それは天使の祝福か

彩女莉瑠

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六②

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(いつの間にこんなことに……?)

 軽くパニックになりかけるが、頭を落ち着かせるために大きく深呼吸をする。それから里帆は気持ちを切り替えると、

(と、とにかく進もう。立ち止まっていても何も解決しないわ)

 それに、と里帆は思う。
 この日差しと緑の中はとても心地が良い、と。自分の中の魂が、まるでこの場所を欲しているかのように、懐かしくもあり、心地が良いのだ、と。
 何故そんなことを感じるのかは分からない。分からないが、いちばん始めに立っていた暗闇の場所よりは、恐怖心も心細さも感じないのだった。

 里帆は一歩一歩、大地を足の裏で感じながら歩いて行く。道という道はない。木々の隙間を縫って、自分が感じたままに前だと思う方向へと歩いて行くのだ。
 そうして歩き続けると、突然左右の木々が途切れ広く開けた場所に出た。その開けた場所の中央には、大きな樹木が一本。そしてその樹木の葉は、淡いクリーム色を纏っているのだった。

「凄く、綺麗な樹……」

 里帆がゆっくりとその樹に近付き、手を伸ばしたその瞬間。



 ぶわぁ……!



 樹木の葉だと思っていた淡いクリーム色の光る蝶が一斉に飛び立った。その蝶たちが巻き起こした風は里帆の黒髪とワンピースの裾を揺らす。
 里帆が驚いてその光景に見入っていると、蝶がいなくなった木の上から声が降ってきた。

「騒がしいなぁ……。何事?」

 その声は少し気だるげで、小さな子供の、男の子のもののようだ。里帆が声のした樹の上を見上げると、ぎっしりとしたたくさんの翼で身体を隠している天使の姿がある。

(子供の、天使……?)

 里帆がじっとその子供の様子を見ていると、子供の天使はぴょん、と高い樹木の枝の上から飛び降りた。里帆が危ない、と思う隙も与えず、子供の天使はたくさんある小さな翼を大きくパサリと広げる。そしてそのままゆっくりと下降し、里帆の立っている大地へと着地する。その様子から里帆は目を離せずにいた。

 その翼の内側には燃えるような赤の、無数の目のような模様があったからだ。外側からは全く分からなかったが、それらの模様は禍々しく、天使の美しさからはかけ離れているような気がした。

 地に降り立ったその天使は、笑っていた。全ての邪気をなくし、ただ純粋に、心から。可愛らしいはずのその笑顔は、里帆の背中にぞくりと悪寒を走らせるには十分だった。

「お姉さん、こんなところで何をしているの?」
「えっと……」
「あぁ、ごめんね。誰かにものを尋ねるときは、まず自分から、だよね。僕の名前はメタトロン。お姉さんは?」

 メタトロンが里帆に尋ねた瞬間、ぎっしりと敷き詰められている翼の内側の、目のような模様が一斉に里帆を見た気がした。その視線の圧に、里帆は一瞬たじろいでしまう。

「お姉さん? どうしたの?」

 メタトロンは小首をかしげると、心底不思議そうな声を出す。里帆は翼の内側にある目の模様のことをあまり気にしないようにして、メタトロンの幼い顔を見ながら答える。

「私は、三浦里帆。この樹があまりにも美しかったので、思わず手を伸ばしていました……」

 子供相手だというのに敬語になってしまうのは、きっと翼の模様のせいだろう。
 里帆の言葉を聞いたメタトロンはぽんっ、と手を叩くと、

「あぁ、君がラファエルの……」
「ラファエルのこと、あなたも知っているんですかっ? 彼は今、一体何をして……っ!」

 そこで里帆は言葉が詰まってしまう。
 勘違いなどではない。
 里帆がラファエルのことを聞こうとしたその瞬間、メタトロンの翼の内側、無数の目がじろりと里帆を見て、その視線で里帆を射貫いたのだ。
 まるでそれ以上を、口に出すことを禁ずるかのように。
 その翼の目とは裏腹に、メタトロンは笑っている。

「お姉さんは賢いね。うん、そうだよ。それ以上は駄目だよ」

 笑顔のメタトロンは言う。
 怖くなった里帆はもう何も言えなくなってしまった。そんな里帆にメタトロンは続ける。

「この道をね、真っ直ぐ行くんだよ。ずっと、ずーっと真っ直ぐ。振り向くことなく、ずーっとね」

 メタトロンは片腕を持ち上げて指をさす。その先には鬱蒼と生い茂った森だけが広がっているように見える。里帆がその視線を元に戻した時、そこにはもう、メタトロンの姿は見当たらなかった。

(怖かった……。メタトロンって、どんな天使なの……?)

 緊張感から解放された里帆は、へなへなとその場にへたり込んでしまう。それから引き寄せられた樹を見上げた。
 樹木の葉には先程一斉に飛んだ、クリーム色の輝く蝶が少しずつ戻ってきており、輝きを取り戻し始めているのだった。

(ラファエル……)

 里帆はここに来る前に見た最後のラファエルの表情を思い出していた。

(泣いていた、のかな……)

 最後に見たラファエルの顔が歪んでいる。悲しそうに。どこか痛んでいるかのように。

(そう言えば、あの状況からの現状って言うことは、私、死んだの?)

 その事実に辿り着いた里帆ははっとする。
 もし死んでしまったと言うのなら、先程会ったメタトロンという子供の天使にも納得がいく。そしてここが、シスターたちの言っていた天国だというのならば、

(この穏やかさも納得、か)

 里帆はぺたんと座り込むと、空を振り仰いだ。
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