この婚約破棄は運命です

朝比奈

文字の大きさ
9 / 26
一度目の人生

失くしたもの(2)

しおりを挟む


   名前も。歳も。よく思い出せないけれど。

────私はクリスティーナじゃない。

   何故だかそう思った。
   確かに今の私はクリスティーナ・フォリスだ。
   だけど⋯⋯。
   多分。今の私を形ずくっているこの人格はクリスティーナではなく。だから、私はクリスティーナとは言えない。

   でもその事がわかったからと言って、何かが変わるわけでもなく⋯⋯。

   私は私のまま、特に何もすること無くぼんやりとした日々を過ごした。


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


   目が覚めてから三週間くらいだろうか。

   私の元に1人の訪問者が来たという。
   一応名前を聞いたがやっぱり分からない。
   これまで記憶喪失のこともあり屋敷から出ずに生活していたが、もし友人なら断るのも申し訳ないと思った。


「クリスティーナ様、御機嫌よう」

「御機嫌よう⋯⋯アリシア様⋯⋯」

   少しぎこちない動きになってしまっただろうか⋯⋯。私は何とか見よう見まねでカーテシーをして、先程メイドのサーシャから聞いた名前を口にした。

   最初は家名の方と名前。どっちを呼ぶべきかを悩んだが、向こうが名前を呼んで致し、もしかしたら友達なのかもしれないと思い結局、名前で呼ぶことにした。

   アリシアはニッコリと微笑んだまま扇を取り出し口元を隠した。

「⋯⋯思ったより元気そうで安心致しましたわ。わたくし、クリスティーナ様の事を心配してましたのよ」

「まあ。ありがとうございます。でも、心配して頂かなくても大丈夫ですよ!   このとおり最近は体調が良いですから」

   私はやっぱりアリシア様は私の友達で心配して来てくれたんだろうと思い、嬉しくなってにこりと笑った。

   しかしそれと反対にアリシア様はスっと笑みを消した。

「⋯⋯馬鹿に、しているんですの?」

「えっ⋯⋯」

   冷たく鋭い声が私の耳に届いた。
   なぜ彼女がそんなことを言ったのか分からなくて私は首を傾げた。

「ッ、!  貴女のその態度ですわッ!  クリスティーナ様にとって、フィンセント様はその程度の存在だったのですかッ!」

   気がつけばアリシア様の扇を握っている手が怒りに震えていた。私はようやくここでアイリス様が私に対して怒っていることを知った。

   でも、何故⋯⋯?

   これもまた、

   でも一つだけ強く耳に残る言葉があった。

──────フィンセント ?

   分からない。
   分からないけれど、その言葉を聞いた瞬間酷く胸がざわついた。

「なにか⋯⋯仰ったらどうなの?  クリスティーナ・フォリス男爵令嬢。  それとも本当にフィンセント様は貴方にとってどうでもいい存在だったのかしら⋯⋯?」

「フィン⋯⋯フィンセント⋯⋯」

「あら。  まさか、婚約者の名前もお忘れになったの?   それとも、それもわざとなのかしら?」

「こん、やくしゃ⋯⋯?」

   何を。何を言っているの⋯⋯この方は。
   私に婚約者なんて⋯⋯

   フィン⋯⋯セント⋯⋯。婚約者⋯⋯

   ズキズキと頭が痛み出す。
   もう少しで思い出せそうなのに思い出せない。
   思い出したくない。
   思い出したら壊れてしまう。

   繰り返すの⋯⋯?

   どこからがそんな声が聞こえた気がした。

   そして私はそのまま意識を手放した。


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


   夢を。見ていた。

   貴方と⋯⋯フィンと二人で幸せに暮らす夢を。あなたと過ごした大切な日々を。私は夢の中で⋯⋯思い、出していた。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


   気がつけば走っていた。

   目を覚ました瞬間。
   無くしていた記憶が戻り、クリスティーナはいても立っても居られなくなり部屋を飛び出し、雨の中屋敷をでた。

(フィンセントッ!!お父様ッ!お母様ッ!)

   もういない、愛おしい人達の事を追い求めて、行き場のない感情をどこかに吐き出したくて。

   私は必死に足を動かした。


────どうして。

   土砂降りの雨の中ドレスが汚れることも気にせずクリスティーナは地面に座り込み小さく口を動かした。

   その瞳からはハラハラと涙が溢れ、ただ呆然と同じ言葉を繰り返していた。

 
  クリスティーナは両親の死と愛しい婚約者の死を現実に叩きつけられ“絶望”していた。

「なんで⋯⋯なんでッ!  どう、して⋯⋯いや。いやよ⋯⋯」

────私を一人にしないで。

   その言葉は嘆きは誰にも届くことなく雨音の中に消えていく。

   ドロドロとした何かに思考を飲み込まれ、クリスティーナの絶望は深く広くなっていった。

   どれくらいそうしていただろうか。
   冷たい雨はクリスティーナから体温を奪い、大切なものの死は少女の心に重く突き刺さり、生きることを苦しくさせた。

   そしてクリスティーナは願った。

────死にたい、と。

   あの人に、フィンセントに会いたい。
   ⋯⋯死んだら、フィンに会えるのかしら?

   この時、クリスティーナはまともな思考を失っていた。自分が自分でないような。心を体を誰かに取られたような、そんな感覚。

   そして少女は選んだ。
   ここで、人生を終わらすことに。
   愛しいもの達に会いに行くことを。

   死に向かう少女を止めてくれる者は一人もいなかった。

   死の間際、少女は笑った。

「今から貴方に会いに行くわ⋯⋯フィン⋯」

  そう言って、崖から身を投げ出した。



しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

男装の騎士に心を奪われる予定の婚約者がいる私の憂鬱

恋愛
私は10歳の時にファンタジー小説のライバル令嬢だと気付いた。 婚約者の王太子殿下は男装の騎士に心を奪われ私との婚約を解消する予定だ。 前世も辛い失恋経験のある私は自信が無いから王太子から逃げたい。 だって、二人のラブラブなんて想像するのも辛いもの。 私は今世も勉強を頑張ります。だって知識は裏切らないから。 傷付くのが怖くて臆病なヒロインが、傷付く前にヒーローを避けようと頑張る物語です。 王道ありがちストーリー。ご都合主義満載。 ハッピーエンドは確実です。 ※ヒーローはヒロインを振り向かせようと一生懸命なのですが、悲しいことに避けられてしまいます。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから

えとう蜜夏
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。 ※他サイトに自立も掲載しております 21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される

さくら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。 慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。 だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。 「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」 そう言って真剣な瞳で求婚してきて!? 王妃も兄王子たちも立ちはだかる。 「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。

婚約者が番を見つけました

梨花
恋愛
 婚約者とのピクニックに出かけた主人公。でも、そこで婚約者が番を見つけて…………  2019年07月24日恋愛で38位になりました(*´▽`*)

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

処理中です...