偽りの街

しまおか

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第十章 反撃ー1

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 薄っすらと目を開けた徹は、ベッドに入ったままの状態で中川の気配を探っていた。彼が部屋から抜け出し、家の玄関から出て行ったと確認してから体を起こした。
 まずはヒーターに近づく。彼が何をしようとしていたか理解した所で、空気の取り組口に付いていた埃を、ハンドクリーナーで取り除こうとした。だが想像以上の量が、中に放り込まれていると気付く。チッと思わず舌打ちをする。
 その音に驚いたのか、横の布団に寝ていた良子が目を覚まし、声をかけてきた。
「どうしたの?」
「ちょっと出てくる。これで埃を吸い取ってくれ。かなり溜まっているようだ」
 時間がかかると判断し、彼女にそう指示をした。徹は中川の後を追う為、急いでジャンパーの上下を着こむ。素早くスマホや財布と引き出しに置いてあった小型機器を取り出し、ポケットに突っ込んだ。
 外へ出る前に玄関の鍵穴をざっと確認したが、壊された形跡はない。ピッキングで傷つけられた様子もなかった。
「あいつ、合い鍵を作って侵入したな。いつの間にそんな真似を」
 気付かれないよう彼の気配を辿りながら呟いた徹は、心当たりに気付く。
「和美だな」
 先日、久しぶりに呼び出されたのはこの為だったのかと悟った。春香の家の合い鍵を作るよう型を渡したのはどういうつもりかと思ったが、フェイクだったらしい。
 長屋の合い鍵を作る為の型を取り、中川に渡すのが主な目的だったのだろうと納得した。既に彼は数十メートル先を、小走りに遠ざかっていく。見失わないよう、徹は懸命に走った。
 気配を消しながら素早く動くことには、仕事上慣れている。だがまだ若輩者とはいえ、相手はノビを専門とする盗人集団の一員だ。物音を立てず現場を去る速さはさすがだった。
 やがて彼は長屋から、三百メートル程先に停めていた車に近づいていく。しかも乗り込もうとしている姿を見た時は、思わず舌打ちをした。
「やはり車で来ていたか」
 彼が一人で侵入して来た時から、共犯者がいたとしても少し離れた場所に逃走用の車を用意して、待っているだろうと予測していた。だが誰も乗っていないようだ、どうやら彼の単独行動だったらしい。
 とにかくこのまま逃がしてなるものかと、必死に追った。といっても相手に気付かれないよう走るのは、なかなか難しい。車のヘッドは向こう側を向いている。その為バックミラーなどに映らないよう、気をつけなければならない。
 暗闇の中で、ブレーキランプが明るく灯った。エンジンをかけたのだろう。静かな音から、どうやら電気自動車かハイブリッド車らしいと判る。何とか発進するまでに追いつかなければ、と気がいた。
 すっと車が前進を始めた。もう少しだ。車の死角に入りながら距離を縮める。アクセルを強く踏んだのだろう。中川を乗せた車は、真夜中の道で倒れるように手を伸ばした徹の目の前から、一気に走り去った。
 さすがに追いつけない距離まで遠ざかっていく姿を見ながら、息を切らせた徹は道路に横たわった。ふうっと深く息を吐いた所で、後ろから車が近づいて来たことに気付く。
 轢かれては困ると思い、脇に寄った。こんな時間に住宅街を走るなんてどんな奴だと思いつつ、運転手の顔を見ようと目を細めたところで、見覚えのある車と人だと判った。
 その車は徹の目の前で停まり、運転席から良子が顔を出した。
「あなた、どうしたの?」
「追いかけて来たのか。埃は全部吸っただろうな。放って置くと不完全燃焼してしまうぞ」
「大丈夫。防止装置も細工されていたようだったから、直して置いた」
「そうか。良くやった。それにしてもすごい格好だな」
 彼女は急いで来たらしく、寝間着にガウンをひっかけただけの姿だった。乗ってきたのは、徹が使用している車だ。
「だってあなたが心配だったんだもの。一人で侵入者を追いかけて行ったじゃない。何かあったら困ると思ったのよ」
 どうやら彼女も誰かが寝室に忍びこみ、ヒーターに何やら仕掛けたと気づいていたらしい。だがその男が中川だとまでは、知らないようだった。
「逃げられたの? 仲間はいた?」
