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6章

6-4 図太く生きる(4) 

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 私は夜が明ける前に目を覚ました。
 その時にはすでに、ファリンダは目を覚まし、着替えまで済ませていた。

「……レーア様、本当にアルバート様に何も言わずに行くのですか?」

 部屋の油皿の火を小さなランタンに移しながら、ファリンダは言った。

「会えば感づかれるでしょう。それに、たぶん私は泣いてしまうから」

「泣くくらいなら行かなければいいのに」

 ファリンダはつぶやいた。
 私はにらむ。

「前に言ったでしょ。こうするのが皆が幸せになるためには一番良い方法なのよ」

 ファリンダは溜め息をついた。

「……わかりました。じゃあ、私は食料とか調達してくるので、レーア様は部屋で着替えて待っていてくださいね」

「ファリンダ。いつもありがとう。苦労をかけるわね」

 私は言った。
 ファリンダはランタンを腰の帯に付け、部屋から出て扉を閉めた。

 がちゃん。

 ファリンダの去った扉から、何か金属音が鳴った。

「……がちゃん?」

 私は嫌な予感がした。
 寝間着のままベッドから飛び起き、部屋の扉を開けようとする。

 が。

『レーア様! ごめんなさい!』

 部屋の扉には外から鍵がかかっていた。

 ……やられた。

「ちょっと! ファリンダ! 開けなさい! あなた、何をしているかわかっているの!」

 私は何度も部屋の扉を叩きながら叫んだ。

『わかってます! いや、私は馬鹿だからわかんないです! 皆の幸せとか! 私はレーア様が幸せになればそれでいいんです!』

 ファリンダは部屋の外で体を使って扉を押さえているようだった。
 いくら押しても扉はまったくびくともしない。

「あなたねえ! 私がここに留まることで、どれだけの人が不幸になるか、わかって言っているの!?」

『わかんないって言ってるじゃないですか! レーア様が幸せになることで不幸になる人がいるなら、レーア様がその人達を幸せにしてあげればいいじゃないですか! あとは自分で何とかしてくださいよ、頭良いんだから!』
 
 私は扉を思い切り蹴ってみた。しかし、それでも扉はびくともしない。
 とうとう諦めた私は、扉に体重を預けて座り込む。

「お願い、ファリンダ。開けて。どれだけ考えても、これ以上に良い方法が見つからないから、私はこうしているのよ。それをわかって」

『私だってこれ以外の方法が見つからないから、こうしているんです。わかってください』

 私は溜め息をついた。
 ファリンダを説得する方法が思いつかなかった。

 今までファリンダは私にすねることはあっても、反抗してくることなんて一度もなかったのだ。
 ……その初めてが、まさかこのタイミングだとは。

 私が他の方法を考え込んでいると、やがて夜が明け、木窓の隙間から太陽の光がもれ始める。

「ファリンダ」

『はい』

「私がこういう選択が出来たのは、あなたのおかげなのよ。アルバートが傍にいなくたって、あなたがそばに居てくれれば、私はずいぶん幸せな気持ちで居られるの」

『でも、アルバート様が傍に居ればもっと幸せなんですよね?』 

 私は苦笑いをした。

『……アルバート様への気持ちを正直に言ってみてください。そうしたら、私も諦めて扉を開けますから』

 ファリンダは扉の外で言った。それきり彼女は黙った。
 私は溜め息をつく。
 そして、口を開いた。

「そうね。アルバートのことは大好きよ。世界で一番好き。彼が五年前、私に話しかけてくれた時から、私は彼に恋をしていたの。だから、池にだって飛び込んで帽子を取りに行ったのよ。
 彼が修道士になって、再会出来た時、この人はきっと私の運命の人なんだって思った。この人のためだったら、何を差し出してもかまわないって思えるくらい、アルバートのことが好きになったの。
 確かに、彼とずっと一緒に居られれば私は最高に幸せになれると思う。けれど、私の性格を知っているでしょう? 私はふとした時に、つい冷静になってしまうの。私と彼は釣り合っているんだろうかとか、私と彼が一緒に居ることでまわりからどう見られているんだろうかとか考えてしまうのよ、私は。
 私は怖いのよ。アルバートが私と一緒になることで、まわりの人が私達のことを悪く言うようになるのが。周りの皆が、アルバートに私と結婚したことは間違いだって言うようになって彼の気が変わってしまうことが。
 だから、そうなるくらいならいっそのこと――」

