パンドラは二度闇に眠る

しまおか

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美樹とシンの交流~④

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 駒亭では工事が無事終了し、かつて入居していた部屋も綺麗になった。しかしそこには別の下宿屋から転居してきたM大教育学部一年生の手森茜てもりあかねが入った。夕食事に茜が名乗り紹介されたけれど、第一印象は想像していたようなやんちゃ娘には見えなかった。
 聞いていたエピソードとは違って見た目は大人しそうで聡明、どちらかというと好印象な女子だった。もちろん女将の手前、猫を被っているだけかもしれないし、ちょっと会っただけで本質が判る訳でもない。それでも意外だと感じていた。
 しかし問題なのは彼女では無くその後の生活だ。駒亭ではなるべく他の子達と時間が被らないように食事をしていたが、それでも顔を合わせてしまう時がある。そんな時、美樹を見る目が以前いた頃とは全く異なり始めたのだ。そう気づいた時、過去の嫌な事件後のことを思い出させ、とても苦痛を感じるようになった。
 全員が全員では無い。M大に通っている加宮や通いの小杉などは以前と変わりなく普通だったが、態度が変化しだしたのは若竹学園の生徒達だ。釜田や石川、白谷や通いで来ている五十嵐までが、美樹を見かけると完全に無視をしたり、他の子とこそこそ悪口らしき話を喋ったりするようになった。
 唯一変わらなかったのはシンだけだ。彼とは部で一緒になって以前より接点は増えたが、特に関係が深まった訳でもない。問いかければ話すが、彼もまた人との距離を考え安易に近づかないタイプだ。その為よく知らなかった頃のシンと今の彼の態度は、特に関心を持たないという点で驚くほど同じだった。
 学園の生徒達の見る目が変わった原因は分かっている。井畑にいた頃の問題が学園の一部で噂となり広がったからだ。
 美樹が陸上部を辞めてからも、南達や井畑高校の生徒達の監視は続けていた。そこで一度は治まったかに思えた件が、意外な形で再燃したのだ。
 井畑中等部三年の生徒だった西木晶にしきあきらの自殺を、当時の学校は騒ぎを大きくしないよう、隠蔽とも取れる行為を取った。もちろんそれに加担した美樹も同罪だが、これは井畑中等部だけの問題では無く、閉ざされた田舎町全体の問題だったのだ。
 自殺の原因は、同じ学年の生徒(主犯格を仮にAと呼ぶ)他三名による苛めだと当初から噂になっていた。しかしAが井畑では大地主の子だったこともあり、責任の追及はされずに済んだ。亡くなった晶の親戚達がAの親族が営む会社に雇われていたり、その会社と親しい有力者の元で働いていたりしたからだった。
 さらにその家は和多津家と深い親戚関係である田口家とも縁戚関係にあった為、晶と最も親しくしていた美樹さえも沈黙せざるをえなかった。また井畑の経済を支えているのは今やそのAの家と田口家だと、周辺からは崇め奉られていたからでもある。その上亡くなった晶の母親は田口家が経営するミカン工場で働いていた。
 美樹の叔母の久代は田口家の次男の嫁で、美樹の母は田口家の長女だ。田口家は和多津家、和多津家は田口家というほど親密な関係である。しかし井畑での力関係は今や田口家が和多津家を飲みこむ程大きく、その差は明らかだった。
 和多津家に生まれた子供二人の内、長男の一は農家を継がず市役所に勤務し、長女の久代は田口家の次男に嫁入りして農家の手伝いをしている。現在は規模を大きくして集約した方が効率は良いと一や祖父の忠雄も同意して、両家は今や一つの企業体として稼働していた。後継者のいない和多津の土地は、このままいけばやがて田口家に吸収されるだろう。
 そんな関係性の中、一従業員の娘が自殺したせいで井畑の屋台骨が揺らぐ訳にはいかない。そうした大きく陰湿な力が働いたのは当然の流れだった。裏では多額のお金が動いたと噂されたが、晶の親はそれを受けとって沈黙したらしい。
 晶には父親がいない代わりに、まだ幼い弟や妹がいた。一番下の妹は当時まだ小学校に上がったばかりで、今後井畑で生きていくには仕方がなかったのだろう。
