自宅の鍵を失くした魔王が合鍵を取りにダンジョン攻略する話~ツンデレの友人を添えて~

千間井鰯

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「ただいま~……」
「おかえりなさい」
 扉を開けて、真っ先に目に入ってきたやつれた顔と、力のない声に、ヘルトルは「ああ、また上手くいかなかったんだな」と察した。

 鍵が無くとも、手段を問わなければ、とりあえず家に入る方法はいくつもある。扉を壊す、窓を壊す、壁に穴を開ける。泥棒なら問題となる行動でも、家主ならば後から修繕すればいいだけの話だ。
 だが、シェルムトートが住んでいた家――魔王城は、そんなちゃちなものではなかった。

「それで、今日はどうしたんです?」
 ふらふらと椅子に座り込んだシェルムトートに、ヘルトルは問うた。
「壁を爆破して入ろうとしたら弾かれた上に、ミラーリングで私の服が爆破された」
「……ああ、それで朝着ていた服を着てないんですか」
 予備の服を持って行って良かったですね、とヘルトルが淡々と言うと、シェルムトートは苦笑いでそれに返した。

 シェルムトートによれば、魔王城は今代に彼が建てさせたものではなく、三代前の魔王が魔界随一の建築士たちに命じて作らせたものらしい。
多額の前金を受け取った建築士たちのやる気は凄まじく、この世で最も美しく堅牢な城を作るため、最上級の資材や技術が、惜しみなく費やされた。そして、完成した魔王城の姿に、三代前の魔王は非常に満足し、賛辞と高額の褒賞を建築士たちに振舞った、とのことだった。

 だが、彼らは予想だにしなかっただろう。まさか後代の魔王が、そのせいで城に入れない事態になるなんて。

 建築士たちは、地震や火事などの災害ではびくともしない城を作っただけでは飽き足らず、主の許可を得ずに中に侵入しようとする者を、城自身が自動的に撃退するための魔法を魔王城に仕組んだ。そのためだけに、魔界で十本指に入る魔導士たちを呼び寄せるという徹底ぶりである。
 そんな彼らが年月をかけて考案した防衛魔法は、主の介在なく、正規の方法以外で中に入ろうとする侵入者や、魔法を解こうと画策する者を阻み、攻撃するといったものであった。
 この正規の方法というのは、鍵を使って中に入るか、中の者が外の者を招き入れるかのどちらかである。
 つまり、鍵を失くしてしまった魔王、シェルムトートは、悲しいことに、今や魔王城から主人だと認識されていないのである。

「しかし凄いですね。一応アンタ、魔族最強なんでしょう? それなのに魔法を解くことも叶わないなんて」
「あの防衛魔法が一人、もしくは二人ぐらいがかけたものだったのなら容易く解くことができた。だが、流石に十人以上となると、複雑すぎて、瑕疵なく解くことが難しい」
 絡まった糸と同じようなものだ、とシェルムトートは机に突っ伏した。
「瑕疵なく?」
 彼の言葉の一部に疑問を持ったヘルトルが呟くと、シェルムトートは耳ざとく拾い上げ、簡潔に答えた。
「防衛魔法を使い物にならなくして解くこと自体は骨は折れるが、可能ということだ。しかし、私はあの城を今後とも自宅として使うつもりなんだ。安全のために、二度と防衛魔法が機能しなくなるのは避けたい」
 どうにか抜け穴を見つけなければ、とシェルムトートはぽつりと言った。

 ヘルトルが当初抱いていた、シェルムトートはヘルトルの家に、なんだかんだ理由を付けて一生住もうとしているのではないかという疑念は、どうやらただの杞憂だったようだ。彼は毎日魔王城へと通い、あれこれ試してはあえなく撃沈している。破れた服の枚数は、十枚に上った。
「全く。修繕する俺の身にもなってください」
 ちくちくと針で服を縫いながら、ちくちく言葉を放つヘルトルに、シェルムトートは悪びれた様子もなく「悪いね、ヘルちゃん」と頭をかいた。

