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五①
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「まさか、今や売れっ子の作家先生が、あんなところで死のうとするなんてな。驚いたぜ」
僕は里見に連れられて、こぎれいな居酒屋へと来ていた。僕の章子へ会いに行こうとする目論見は見事に打ち砕かれたのだった。
「何故、死なせてくれなかったんだ?」
「二度も目の前で死なれちゃ、寝覚めが悪いってもんだろう?」
僕の問いかけに里見は答えると、ぐいっと酒をあおる。
「一度も見舞いに来なかった人間が、よく言うよ……」
僕の言葉に里見は黙ってしまう。今まで疎遠になっていた元親友が、一体どんな用があるというのだろう?
沈黙が僕たちを包む。
その沈黙を破ったのは、酒をぐいっと呷って意を決したような里見だった。
「悪かった……」
「え?」
里見の声は小さかったものの、僕の耳にはしっかりと届いていた。しかし僕は、里見の口から出た謝罪の言葉が信じられずに聞き返してしまう。
そんな僕の真意に気付いているだろう里見は、気分を害した様子を見せることもなく言葉を続ける。
「怖かったんだ……」
里見は簡単に命を投げ出した僕のことが怖くなってしまったのだと言う。親友が目の前で列車に飛び込み、動かなくなってしまった現実とその衝撃は、その後の里見の人生を大きく変えていったらしい。
「お前が意識を取り戻したという連絡は受けたさ。だけどな……」
どうしても里見は僕に会う勇気が出なかったのだと言う。自分の軽率な言動が親友を自殺へと追いやった。その負い目は里見の中からなかなか消えることはなかったそうだ。
しかしある日、里見は勇気を出して僕が入院していた病院へと足を向けたそうだ。ただ、その時にはもう僕は退院をしており、会うことは叶わなかった。
出鼻をくじかれた形となった里見はその後、僕の家を訪れることも出来ずに日々を過ごしていく。
「そうしていたら、町でお前と女学生の噂話を耳にしてさ」
驚いた里見はすぐに僕の家を訪ねてくれたらしい。だが、
「お前はもう、噂の女学生と一緒に町を出た後だったわけだ」
その後里見は、両親の紹介で結婚をしたそうだ。その結婚を機に里見は、自身の筆を折った。
「守るべき家族が出来たんだ。いつまでも叶わない夢を追うわけにもいかないだろう?」
里見はそう言うと、自らを嘲るように薄く笑うのだった。
それでもどこか、小説への未練を断ち切ることが出来なかった里見は現在、出版社で編集者として働いているそうだ。
「そうしたら、会社でお前の名前を聞かない日はないってくらい、島崎直哉は今や売れっ子作家先生になっていてさ。あぁ、俺とは住んでいる世界が違うのだなって。いやでも痛感させられたよ」
そこまで一息に話すと、里見は再び酒に口を付けた。
僕はなんとも言えない気分になる。
僕の行動で里見を苦しめてしまったことは申し訳ないと思うのだが、奥歯にものが挟まったような感覚に襲われ、素直に謝罪することが出来なかった。
そんな僕の様子を見ながら、里見は僕の方へと身体を向ける。そうして公衆の面前だと言うのに、ガバッと勢いよく頭を下げた。
「本当に、すまなかった!」
そして小さな声で、どうか許してくれ、と里見は言う。僕はそんな里見の様子に唖然としてしまうのだった。
僕からの返答がないことを不安に思ったのか、里見はその下げた頭を少し上げると、上目遣いでこちらを見上げる。
「やはり、許してはもらえないのか?」
そう言う里見の不安そうな顔がおかしくて、僕はぷっと吹き出してしまう。その後すぐに声を上げて笑ってしまうのだった。
里見はそんな僕の様子を不思議そうに見ている。僕は目尻に浮かんだ涙を拭いながら、
「あぁ、すまない、すまない」
そう言って息を整える。
ひとしきり笑ったためか、僕は先程まで感じていた、奥歯にものが挟まったような感覚がなくなっていることに気付いた。今なら僕も、言えるだろう。
