パンドラは二度闇に眠る

しまおか

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告白と告発~②

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 これにはそれまで黙っていた教師達、特に学園長などの上層部に一瞬動揺が走る。すかさず質問に答えた。
「私が採用試験の面接を受けた際、担当していた女生徒と付き合いその生徒が自殺した事実は伝えています。ただ井畑全体で隠蔽していた影響で、自殺の原因が苛めとは発表されていません。ですから進路に悩んでいたとの誤った憶測を否定できず、私との交際が原因だったとは説明しませんでした。できなかったのです。私は彼女の死を悲しみ担任として自殺を止められなかった責任を痛感し、井畑中学を辞めたことだけを伝え、真実の一部を隠して採用されました。ですから私の採用自体が間違いで学園に非があるとのご指摘があるならそれは誤解です。あくまで学園は同性愛者を差別することなく、過去の過ちを悔いている私に今後そのようなことがないよう諭された上で、手を差し伸べてくださったのです。ですから学園の方へ全てを告白しなかった私に全て非があり、学園を去る理由の一つでもあります。この場をお借りし、改めてお詫び申し上げます」
 そこでまた何度も頭を下げて謝罪した。
「悪いのは学園じゃないのですね。和多津さんは真実を隠して採用されたのですから。でもその嘘をつかせたのは井畑の人達ですよね。和多津さんにも責任はあるかもしれませんが、責められるべきは本当の自殺の意味を隠した井畑の学校や周囲の大人達じゃないですか。そんなことは許されないと思います。和多津さんはそのことをどう思っていますか?」
 彼の発言により事の成り行きを静かに聞いていた生徒達の、学園を責める空気が立ち消えた分、怒りの矛先は井畑へ向けられた。その証拠にそれまで黙っていた周りの生徒達が一気に喋り出し、そうだ、そうだ、悪いのは井畑の教師や教育委員会じゃないか、苛めた生徒達やその周りの大人達じゃないかと賛同し始め、怒号が飛び交い始めたのだ。
 おそらく似た苛めに苦しんで学園に来た生徒達自身の声でもあり、複雑な家庭を持った方々とボランティア活動を通じ、心を通わせた彼らによる抗議の声でもあったのだろう。体育館の中は静けさから一気に騒然としたものへと変わった。
 しかしこれだけ騒ぎが大きくなると、さすがの教師達も黙っては見過ごせない。
「静かにしなさい。君達がここで声を上げる気持ちは判るが、冷静になりなさい」
 マイクを持った真壁が大きな声で注意をしたが、当然それだけでは治まらなかった。
「ではどこで声を上げればいいのですか。学園として和多津さんの告白を元に、井畑中学や井畑の教育委員会に抗議でもしてくれますか。苛めを主導した生徒やその親に抗議をしてくれますか。隠蔽に関わった人達に対して学園は何もしないのですか」
「学園は日頃から差別をしない、多様な人々がいることをまず認めなさいと教えていますが、それは嘘だったのですか。それとも自殺に追いやる苛めや、それを隠そうとした大人達のことも容認しろというのですか」
 日頃から問題意識を持ち続けている生徒達が、一斉となって教師達にその答えを迫る。様々な声が上がる中、答えに窮した真壁や学園長達に代わって、美樹がその騒ぎを抑え、今後の対応について答えた。
「少し静かにしてください。皆さんがお怒りになるのは最もだと思います。ですから私が今まで話した内容を含めこの場の様子は全て動画で撮影しており、SNSを通じて今まさにライブ発信をしております。ですから学園の方々が動くまでもなく、この動画を視聴したマスコミや世論が先に、自殺した西木晶に関する真実を明らかにしてくれるでしょう。それが嘘でないことは後ろを見ていただければ判ります。今まさにあの体育教官室から放送してくれているのです。信じられなければ、手元にあるスマホなどから検索して下さい。そうすれば今私の言ったことが、本当であると判るはずです」
