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第五章
第42話
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次の日、ギルバートが迎えにきた。
朝食は、その前にどこかの女官がお盆に載せて別の宮から運んできてくれたのをミルラが受け取った。
一番近い後宮の宮でも近い建物というわけじゃない。
石畳の小径で繋がっていて……間に庭園がある。
整えられた木々と花壇の間から見えているけど、500メートルくらいは離れている。
運ぶ女官も大変だろうと思うが、この分だとこの離宮で誰かが作らないと、温かいものが食べられる機会は少なそうだ。
作るのは誰か……と思ったら、ミルラも料理が得意という雰囲気ではなく、ヒースしかいない。
本当にこんなに王子様をこき使っていいのかと、昨日あたりから繰り返し思っているので、冷たい食事には我慢しようと思った。
昨日着いた時には、あまり馬車から顔を出して顔を覚えられるのはよくなさそうだったから、よく見なかったけど、王宮はびっくりするほど広いようだ。
一番近い宮で500メートルなら、遠いところはどのくらいか。
昨日逃げ込んだ森は、窓からはるか遠くに見えた。
多分軽く1キロは先だ。
王宮全体は壁に囲まれているらしい。
そうでないと侵入し放題だろう。
アルド離宮は外れにあるので北側の庭園の向こうには、いわゆる城壁が見えている。
それでもだいぶ遠い。
東は森の向こうのようで、見えない。
西と南には離れているけれど建物があるので、壁は少なくともその向こうだ。
外に出るのはもちろん怖くてできなかったから、朝のうちに窓から色々覗いた結果、この王宮は幅も奥行きも2キロ超はありそうだと見た。
馬車を使わないと素早く移動できないから、宮殿内を走る小さな馬車が用意されてるんだと納得した。
というわけで、ギルバートは馬車の御者台に乗っての登場だった。
この人も本当は御者台じゃなくて馬車に乗って運ばれる人じゃないかと思うんだけど、昨日も不満気な風もなく御者をして運んでくれたし、荷物の片付けの手伝いもしてくれた。
ヒースの、ここの王族様の血筋には働き者の遺伝子でもあるのかもしれない。
……思えばエドウィン王子も人を使わず自分で出向いてきたんだった。
偉い人が働き者なのは、きっといいことだ。
そう思うことにして、迎えの馬車に乗り込んだ。
わたしとミルラを馬車に押し込んでから、ヒースはギルバートと少し話をしていた。
話が終わったのか、ヒースは馬車に乗り込んできて、ギルバートは御者台へ行く。
「この後、正宮に行く前に塔に行きます」
「塔?」
ミルラから聞いた話を思い出した。
王宮の魔法使いの塔のことだろうかと思い、でも、何をしに行くのか首を傾げる。
「ミルラ、塔でサリナについて侍女か女官をしてくれそうな魔女がいないか探してください。一日かけてかまいません。もう少し女手が欲しいのです」
女手というところで、ぎくりとした。
さすがにこき使われすぎだとヒースも思ったのかもしれない。
「誰でもいいんですか?」
「サリナに悪意と害意を持たない者なら誰でもいいです。と言いたいけれど、できれば自分で逃げられる者がいいですね。私と馴染みがある者ならもっといいけれど……」
ヒースの考え込む素振りに、ちょっと心が騒ぐ。
ヒースはモテただろう。
この顔だから、もっと男くさいのが好みというのでなければ、女性にはかなり好かれたと思う。
想いを寄せられても色々な理由で応えられなかっただろうけれど、王宮に戻ったということの意味は、そのうちの一つが解消されたと人に考えさせる。
……言い寄る女はいるだろうな。
モヤモヤしたものが心に湧いて、目を逸らした。
「転移に長けた者、ですか」
そんなにはいませんね、とミルラは首を傾げている。
「そう。女騎士は皆王宮勤めだし、ずっと兄の下についていました。私は塔と王宮と戦場を行ったり来たりだったから、あまり馴染みもないんです。受け入れた者に手引きをされると、防ぎ切れません」
「王宮に勤めてエドウィン殿下に忠誠を誓う者は、そうたくさんはいないと思いますけど。ずっとエドウィン殿下に仕えてたならともかく、王宮の騎士の少なくとも半数以上は元の主を殺されてるんですよ」
耳だけ向けていたミルラの言葉に、納得する。
亡くなった王子王女についていた者たちは、自分の守っていた者を殺したエドウィン王子を恨んでいるのかもしれない。
そういう気持ちが、ヒースを呼び戻したのか。
「忠誠なんて綺麗なもので仕える主を選ぶ者ばかりではありませんよ。その区別がつけばいいんですが、私は自分の護衛とも深い付き合いを持たなかったから、騎士と縁がなくてよくわかりません。ギルバートの配下は男ばかりですしね」