 そんな現実に嫌気がさし、自分にも責任の一端があることを思い悩んだ美樹は心を病んだ。中三の三学期を最後に学校へ行けなくなり、部屋に引き籠った。そして一年を経て若竹に逃げた美樹を恨むA他三名達が嫌がらせしようと企んだのが、南達を使った計画だ。
 それが失敗に終わってからも、何か試みようとした形跡はあったという。しかし騒ぎが大きくなれば自分達の首を絞めかねないため、結局諦めたらしい。だがA達もまた狭く閉鎖された場所から逃げ出したかったはずだ。しかし井畑という田舎がそれを許さなかった。
 A達を縛り続けることで沈黙は保たれ、何事も無かったことにできると周囲の大人達が信じたからだ。だからこそ、その輪から外れて逃げた美樹をA達は羨み妬んだのだろう。
 では何故一年以上封印されていた情報が、今になって外に出たのか。広まった噂は、井畑の生徒が自殺していて、それに美樹が関わっているというものだった。出所はSNSらしいが、A達の周辺からではないらしい。それは監視を続けていた学園側と契約している業者もしっかりと確認したようだ。
 この件に関してはA達の名が出なければいいという問題では済まない。井畑の町は晶の死自体を話題にしたくないはずだ。しかし何故か情報が拡散され、しかもA達の名では無く美樹の名が付帯されて流布された。
 さらにその噂は何故か学園の中だけに限定されている。週刊誌等に書かれた訳ではない。だから駒亭のM大生達は関知せず、学園の生徒達だけが反応したのだ。
 確かな証拠が流れた訳では無い。ただ井畑中学で生徒が自殺し、その件に美樹が関係しているらしいというだけの噂だった。しかしこういうものは真相等関係ない。あの女が何かしでかしたに違いないという憶測だけで十分なのだ。噂が更なる憶測を呼んで尾ひれがつき、結果避けられ疎まれだした。
「気にしなくていいよ」
 女将にも話は既に入ってきていたようで、そう慰めてくれた。
「一時的に流れた噂だからすぐ消える。もちろん出所や広がりの監視は続けるが」
 定岡も励ましてくれた。意外だったのは、ぼそっと呟いたシンだ。
「馬鹿が騒いでいるだけだよ」
 他人に関心が無いと思っていたが、それなりに気にしてくれていたようだ。それが無性に嬉しかった。もちろん彼に恋心を抱くはずもなく、学園ドラマのようにときめきも起こるはずは無い。それでも味方がいると思えただけで、頼もしく感じられたのだ。
 彼は普段通り噂そのものに関心がないだけかもしれないが、六年制ということも影響していたらしい。定岡によると何故か三年制の一部の子達が使う学園内のSNSに、突如その話題が飛び込み拡散したようだ。
 最初の書き込みはすぐに削除された為、広がりも一部の生徒間だけで止まったらしい。よって三年制でも二年や三年は美樹の存在すら知らない生徒が多いので、騒がれることはなかった。逆に言えば美樹を知る人達の間だけで広まり、淀んだ悪意は限られた空間にだけしつこく漂い続けていたのだ。
 情報の拡散は止められても、心の中のものまでは消せない。学園に来てからは特に人との接触を必要最小限に留め、目立つ行動は極力避けてきた。それでも美樹を疎んじる生徒達を無くすことはできなかったようだ。何をした訳でもないが、少なくとも駒亭に住む生徒達にとって疎んじられる存在だったのだろうと思い知らされた。
 女将は美樹の肩を持つのではなく、食事中に人の悪口を言うな、一生懸命食事を作った人に対して失礼だと教育的な方法で生徒達の行動をたしなめた。そのおかげもあり、また当初から他の人との接触を避けていたから、駒亭では話題に上らなくなった。
 時期も幸いした。出始めは期末前の準備期間中だったからだ。テストが終わりやがて夏休みに入ると、生徒同士の交流は部活動等に限られる。駒亭の下宿生もそれぞれの用事で部屋にいないことが多く、お盆もいるのはだいたいシンだけらしい。彼には帰省しづらい事情があるからだが、今年は美樹も噂の件もあって井畑には帰り難い為、休み期間中はこちらにいようと決めていた。  
 それを聞いた女将は喜んだ。シンが独りぼっちにならないからだという。そんなこともあり、休みに入ってしばらくしたある日、朝食時に駒亭でばったり会った彼に聞いてみた。
「休みの間はどうしているの。部活は基本的に休み、というか自由参加でしょ」
