廃妃は愛しき腕(かいな)に堕ちる

國樹田 樹

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ただ、愛してくれた人

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 虚空に煌めく白刃が、黒い墨闇(すみやみ)の海へと消えていく。

 舞い散った木蓮の花弁が、その後を追う。

 これから連綿と繰り返される暗鬱とした地獄の始まりを、告げるように。

 ……酷く、懐かしい夢だ。

 遙か十年の昔、私を『起こした』始まりの。

 けれど朧気に覚醒した意識の中にはその名残すら無く、あるのは深く酩酊した感覚だけ。

 灼けるような皮膚と、弾む呼吸。

 そして同じく熱い下腹部の感触だけを鮮明に感じている。

 強い刺激に撥ねる腰が、覚えのある逞しい腕に押さえられているのがわかる。汗みずくになっている肌が、彼の灼熱の肌と擦れ合っていた。

「ぁあっ……ん、ふ、ああっ……!」

 ぐぢゅ、ぐぢゅ、と湿った淫猥な水音が、見知らぬ部屋で木霊していた。

 しがみついた肩越しに、覚えのない絢爛豪華な内装が見えて、自分がどこか別の場所にいるのだと知った。悪妃として処断されるためにその時を待っていた王妃の間ではなく、全く知らない、美しい部屋に。

 溶ける思考と身体を抱き締めているのは、紫苑の髪を持つ屈強な肉体だった。寝台の上で、私は彼の膝の上に乗せられ、彼の昂ぶった分身を埋没させていた。

「くっ、ううっ、ああ、はあっ」

 酷く乾いた喉からは嬌声が零れ、間断無く繰り返される激しい律動にがくがくと四肢が揺れる。

 足先に感じる柔らかな寝台を覆う敷布は既にぐしゃぐしゃで、その上で繰り返される行為によって複雑な皺と紋様を描いていた。

 かろうじて薄く開けた視界には、白い敷布に硝子越しの夕暮れが朱色の濃影を落としているのが見えた。

「オリヴィア……っオリヴィア!」

「ギル……っも、う……っひ!?」

 もう許して欲しい、と言葉にする前に、ずんっと奥まで突き入れられて一時呼吸が止まった。目の奥にある深淵に火花が飛び散り、明滅する。

 まるで息の根を止めたいとでも言うように媚肉のいき止まりを穿たれ、強烈な圧迫感に思考が霞む。

 腰から背中をぐっと強く抱き締められて、全身が拘束されているかのような錯覚に陥っていた。

 歴戦の傷を残す太い腕が、私の身体を持ち上げ、再び揺らし始める。

「こんな、っもの、じゃ、ない! 君を想って、俺がどんなに……っ!」

「あっ、ひあっ、ああ、だ、めぇっ! ギル、も、ゆる、し」

 深く深く、何度も何度も、最奥を熱い杭で穿たれる。衝撃に、喉がそり上がり痙攣したようにひくつく。
 思考が悦楽の海に溺れ、息苦しいのに、逞しく愛しい肉体に縋ってしまう。

 まるで、離さないで欲しいと告げるように。
 口に出来なかった想いを、擦り付けるように。

 彼の胸で押しつぶされた胸の頂が、ぴりりとした刺激をもたらしている。けれどそれすら甘美な衝動となって、すでにぐずぐずに蕩けきった場所を潤ませていった。

「君を抱きたかった……っ、君の身体に、最初に触れる男に……っ!!」

 啜り泣いているような、嗚咽のような叫びがギルバートの唇から紡がれる。交差するように真正面から抱かれている私には、彼の表情は見えはしない。けれど快楽に巻き付く悔恨が、私の心を苛んだ。

 彼に捧げたかった純潔は、あの日全くの別人によって無残にも打ち破られてしまった。
 砕けた心は、未だ治る事無く欠けたまま。

「ごめ……なさ、あ、あぅっ、やっ」

「オリヴィア……っ! 俺の、俺だけのっ……」

 涙でぼやけた視界の中で、紫苑の髪が激しく乱れている。
 その時ふっと、ギルが少しだけ身体を浮かし、私を見つめた。

 澄んでいた紫水晶の瞳は、翳りを帯びて痛みを堪えるように、辛そうに歪んでいた。

◇◆◇

 ―――王妃の間で、ギルバートと会話している最中に意識が飛んだ事は覚えている。

 けれど起きた瞬間には、私の身体は既に彼の腕の中にあった。

 その上、何かを飲まされでもしたのか、身体の自由が利かず、かろうじて声だけが常と同じように発することができた。
 
 それも、ギルから受ける行為によってほとんど意味をなしていないけれど。

「ああっ、あぁ、ギ、ル、どう、して……っ」
 
「どうして……っ? それを、君が聞くのか……っ!? っ知っていたはずだ、覚えている筈だっ、あの日、俺が君に、何を言ったのかをっ!!」

 ギルバートが私の身体を掻き抱きながら吠える。悲しみに満ちた慟哭が、胸に突き刺さり血を流す。縛り付けられるような抱擁に、かつて王妃となる前、差し出された手を振り払った事を思い出す。

 取りたかった手。

 けれど、取るわけにはいかなかった手。

「ギル、わ、たしは」

「君はまた、俺の手を振り払ったっ!! なぜ、俺を頼ってくれないっ、守らせてくれないっ!? どうして、独りで抱えようとするんだ……っ!」

 深く甘美な突き上げが止まり、掠れた声が耳朶を打った。真正面から抱き締められている私には、ギルの表情を見ることはかなわない。ただ、晒された肩に温かい雫が落ちていくのを、懐かしい残像と共に感じていた。

「それは……っあ、ぅ、ギルっ、背中は……っ」

 弁解を紡ごうとした私の背を、ギルが指先でなぞる。

 幼い頃に受けた傷痕を愛おしむように、彼の手がゆっくりと滑っていく。

 それは醜い傷痕。

 イルギアナ王には醜悪だと罵られた、けれど私にとっては唯一の心の拠り所だった、宝物。

「……君はいつも、自分だけが傷を受けようとする。痛みを、受けようとする。この傷だって……俺を守ってくれた美しい痕だ。浅ましい俺は、君に俺との思い出の痕が在ることが、何より嬉しい。酷い男だと、罵ってくれて構わない。しかしだからこそ、俺は君を守りたいのに……っ」

「っ……」

 ギルが、背にある傷跡ごと抱き締めながら、私の肩に食らいつく。
 薄皮一枚ぎりぎり破けない程度の強さは、きっと肌に赤い跡を刻んでいるのだろう。

「……幼い日、君が俺の為にこの傷を受けたあの日から、ずっと君を想い続けていた。君の気高さに、美しさに、魅せられ続けていた」

 唇を離し、肩ごしに声が響く。陰を滲ませた声音が、私の耳奥に滑り込んでいく。

「けれど、君はあの王の妻となってしまった。昔も、今日と同じように逃げようと言った俺を、君は拒否した」

「ギ、ル」

 潰れてしまうのでは無いかと思うほど強い抱擁に、剥き出しの肌に感じる熱っぽい体温に、埋め込まれた質量に、最早想いを押し止めることは出来ないと諦観を抱く。

 元より互いに互いの想いには気付いていた。

 ただそれが、恋情では無く愛情だと気付くのが、遅かったのだ。
 只の恋であれば、諦めることも出来たのかも知れない。

 両想いだった。想い合っていた。

 だからこそ、彼の手を取らなかった。

 それは。
 私も守りたかったから。

 私を守ってくれた人を。護り続けてくれた人を。

 『ただの日本人』ある私を、愛してくれた人を―――
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