入厨 ‐いりくりや‐

天野 帝釈

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夢現

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「なんだぁ。あんた起きられたのか。もしかして今迄の文句か?何だぃ俺は謝らねぇぞ。」

と少し腰を引きながら婆ぁに軽口を叩いた。

婆ぁはゆっくりと首を振るとボロボロの床板の1箇所を指さした。

そして口を少しも動かさずに男に語り掛けてきた。

「今迄世話になったねぇ。少ないが、少しずつ貯めておいた金がここにある。
元は見つからぬ我が子の為に貯めておいた金だ。もう今生で会える希望もない。」

老婆は少し悲しそうに微笑んで男の方を見る。

「何でぇ喋れたのかい。そんなもん解りゃしねぇだろう。
最近は飯もしっかり食えるようになったんだから、このまま回復して探し出して渡してやれや。」

男がそう言ってやると、また首をゆっくりと振るので、そういう事かとようやく男も理解した。

どう声を掛けるかと考えあぐねていたところ、婆ぁが今度はぐっと顔に力を入れて真剣に訴えかけてきた。

「それとね、あんた次の仕事はあんたが今度こそ本当にやりたい事にするんだよ。」

余計なお世話と思ったが、最期くらい大人しく説教を受けてやるかと頷いて、頭の隅に留めておく事にした。

男が頷くと老婆は今度は口を開けて、またあのふしゅるふしゅると言う音を出した。

礼くらい口に出して言いたかったのであろう。

「気にするなよ。じゃぁな。」

と言って男も老婆に笑いかけてやった。
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