 顧問の定岡は、土日とお盆以外は基本的に出勤しているという。だから夏休みに入っても時々シンは登校し、部に出入りしていることは知っていた。
 部活が自由参加なのも大学のサークルのようで変わっている。参加したい人は定岡の許可を得てPC等の設備がある特別室の鍵を借りて入り、色々な研究や作業をするのだ。
 学校の教師は生徒が夏休みでも仕事があり、世間が思う以上に忙しく働いている。新学期に備えて年度当初に決めたカリキュラムを授業の進み具合によって修正したり、学校行事に備えての事前準備をしたりするのだ。さらに教育委員会などが開催する色々な講習、研修会への参加や時には出張すらあった。
 そのため定岡が仕事で学園にいない場合もあるので、生徒は顧問宛てにメールで事前確認してから鍵を借り、特別室を使用している。時には学内にいた定岡が時折ふらりと教室に立ち寄ることもあった。生徒達の様子を見て質問などを受け付けたり、作業の手伝いをしたりして、また教室を出ていくのだ。
 溜まったデスクワークをこなすために職員室へ戻るのだろうが、やはり部の責任者なので問題が起こっていないか、時々は確認しなければならないらしい。その為補助を頼まれていた美樹は、休みに入ってからも部が活動している間はなるべく特別室へ行くようにしていた。
 そんな中でシンは作業に没頭する時は脇目も振らず黙々とキーボードを叩き、そうかと思うと休憩とばかりに部屋から出て、外で何か買っては飲んだり食べたりしていた。
 ちなみに休み期間中は駒亭で朝晩の食事が用意されているが、昼の弁当はない。食べたい場合は弁当を購入するか、コンビニやスーパーで買うか外食するかしかないのだ。もちろん購買部は休みで、ロビーには飲み物を中心とした自動販売機以外無い。シンは駒亭の食堂で他のお客さんに交じって食べることも多いという。
 毎日学園へ通っているわけでもない。時には私服でどこかに出かけたりもしていた。何か特別なバイトをしているとは聞いていない。そんなことをしなくても彼の場合、経済的には問題ないはずだ。
 その為何をしているのかが疑問になり尋ねてみたが、彼は素気なく答えた。
「別に。たいしたことなんかしてないよ」
 彼は普段授業がある時も、放課後必ずIT部にいる訳でもなかった。定岡主任によると部に寄らずそのまま帰宅する事もあるという。本人が話したくないなら、美樹もわざわざ首を突っ込みたくはない。自分自身がそうだから、興味があるからといって嫌がることを尋ねるのはおかしいと思い直し、それ以上聞くことを止めた。
 その為朝食を食べ終えた美樹は食器を片づけ始めた。食堂の奥では“夏休みって誰?”とでも言いそうな顔で、女将達がいつも通り忙しく働いている。下宿生達が数人減っても仕事にはさほど影響しないようだ。学園に出す分も無いが、駒亭のお弁当の需要は思った以上にあるらしい。
 食器を軽く水で流しながら考えていたら、人の気配がした瞬間に話しかけられた。
「ボランティアでこの街にいるお爺ちゃんやお婆ちゃんの家を回って、パソコンの動かし方を教えたり故障したりしてないか見てまわったりしています」
 声がした方を思わず振り返ると、横でシンが驚いた顔をしている。
「何? 急に」
「さっき聞かれた事を答えただけです。そんな顔されてもこっちが困ります」
 彼はそう言って怒った顔のまま、横の流し台で皿の汚れを水ですすぎ始めた。不意を突かれた為、思わず険しい表情で彼を見ていたらしい。
「ごめん。ちょっと他の事を考えていたから驚いただけ。へぇ、そう。ボランティアね」
 慌てて取り繕うように言い訳すると、今度は突っかかってきた。
「へぇ、ボランティアねって何ですか。もしかして馬鹿にしています?」
 彼との会話に慣れておらず、間が悪いのかどうも話が上手く回らない。
「馬鹿になんてしない。ボランティアでしょ。すごいなって思う。その前に話しかけられて驚いたから、変な受け答えになっただけ。気を悪くしたならごめんなさい」
 頭を下げると今度は彼が恐縮し、怒っていた顔が別の意味で真っ赤になり慌てだした。
「あ、そうですよね。急に後ろから声かけて話し出したら、そりゃ驚くか。すみません」
