るのだけど、今年に限っては何もしないようだった。
幸太は玄関のチャイムを鳴らした。
直後、幸太のスマホが振動で通知を報せた。
<今、チャイム鳴らしたの幸太?>
<そう。発作中?>
幸太はメッセージを打って返した。
<うん。今、鍵開ける>
がちゃん、と玄関の扉の鍵が開く音がした。
<入って。中に入ったら鍵閉めて>
清香の指示通り、幸太は扉を開けて中へと入る。
玄関には清香が立っていた。清香は少しぎこちない感じで笑っていた。髪は以前よりずっと長く腰のあたりまで伸びていて、長袖のカーディガンを着て、スマホを手に持っていた。
「幸太、久しぶり。会いたかったよ」
清香は言った。
幸太は扉の鍵を閉めてから、メッセージを返した。
<俺もだよ。ちょっとやせた?>
清香はメッセージを見て頷く。
「幸太、ごめん。ここじゃ落ち着かないから部屋で話そう。私が先に行くからついてきて」
清香はそう言うと、幸太がメッセージを打つ暇も与えずに階段を上り始めた。
幸太は言われるがままに清香の後ろをついていき、清香の部屋へと入った。
清香はいつも幸太が座っていたクッションを指差す。
「そこ。幸太はいつも座っているそこに座って」
清香の指示通り、幸太はいつもの場所に座った。
クッションの動きをずっと見ていたのか、清香は幸太が座ったのを確認すると、小さく頷いてから、丸テーブルの幸太の対面へと座った。
そうしてようやく、ぎこちなかった清香の笑顔が、いくぶんか元に戻った。
「懐かしいね、この感じ。ごめんね。なんか、命令するみたいにしちゃって」
清香は言った。
テーブルにはメモ用紙とマスコットの付いたボールペン。
「あ、メッセージは全部これに書いて。幸太の字、いつでも見れるように取っておきたいの」
清香は言った。
幸太はボールペンを手に取り、返事を書く。
『わかった』
「ありがとう。ごめんね、面倒くさくて」
清香は言った。
『入院するんだって?』
「うん。ごめん。本当は私の口から言わなきゃダメだったよね。幸太に伝えなきゃと思ってたんだけど、どんな顔して伝えればいいかわかんなくて。そうしたら、どんどん言い出しづらくなっちゃって」
清香は幸太のいる方をじっと見ながら言った。
『大丈夫?』
「大丈夫だよ。私は大丈夫だって言ってるんだけど、先生やお母さん達がそうした方がいいんじゃないかって言ってるだけだから。お母さん達の重荷になるのも嫌だし、先生方も看護師さん達もみんな知ってる人ばかりだから、入院する方がみんな楽なのかなと思ったんだ」
清香は言った。
『入院したらお見舞いに行っていい?』
「もちろんだよ。先生の許可が出たらになっちゃうけど、絶対毎日退屈になると思うから幸太が来てくれると嬉しいよ。でも、受験勉強もちゃんとやんなきゃダメだよ」
『うん。大学には意地でも絶対合格するから。落ちたのが清香のせいだなんて誰にも言わせないためにも』
清香は笑った。そして、涙ぐんで両手で口を押さえた。
「あのね、幸太。私は本当に幸太のことが好きだよ。私がこれから先、誰かとずっと一緒に暮らしていくなら、それはきっと幸太しかいないって思ってる」
清香はそう言って、後ろにあったベッドに体を投げ出した。
「幸太、今までごめんね。彼女らしいこと、何もしてあげられなくて。私に何かしたいことがあったら何でもしていいよ。入院したらきっと、こういうことは出来なくなると思うから。今のうちに。私は何されても、どうなっても絶対に抵抗しないから。幸太を信じてるから」
だらんとベッドに体重を預けて、天井をじっと見つめ続ける清香。
そんな少し自棄になったような清香の姿を見て、幸太は思わずいたたまれない気持ちになった。
もっと早くに気づかなければならなかった。
清香の中には、もう昔の幸太はいない。清香が今、自分と一緒に居ると思っているのは、完全な透明人間になった幸太だった。それでも清香は、そんな透明人間の幸太を、必死で受け入れようとしているのだ。
幸太は涙を拭き、鞄の中から小さな黒い箱を取り出してテーブルに置いた。そして、清香を呼び出す『きらきら星変奏曲』をスマホで鳴らし、清香に箱の存在を気付かせる。
「これ、何?」
箱を見て、清香がきょとんとした顔をしながら言った。
『俺が触ると見えなくなるだろうから、自分で開けてみて』
清香は箱を開けた。
中から出てきたのは、指輪だった。幸太がずっと前に買って、いつか清香に渡そうと思っていた、エンゲージリングだった。
『今すぐは無理だけど、大学を卒業して就職して、稼げるようになったら、俺と結婚してくれませんか?』
清香はメッセージを見て、しばらく戸惑っていた。
しかし、やがてだんだんとうつむき始めて、
深く溜め息をついた。
「幸太は私に優しすぎるんだよ。こんな誰も見えない私の何がいいの……?」
『全部』
メモ用紙を見て、清香は自嘲するように笑った。
そして、幸太の座っている方へと向き直って、涙を流しながら微笑んだ。
「ごめんなさい、これは受け取れません。お願いだから、私と別れてください」
幸太は返事を書くためテーブルに置かれたボールペンに手を触れた。
瞬間、清香はメモ用紙の束をつかみ取り、自分のカーディガンのポケットに突っ込んだ。
「本当にお願い! 幸太と一緒にいると辛いの! 好きだけど、もう無理なんだよ! 幸太と一緒にいると、私は自分がどんどん惨めに思えてくるの! 幸太の好意に甘えて、幸太に寄生して生きようと考え出す自分が本当に嫌になるの! お願いだからもう帰って! 二度と私に会いに来ないで! お願いだから、他のちゃんと幸太が見える誰かと幸せになって!」
清香は立ち上がると、ベッドに上がって布団に潜り込んだ。
「出てって! 早く出てって! ――出てけッ!」
清香は布団の中で、嗚咽をもらしながら泣き始めた。
こちらからコミュニケーションが全く取れない状態――。幸太は清香のお母さんが言っていた言葉を思い出した。
仕方なく幸太は立ち上がり、鞄の中に入っていたノートのページをちぎって、その切れ端にメッセージを書いた。
『絶対に清香を独りにはしないから』
テーブルの上に置かれた指輪の傍にそれを書き置きとして残し、幸太はその場を去った。
それから、幸太が清香にメッセージを送っても、既読表示が付くだけで返事が戻ってくる気配はなかった。
既読表示が付くということはブロックはされていないはずだ、だったら気長に清香の気が変わるのを待とう、幸太はそう考えることにした。
けれど、清香と会って一週間ほど経った夜、清香のお母さんが突然、幸太の家へと訪ねてきた。
お母さんは清香が入院したことを幸太に伝え、清香から預かった手紙と指輪の入った箱を幸太に渡した。
「今まで、清香と一緒に居てくれて本当にありがとう」
お母さんはそう言って、すぐに去っていった。
渡された清香の手紙には、清香からの別れの言葉と謝罪の言葉、そして最後に幸太への感謝への言葉が書かれていた。
それを読んだ幸太は、指輪の入った箱を強く握りしめながら、その場に崩れて思い切り泣いた。
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