 初めは慣れなかった共同生活も、二週間もすれば勝手が分かってくるというものだ。シェルムトートが頻繁に適当な絡み方をしてきたり、気がついたら部屋の中から消えていたり、洗濯物を独創的な形に畳んでいたとしても、苛つきはあれど「ああ、またか」で流せるようになっていった。
 それに、シェルムトートの生活力は思ったよりも悪くなかった。裁縫はできずとも、炊事洗濯掃除を彼は問題なくこなすことができるし、食後の洗い物も率先して引き受けてくれる。結果的に、日々の細々とした面倒が減り、話も合うシェルムトートとの共同生活は、ヘルトルにただただ居心地の良さをもたらした。
 だから、文句こそ言ってはいるが、彼の服を繕うのも、そんなに悪い気分ではないのだ。

「はい、できましたよ」
 元通りとはいかないものの、どうにか着ることができるレベルにまでなったシャツを、シェルムトートに差し出す。シェルムトートは両手で受け取り、頭上に持ち上げてしげしげと眺めると、感嘆の声を上げた。
「よくここまで戻せたものだ」
「まあ、切れ端でも布が残ってれば何とか……」
 燃えカスとかは無理ですけどね、と正直に答えると、シェルムトートは「それはそうだ」と手を口元に当てて、小さく吹き出した。
「ヘルちゃんはこんなところで一人暮らしをしているだけあって、色々なことができるな」
「そうじゃなきゃ生きていけませんし」
 昔から家事は一通りできたが、ここまでの上達具合ではなかったように思う。必要に駆られれば、人間はどこまでも成長できるのだ、とヘルトルは自身の経験から知った。
「まさかこんな荒地に畑を作るなんて思いも寄らなかった」
「体力や根気さえあれば大抵のことは可能ですよ」
「意外だな。ヘルちゃんが根性論とか好きなタイプだとは思わなかった」
「いや、別に好きとかそういう訳では……ただ、理屈を捏ねてるだけよりも、多少無理そうでも実践した方が、得られるものが多いと思ってるだけで」

 事実、やってみればいくつかの修正で上手くいく事柄は、あまりにも多かった。
 図書館を迂闊に利用できなくなった今、役立ちそうな知識を収集できる手段はない。ならば、手あたり次第実践して、使えそうなものを引っ張りだすしか、自分の生きる道はない。

 ヘルトルの言葉を聞くと、シェルムトートは少しの間無言になった後、気味の悪い程の満面の笑みを浮かべた。ヘルトルは思わず、半歩身を引いた。
「うわ、何ですか急に。怖……」
「ふふ。いや、君の新たな一面を知って、嬉しくなっただけだ」
 そんなことで嬉しくなれるなんて、安上がりでいいですね、とヘルトルが皮肉を言うと、シェルムトートが「だろう?」と得意げな顔をしたので、ヘルトルはまた苛立ちを覚えた。

 一か月程、穏やかだが奇妙でもある生活が続き、段々と夜の寒さが深まってきた頃。
「ただいま」
「おかえりなさ……って、どうしたんですか」
 迎える言葉を途中で止めてまでヘルトルがそう聞いたのは、にやけ面の多いシェルムトートの顔が、珍しく険しいものへと変わっていたからだ。
 彼がこのような顔をするのは、以前、彼の部下がヘルトルを仕留めようと急襲をかけてきたとき以来であり、只事ではないことが起こったのだと、察するのに容易かった。
 シェルムトートの外套を受け取り、衣服掛けに掛ける。その間にちらりとシェルムトートの方を見ると、彼の足取りは確かなものではあったが、どことなく重々しかった。
 静かに席に着いたシェルムトートが、ヘルトルが向かい側に座るのを見ると、ゆっくりと口を開いた。
「先日、リーベントロアの王が魔王を倒すべく、勇者を送り出したらしい」
「なっ……⁉」
 ヘルトルは、座ったばかりだというのに、思わず大きな音を立てて椅子から立ち上がった。
 頭の中に占めるのは「ありえない」という五文字。

 勇者とは、一般的にはどんな困難にも立ち向かう勇気ある者のことを指すが、この国リーベントロアにおいては、別の意味を持つ。
 この世界の裏側に存在する、魔界の頂点に君臨する王はただ強いだけではなく、その血に特別な力を有している。心臓を貫いても、首を切られても、数分で元通りになってしまう驚異の回復力――いや、もはや半不死性と言ってもいいかもしれない。世代交代していることから、寿命は存在しているようだが、数百年おきではあってないようなものだろう。だが、彼らにとっての死が老衰しかないのかというと、そういうわけではない。

