音が光に変わるとき

しまおか

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巧の挑戦~⑬

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 二日間の強化合宿はあっという間に過ぎた。巧はこの時、ブラインドサッカーの正式なコートの中に初めて入った。広さはフットサルコートとほぼ同じで、背負うゴールの大きさも同じであることが実感できた。
 ただ違和感を持った点がいくつかある。一つはサイドライン沿いにあるフェンスだ。高さ一m程のパネルが、コートを囲むように立っていた。
 事前知識は持っていたし、動画でもコートの様子を観たことはある。だが実際に中に入ると圧迫感はさほど無いけれど、フェンスのせいなのかコート自体が狭く感じられた。
 ブラサカの場合、ボールがサイドラインを越えたらサッカーのように手で投げいれるスローイングや、フットサルのようにキックインするルールがない。
 サイドライン沿いに立ちはだかるフェンスの跳ね返りを利用して味方にパスを出したり、相手選手をフェンスに追い込んで取り囲むようにしてボールを奪いあったりするのだ。
 ゴールライン側にそれはなく、ラインを割ればボールはGKに戻されスローイングでコートに投げ入れる。その際キーパーによるキックは禁止だ。
 他にはフットサルよりキーパーの手が使えるゴールエリアが横五m、縦二mと極端に狭いという違いがあった。
 ただしばらくすれば、細かいルールの違いにはすぐ慣れた。試合形式の練習をやった際にキーパーを務める機会も頂いたが、守るゴール幅は同じだ。それにトップレベルのフットサル選手と比べれば、やはりシュートスピードが違う。
 その為守備自体は難しいとは感じず、二日間の練習中に巧はPK等も含めて一本も決められることなくゴールを死守できたのだ。
 これにはさすがの松岡も相当悔しがり、千夏のシュートもまた公園での練習とは違う巧の本気度の前には通用しなかった。さらに合宿にはブラサカ日本代表の青山あおやまという、松岡と同じチームに所属するベテラン選手も参加して指導に加わっていた。その彼からも点を取られずに済んだことは、フットサルで活躍している巧自身の面目を保つことができたはずだ。
 しかし今までの経験を生かせず最も苦労したのは、ブラサカ独自のルールであるキーパーの声出しだった。フットサルでも、キーパーから指示を飛ばすことは多々あるが、ブラサカとは全く勝手が違った。
 まず声をかけられるのは、コートの約三分の一にあたる守備エリアにボールがある時に限られるからだ。フットサルではそのような制限はない。味方が攻撃している時でも声をだせるが、それだと反則になってしまう。
 実際ルールに慣れない巧は、練習試合で何度も繰り返し反則を取られてしまった。頭では理解していても、反射的に出てしまう衝動にはなかなか勝てない。
 さらに守備についている味方選手に対しての指示も、晴眼者を相手にするようにはいかなかった。普段から慣れているキーパーならば、“二時の方向に”とか“ゴールから六m”などと選手に指示を飛ばすのだろう。
 しかし声をかけての守備に関して言えば、二日間経験した程度では最後まで身につけることはできなかった。それがとても悔しくて、外からコーチなど他のキーパーの声出しや、後は中盤エリアで監督が指示している方法、さらに攻撃時にガイドと呼ばれるゴール裏にいるコーチの声の出し方もしばらく見学させてもらった。
 けれどもそれがエリア毎で、三者三様に異なっていた点が巧をさらに混乱させた。中盤エリアで指示する監督は一人だから一定だ。しかしキーパーやガイドは、人によって指示の仕方も微妙に異なっていたのだ。
 その為どれが正解か、どの指示が選手によって判りやすいのかは、ほとんど理解できなかったというのが本音だ。
 千夏や他の選手にも聞いてみても、どのガイド、どのキーパーの声出しが判りやすいかは、選手によって取り方が違った。全員がこの指示が判りやすいという明確な答えは得られなかったのである。
