ボカーソウルの苦悩

しまおか

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第三章~④

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 尊と両親達の関係とは真逆で、彼女の実家とは上手くいっている。長期休みの際は一緒に顔を出したり、泊まったりもしていた。
 義父の夏目秀志ひでしは竹を割ったような性格で、明るく人望も厚い為か近所の人達から大変頼られている。地域の世話係など様々な役職を任され、本業以上に忙しいと以前笑いながら話してくれた。
 良く喋る義父と対照的に義母のさくらは寡黙だが、志穂を産んだだけあり昔から美人で有名だったらしい。彼女も地元出身なので、近所付き合いの多い義父の三歩後ろを歩き支えながら黙々と家事をし、農家の仕事もこなす昔ながらの典型的な良妻賢母だ。
 彼女の実家は静岡市の駅周辺から車だと一時間弱ほど山に向かったところで、温暖な気候を利用し米の他に、芋や小松菜、ネギやキャベツ、春菊などを栽培している。しかも有機農業に取り組んでいた。
 有機農業は科学的に合成された肥料及び農薬をしない為、相当手間がかかる。また遺伝子組み換え技術を利用しないことを基本とし、農業生産に由来する環境への負荷を出来る限り低減した農業生産方法を用いるので、制約も多く大変らしい。
 二〇二一年の統計では、日本の耕地面積における有機栽培の畑の割合が一%の半分にも満たず、世界では均一・五%を占めているという。進んでいるオセアニアでは九・六%、欧州連合で八・八%ほどのようだ。よって現状から考えればかなり少数派だといえる。
 だが農業分野における二酸化炭素の排出削減といった環境問題や、持続可能な社会形成を目指すSDGsの機運が高まっている今の時代、国は有機農業に対して様々な補助金等の活用を促していた。
 これまで使用していた化学農薬から環境に優しい低リスク農薬への転換は、まさしく有機農法が目指すものと同じだ。さらに輸入原料や化石燃料を原料とした化学肥料の使用削減も、施策に沿っている。
 その上耕地面積に占める有機農業の取り組み面積の割合を、二〇五〇年までには二五%に拡大するとの目標まで掲げられていた。こうした背景を受け、今や彼らの取り組みは時代の先端を走る取り組みだと言えるだろう。
 しかし問題はそう簡単ではない。日本全国で同様の問題が起こっているように、田畑と山に囲まれた彼女の実家周辺でも高齢化と過疎化が進んでいるからだ。それなのに化学農薬や肥料を使わなければ、病害虫や雑草の防除対策には人手がかかる。
 またこれまで取り組んできた生産者自体が少ない為、周囲にノウハウを教える事もままならない。その上有機農法では栽培技術が確立されていない側面もあり、広めようにも勘と経験等によるノウハウしかないというデメリットもあった。
 それでも先細りして将来厳しくなっていく農家の現状を考え、作物の数を増やして販路の開拓などにも力を注いだ結果、夏目家ではなんとか専業でやっていけるようになったらしい。
 尊達がまだ京都にいる頃、志穂と里帰りした際に酔っぱらった彼女の兄、剛志が漏らしていた言葉を思い出す。
「俺は結婚せず一人身だから跡取りの子供がいない。だから将来両親が体を壊すなどして農作業が出来なくなったら、人を雇ってまでやれるかと考えたら不安だよ。その上集落の取りまとめ役の親父がいなくなったら、その後はどうなるかと考えるだけで恐ろしい。息子としても農作業についてまだ学ぶことは沢山ある。といって母親が倒れると人手が足りないだけでなく食事の用意をする人がいないから、男二人は瞬く間に栄養失調になって共倒れするだろうな」
 最後にそう笑っていたが、尊達は笑えなかった。つまり義父が倒れたら、義母が面倒を看ればいいという簡単な話ではないのだ。片方が倒れれば二人共農作業が出来なくなり、田畑の世話に手が回らなくなる。そうなれば生計の維持すら困難になってしまう。
 経済的な面だけなら、子供もいない高収入を得ている尊が支援すれば済む。だが田舎だと介護サービスを受けさせるにしても都会とは違い、十分な人材が確保できるかといえば不安が残る。
 ただその分、近所の人達から支援を受けられるという、田舎ならではのシステムがあった。それでも一時的であれば別だが、介護や農作業の手伝いとなれば長期間は無理だろう。そうなるとやはり必要なのは信頼できる人手だ。
 よって将来そういう事態になった場合は、志穂を実家に戻して家事や介護をして貰うつもりだった。尊は単身赴任をして、時々彼女の実家に顔を出せばいい。
 子供の教育の為などで母親と子供が残り、父親だけ別の場所で働いているという転勤族は結構いる。そうした事情と大して変わらない為、個人的には抵抗がなかった。
 もちろん一人だと寂しいし、彼女も田舎で介護と家事に追われるのは苦痛だろう。もしそういう期間が長くなるようなら、実家からできるだけ近い支社に異動願いを出し、転勤なしのエリア総合職になればいいとすら考えていた。
 尊は志穂とそうした話し合いをしていたが、当然今のような状況になるとまで想像していなかった為、具体的には決めていなかったのである。