 最後の方は独り言のようにぼそぼそと喋り、彼もまた頭を下げた。その様子が面白かったので、思わず笑ってしまった。まずい、彼が謝っているのに笑うなんて、と今度は美樹が慌ててまた頭を下げる。
「いや、違う、これは、その、ごめん」
「ぶっ!」
 突然頭上で破裂音がし、驚いて顔を上げると美樹の様子が可笑しかったようで笑っている彼がいた。さっきの音は思わず噴き出したものらしい。今度は顔を見合せ笑った。ワハハ、何だよ、ハハハ、何よ、なんて言っていたら奥から女将が顔を出した。
「何しているの。朝の忙しい時にいつまでもじゃれてないで、さっさと片付けなさい」
 口では注意していたが彼女の目が笑っていて眼差しが優しかった。この時の会話がきっかけで、彼とは顔を合わせれば話をするようになった。
 朝晩の食堂で会った時や部活中等は他愛もない事を喋っていたが、回数が増える間に互いの心の核に近づくような話題もするようになっていた。
 女将や定岡からそれなりに彼の家庭事情を聞かされてはいたが、本人の口から話される実情には言葉を失うことが多々あった。余りにも美樹を取り巻く家庭環境とはかけ離れていたからである。
 父子二人きりになるまでの彼の周りに起こった出来事は到底理解できるものでは無く、想像すら超えていた。美樹には兄も両親もいて、両親双方の祖父母もまだ健在だ。叔父や叔母やいとこ達も大勢いる。実家を離れてもなお近くには、母方の実家である三田家があり、そこにも仲の良い親戚がいた。そんな環境が当たり前だと思っていたのだ。
 それなのに、今の彼には血が繋がって頼れる身内は病気がちの父しかいない。母方の親戚との付き合いは、離婚した彼の母が自殺してから完全に切れたようだ。経済的には恵まれているが、周りは他人しかいない。
 もちろん女将や大将、定岡や彼の父の同級生である弁護士等親身になって味方をしてくれる人は少なくないようだが、所詮は他人だ。
「だから自分の身は自分で守れるようにしないとね。早く自立した大人になりたいんだ」
 まだ高一の彼がそう言うのだ。もちろん美樹だって彼には無い苦しみを経験している。晶を失ったことで身近な人の死による喪失感を味わった。それでも比べ物にならないほど、彼の周りで起こったことは壮絶で、近しい人が短期間の間に亡くなっている。
 その絶望感を想像してみた。両親が離婚し母が自殺、祖父母が死んで兄もいなく父が病に倒れたなら、和多津家に残された美樹は間違いなく田口家から疎んじられ、彼らの邪魔になるだろう。考えるとぞっとする。いやそんな空想で理解できるレベルでは無かった。
 もし彼と同じ境遇だったら、自分は生きていられるだろうか。いくら手元にお金があっても無理かも知れない。どれだけ考えても美樹の想像力ではその結論以外出なかった。それだけ周りにいる人達が大事か良く判る。それ以上に自分がどれだけ守られ、その庇護の元から抜け出せるほど強くない存在だと思い知らされた。それでも彼は言う。
「お金さえあれば、親は無くても子は育つよ。僕の父がそうだったし、今もそう言っているから。ただ数人の信頼できる人は必要だとも言うけど。父にとってそれが養父母だったと思う。僕には駒亭の女将と大将、他にも若干名いるから生活出来るのだけど」
 自分より年下の彼がさらりと言いのける。本当にそうなのか。自分ならどうだろう。情けないがそう言い切れる自信は全く無かった。
「あと自殺は駄目だよ。病死だって人間だからと頭では分かっていても、突然だったら残された人は死ぬほど辛い。それなのに自分から死ぬなんて無責任だ。悲しむ人の事なんて全く考えちゃいない。そう考える余裕や考えてもいないから自殺なんてできるのだろうけど。でもどんな理由があれ、許されるものじゃないよ」
 大切な人を若くして何人も亡くなる瞬間を目の前にしてきたからこその想いだろう。彼の大切な人達は、自分の為でなく幼い子供を残してまだ死ねない、守らなくてはいけない、少しでも長く生きたいと強く願いながらも、死から逃れられなかった人達が多い。
 その中で自殺した母への憎しみ、または恨みや怒りとも取れる彼の言葉はとても重かった。母親が自殺したきっかけは、元夫が過労と心労により入院したのは、彼と息子を見捨てた自分の責任だと思い込んだからだいう。
 しかしその結果、シンや彼の父をさらに傷つけることとなったのだ。