 その時、私が体重を預けていた扉がいきなり開いた。
 そのせいで私は後ろ向きに倒れ込み、床に軽く頭を打ってしまった。

「ファリンダ! 何する――っ!」

 私は叫んだ。
 けれど、目の前にあったのは、ファリンダではなく……微笑むアルバートの姿だった。

「……の?」

 首をかしげ合う私達。

「そうなるくらいなら、いっそのこと?」

 アルバートは微笑みながら私に尋ねた。
 その脇で、してやったりという顔でファリンダが笑っている。

「ファリンダ――ッ!」

「ごめんなさい、レーア様。ちょっとたばかってしまいました」

「見ればわかるわよ! 私を騙すなんていい度胸ね!」

 私は起き上がり、にやにや笑っているファリンダに詰め寄った。
 瞬間、アルバートが大笑いをし始める。

「はははははは、それが君の素の表情か。俺はまだ本当の君を知らなかったみたいだ」

 アルバートに笑われ、途端、私の顔が熱くなる。

「……えっと、嫌いになった?」

 アルバートは笑い続ける。

「いいや、全然。むしろ、もっと本当の君が知りたくなった」

 そう言って、彼は私の手を握り、
 そのまま腕を引き寄せ、私を抱きしめた。

「俺が本当の君を知らないように、君もまだ本当の俺を知らないみたいだな。君に勝手にいなくなられたら、俺はなんとしてでも君のことを探し出そうとする。俺は君が思っているよりも、ずっと執念深い男だよ」

「私は……、ただ、……あなたは私と結婚するよりも、もっと良い相手と結婚した方が良いと思ったのよ」

 アルバートは首を振る。

「それは違うよ、レーア。俺には君しかいないんだ。五年前、君が帽子を取ってくれたあの日、俺は君に恋をしたんだ。君に夢を語って、君が俺の夢をちゃんと聞いてくれて意見を言ってくれた時、君のことがもっと好きになった。そして今、君とこうしていて、俺は君とずっと一緒に人生を歩んでいきたいと思っている。爵位の低い俺では不満か?」

「不満だなんて……。あなた以上の男性は、私はいないと思っている」

「レーア。俺の傍に居てほしい。君が俺との結婚で、まわりから悪く言われるのが嫌なら俺がその分頑張るよ。君は一人で頑張って生きなくていいんだよ。君の分も、俺が図太く生きてやる。君の父上とだって、何かあれば一緒に反抗する。――だから俺と、これからもずっと傍にいてくれないか?」

 私を強く抱きしめるアルバートの背中を、私はそっと手で触れた。

 私は一人でがむしゃらに生きようと、今まで頑張ってきた。
 けれど、その実はまわりの人達に支えられて生きてきた。

 私はもっと、まわりの人を信じるべきだった。
 アルバートをもっと信じてあげるべきだったのだ。

「……アル。私も、あなたと一緒に生きていきたい」

 その時、ファリンダが部屋の木窓を開けた。
 朝日の眩しい光が、まるで私達の将来を照らしてくれるように私達を包んだ。

「一緒に生きよう。レーア」

 私達は抱き合い、光の中で何度もキスをした。




 *   *   *


 最後までお付き合いいただきありがとうございます。

 次回作の参考にさせていただきたいので、
 この展開が良かった、このキャラが良かったなどありましたら、
 よろしければ感想に残していただけると幸いです。
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