 まず問題は尊が目を覚ますかどうかだが、このままの状態が続けばいずれ収入がなくなる。それなりの預貯金はある為、彼女一人だけなら一生は無理にしても、贅沢をしなければ十数年くらいなら何とか暮らしていけるはずだが限界はある。これは最悪のパターンだ。
 また目を覚まさず死亡した場合、尊の介護の必要は無くなり死亡保険金などが手に入る。彼女が実家に戻れば居住費など余計な支出はしなくて済むから、上手くやりくりすれば無理に働かなくても暮らしていける。または実家の農家を手伝うこともできるだろう。
 そうすれば例え義父母が倒れても面倒は見られる。ただその場合でさえ問題となってくるのはやはりお金だ。食べるだけなら規模を縮小して何とかやっていけるかもしれないが、貯蓄があるとないとでは、次に打つ手が変わってくる。
 恐らく志穂はそこまで考えているのだろう。だからこそ尊に万が一のことが起きた場合、その遺産は彼女達の生命線だ。よって芝元家に奪われたくないと思うのは当然である。 
 そうはいっても、芝元家からお金を得ようなどとまでは全く考えていないだろう。尊が告げていたように父達と関係を絶ち、今後係わり合いたくないというのが本音のはずだ。
 浮遊しているせいなのか時間の経過が体感し辛い尊とは違い、彼女は一年半余りという長い期間を過ごしてきた。ほぼ一人で目を覚まさない夫の様子を、毎日のように病院へ通い続け一人で部屋へと帰っていく日々の中、様々な状況を考えていたのかもしれない。
 尊が目を覚ませば済む話ではないからだろう。その後元のように働けるかどうかでも、取り巻く環境は全く変わってくる。
 後遺障害が残るようなら、その介護に追われる羽目になってしまう。そうなれば会社を辞め、彼女の実家で過ごさざるを得ない。もちろん意識を取り戻さない、あるいは死亡するケースまでも想像したはずだ。
 彼女の心痛はいかばかりかと思えば、想像を絶する。しかも刺した犯人は未だに捕まっておらず、何故こんな目に遭ったのかも分からないままだ。
 もしかすると彼女自身も知らない所で、何かとんでもない恨みを買っていたのかと疑心暗鬼になっているかもしれない。
 尊本人でさえ心当たりがなく、人知れぬ恨みなのかと頭を悩ましてきた。妻とはいえ第三者である彼女なら、余計不安に感じるなど言わずもがなだ。将来について案じるのも無理はない。
 だから癖のある父達四人に囲まれているが、負けまいと立ち向かっているのはそれだけ深く考え、しっかりとした答えと意思を持つに到っていたからだろう。
「尊さんの身にもしものことがあれば、志穂さんは実家に戻るしかない訳ですね。だからお金が必要になる。そういうことですか」
 亜紀が勤めて冷静にそう告げると志穂は頷いた。
「そうです。本人が眠っている前で不謹慎な話はしたくありませんでした。ですから先程私は、急がなければいけない手続きなのかと申し上げたのです。ただ早く済ませなければならない事情がおありなら、拒否するのは筋が通りません。書類に判子は押します。その代わり、尊さんがもし亡くなれば皆さんは私なんてもう関係がないでしょうから、尊さんが稼いだお金はそのまま残して頂きたいと申し上げたのです」
「もし嫌だと言ったら、手続きはしないつもりですか」
「そんな事はしたくありません。しかし私にも私の人生があります。尊さんを失うなんて考えたくもありません。今日目を覚まし、こっちが心配していたなんて全く分からず、元気に話しだすのではないか。そう毎日毎日願い、期待しながら病室に来ています。それでも時々不安になります。このまま意識が戻らなかったらどうしよう。不吉な想像はしないようにと思いましたが、一年半も経てば最悪の事態を考えてしまいます。それは悪い事でしょうか。皆さんは一度たりとも考えた事はありませんか」
 四人は沈黙していた。容態が安定したと聞かされた当初とは事情が変わっている。このまま命を落とす可能性を考えていたから、厄介な事態になる前に名義変更をしようと持ち掛ける為、四人雁首を揃え初めて病室に顔を出したはずだ。
「席を外して少し冷静になりましょう。どうですか」
 亜紀は他の三人を見渡しながら言った。どうやら一度話し合いを持つ為、外へ出ようとしているらしい。その意図に気付いただろう兄は頷いていた。
「そうだな。父さん達もちょっと外の空気を吸いにいかないか。色々確認しなければいけないこともあるだろう」
 母達も理解したらしい。
「そうね。ちょっと外の待合室にでも行きましょうか」
「ああ、分かった」
「ではしばらく私達は席を外しますけど、いいかしら、志穂さん」
「はい。どうそごゆっくり。私はまだ病室にいますので、話の続きはご都合の良い時にまた声をかけて下さい」
 病室から早く出ていけと追い払うように、そう言って立ち上がり頭を下げた。その為四人共が眉を顰めて席を立ち、足早に外へと向かった。
 尊はその様子を見て迷ったが、志穂の頭を漂っているより父達がどんな話をし、どういった結論を出すか聞きたいと考え、彼らについていった。
 四人は廊下を出て、しばらく歩いた所の休憩兼待合所に入って行く。そこの一番奥に置かれたテーブルを確保し、椅子に腰かけた。それから亜紀が各自何を飲みたいかを聞き、近くにあった自販機で購入し戻り、机の上に配ってから話し始めた。
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