 そう告げた瞬間皆が驚愕の声を上げ再び騒ぎ出した。多くが背後の上部を見上げる。また複数の生徒達がスマホを取り出して検索し、実際に放送されている映像を見つけたのであろう、嬌声があちこちから上がった。
 再び騒然とし出した体育館の中で発せられる雑多な声に負けないよう、マイクを持った手を強く握り直して大声で叫んだ。
「安心して下さい。西木晶の母親や子供達には今後騒ぎになることを事前に知らせ、既に安全な場所へ避難してもらっています。また私の告白を了承して頂いた上で、彼女が残した遺書を託してくれました。二通あります。一通は苛めに関して書かれ、内容は井畑中学の教師達も教育委員会の人達も知っているものです。それをここで改めて読み上げます」
 美樹の重大な発言を理解した生徒達は一斉に静まり、内容を聞こうと耳を澄ませた。そこで懐から封筒を取り出して中身を読み上げる。その様子を体育教官室からじっとガラス越しで撮影し、マイクを通して流れる音声を配信している男が壇上からも見えた。途中で気付いたが、撮影していたのは定岡だった。
 ゆっくりとしっかり皆に聞こえるよう、声を張って晶の書き残した一通目の遺書を読み上げた。そこには苛めた生徒達の名と、暴行や恐喝を含めた内容が詳細に記されている。この遺書は彼女が首を吊った木の根元で発見され、警察を始めとした関係者全員が目を通した内容だ。美樹自身もそのコピーを見せられた為良く知っている。
 読み上げる間、体育館ではすすり泣く生徒達も出てきた。何度も内容を読み返した美樹でさえ涙が溢れそうになる。晶の無念さ、悔しさ、怒りがそこに凝縮されていた。一通目を読み終わった後、ほとんどの人がその存在すら知らない二通目の遺書があることを告げ、続けてその内容を読み上げる。
 それは美樹に宛てた物だ。自宅の机の上に置かれていたのを晶の母が見つけ、当時内容を読んだ彼女は決して外に漏らしてはいけないと考えたらしい。警察を含めしばらくの間誰にも見せず隠し持っていたのだ。
 しかし美樹が若竹学園に採用され井畑から出ると聞いた彼女は、その時こっそりと渡してくれた。その内容は、美樹と晶が付き合っていることが周辺に知れ渡ってから、町の有力者達が母親に対してだけでなくあらゆる手を使って圧力をかけてきたことへの恨みも書かれていた。だが主として美樹に対する真摯な思いが綴られていたのである。
 そこには二人の想いがこの町で成就することなど決して無い虚しいものだと嘆いていた。また美樹が表だって苛めを止められず苦しんでいる姿を見ることが辛い、だから自分が受けている苛めの苦しさから逃れる為、そして美樹を解放するためにも死を選ぶと書かれていたのである。
 最後には美樹に対する感謝と、井畑の町から早く出て同性愛が迫害されず否定されない環境で、新たな恋の相手を見つけて欲しいという願いで締め括られていた。初めてそれを読んだ時、美樹は号泣した。彼女に詫び、感謝し、そして今後は決して彼女以外の相手と恋をすることはしないと強く決心したことを覚えている。
 これだけ自分のことを想ってくれた相手に出会うことは今後無いだろう。それに彼女は望んでいると書き残したが、本音は違っていたのではないかとの思いが頭から消えない。だから他の人を愛することなど、美樹にはできないと思った。
 守ることのできなかった私への抗議を含めた自殺だと先程は告げたが、正しい解釈ではないかもしれない。ただそれは美樹自身が自戒の意味を込めて述べた言葉だ。
 二通目を読み終わった後、初めてこの遺書を読んだ時そう思い、今もその考えは変わらないという感想を付け加えた。すると体育館中には悲哀や同情といった類の空気に加え、怒りや憎しみなどの強い感情が複雑な渦を描いていた。しかしこれが終わりでは無い。
