20 / 20
20 終話・憧れの人
しおりを挟む
◇
ペルムの公子は不幸にも森で熊に襲われた。従者達も狼に咬まれて重傷を負う。偶然、近くを通りかかったローエン・クリティシャス博士が手当てをし、一命を取り留めた。数週間後、回復した公子らは帰国した。
「…という事にした。あの阿呆公子には二度とデヴォンの地を踏ません」
父が茶を飲みながら教えてくれた。ディアは向かいのソファに座り、静かに聞いていた。あの騒動の後始末を父がしてくれたのだ。感謝を伝えたら、逆に怒られた。
「ディアナ。なぜ言わなかった」
「何を?」
「見合いの相手が殺した敵だったことだ。知っていれば…」
この世で出会う人は皆、他生で縁がある。そんな諺があったような。今はもう、どうでもいい。
「それより、ジュラ島の家のお金。ありがとう」
古生物研究所の分室を建てる費用は父が出す。精一杯、愛想の良い笑顔で礼を言うと、父は顰めっ面をした。
「当然だ。だが半年毎に帰る約束は忘れるなよ」
「はい」
大陸と島の二重生活をすることになり、婚約者はその準備に追われている。ディアはリュック一つで良いと言ったが、母が『とんでもない!』と大量の服やら化粧品やらを荷造りし始めた。多分、姉妹と走り回るから着ないと思う。
「色々お金をかけさせて。ごめんなさい、お父さん」
ディアは頭を下げた。父はますます顔を顰めた。
「父親は娘に金をかけるしか能がない。寂しいものだな」
その通りです。とは言えないので、娘は曖昧に微笑んだ。
◆
古生物研究所はトリアス公爵家の資金で作られた。王家が寄贈した化石などが収められ、数十人の研究員と職員がいる。所長のローエンはジュラ島に作る分室の件で奔走していた。今日は警備員の面接をしている。
「…引退なさったのでは?」
なんとバージェス卿が応募してきた。危険な竜で満ちた島だ。強い警備員は欲しいが、王子の元護衛がする仕事ではない。ローエンが理由を訊くと、
「暇でね。嫁さんにも邪険にされるし。出稼ぎに行こうかと思ってさ」
と笑顔で言われた。
「島には姉妹達がいますよ。ディアだって」
「大丈夫だよ。もう友達だもの。なあ?お嬢様」
いつの間にかディアが後ろにいた。大きな籠と長ナイフを持ってバージェス卿を睨んでいる。しかしすぐに肩の力を抜いて武器を仕舞った。
「雇って。こいつならスーも追い返せる」
「君が良いなら…」
結局、他の警備員はバージェス卿に選んでもらった。面接の後で所長室でディアが茶を淹れてくれた。美味しそうなクッキーも並べてある。
「上手だね。ディアが焼いたの?」
「9割料理長が作った。私は仕上げに砂糖を振りかけただけ」
その正直さも可愛らしい。ローエンは菓子を1つ、口に入れた。美味いが妙な香りがする。また何か薬草を入れたに違いない。疲労を回復するやつだろう。彼は笑顔で訊いた。
「体がポカポカするね。何か入れた?」
「媚薬草」
「ゲホッ!」
慌ててトイレに駆け込んで吐き出した。うがいをして所長室に戻ると、ローエンは理由を尋ねた。
◇
「ディア。怒らないから言ってごらん」
嘘だ。結構怒ってる。ディアは指笛を吹いて手下を呼んだ。すぐにネズミが現れ、ずらりと並ぶ。
「うちには1週間に一度しか来ないのに、黄金街には3日に一度行ってる。言い逃れはできない。ネズミが見てる」
ネズミどもは頷いた。ローエンは目を丸くしている。
「私はバーのママみたいに美しくない。逞しい二の腕も胸板も持ってない。鍛えても無駄だって父が言ってた。だからローエンがその気になれない」
「待って!あいつはただの友達だよ!それに逞しいって何?」
「ローエンの好み」
だって昔言ってた。インディアナの太くて逞しい脚が好きだって。
「それは竜の話だよ!ちょっと君達。このクッキー持って帰って」
彼が残りの菓子を与えると、ネズミどもは我先にと奪い合って去った。ディアは下を向いたまま言った。
「じゃあ、何であれから触らないの?」
森の屋敷では抱きしめてくれたのに。やっぱり本命はバーのママなんだ。でも憧れのローエンを諦めるなんて、できない。きつく握りしめた少女の拳を彼の手が包んだ。
「君は未成年じゃないか…。あのバーには説得に行ってたんだ。覚えてない?昔、放飼場にいた研究員を。またここで働いてもらえないかと思ってね」
「女はいなかった」
「あの頃は男として働いてたよ」
まるで思い出せない。ローエンは苦笑した。
