待ち終わりのモヒート

國樹田 樹

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差し出されたカクテルグラス

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待ち終わりのモヒート

(―――やっぱり、来ないか)

内心の愚痴は、グラスが纏う水滴のようにテーブルへと落ちた。

それを眺めながら、ふとため息を吐く。

よく磨かれた艶やかな面に映るのは、もう何度目かもわからない待ちぼうけを食らった女の顔だ。

普段より濃いアイメイクに、グロスをたっぷりのせた唇。くるりと巻いた毛先は、来る前に丹念にヘアアイロンをかけた。

いつもより手間をかけた姿は、自分でも酷く滑稽に思える。

テーブルに置いた手の腕時計に視線を移した。

針は待ち合わせの時刻をとうに過ぎ、着々と日付を越えようと動いている。
この針が真上を向いた瞬間が、私への死刑宣告だ。

今夜もすっぽかされたことはわかっていた。

来る前からきっと確定していた事だった。

諦観など過ぎた思いで硝子越しの夜景に目をやれば、倒れた宝石箱のように散らばった光が目に入る。

煌々と輝くあの光の中にも、今の自分と同じような虚しさを抱えた女がいるのかもしれない。

それとも、そう思い込みたいだけだろうか。

カウンター席で早二時間。

どうして私は性懲りも無く、来ることのない彼を待っているのだろう。

たかだかメッセージ一つ寄越されたくらいで。

数多の女と浮き名を流す彼にとって、私はただの都合の良い女でしかない。

手頃な発散相手程度にしか思われていないことはわかっている。

なのに、いつか振り向いてくれるかもしれない、なんてある意味私も都合よく自分を騙していた。これがその代償だろうか。

女盛りの貴重な時間を、これ以上無駄にするのは私自身への冒涜だ。

流石にもう潮時かもしれない。

そう、グラスの中の氷を見つめて迷っていると、視線の外に人の気配を感じた。

「……こちら、どうぞ」

静かでぶっきらぼうな声と一緒に目の前に差し出されたのは、淡く爽やかな新緑のカクテルだった。

逆三角形に口を開いたグラスの端が、落ち着いたライトの灯りで輝いている。

透明なガラスのような氷の上には双葉のミントが誇らしげに飾られていた。

目に優しいそのお酒に、私は驚いて顔を上げた。

見上げれば、長い黒髪で顔を半分隠したバーテンダーが立っている。

長身に黒いベストと白いシャツ。しかし表情はほとんど窺えない。わかるのは、黒髪の隙間からほんの僅かに覗く鋭い瞳だけ。

「え、あの」

「どうぞ」

戸惑う私に、彼はすっと片手でカクテルグラスを勧めてくる。

「俺の奢りです」

唐突な言葉に一瞬、彼の眼をじっと見つめた。
バーテンダーである彼とはもちろん顔見知りだ。

だが、それだけ。

これまで店員と客としてしか会話をしたことは無かった。

なのになぜ、今夜はその壁を踏み越えてきたのか、私は自分を見下ろす深い瞳を見たまま戸惑った。

来ない男を待ち続ける私を可哀想に思って、こんな申し出をしているのだろうか?

そんな情けは欲しく無いのに。

こちら側に踏み入ってこられるのも気に入らなかった。

「理由がわからないわ」

だから率直に疑問をぶつけた。

口調が挑むようなものになったのは、突然の変化を少なからず不満に思っているのだと意思表示したつもりだった。

「一体なんのつもり?」

来ない男への焦燥と怒りもあった。哀れな女への同情をありがたく受け取れるほどの心の余裕は無くて、ついキツイ言い方をしてしまう。

ああ嫌な女。

だから彼も来ないのだろう。

私みたいな女には愛想が尽きたのだ。

赤い怒りが信号のように悲しみの青へと変わる。

その瞬間を待っていたとばかりに、ポツリと呟く声が聞こえた。

「ちが、くて……」

「え?」

か細い、ぎりぎり聞き取れるくらいの声に思わず眉を顰める。同時に目を見張った。

バーテンダーの彼が、なぜか口元を押さえている。

前髪が長いから、そうされると表情が全然見えない。しかも何やらふるふると体を震わせている。

いつもは堂々とした素振りしか見ていなかったから、おかしな様子に私は内心首を傾げた。

(……何なのかしら)

「その、俺、これ、モヒート……やっとオーナーにOK貰ったんです…っ」

続けて聞こえたのは、何やらもごもごと吃ったような言葉達。

途切れ途切れの単語は、わかりづらいもののなんとか理解はできた。できたけど、意味はやっぱりわからない。

彼が突然出してきたカクテルがモヒートなのはわかった。見た目からそうかなとは思ったけれど案の定だったようだ。

けど彼がオーナーにOKを貰ったカクテルと私に、一体何の関係があるのだろうか?

「えっと……だから?」

いまいち要点が掴めなくて、再び問う。
今度は素直に聞けた。

すると彼は意を決したように、ばっと口元の手を離し、テーブルに両手をついて口を開く。

「俺…!! ずっと貴女を見てました! 一人前のバーテンダーになれたら、告ろうって、ずっと思ってて…! 貴女が待ち続けているのは知ってます! でも俺も、貴女を待つんでその、片隅で良いんで、俺のことも…見て、くれません、か」

怒涛の勢いで吐き出された告白に目を丸くする。

だんだんと弱々しくなったとはいえ、大きく告げられた言葉は今度は私の耳に難なく届いた。

けれど言わずもがな、店内には他の客もいて、彼は仕事中で、私は客だ。

彼の盛大な告白に、他の客達から囃し立てる声がし始めた.

「おー! やっと言ったか兄ちゃん!」

常連らしき年配の男性がグラスを片手にわははと笑っている。

どうやら彼の気持ちを知らなかったのは私だけのようだ。

不意打ちすぎる告白に固まって、そのうえ顔はなんだか熱いし、惨めな自分を見ていてくれた人がいたのだという恥ずかしさと、そんな私を好いてくれたのかという嬉しさまで相まって、最早感情が迷子になっている。

だけどその時、彼が出してくれたモヒートのグラスで氷がからんと音を立てた。

こんな爽やかなカクテルを作れるくせに、髪に隠れていない彼の顔は真っ赤になって暑そうで、そのギャップに思わず笑ってしまいそうになる。

「……とりあえず、返事はこれを飲んでからでも、いい?」

カクテルグラスを手に取りながら、私は照れを誤魔化すようにそう告げた。

きっと私の顔も彼と同じに真っ赤になっている。

熟れた顔した彼がはい、と大きく頷いて、私はグラスを口元に近づけた。

これを飲んだらもう、待つのは終わりだと決めていた。
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