 一通目の遺書を読み上げようとする直前、定岡から合図があったことを見落とさなかった。あれは別の計画が成功し、美樹の演説と同時に世界中へ配信される準備が整ったとの知らせだ。
 マイクを握り直すと、目の前の生徒達にだけではなく配信動画を見ている人達へ向けてのメッセージとして発言を続けた。
「今回私がここで隠し続けた真実を告白しようと決心したのには、もう一つ大きな理由があります。それは現在私の実家があり晶が自殺した井畑の地で、別の計画が秘密裏に進行中であると知ったためです。その計画を成功させる為に噂を学園に広め、私を精神的に追い詰め真実を隠し続けるだろうことを利用し、和多津家の持つ山を売却させ、手に入れようとしている人達の存在を知ったからです」
 そう叫ぶと、なんだ、これはと再び騒ぎだした。おそらくスマホで配信されている映像を見ていた人達だろう。定岡による合図で、打ち合わせ通り美樹が壇上に立ち話す姿を配信している画面が二分割され、そこに別の映像が流れ出したことを理解した。
おそらく井畑計画を潰す為に必要な決定的証拠を掴んだ映像が流れているはずだ。その事を想像しながら説明をしだした。
「私が話をしている姿を流している映像画面には、その裏の計画がどのようなものかを掴んだ映像も、同時に映し出されているはずです。映像を見ていない人や、見ていてもその計画とは一体なんなのかが判らない人達のために私から説明しましょう」
 一旦息を整え、もう一度定岡の姿を確認した。ここからの段取りは様々なケースを想定していたため、この流れでいいか不安になったからだ。しかし彼からはそのまま続けて、という合図が送られたので強く頷き、そのまま計画の中身を話した。
 そんな悪巧みを進める材料の一つとして、晶の死と自分自身の隠してきた人格までもが利用されたことに怒りを覚えたことを告げて話を締めくくる。最終確認のため定岡に目を向けると、OKの合図が出ていたたためそこでマイクから離れた。
 体育館ではまだ騒ぎは収まっていなかったが頭を下げてその場を離れ、スマホから流れる動画をじっと眺めつづけている真壁に近づいた。彼も画面の片方に映っていた美樹の姿が消えて近づいてくる気配を感じたのか、顔を上げてこちらを向いている。苦り切った表情を浮かべて何か言おうとしたので、先に深く頭を下げて謝罪した。
「あれだけ親身になって頂き、私が最後の挨拶をする段取りの為に骨を折っていただいたのに、このような騙す形で勝手なことをしてしまい、大変申し訳ございません」
 なかなか顔を上げない態度に業を煮やしたのか、彼の大きな溜息が頭の上で聞こえ叱責された。
「馬鹿なことをしてくれたね。終業式をなんだと思っている。あとで学園長室まで来なさい。学園としてのけじめが残っています。いいですね」
 そう言って視線を移し口にマイクを充て、全校生徒に向かい大声で怒鳴った。
「これで本日の終業式を終わります! 各自私語を慎んで、静かに教室へ戻りなさい。各クラスの担任教師の指示に従い、順番に各自の教室へと移動すること。そこ、静かにしなさい!」
 真壁部長が壇上で睨みを利かしたため徐々に騒ぎは収まり、出入口近くにいたクラスから順番に並び、体育館から生徒達が去って行く。舞台袖から早坂の後に続いて出ていく一年五組の生徒達の姿をじっと眺めた。副担任を務めていた自分があの子達の後ろ姿を見ることはこれで最後だ。
 これまで中間、期末といったテストでは、試験管理官の一人として教室の後ろから彼らを見守ってきたがもうその機会は無い。そう思うと切ない気持ちで胸が痛んだ。ほんの数カ月しか生徒達と触れ合うことができず、学園に来て混乱だけを残し去ることを、今更ながらに申し訳なく思う。