僕はすっと息を吸い込むと、
「僕の方こそ、簡単に命を投げ出すような真似をして、すまなかった」
素直な気持ちを言葉に出来た僕は、里見へと頭を下げた。そんな僕の様子に、今度は里見が唖然としている気配が伝わる。
しかしすぐに、
「顔を上げろよ、島崎」
里見のその言葉に顔を上げると、里見はこちらへ笑顔を送っていた。その笑顔につられるように、僕も里見へと笑顔を返す。
僕がこうして笑ったのは、章子を失ってから初めてのことだった。僕と里見は和解し、再び共に酒を酌み交わせるようになった。
僕たちはしばらく黙って酒を酌み交わしていたのだが、唐突に里見が口を開いた。
「今回はお前、大変だったな……」
僕が急に何事かと思って里見へと視線を投げる。すると真剣な表情の里見と目が合った。目が合った瞬間、里見は僕から視線を外すと、言いにくそうに、
「その、奥さんのこと……」
「どうしてそれを?」
驚いて思わず尋ねる僕の言葉に、里見が言う。
「ほら、言っただろう? 俺は今、出版社で働いているって」
そこで先日、章子が亡くなったことを先輩編集者から聞いたのだそうだ。そこまで話した里見は、何かに気付いたように、
「まさかお前、それで変な気を起こしていたのか……?」
そう言って驚いたように目を丸くして、里見は僕を見た。僕はその視線を受けながら、
「会えるものなら会いたいと思うことが、いけないことだとは思わない」
そう言って酒を一口呷る。
里見と酒を酌み交わしている間に、僕の中の僕を章子の元へと追い立てるような、そんな感情は収まっていた。しかしそれでも僕は、章子に会えるものなら会いたいと、そう漠然と思わないわけではなかった。
そんな僕に里見は、
「なぁ、お前の新居、見せてくれよ。送っていくからさ」
「え? 今からかい?」
「そうだ」
里見が何を考えているのか分からない顔で言う。僕はしばらく逡巡した後、特に見られて困るものもないと判断して頷いた。
「じゃあ、善は急げだ。行こうぜ」
里見は残っていた酒を全てぐいっと飲み干すと立ち上がった。僕もそれにならって立ち上がると、お互いに会計を済ませて我が家へと向かうのだった。
僕は里見に連れられて、こぎれいな居酒屋へと来ていた。僕の章子へ会いに行こうとする目論見は見事に打ち砕かれたのだった。
「何故、死なせてくれなかったんだ?」
「二度も目の前で死なれちゃ、寝覚めが悪いってもんだろう?」
僕の問いかけに里見は答えると、ぐいっと酒をあおる。
「一度も見舞いに来なかった人間が、よく言うよ……」
僕の言葉に里見は黙ってしまう。今まで疎遠になっていた元親友が、一体どんな用があるというのだろう?
沈黙が僕たちを包む。
その沈黙を破ったのは、酒をぐいっと呷って意を決したような里見だった。
「悪かった……」
「え?」
里見の声は小さかったものの、僕の耳にはしっかりと届いていた。しかし僕は、里見の口から出た謝罪の言葉が信じられずに聞き返してしまう。
そんな僕の真意に気付いているだろう里見は、気分を害した様子を見せることもなく言葉を続ける。
「怖かったんだ……」
里見は簡単に命を投げ出した僕のことが怖くなってしまったのだと言う。親友が目の前で列車に飛び込み、動かなくなってしまった現実とその衝撃は、その後の里見の人生を大きく変えていったらしい。
「お前が意識を取り戻したという連絡は受けたさ。だけどな……」
どうしても里見は僕に会う勇気が出なかったのだと言う。自分の軽率な言動が親友を自殺へと追いやった。その負い目は里見の中からなかなか消えることはなかったそうだ。
しかしある日、里見は勇気を出して僕が入院していた病院へと足を向けたそうだ。ただ、その時にはもう僕は退院をしており、会うことは叶わなかった。
出鼻をくじかれた形となった里見はその後、僕の家を訪れることも出来ずに日々を過ごしていく。
「そうしていたら、町でお前と女学生の噂話を耳にしてさ」
驚いた里見はすぐに僕の家を訪ねてくれたらしい。だが、
「お前はもう、噂の女学生と一緒に町を出た後だったわけだ」