「一人だったよ。ここに停めてあった車に乗って逃げた。だがギリギリのところで仕掛けが間に合ったから、どこへ行ったか追跡は出来る。寒いからとにかく車の中へ入ろう」
「仕掛け?」
「GPSさ」
 徹は助手席に乗り込みながら説明した。家を出る時咄嗟に持ち出したのは、GPS機能が付いたものだ。それを中川が乗った車の、後部バンパーの下に取り付けたのである。
 こうしておけばスマホのアプリを起動させ、電波がキャッチできる。相手が今どこにいるかを突き止める為だ。
 侵入者が中川だと分かったので、後を付ける必要は無いとも思った。夜が明けてから、彼を呼び出せば済む話だ。惚けようものなら、拷問にかけ吐かせたって良かった。
 街の仲間である彼が集団の頭領の家に、合い鍵を作って忍び込んだだけでも大問題である。しかしそれが一酸化炭素中毒を起こし、事故に見せかけ殺そうとしたとなれば、ただで済むはずがない。
 だからこそ、普通では無い何かが起こっていると感じた。その為徹は直ぐに彼の後を追いかけようと、思い直したのである。何故このような大それた真似をしでかしたのか、時間を置かずにはっきりさせた方が良いと考えたからだ。
「車を出してくれ」
 徹の言葉に従い、良子は車を発進させた。スマホの画面で確認していると、GPSは問題なく作動しているようだ。その後を追うように指示を出す。彼女は言われた通りにハンドルを切り、逃げた車の行き先を追った。
 するとある場所で、点滅していた印が止まった。停車したのか、それともGPSが外れて落ちたのか。最悪なのは、途中で気付かれ外された場合である。
 だがその地点が画面上の地図で、和美の住む家を指していると分かった。そこで気付かれないまま、目的地に着いたのだと胸を撫で下ろす。徹は二人が逢瀬おうせを重ねている事実を把握していたからだ。
 といって良子と二股をかけている徹が、何か言える立場ではない。それに彼女が他の男と浮気をする状況に追い込んだのは、間違いなく自分の責任だ。その為敢えて黙認していたのである。
 目的地に近づいた所で、車と家の灯りが見える場所に停車するよう良子に伝えた。彼女もどうやら気付いたらしい。
「ここって」
「ああ、和美の家だ。侵入して来た中川と和美は、グルだったのだろう。どうやら二人で画策し、俺達を殺そうとしたようだ」
「あれは中川だったの? 何て人達なの! どうするの、あなた。これから家に乗り込んで、叩きのめすの? それとも仲間達を呼んで、どういうつもりだったか白状させる?」
「そんなに興奮するな。気持ちは分かるが、もう少し様子を見よう」
「どうして? あなたの説明通りなら、私達は殺されかけたのよ!」
「分かっているさ。中川は和美に唆されたのだろう。だがそれだけじゃないはずだ。お前との関係を清算したくて、やったのかもしれない」
「え?」
 絶句する彼女に、徹は目を合わせず言った。
「お前が最近、あいつと関係を持ち始めたのは知っている。どうせ和美と同じように俺の預金を出汁にして、無理やり抱かせたんだろう? 和美は俺だけでなく、中川にまで手を出したお前に腹を立てたのかもしれないな。それにしても、殺そうとするとはいい度胸をしていやがる。本気でばれないと思っていたのなら、俺を相当馬鹿にしている証拠だ」
 そう言いつつ、徹は首を捻った。合い鍵を使ったとはいえ、スリ集団の頭領である自分の寝室に忍び込ませたのだ。しかもノビとしてはまだ半人前の中川に、細工までさせている。これは余程成功する自信がなければ、できないだろう。
 または失敗した場合の言い訳が、しっかりと用意されていたのかもしれない。そうでなければ、実行しようとは考えないはずだ。和美がそこまで愚かとは思えなかった。
 横で固まっている良子を無視し、さてどうするべきかと悩んだ。夜中の三時を回ろうとしているが、窓にかけられたカーテンの隙間から灯りが漏れている。
 中には和美と中川しかいないのだろうか。それとも追いかけてくると計算し、同じく徹を殺したい程憎んでいる仲間を何人か集め、待ち伏せている可能性もある。
 ただ良子はともかく、徹自身にそんな敵がいる心当たりなど無い。それならば、やはり和美主導の計画だろう。だがあいつにしては杜撰ずさんすぎる。
 そこで先日、通常とは異なる出来事がもう一つ起きたと思い出し、ある推論に辿り着いた。