 全生徒を見送った後、先程ほど入ってきた出入口から他の生徒達と顔を合わさないよう廊下に出て、まず自分の席がある職員室へと向かった。すでに早坂達の手を借りて大方の片づけは済ませている。僅かに残る私物を持った後は言われた通り学園長室を訪ねればいい。最初から最後の手続きと挨拶をする為、行く予定になっていたからだ。
 だが学園側からは当初とは全く異なった理由で話があるだろう。そう考えるだけで気分は重くなったが、それでも自分が果たした役割の大きさに満足していた。告白についての後悔は無く、正直胸がすく思いをしていたからである。


 動画を視聴していた人々の動きは素早かった。西木晶の件を学校側と教育委員会に加え、町ぐるみで隠蔽したのは事実かを検証しようと、マスコミが井畑へ押し寄せた。また隠れていた彼女の母が取材陣の前で美樹の言葉に間違いないと証言した為、観念したのだろう。校長や教育委員長は謝罪会見を行った。
 警察や文科省や自治体も動いて検証が改めて行われ、やがて校長を含めた教師や教育委員会の上層部数人が辞任した。井畑計画については、地元住人が低放射能汚染土を許可なしで秘密裏に埋め立てるなど健康被害の可能性を無視した人権侵害だと騒ぎたて、提訴された。
 結果計画に関わっていた県知事や市長は辞職し、検察が動き経産省や国交省の官僚も遠藤を筆頭に相当数の官僚が責任を問われた。当然畠家にいた電力会社や鉄道会社のトップはもちろん、関係した業者達は全て利益相反、背任、贈収賄の罪などに問われ、畠家雅臣及び田口家のほとんどが逮捕されたのだ。
 また晶を自殺に追いやった女生徒達も少年院送致となりその両親も逮捕されるなど、和多津家を除いた井畑の名家や政治家と懇意にしていた者達は、軒並み様々な罪に問われたのである。
 ただ小さな町で一気に有力者達が姿を消したことで政治や経済は混乱した。そこで新たな有力者として担ぎあげられた筆頭が和多津家の面々である。やがて忠雄は辞任した市長の代わりとして祭りあげられもした。
 しかし彼が固辞したことで、次に息子の一が担ぎ出された。ただ彼も辞退し別の人を後押しした結果、当選した市長から副市長に任命されたのである。また実も井畑計画に関わって辞任した市議会議員の代わりに押され、当選したのだ。 
 その間忠雄は田口家に代わって関連企業を運営し、町の人々の雇用を維持することで町民の期待に応えていた。運営には美代や美智子も右腕として懸命に尽力したという。田口家の山や会社等を買収するお金は、豊富な資金を持つ修二とその同級生達の声かけで、経済的に余裕のある若竹学園のOB達による多額のファンドで賄った。
 さらに田口家にはもう一人、畠家の広間に集まった面々を撮影した聡がいた。彼があのような行動を取った理由は大きく分けて二つある。
 一つは東大を受験していなかったことだ。彼は畠家雅臣から絶大な期待を寄せられ、常に優秀であれとの重圧に苦しんでいた。その為万が一落ちた時のことを考えると恐怖で夜も眠れず、結果プレッシャーに押しつぶされ、受験自体を放棄したらしい。
 そこで合格発表が出る前に雅臣達が受験結果どころの騒ぎでなくなれば、苦しみから解放されると考え計画を実行したようだ。
 もう一つは仁美に誘惑され続け肉体関係を持ち、逆らえなくなっていたことによる。彼女は雅臣の妾の子が産んだ孫として兄と共に虐げられていた。しかし雅臣は正妻の子、佐知子が産んだ聡だけを異常に可愛がっていた為、幼い頃からずっと恨んでいたそうだ。
 そこで聡を利用して将来祖父に復讐しようと考えたのだろう。彼女は彼をコントロールできるようにした後、唯一警戒されずに近づける存在を利用し、様々な場面で雅臣の黒い交際の証拠を掴んでいたらしい。
 やがて井畑計画の存在に気づき、祖父の最後の野望を潰せば、恨みを晴らすことができると思ったようだ。聡の盗撮も受験に失敗すればどれだけ恐ろしいことになるかと時間をかけて刷りこんだ結果である。