その後里見は、両親の紹介で結婚をしたそうだ。その結婚を機に里見は、自身の筆を折った。
「守るべき家族が出来たんだ。いつまでも叶わない夢を追うわけにもいかないだろう?」
里見はそう言うと、自らを嘲るように薄く笑うのだった。
それでもどこか、小説への未練を断ち切ることが出来なかった里見は現在、出版社で編集者として働いているそうだ。
「そうしたら、会社でお前の名前を聞かない日はないってくらい、島崎直哉は今や売れっ子作家先生になっていてさ。あぁ、俺とは住んでいる世界が違うのだなって。いやでも痛感させられたよ」
そこまで一息に話すと、里見は再び酒に口を付けた。
僕はなんとも言えない気分になる。
僕の行動で里見を苦しめてしまったことは申し訳ないと思うのだが、奥歯にものが挟まったような感覚に襲われ、素直に謝罪することが出来なかった。
そんな僕の様子を見ながら、里見は僕の方へと身体を向ける。そうして公衆の面前だと言うのに、ガバッと勢いよく頭を下げた。
「本当に、すまなかった!」
そして小さな声で、どうか許してくれ、と里見は言う。僕はそんな里見の様子に唖然としてしまうのだった。
僕からの返答がないことを不安に思ったのか、里見はその下げた頭を少し上げると、上目遣いでこちらを見上げる。
「やはり、許してはもらえないのか?」
そう言う里見の不安そうな顔がおかしくて、僕はぷっと吹き出してしまう。その後すぐに声を上げて笑ってしまうのだった。
里見はそんな僕の様子を不思議そうに見ている。僕は目尻に浮かんだ涙を拭いながら、
「あぁ、すまない、すまない」
そう言って息を整える。
ひとしきり笑ったためか、僕は先程まで感じていた、奥歯にものが挟まったような感覚がなくなっていることに気付いた。今なら僕も、言えるだろう。
僕はすっと息を吸い込むと、
「僕の方こそ、簡単に命を投げ出すような真似をして、すまなかった」
素直な気持ちを言葉に出来た僕は、里見へと頭を下げた。そんな僕の様子に、今度は里見が唖然としている気配が伝わる。
しかしすぐに、
「顔を上げろよ、島崎」
里見のその言葉に顔を上げると、里見はこちらへ笑顔を送っていた。その笑顔につられるように、僕も里見へと笑顔を返す。
僕がこうして笑ったのは、章子を失ってから初めてのことだった。僕と里見は和解し、再び共に酒を酌み交わせるようになった。
僕たちはしばらく黙って酒を酌み交わしていたのだが、唐突に里見が口を開いた。
「今回はお前、大変だったな……」
僕が急に何事かと思って里見へと視線を投げる。すると真剣な表情の里見と目が合った。目が合った瞬間、里見は僕から視線を外すと、言いにくそうに、
「その、奥さんのこと……」
「どうしてそれを?」
驚いて思わず尋ねる僕の言葉に、里見が言う。
「ほら、言っただろう? 俺は今、出版社で働いているって」
そこで先日、章子が亡くなったことを先輩編集者から聞いたのだそうだ。そこまで話した里見は、何かに気付いたように、
「まさかお前、それで変な気を起こしていたのか……?」
そう言って驚いたように目を丸くして、里見は僕を見た。僕はその視線を受けながら、
「会えるものなら会いたいと思うことが、いけないことだとは思わない」
そう言って酒を一口呷る。
里見と酒を酌み交わしている間に、僕の中の僕を章子の元へと追い立てるような、そんな感情は収まっていた。しかしそれでも僕は、章子に会えるものなら会いたいと、そう漠然と思わないわけではなかった。
そんな僕に里見は、
「なぁ、お前の新居、見せてくれよ。送っていくからさ」
「え? 今からかい?」
「そうだ」
里見が何を考えているのか分からない顔で言う。僕はしばらく逡巡した後、特に見られて困るものもないと判断して頷いた。
「じゃあ、善は急げだ。行こうぜ」
里見は残っていた酒を全てぐいっと飲み干すと立ち上がった。僕もそれにならって立ち上がると、お互いに会計を済ませて我が家へと向かうのだった。
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