 また所属するチームによっても異なるらしいが、フィールドを細分化してその位置を数値化し味方や相手選手の位置を知らせ、右四十五度とか左に三mと細かくかつ的確で素早く判りやすい指示が求められる。
 主役である選手達はその声を頼りに動く為、指示は重要な位置を占めると思われる。それなのに声の捉え方が選手によって微妙に異なるというのは、指示する側としてもかなり厄介な問題だと感じた。
 声を出す側のガイドやキーパーや監督も、より判りやすいように心がけているらしい。各自にそれぞれコツのようなものを持っていたが、選手によって異なりまたゲーム展開によっても変わってくるため、これというものを見つけるのはやはり難しいようだ。
 その為声や音は、確かに大きな要素であることは間違いないが、あくまで情報の一つに過ぎないことも理解できた。実際のゲームでは、相手の気配を感じながら選手自身がイメージして想像し、俯瞰ふかんする視点を持つことがブラサカには最も大切だという。 
 それらのことを加味して総合的に判断しながら、長く携わっているコーチや監督、キーパー達も手探りで代表としての最善策を模索しているとのことらしい。ならばブラサカ初心者の巧が、たったの二日間で習得できなかったのも当然だ。
「守りはともかく、声出しは全くあかんかったね」
と、千夏にも思いっきり駄目出しをくらった。ただ彼女の言葉は、合宿中にシュートを全て止めたことへの巧に対する報復にも取れたのだが、それは気のせいだろうか。
 しかし収穫はあった。練習中に巧がキーパーとして、千夏と同じチームになった時だ。これまで繰り返し練習していたキーパーからのスローイングをトラップして、振り向きざまにシュートする技が何度となく成功し、点を決められた。
 これにはコーチや監督も、二人の呼吸の良さを絶賛してくれた。また実戦でも大きな武器として通用すると、太鼓判を押されたのだ。
 千夏の後ろ向きドリブルからの、振り向きざまのシュートも何度か成功していた。さらに無音パスも、周りで見ていた監督やコーチ陣からなかなか好評だったという。  
 ただ危惧していた通り、パスに関しては受け手がそのことを理解して呼吸が合わないと全く試合では使えない。よって二日間という短い合宿期間中に、実際のゲームで試すことは出来なかった。
 それでも特訓の成果の一端を見せることができ、代表スタッフにもアピールできたと思ったのだろう。合宿を終えた頃には、千夏自身がかなり満足していたことに巧は喜んだ。 
 これで少しでも将来代表に選抜される道が開かれれば良い、という思いがあったし、千夏独自の特殊な武器を持つことで、日本国内ですら体格では劣る彼女が実力では国際的にも通用するところを、やはり見せつけたかったからである。
 その点では今回の合宿は贔屓目でなくても、彼女は及第点を取れていたのではないかと思う。
 ただ想定外で申し訳なかったことは、この合宿で千夏以上に巧が高く評価されてしまったことだ。全てのシュートを止めている様子を見て、竹中コーチがさも自分の手柄のように興奮して周りに吹聴していたのには、正直有難迷惑に感じたほどだ。
「ほら、言っただろ。飯岡選手の動体視力と反射神経、ゴールを背にした時の相手選手との位置取りなんかも見事だったじゃないか。すごく狙い難いってことは、見えない選手にとってもゴールに立つ彼の気配で判ったはずだ。どうだ、松岡君」
 話を振られた彼も、自身が放った全てのシュートが止められた手前、そのことは認めざるを得なかったようだ。
「確かに実際、巧さんが守っている時のゴールは打ちにくかったですよ」
と、しぶしぶ答えていたのが面白くて印象的だった。
 ちなみにスタッフも含め、他の選手達も最初は飯岡さんとか飯岡選手と呼んでくれていたが、千夏が巧、巧と呼び捨てで呼び、正男さんが巧君と呼んでいるのを何度も聞いていたからだろう。合宿の後半には年下から巧さん、年上の人だと巧君と呼ばれるようになっていた。
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