 さらにこの計画には兄の雅文、父の貴文、母の弘美、祖母の富士子まで参加していたらしい。雅臣に対して積年の恨みがあった面子である。畠家の家で雅臣以外の全員が計画に反対する動きをしていれば、当然相当な情報が得られる。
 しかし入手できてもどうすればいいかは、素人である彼女達には良い手が浮かばなかった。下手に動けば握り潰され、苦しむことになりかねない。そこで方法を探る中で接触したのが定岡だった。彼は仁美が聡に贈った眼鏡の仕掛けにすぐ気付いたらしい。そこで二人は接触し、雅臣を陥れる計画に協力させたのである。
 定岡が雅臣を裏切った理由は、若竹を守る為だった。雅臣が彼を信用したのは、かつて手掛けた若竹特区のからくりを知る数少ない人物だったからだ。井畑計画は若竹の成功例があったからこそ進められたのである。
 当時の若竹では駒亭で様々な密談がなされ、山を保有する若竹山神社も町を発展させる為止む無く国の方針に従い、その代わり街のあり方を独自に考え、現在の形へと落ち着かせたのだ。
 しかしそこには二重のからくりがあった。当初は国の言う通り廃棄物を受け入れていたが、街づくりが形になるにつれ反発する動きが内部で起こった。けれど今更引き返せない。 
 そこで町が補助金無しでやっていける目処が立ち始めた頃、内情をよく知る面々が集まり考えたのが、廃棄された汚染物の除染だった。掘り出すことは容易で無い為、方法はそれしかなかったのだ。それでも費用は問題とならなかった。
 街が世界的な観光地として認定されたおかげで街づくりが成功し税収も増え、予想以上に潤ったからだという。後は除染の問題だが、お金さえあれば協力する企業は身近にいた。それは電力会社自身だ。
 彼らも除染技術の向上は必須だった。よって若竹が費用を出すなら協力すると言ったのだ。温泉地のように高い放射能値は出るが、治療に効果があると人が集まる場所もある。後戻りできないならせめて人間に危害が及ばない様制御しょうと努力し続けていたのだ。
 しかし国には隠し続ける必要があったため、畠家雅臣達の目を欺きながらやってきた。そんな計画に支障が出始めたのは、東日本大震災が起きたからだ。
 井畑計画が持ち上がり、若竹を成功例としたいと目論んでいたため、国や雅臣は何度も若竹に接触してきた。その一人が定岡である。
 よって国を欺き続ける為雅臣に協力してきた。もちろん若竹の平穏を守るためだ。もし協力せず若竹のからくりが暴かれれば、面倒なことになる。特区の認定が取り消されるだけならまだいいが、若竹の地下は汚染されているとの風評被害が起こればどうなるか。
 観光地としての収入は激減し、誘致した工場も撤退するだろう。そうなればこの地域経済は破たんする。しかもこの地区に救いを求めてきた者達の居場所が無くなり、新たな居場所を探すため出て行かざるを得なくなるだろう。そうなれば取り残されるのは、動けない老人達やどこへも行けない弱者ばかりだ。若竹は廃墟の街と化すに違いない。
 そのことを恐れ、複雑な思いを抱きながらやむなく協力をしていたのだ。そこへ計画を阻止する動きがあることを察知した彼達は警戒した。それが父やシンと正一の存在だ。
 そこで元々計画の進行に消極的だった面々は、彼らに協力しようと考えた。その代わりに、若竹の件は不問とするよう取引したのである。
 正一達は承諾した。そうして学園の終業式を舞台とした告白と告発が行われ、目論見どおりに井畑計画を頓挫させ、若竹を守ったのである。
 美樹は井畑に新たな動きが出始めると、何をすべきかを考え始め結論を出した。それは井畑に戻り祖父母や母達の手助けをすることだった。
 教師は辞めるのかという問いに、美樹は強く頷いた。
「私の性的志向は、まだどこに行っても理解されることは難しい。それに晶を死なせた事実を消すことはできないし、意地を張って教師を続けることが良いことだとも思わないの」
