廃妃は愛しき腕(かいな)に堕ちる

國樹田 樹

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廃妃と国滅ぼしの騎士

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『二度。俺達は国に裏切られた。二度、俺は国のために君に捨てられた。君も、守ったはずのあの国に裏切られた。ならばもう、あんな国はいらないだろう?俺から君を攫い、奪おうとする王国など』

 その恐ろしいほど秀麗な顔が、私に向けられている。

「国を、売ったんだ」

「ギル、」

「王宮の抜け道を奴らに教えた。騎士団の戦術を、俺が騎士として学んだ全てを、金銭に変えた。これで暮らしに困ることも無い。どこか見知らぬ土地で、俺達だけで暮らすんだ。オリヴィア。君は俺の妻となって、俺は君の夫となって、そしてどちらかの命尽きる時には、残された者が後を追うんだ」

 紫水晶の瞳に、燃え盛る炎が映り込む。

 私の鼓動が、脈拍が、急激に早くなっていく。
 泣きながら微笑む彼から、視線を離せない。瞬きさえ、許してもらえない。

「一度でも、君を抱いた男が生きる国を許せる筈が無い。生かしておける筈が無い。君の献身に応えなかった者どもを、見逃せる筈が無いだろう」

 王国の剣と言われた人が、泣き濡れた顔で艶やかに笑いながら怨嗟を語る。
 本当は誰よりも優しく綺麗な人が、武勇の騎士と謳われた人が、故郷を売り飛ばしたのだと言葉を紡ぐ。
 恨みと共に家族を切り捨てたのだと、瞳で語る。

 私は悪妃となると決めた時から、縁連なる人々を国外へと【追放】した。けれどギルはそうではない、彼は今日までずっと、国に従える騎士として過ごしてきたのだから。

 なのに、あの国は燃えている。城も、城下の街も。まるで巨大な篝火の如く。

「どうして……」

 起き上がり、両手で顔を覆いながら、それでも自らが招いた結果から目を逸らせず手を離し呟いた。
 眦に熱い雫が湧き出して、はらはらと頬に落ちていく。

 そんな私の目尻に、紫苑に赤を混ぜたギルバートが手を伸ばす。壮絶な修練を積み重ねた指には幾つもの硬質化した部分があり、硬い皮膚が私の肌に僅かに引っかかった。

「なぜ嘆く?この国は、この国の民は、君を裏切ったのに。君のあれほどまでの献身を。愚かな王も、愚かな貴族も、愚かな民も、君が守る価値など無かった……死に絶えれば良い。こんな塵屑以下の王国など……」

「ギルバート」

 ああこの人は。
 この人は気付いていないのだ。

 自分が今、どんな顔をしているかを。

 血走った怨嗟の宿る瞳から、とめどなく透明な涙を流している事を。

 国の滅びを、私よりも嘆き悲しんでいる貴方。

 誰よりも優しくて、誰よりも繊細な。

 私が貴方に残したかった国を、自ら滅ぼした貴方。
 愛しい愛しい、私の騎士。

 私も気付いていなかった。
 二十六回も貴方と生を過ごしたのに。今までずっと。

 私より先に逝っていた貴方が、私が先に逝った時、どうなってしまうのかを考えもしなかった。

 ……だって私、貴方とは違う『ただの女』だったから。
 日本人というだけの、本当につまらない女だったから。本来なら貴方に愛して貰える価値なんて無い、そんな女だったから。だから、気付かなかった。これほどまでに深く愛されていたことを。それ故に、壊れてしまったものが在る事を。

「ギルバート。もう、いいのよ」

「な、何が……っ!何が良いとっ……!っ良い事なんて無いんだ!君は恨むべきだこの国を!君が、君こそが、この国を滅ぼして然るべきだ……!」

 ギルバートが私の肩を掴み揺さぶりながら泣き顔で叫ぶ。
 広い胸と、引き締まった肉体と、少し焼けた肌が私の前にある。

「だって私、裏切られてなんていないもの」

「え――――」

 微笑みながら、泣き濡れた愛しい人の髪を梳く。
 紫苑の髪は持ち主と同じく柔らかく優しく、私の指先を擽った。

 大きく開いた紫水晶の瞳を見返しながら、やはり彼はどこまでも綺麗な人だなと自らの汚さに内心嘆息する。

 私は二十六回目。

 けれどギルバートは違う。彼は全てを知らない。
 彼にとってみれば、恋した女が王妃となり、逃亡を提案しても断られた事実だけだ。

 守るために傍に居続けたにもかかわらず、女はなりふり構わず国政を強行し、最後には処断される事となった。それでも女は逃亡を拒否する。彼が命を賭した願いさえも、打ち砕いたのだ。