「晶という生徒に何があったのかはよく知らないよ。でもどんな理由があれ自殺するべきでは無かった。だってそうじゃない。そのせいでその親御さんや和多津さんのように、残された人達は未だに苦しんでいるのだから」
 彼は学園内に広まった噂を思っていた以上に詳しく知っていた。一年と少し前に西木晶が自宅の裏山にある木の枝にロープをかけ、首を吊って自殺したニュース自体は、彼もネットで見た覚えがあるという。記事の第一報では苛めを苦に自殺か、とされたがその後井畑中学側は苛めの事実はないと否定。その為苛めていた生徒が特定されることもなく、さらに自殺した生徒の親さえ沈黙したたので、騒ぎは終息したのだ。
 その理由は美樹も良く知っている。晶とはとても親しいと言う言葉では表わせない間柄だったため、晶の母親とも交流があった。母子家庭で下に小学五年の弟と小学一年の妹がいたこともあり、母親がこれ以上騒がないでくれとマスコミや学校側に申し入れたのだ。
 丁度その頃M県北部で起きた、未成年の女性が夜の空き地で何者かに殺害される事件が全国的なニュースになった。その後犯人は見知らぬ未成年の男子だったことが大きな話題となり、南部の田舎町で自殺した中学生の話など世間から完全に忘れ去られたのだ。
 晶の事件後、担任を始め数人の生徒が学校へ通えなくなった。それでも地元以外では話題にもならない。
 ただ狭い世界なため、苛めの首謀者は地元の権力者の子、Aだと誰もが知っていた。晶の母親が金で口を噤まされたことも公然の秘密だ。その背景をよく知る美樹は余計に苦しみ、自分を責めた。晶を助けられず、無念を果たせないことに悩んだ。
 学園で噂になった件はその後動きが無かった。監視している人達によると、出所はA達ではないと言うが、彼女達の仕業に違いないと思っていた。確かに井畑の大人達は騒ぎたくないだろう。そんな状況からA達は逃れたいはずで、悪あがきなのかうっ憤を晴らしたいと思っているはずだ。それだけ苦しんでいるのかもしれない。
 だがシンは言う。驚いたことに彼もまた定岡の手伝いで監視業務に携わったことがあり、この件は良く知っているという。だから彼は実名で把握していた。しかもA達と接する人のあらゆるIPアドレスを把握しており、動きがあればすぐ判る状態らしい。
「少なくともしばらくは以前あったような動き以上のことはないと思うよ。あの生徒達も相当なジレンマに陥っているようだから。言いたいけど言えない。逃げたいけど逃げられない。この苦しみを判って欲しいと、苛めていた仲間内では盛んにやり取りして憂さを晴らしているようだけど、堂々巡りして結局何もできないという結論に至っているから」
 以前の動きは井畑でも把握され、A達は相当大人達に絞られたようだ。その為大人しくせざるを得ないという。そこまで把握している為、しばらくは大丈夫らしい。
「でもまだ高二の、情緒不安定な子達だからね。何をしてもおかしく無いという意味では、爆弾を抱えているようなものだから、向こうも手を焼いているみたい。その分こっちも監視に手を抜けないから厄介だけど」
「今さらだけどよくそんな情報まで把握できるよね。監視ってそこまで判っちゃうの?」
 素朴な質問をぶつけてみると、彼に鼻で笑われた。
「個人情報なんて一度掴んで仕掛ければ、後は向こうから流れてくる。でもそれを他に垂れ流して悪用すれば犯罪だけど、黙っておけば表向きは犯罪にならない。井畑の大人達が自殺の件を黙殺しているみたいにね」
 ITのことにはまだ疎いが、かなり危険な域にまで彼達は手を出している気配を感じたが、知らない方がいいと黙っておいた。自分にも関わっていて、それ以上踏み込まないでという言外の圧が彼から感じ取れたからだ。そうして互いに共有する秘密を持つ仲間意識からなのか、夏休み期間中に美樹とシンとの心の距離は近づいていった。
 といっても年下の男子に興味はなく、間違っても異性関係として発展することなど無い。
 あくまで他人と距離を置いて心に鍵を掛けている二人が、お互い傷を持つからこそ判りあえることだ。少しばかりその固い扉を開いて気持ちが通い始めた、という程度であった。
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