「だからと言って、井畑に戻ることは不安じゃないですか?」
「不安がないと言ったら嘘になる。でも今の私でも必要とされる場所があるなら、それが井畑であっても逃げないことが晶に対する贖罪だと思うの。そう考えれば何があっても、踏ん張ることができると思うから」
 田口家がいない後和多津家が代わりで動いているが、人材不足は否めないらしい。そんな事情を伝え聞いた彼女は自らの体に耳を傾け、足手まといにならず役に立てるほどは回復していると判断し、その旨を祖父母や母に伝えた所、大変喜んでくれたそうだ。
 シンもまた新たな決断を行った。自身も違法な手段による情報収集、盗撮盗聴に力を貸したことは間違いない。しかし罪に問われたのは、定岡と正一の二人だけで済んだ。国も若竹における監視網まで表沙汰にはできなかったのだろう。そこで全てを二人に押し付けたらしい。しかし犯した罪は罪だ。
「責任は大人が取る。シンは大人達に言われてやらされていただけから」
 定岡や正一はそう言った。学園を辞職した定岡は執行猶予が付いた為、今は井畑でネット知識を利用し、ミカン産業を広める仕事をやっているという。正一だけはこれまでの裏仕事も問われ、三年の実刑を受けた。
 シンが出した結論は、高二の三学期末で学園を辞めることだった。受験勉強をするには大事な時期だろうと、周囲の大人達は皆口を揃えて反対したが聞かなかった。
 学園で高三までの勉強を一通り終えたし、名古屋の高校に編入するだけだから受験は大丈夫。自分の事は自分でできる。皆にそう説明したけれど、実はけじめとして学園を離れた方がいいと考えていた。また立花のお爺ちゃんも関係している。
 以前から早く引き取りたい息子さん夫婦に対し、無理を言っていた彼がここにきて体調が再び悪化させ何度か入院したのだ。そこで自分が去れば彼は息子さん夫婦の世話して貰えると考えたという。
 もう一つの大きな理由は父のことだ。二度目の休職期間もそろそろ期限を迎え、それまでに復職できなければ退職を余儀なくされる。その時期がシンの受験が始まる年の冬なのだ。とはいえ例え父が会社を辞めても、大学進学に影響しない程度に経済的な余裕はあった。
 だが問題なのは家で一人、父が名古屋の家に住み続けることは果たしていいことなのか、ということだ。今はもう十分大人であり、父と一緒に生活しながらでも勉強はできる。受験だけを考えれば三食付きの下宿先でいた方が環境は良いかもしれない。
 しかしそれ以上に大切なことがあると思ったのだ。勉強はどこでだってできる。授業なしでも独学でやれる自信はあった。今は通信講座だってネットでの講習だってある。それならば若竹での下宿に固執する理由が無いと気づいたのだ。
 また父と暮らすことで、今の自分なら少しでも父の体調回復の一助となれるとも思った。症状や取り巻く環境は美樹と全く違うが、彼女の体調回復の手助けをしてきた経験が、自信になっていたからだろう。
 必ずしも父を復職させたいとは思っていない。会社は辞めてもいい、いや辞めた方がいいとさえ思っていた。だがそれは父が判断することだ。ただどちらにしても体を大切にしてもらい、回復したその後には別の形で社会復帰できるよう、新たな生きがいを持って貰えばいい。
 シンの固い決意を聞いた父達はやがて説得を諦め、名古屋の家から比較的近い高校への転入手続きを進めてくれた。
 これからだ。まずは大学に無事合格することである。そしてシンが若竹で学んだことを生かし、将来何をするかが問われている。ただ分かっていることは目の前にある、今できること、今しかできないことを一生懸命やることだ。そうすれば自ずと道は開けるだろう。
 シンは美樹や周りの大人達から学んだこのことだけは間違いない、そう信じて前に進もうと心に誓った。(了)
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