 なぜ、と。彼が思うのも無理はない。むしろそう考えて然るべきだ。

 今生にいたるまで、私とて国を捨てる事を考えなかったわけではない。何度かギルと逃げたこともある。けれど必ず捕まり、私は連れ戻され、彼が死ぬ結末は変えられなかった。

 国を滅ぼせばそれも無いかも知れないと気付いたのは、何度目の転生でだったろうか。

 だけど私には出来なかった。それが日本人としての気質のためなのかどうかは、わからない。

 関係の無い人間を殺す覚悟は、国に生きる幼い子らを殺す覚悟は、私にはできなかった。

 それにギルが傷つくのが怖かった。彼は一度助けただけで、命を賭して愛してしまうほど清廉な精神を持った人だったから。

 狂った生の中で僅かに残された理性が、私の国滅ぼしを阻んだ。

 だから逃げたのだ。臆病にも、ギルが死ぬ前に、自らが死ぬことで彼の運命を変えようとした。
 その後彼がどうなるかも考えずに。

 ただの女だった私が、何の為に全てを諦め、王妃とされることを受け入れたのか。
 どうして、身を粉にして、自らの幸せさえ顧みず、悪妃としての道をただ邁進し続けられたのか。

 それが本当は誰の為であったのか。それを告げることが出来るのが、彼が壊れた今この瞬間であるということに、倒錯した喜びを感じている。自らの願いの為に国を燃やし嘆くギルとは雲泥の、汚れきった心根だ。彼よりも余程罪深い、私の業だ。

「……私は王を愛しているわけでもなければ、国を愛していたわけでもなかった。だから断罪されても仕方がなかったの。だって私は……ただ一人の為だけに、この国を平定へと導きたかったのだから」

「オリヴィア……?」

 今生では初となる彼への告白が、溢れる想いが零れていく。
 罪を侵させた罪悪と喜びが、胸の内を支配していく。

「私の愛している人が、二度と戦場へと連れて行かれない為に。愛している貴方が、二度と傷つく事の無いように」

「それは……」

「ギルバート。私は自分の為に王妃になったの。初恋で、大好きで、愛してやまない幼馴染みに、平和な国でずっと笑っていて欲しかった。逃れ得ぬ道ならば、せめて貴方が幸せになれる国を残したかった」

 国への復讐に興味は無かった。
 元より二十五回繰り返した役割だ。

 私は私だけの為に、私が思う彼の為だけに二十六回目の命を生きたかった。

 そもそも私などを王妃に据えた王が愚かだったのだ。この宿命(さだめ)を負わせた神々が愚かだったのだ。

 私が見ていたのはたった一人。

 幼き頃より私を守ってくれた、王妃となっても守り続けてくれた彼一人。
 私の為に命を落とす、彼一人。

 悪世の王妃と呼ばれても、ただ一人の理解者であってくれた彼だけだったのだ。

 彼は私の為に命を落とす。ならば、私がいなくなればいい。

 そんな単純な答えにたどり着くまでに、私は、二十五回も彼を殺した。
 彼と生きたいという葛藤が諦めへと変えられたのが、二十六回目。

 だけど諦めたからこそ、この結末になったのだろうか。

「ギルバート、愛しているわ。いいえ、ずっとずっと、愛していたの……」

 ―――遠くの景色から赤い炎が消えた頃、明けた空には晴れ晴れとした青が広がっていた。

 澄み渡る色には、何の曇りも残されていない。

 一昼夜燃え続けた炎が、私達に『ありえなかった日』をもたらした。

「……国など、要らぬ。君さえ在れば。俺には、他に何も必要無いのだから」

 ギルが腕を伸ばしきつくきつく私の身体を抱き締める。

 国を滅ぼし、王を廃したその腕で。

 悪妃として、既に廃された王妃であった私を。

 今になって、二十六回目の転生をして漸く、私は理解した。
 私が、彼の唯一の生きる道だと思っていた道程が、全て間違いであった事を。

 私がいなくなった後、彼がとる選択を。
 今、知った。

「そう……そうね、私も……貴方と同じ。貴方さえ在れば、他に何も要らない――――」

 全てが滅び去った後。

 廃妃となった私は灼熱の恋情を抱いた腕の中に、身も心も―――蕩け堕ちた。

 浮かんだ笑みが、幸福によるものか、神々への嘲笑によるものかは、自分でもわからなかった。



<終>
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