 魔王に対して、その手で死をもたらすことができる者こそが、この国においての勇者なのだ。

 どういう原理なのかも分からず、判明した経緯も曖昧だ。リーベントロアの中枢に存在する、大神殿。そこに仕える全ての神官の長、大神官は数十年おきに、とある神託を受ける。どのようなものか王から問われた彼らは、一様に同じ答えを返した。

――神曰く、○○という町に、魔王を倒せる力を持った者が暮らしている、と。

 大昔は、大神官の虚言だと一蹴されたこともあったそうだが、推挙された者が実際に魔王の首を取って帰ってくるという事案が二世代連続して発生したことで、国の態度はがらりと一変した。預言を受けた大神官は預言者としてもてはやされ、預言者に推挙された者は勇者として、国に召し上げられることになったのだ。
 召し上げられた勇者は、魔王を倒すべく騎士団で訓練を受け、実力を身に着けたら旅立つ。魔王を倒せたら御の字で、倒せず途中で力尽きたら、新たな神託が下りるまで待つ。今ではこれが魔王討伐の一連の流れとして、すっかり定着していた。

 だから、勇者の存在がそこまで胡乱なものではないことは、ヘルトルにも分かっている、のだが。
「本物……なんですか?」
「分からない、が。偽物の可能性はあるだろうな。何せ、大神官ロフェートは三年前から公に姿を現していない。勇者の出立式にも出席していなかったようだから、神託の真偽などいくらでも捏造できるだろう」
 おそるおそる問いかけたヘルトルに、シェルムトートは淡々と答える。
「しかし、前代の勇者の生死が不明な以上、一概に否定もできん。魔界側としても、奴が本物の勇者でも対応できるようにしなければならない」
 魔王と違い、勇者は血でその力を継いでいるわけではない。神託によって示される勇者は、時には農民だったり、騎士だったり、浮浪児だったり、王子だったりした。だが不思議なことに、人選に一貫性はないというのに、勇者が同時期に二人立つことがないというのは昔から今まで一貫していた。
 だからこそ、ヘルトルは新たな勇者が立ったと聞いたとき、動揺した。シェルムトートと違い、ヘルトルは、前代の勇者がまだ死んでいないことを知っている。そのため、今代の勇者は偽物だ、と反射的に思ってしまったのだが。
よくよく考えれば、一度に二人の勇者が立たないというのは不文律で、明確に示されたわけではない。今まで無かったからといって、決めつけるのは早計だ。新たな勇者が勇者としての力を持っていても、不思議ではない。
 しかし、もし、王が神託を捏造し、国民を騙してまで勇者を立てたというのならば。

「……と私は考えたのだが。どう思う、ヘルちゃん」
「えっ、ああ。まあ、いいんじゃないですかね」
 考え事をしていたヘルトルは、シェルムトートに突然話を振られ、肩をびくりと跳ねさせたものの、咄嗟にそう返した。素直に聞いていなかったと答えようかとも考えたのだが、その後のシェルムトートの馬鹿にしたような笑みを思い浮かべると、誤魔化す方に舵を切らずにはいられなかった。
 しかし、ヘルトルは直後、自身の安直な考えを大いに後悔することになる。
「そうかそうか! ヘルちゃんもそう思うか~!」
 ヘルトルの言葉を聞いたシェルムトートの顔が輝く。その瞳の煌めきに、同居を了承したときのことを思い出し、何故こんなに喜んでいるのか分からず首を傾げたヘルトルであったが、その疑問はすぐに解消された。何故なら、シェルムトートがヘルトルのすぐ傍までやって来たかと思うと、明るい声で、
「じゃあ、出発は明日にしようか」
 とおもむろに肩を組んできたからだ。
 ……出発? 明日?
 猛烈に嫌な予感が頭を過る。
 いやいやそんなまさか、と首を振ったヘルトルに、シェルムトートは今にも歌いだしそうな様子で、――とどめを刺した。

「楽しみだな~ヘルちゃんとのダンジョン攻略の旅!」
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