「そういうことか」
「どうしたの?」
 独り言を呟いた徹に、良子は恐る恐る尋ねて来たので答えた。
「もしかすると、春香も一枚噛んでいるのかもしれないな」
「春香が? あの子もあの家にいるというの?」
「今頃無事作戦が上手くいくようにと、願っているのかもしれない」
「あの子までも、私やあなたを殺そうとしたって事?」
「いや、本当の狙いは、」
 そこまで話した所、動きがあった為に会話を止める。
「向こうから見られないよう、頭を下げろ」
 良子に指示した徹は後部座席に移り、体を屈めシートの隙間から家の様子を伺った。すると家の扉が開き肩に大きな物を背負しょった中川と、その体を支えるように手伝う和美の姿が見えたのだ。
「何を運んでいるのかしら」
 良子が小声で呟く。徹もそれが気になった。よく観察して見ると、どうやらそれが人だと分かって来た。中川は車の後部座席にそれを乗せ、和美がその横に座った。
その間に運転席へと移動した中川が、エンジンをかけた。
「あれは春香かもしれない」
「もしかして、仲間割れ? 殺されちゃったの?」
「いや、どうやら眠っているらしい。死体だったら、もう少し扱い方が雑になるだろう。それかスーツケースにでも入れるはずだ」
「こんな夜中に、どこへ連れて行くつもりかしら」
「気づかれないように、後を付けてくれ。GPSがあるから、出発して見えなくなってからでいい」
 スマホの画面を見て反応しているかを再度確認しながら、良子に指示を出す。中川の運転でゆっくりと車が出発したのを見届け、角を曲がって見えなくなるまで待った。
 それから良子はエンジンをかけ、追いかけ始めた。助手席に戻った徹の指示で、運転をしていた彼女はしばらくしてから呟いた。
「これってもしかすると、春香の部屋に向かっているんじゃないの?」
「そうなのか?」
 春香が住む、アパートの住所だけは知っていた。彼女が街から出て行方不明になった際、情報網を駆使して居場所を突き止めさせたからだ。
 しかしその後における彼女の様子を探る役目は良子や他の部下に任せ、徹自身は近づかないようにしていた。その為直ぐには気付かなかったのだ。
 言われてみれば、GPSの指し示す目的地はその住所に近づいている。
「でもただ寝ちゃっただけなら、わざわざこんな時間に部屋へ連れて行く必要はないでしょ。目を覚ますまで、家に泊めてあげればいいだけだから」
「確かにそうだ。しかしあの様子だと、睡眠薬か何かを飲ませ眠らせたのかもしれない。あいつらは一体、何を企んでいるんだ」
 徹の部屋に忍び込んだ中川がその足で和美の家に移動し、今度は眠っている春香を連れ出そうしている。しかも彼らは事故に見せかけて、徹達を殺そうと企んでいたのだ。
 中川と和美がグルなのは間違いない。だが春香は、どういう立場だったのだろう。徹の推測通りであれば、彼女も殺人計画に加わっているはずだ。良子の言う通り、仲間割れでも起こしたのだろうか。
 そうなると、彼女の身に危険が及ぶ可能性もある。和美の家を出て彼女の部屋へ運んでいる状況を考えると、眠らせたまま自殺に見せかけて殺そうとしているのかもしれない。
 和美の家で殺せば、死体発見後に疑われる恐れがある。その為移動させたと考えれば、辻褄は合う。しかし本当にそうだろうか。
 彼女は狂気性を持った、恐ろしい一面を持っている事は知っている。それでも実の娘を殺そうとするだろうか。もしそうだとしたら、どんなきっかけで彼女をその気にさせたのだろう。
 嫌な予感しかしない状態のまま、中川の車は春香が住むアパートのすぐ横に停車した。離れた場所に停めなかったのは、春香を運ばなければならないからだろう。
 GPSの点滅信号を見ながら、そろそろ部屋の中へ入っただろうと思われる頃を狙って、車を近づけさせた。
「あの灯りが漏れている部屋か?」
 四時近くの真夜中に起きている者など、普通は余りいない。それでも中には不規則な生活を送っていたり、夜勤の者などもいたりする。だが彼女のアパートで灯りを点けているのは、二階の部屋一つだけだった。
「いいえ。あそこじゃない。一〇五号室だから、右端から二番目の部屋よ。灯りは消したままみたい」
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