「妬いてたんだね。嬉しいな。でもこっそり薬草を入れるのは止めてくれ。この間、毛生え草を茶に入れただろ。やたら腹は減るわ、髪は伸びるわで困ったよ」
昔みたいに長い髪のローエンが見たかったんだもの。ちょっと入れすぎたけど、神様みたいに素敵だった。
「ごめん。もう入れない」
ディアは素直に謝った。彼は婚約者を抱き上げて膝に乗せ、幼竜の時のように鼻と鼻をくっつけて言った。
「俺の好みは藍色の髪に金の瞳の女性だよ。責任感が強くて、ちょっぴりやきもち焼きで。何だ。全然変わってないね、君は」
「ううん。変わった。あなたを独り占めしたくなった」
「お互い様だ」
幸福な婚約者達はいつまでも笑い合っていた。
(終)
ペルムの公子は不幸にも森で熊に襲われた。従者達も狼に咬まれて重傷を負う。偶然、近くを通りかかったローエン・クリティシャス博士が手当てをし、一命を取り留めた。数週間後、回復した公子らは帰国した。
「…という事にした。あの阿呆公子には二度とデヴォンの地を踏ません」
父が茶を飲みながら教えてくれた。ディアは向かいのソファに座り、静かに聞いていた。あの騒動の後始末を父がしてくれたのだ。感謝を伝えたら、逆に怒られた。
「ディアナ。なぜ言わなかった」
「何を?」
「見合いの相手が殺した敵だったことだ。知っていれば…」
この世で出会う人は皆、他生で縁がある。そんな諺があったような。今はもう、どうでもいい。
「それより、ジュラ島の家のお金。ありがとう」
古生物研究所の分室を建てる費用は父が出す。精一杯、愛想の良い笑顔で礼を言うと、父は顰めっ面をした。
「当然だ。だが半年毎に帰る約束は忘れるなよ」
「はい」
大陸と島の二重生活をすることになり、婚約者はその準備に追われている。ディアはリュック一つで良いと言ったが、母が『とんでもない!』と大量の服やら化粧品やらを荷造りし始めた。多分、姉妹と走り回るから着ないと思う。
「色々お金をかけさせて。ごめんなさい、お父さん」
ディアは頭を下げた。父はますます顔を顰めた。
「父親は娘に金をかけるしか能がない。寂しいものだな」
その通りです。とは言えないので、娘は曖昧に微笑んだ。
◆
古生物研究所はトリアス公爵家の資金で作られた。王家が寄贈した化石などが収められ、数十人の研究員と職員がいる。所長のローエンはジュラ島に作る分室の件で奔走していた。今日は警備員の面接をしている。
「…引退なさったのでは?」
なんとバージェス卿が応募してきた。危険な竜で満ちた島だ。強い警備員は欲しいが、王子の元護衛がする仕事ではない。ローエンが理由を訊くと、
「暇でね。嫁さんにも邪険にされるし。出稼ぎに行こうかと思ってさ」
と笑顔で言われた。
「島には姉妹達がいますよ。ディアだって」
「大丈夫だよ。もう友達だもの。なあ?お嬢様」
いつの間にかディアが後ろにいた。大きな籠と長ナイフを持ってバージェス卿を睨んでいる。しかしすぐに肩の力を抜いて武器を仕舞った。
「雇って。こいつならスーも追い返せる」
「君が良いなら…」
結局、他の警備員はバージェス卿に選んでもらった。面接の後で所長室でディアが茶を淹れてくれた。美味しそうなクッキーも並べてある。
「上手だね。ディアが焼いたの?」
「9割料理長が作った。私は仕上げに砂糖を振りかけただけ」
その正直さも可愛らしい。ローエンは菓子を1つ、口に入れた。美味いが妙な香りがする。また何か薬草を入れたに違いない。疲労を回復するやつだろう。彼は笑顔で訊いた。
「体がポカポカするね。何か入れた?」
「媚薬草」
「ゲホッ!」
慌ててトイレに駆け込んで吐き出した。うがいをして所長室に戻ると、ローエンは理由を尋ねた。
◇
「ディア。怒らないから言ってごらん」
嘘だ。結構怒ってる。ディアは指笛を吹いて手下を呼んだ。すぐにネズミが現れ、ずらりと並ぶ。
「うちには1週間に一度しか来ないのに、黄金街には3日に一度行ってる。言い逃れはできない。ネズミが見てる」
ネズミどもは頷いた。ローエンは目を丸くしている。
「私はバーのママみたいに美しくない。逞しい二の腕も胸板も持ってない。鍛えても無駄だって父が言ってた。だからローエンがその気になれない」
「待って!あいつはただの友達だよ!それに逞しいって何?」
「ローエンの好み」
だって昔言ってた。インディアナの太くて逞しい脚が好きだって。