女騎士と縁がなかったのは、ヒースが魔法使いだからか。
「心根の良くない者……侍女にしても、女騎士にしても、そういう者は絶えないものです。昔から後宮に入った女神の周りには女性しか配さないが、脅されたり、恋人や夫の頼みに諾々と従って男を手引きする者が絶えなかったのですよ」
「え……」
耳を疑う話に、思わずヒースを振り返る。
女神に男を引き合わせたら何が起こるか、その女性は知らないのか。
ヒースは気まずそうに目を伏せた。
「大概の場合は自分の夫を手引きするのではないと思いますけれど。女神の力に間違った幻想を抱いている者がいたり、ただの興味本位であったり、馬鹿な理由が多いようだけど……発覚した記録がいくつも残っています。だけど発覚しただけが真実ではないでしょう。女神様たちは、もうそういうことを訴える力もないことが多かっただろうから……でも、本当にきちんと保護されていれば、あれほど短命の女神ばかりにはならないと思うのですよ」
その声の苦々しい響きに、ヒースの知る真実もあるのだろうと思った。
短命の女神。
ヒースの後宮にいたという前の女神が亡くなった理由は、聞いていない。
「えーと、恋人がいなくて、脅しとか嫌いな気の強い人がいいですか」
ミルラがちょっと顔を引き攣らせながら言った。
ミルラも、前の女神がそんな目に遭っていたとは思っていなかったんだろう。
しかしそういう女性は、ヒースに引き寄せられそうで複雑だ。
「そこまでは拘りませんよ。魔女は政略結婚で嫁ぐ者が少ないし、王宮の力関係から離れている者が多いですからね。多くは家族とも疎遠ですし。ただ、普通なら侍女をしろなんて命には従わないでしょうから、無理なお願いなのはわかっています。誰か引き受け手がいるといいのですが」
「わかりました」
ミルラは頷いた。
そして、しばらく走った馬車は高い塔の前で停まった。
窓から見上げた塔は、恐ろしく大きく高く見えた。
奥にもまだ塔と思われるものが建っている。
そこでミルラは降り、一回中に入り、しばらくしてからまた出てきた。
「作ってもらいました、お昼です」
何をしに行ったかというと、塔の料理人に昼食の弁当を作らせて、貰ってきた。
これもお願いごとの一つだ。
いきなり言いつけられた料理人では、細工もできないだろうということだ。
しかしこんなに警戒しなくちゃならないのがずっと続くのかと思うと、少し気が滅入る。
「では頼みましたよ、ミルラ」
「はい」
そして馬車はまた走り出した。
朝食は、その前にどこかの女官がお盆に載せて別の宮から運んできてくれたのをミルラが受け取った。
一番近い後宮の宮でも近い建物というわけじゃない。
石畳の小径で繋がっていて……間に庭園がある。
整えられた木々と花壇の間から見えているけど、500メートルくらいは離れている。
運ぶ女官も大変だろうと思うが、この分だとこの離宮で誰かが作らないと、温かいものが食べられる機会は少なそうだ。
作るのは誰か……と思ったら、ミルラも料理が得意という雰囲気ではなく、ヒースしかいない。
本当にこんなに王子様をこき使っていいのかと、昨日あたりから繰り返し思っているので、冷たい食事には我慢しようと思った。
昨日着いた時には、あまり馬車から顔を出して顔を覚えられるのはよくなさそうだったから、よく見なかったけど、王宮はびっくりするほど広いようだ。
一番近い宮で500メートルなら、遠いところはどのくらいか。
昨日逃げ込んだ森は、窓からはるか遠くに見えた。
多分軽く1キロは先だ。
王宮全体は壁に囲まれているらしい。
そうでないと侵入し放題だろう。
アルド離宮は外れにあるので北側の庭園の向こうには、いわゆる城壁が見えている。
それでもだいぶ遠い。
東は森の向こうのようで、見えない。
西と南には離れているけれど建物があるので、壁は少なくともその向こうだ。
外に出るのはもちろん怖くてできなかったから、朝のうちに窓から色々覗いた結果、この王宮は幅も奥行きも2キロ超はありそうだと見た。
馬車を使わないと素早く移動できないから、宮殿内を走る小さな馬車が用意されてるんだと納得した。
というわけで、ギルバートは馬車の御者台に乗っての登場だった。
この人も本当は御者台じゃなくて馬車に乗って運ばれる人じゃないかと思うんだけど、昨日も不満気な風もなく御者をして運んでくれたし、荷物の片付けの手伝いもしてくれた。
ヒースの、ここの王族様の血筋には働き者の遺伝子でもあるのかもしれない。
……思えばエドウィン王子も人を使わず自分で出向いてきたんだった。
偉い人が働き者なのは、きっといいことだ。
そう思うことにして、迎えの馬車に乗り込んだ。
わたしとミルラを馬車に押し込んでから、ヒースはギルバートと少し話をしていた。
話が終わったのか、ヒースは馬車に乗り込んできて、ギルバートは御者台へ行く。
「この後、正宮に行く前に塔に行きます」
「塔?」
ミルラから聞いた話を思い出した。
王宮の魔法使いの塔のことだろうかと思い、でも、何をしに行くのか首を傾げる。
「ミルラ、塔でサリナについて侍女か女官をしてくれそうな魔女がいないか探してください。一日かけてかまいません。もう少し女手が欲しいのです」
女手というところで、ぎくりとした。
さすがにこき使われすぎだとヒースも思ったのかもしれない。
「誰でもいいんですか?」
「サリナに悪意と害意を持たない者なら誰でもいいです。と言いたいけれど、できれば自分で逃げられる者がいいですね。私と馴染みがある者ならもっといいけれど……」
ヒースの考え込む素振りに、ちょっと心が騒ぐ。
ヒースはモテただろう。
この顔だから、もっと男くさいのが好みというのでなければ、女性にはかなり好かれたと思う。
想いを寄せられても色々な理由で応えられなかっただろうけれど、王宮に戻ったということの意味は、そのうちの一つが解消されたと人に考えさせる。
……言い寄る女はいるだろうな。
モヤモヤしたものが心に湧いて、目を逸らした。
「転移に長けた者、ですか」
そんなにはいませんね、とミルラは首を傾げている。
「そう。女騎士は皆王宮勤めだし、ずっと兄の下についていました。私は塔と王宮と戦場を行ったり来たりだったから、あまり馴染みもないんです。受け入れた者に手引きをされると、防ぎ切れません」
「王宮に勤めてエドウィン殿下に忠誠を誓う者は、そうたくさんはいないと思いますけど。ずっとエドウィン殿下に仕えてたならともかく、王宮の騎士の少なくとも半数以上は元の主を殺されてるんですよ」
耳だけ向けていたミルラの言葉に、納得する。
亡くなった王子王女についていた者たちは、自分の守っていた者を殺したエドウィン王子を恨んでいるのかもしれない。
そういう気持ちが、ヒースを呼び戻したのか。
「忠誠なんて綺麗なもので仕える主を選ぶ者ばかりではありませんよ。その区別がつけばいいんですが、私は自分の護衛とも深い付き合いを持たなかったから、騎士と縁がなくてよくわかりません。ギルバートの配下は男ばかりですしね」
女騎士と縁がなかったのは、ヒースが魔法使いだからか。
「心根の良くない者……侍女にしても、女騎士にしても、そういう者は絶えないものです。昔から後宮に入った女神の周りには女性しか配さないが、脅されたり、恋人や夫の頼みに諾々と従って男を手引きする者が絶えなかったのですよ」
「え……」
耳を疑う話に、思わずヒースを振り返る。
女神に男を引き合わせたら何が起こるか、その女性は知らないのか。
ヒースは気まずそうに目を伏せた。
「大概の場合は自分の夫を手引きするのではないと思いますけれど。女神の力に間違った幻想を抱いている者がいたり、ただの興味本位であったり、馬鹿な理由が多いようだけど……発覚した記録がいくつも残っています。だけど発覚しただけが真実ではないでしょう。女神様たちは、もうそういうことを訴える力もないことが多かっただろうから……でも、本当にきちんと保護されていれば、あれほど短命の女神ばかりにはならないと思うのですよ」
その声の苦々しい響きに、ヒースの知る真実もあるのだろうと思った。
短命の女神。
ヒースの後宮にいたという前の女神が亡くなった理由は、聞いていない。
「えーと、恋人がいなくて、脅しとか嫌いな気の強い人がいいですか」
ミルラがちょっと顔を引き攣らせながら言った。
ミルラも、前の女神がそんな目に遭っていたとは思っていなかったんだろう。
しかしそういう女性は、ヒースに引き寄せられそうで複雑だ。
「そこまでは拘りませんよ。魔女は政略結婚で嫁ぐ者が少ないし、王宮の力関係から離れている者が多いですからね。多くは家族とも疎遠ですし。ただ、普通なら侍女をしろなんて命には従わないでしょうから、無理なお願いなのはわかっています。誰か引き受け手がいるといいのですが」
「わかりました」
ミルラは頷いた。
そして、しばらく走った馬車は高い塔の前で停まった。
窓から見上げた塔は、恐ろしく大きく高く見えた。
奥にもまだ塔と思われるものが建っている。
そこでミルラは降り、一回中に入り、しばらくしてからまた出てきた。
「作ってもらいました、お昼です」
何をしに行ったかというと、塔の料理人に昼食の弁当を作らせて、貰ってきた。
これもお願いごとの一つだ。
いきなり言いつけられた料理人では、細工もできないだろうということだ。
しかしこんなに警戒しなくちゃならないのがずっと続くのかと思うと、少し気が滅入る。
「では頼みましたよ、ミルラ」
「はい」
そして馬車はまた走り出した。
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