「それは竜の話だよ!ちょっと君達。このクッキー持って帰って」
彼が残りの菓子を与えると、ネズミどもは我先にと奪い合って去った。ディアは下を向いたまま言った。
「じゃあ、何であれから触らないの?」
森の屋敷では抱きしめてくれたのに。やっぱり本命はバーのママなんだ。でも憧れのローエンを諦めるなんて、できない。きつく握りしめた少女の拳を彼の手が包んだ。
「君は未成年じゃないか…。あのバーには説得に行ってたんだ。覚えてない?昔、放飼場にいた研究員を。またここで働いてもらえないかと思ってね」
「女はいなかった」
「あの頃は男として働いてたよ」
まるで思い出せない。ローエンは苦笑した。
「妬いてたんだね。嬉しいな。でもこっそり薬草を入れるのは止めてくれ。この間、毛生え草を茶に入れただろ。やたら腹は減るわ、髪は伸びるわで困ったよ」
昔みたいに長い髪のローエンが見たかったんだもの。ちょっと入れすぎたけど、神様みたいに素敵だった。
「ごめん。もう入れない」
ディアは素直に謝った。彼は婚約者を抱き上げて膝に乗せ、幼竜の時のように鼻と鼻をくっつけて言った。
「俺の好みは藍色の髪に金の瞳の女性だよ。責任感が強くて、ちょっぴりやきもち焼きで。何だ。全然変わってないね、君は」
「ううん。変わった。あなたを独り占めしたくなった」
「お互い様だ」
幸福な婚約者達はいつまでも笑い合っていた。
(終)
59
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
スローライフ 転生したら竜騎士に?
梨香
ファンタジー
『田舎でスローライフをしたい』バカップルの死神に前世の記憶を消去ミスされて赤ちゃんとして転生したユーリは竜を見て異世界だと知る。農家の娘としての生活に不満は無かったが、両親には秘密がありそうだ。魔法が存在する世界だが、普通の農民は狼と話したりしないし、農家の女将さんは植物に働きかけない。ユーリは両親から魔力を受け継いでいた。竜のイリスと絆を結んだユーリは竜騎士を目指す。竜騎士修行や前世の知識を生かして物を売り出したり、忙しいユーリは恋には奥手。スローライフとはかけ離れた人生をおくります。
『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』
透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。
「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」
そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが!
突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!?
気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態!
けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で――
「なんて可憐な子なんだ……!」
……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!?
これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!?
ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆
実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~
空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」
氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。
「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」
ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。
成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる