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我が足に自由を
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ボールをトラップし、そのままの勢いでドリブルに繋げる。細かいタッチながらもドリブルは加速し、敵を2人、3人と綺麗に抜いた。サイドの、敵陣の奥深くまで切り込むと、ゴール前へ走っている見方を視界に確認し、センタリングを放った。放物線を描いたボールを、ゴール前のフリーの味方がダイレクトでシュートした。
一瞬の緊張を、味方チームや味方チームを応援するベンチや保護者の歓声が破った。彼のシュートしたボールは見事に、ゴールネットを揺らしたのだ。
綺麗なセンタリングを出した少女、漆葉 澪(うるしば みお)はパスを受け取りゴールを決めた少年や、他のチームメイト達と笑顔いっぱいに喜んだ。
小学6年生で、最後の、県内では一番大きい大会を見事一位で終えた澪のチームは、地元の新聞紙からインタビューを受けた。キャプテンと監督が幾つか質問を受け、一段落着くと、質問は澪に向けられた。
「8番の漆葉 澪選手は、父であり、元日本代表の、あの漆葉 玄(うるしば げん)選手を彷彿とさせる様なシュートやアシストなど、様々な活躍を今大会でも見せてくれました。小学生としてはこの大会が最後になると思うのですが、中学校、高校と、その先のサッカービジョンについてお聞かせください。」
澪の父は、かつて日本代表の中心選手であり、引退した今はJリーグのとあるチームでコーチをしている。現役時代はその卓越した足元の技術とゲームメイクで、正にファンタジスタであると言われていた選手であった。
そんな玄の一人娘であった澪は、幼い頃から父とサッカーに励み、小学6年になった今では、男子と混ざっても目を引く程である。将来は女子のプロも全く夢ではないと目されていた。最も、彼女はまだ小学生であり、将来のことなど、とても考えていない様であった。今、サッカーがしたいから、そのサッカーへの熱意と愛ゆえにサッカーをしていた。
しかし、事件はその3日後の小学校の休み時間に起きた。
隣のクラスで、同じサッカー部の2軍に所属するメンバーの会話をたまたま耳にしてしまったのだ。
「昨日の試合見た!?」
「昨日?女子の代表戦だっけ?女子サッカーは興味ないわー」
「まぁ確かに男子よりはな。迫力もないし。」
会話の内容はそんな感じだった。これを話していた男子に悪意は全くなかっただろうが、澪にとっては衝撃だった。「男子」「女子」で括られた代表戦の話は、いつしか、「女子」である澪自身のサッカーを否定している様な気がしてならなかった。澪自身、サッカーにおいて男女を意識したことは余りなかったが、突如性別の壁にぶち当たった様な気分だった。
そして、今まで共に練習をしてきた仲間に、そのように思われているんじゃないかと、一度考えると目眩が止まらなくなった。
その衝撃は、ただの小学生の情熱と愛を、遥かに凌いだようだった。
三日後、澪はサッカーを辞めた。
小学校を卒業し、地元の中学に上がると、澪はダンス部に入った。それまでサッカーに注いでいた愛は、次はダンスに向けられた。最も、週に数時間、どうしてもサッカーが忘れられずに公園で、一人でボールを蹴ることが習慣になっていたが。
田舎だったためか、澪の地区では、地元の高校がない。中学まで地元の学校はあったが、そこを出ると、皆、それぞれある程度離れたバラバラの高校に通うようになる。
澪は、中学を卒業すると、地元からは一人も行く人が居なかった高校に、一人で入学した。単にダンス部があったという理由である。
高校の入学式を終え、一週間ほど経つと、部活の勧誘会があり、一年の澪のクラスでは、すでに出来上がりつつある仲良しグループ間で、何の部活に入るのかを専ら皆、話し合っていた。
「澪は何部に入るの?」
話を振られた澪は
「私はダンス部かなー。中学でもやってたし。」
と答えたが、不意に後ろから名前を呼ばれて背筋が伸びた。
「漆葉澪!!お前はサッカー部に入れよ!」
振り返ると、短髪の女子が、ものすごい形相で突っ立っていた。顔に覚えはなかったが、上履きの色が澪と同じだったので、恐らく隣のクラスの一年生だろうと想像した。澪にサッカーをさせようとしているのを見ると、小学校の時の、澪の活躍を知っている者だろう。
「なんで!?お前はサッカーしろよ!!」
とその女子は続けた。
澪は笑って誤魔化そうと
「サッカーはもう辞めたの。今はダンスやってるから」
と言ったが、相手は未だ剣幕を放ち続けて、
「何でお前がダンスなんかやってんだ!!お前は漆葉澪だぞ!!漆葉玄のガキで!あの漆葉澪なんだぞ!?」
相手の食ってかかってくる態度も相まってか、『ダンスなんか』という言葉や、父親を持ち出されたことで、流石に澪もイラっときた。
相手のこちらの言葉を聞かない態度を見ているとつい
「うるさい!サッカーは辞めたの!女子サッカーは迫力に欠ける!女子サッカーなんて…面白くないじゃん!女子のプロになったって仕方ないじゃん!!」
と、全く思っても見なかった言葉が口をついて出た。澪自身、自分の口から出たこの言葉に驚いたが、目の前の相手の顔を見ると、どうやら相手も驚いているようだった。
澪達の口論は教室中に響き渡っていた。多くのクラスメイトがこちらに視線を向けていたのが澪は分かっていた。
暫くの沈黙の後、相手は
「…私は矢藤(やとう)。矢藤 鈴(すず)。本気で女子サッカーは面白くないって思ってるなら、一度でいい。来週の日曜日、練習試合に出て。私が出してあげるから。」
「…は?」
矢藤鈴と名乗った目の前の人物の、突飛な提案が、澪は一瞬理解できなかった。
鈴は続けて
「この学校の女子サッカー部は人数も多くないし、私はここの監督の推薦をもらってここにいる。その私が監督にちょっとでも頭下げたら、あんた一人試合に出すくらいできるわ。」
今更だが、どうやらこの矢藤鈴はとんだ高飛車な人物らしい。
澪は、これ以上続けても無駄だと思ったのと、ほんの少しだけサッカーをやりたいという気持ちもあったのか、これを了承した。
鈴は
「澪!女子サッカーは面白いって言わせてあげる。私のサッカーを見せてあげる。」
と教室を出て行った。
いつの間にか名前呼びされていることや、最後の『私のサッカーを見せてあげる』と言う発言も、よっぽど自信があると見えて、かなり鈴の実力に興味が湧いた。
澪は来週の日曜日、練習試合の日をただ、待っていた。一人でボールを蹴っていた中学3年間を経て、小6振りのチームスポーツとしてのサッカーをほんの少しだけ、楽しみにして。それが澪にとって、最後のサッカーになるのだろうと、澪は確信していた。
日曜日、これから練習試合が始まるサッカーコートを前にして、澪は自身の心が、幾らか高揚しているのを自覚した。味方の選手も、敵の選手もアップを始め、今から試合が始まるという緊張感が、澪の興奮を加速させたのかもしれない。
それにしても、サッカー部ではない自分が、味方チームのユニフォームを着てここに居るのは不思議である。朝イチで監督から味方選手に紹介してもらったが、『あの漆葉玄の娘だ!』という紹介のされ方だったため、アップ中の今でも幾人かの選手が、澪の噂をしているようだ。その選手達の少し横に、凛の姿があった。どうやら本当に鈴は監督に、こんな無茶を認めさせたらしい。監督に無茶が言える程、凄いのか、という興味に、今からプレーを見ることで、答えが出せるという事実に、更なる興奮を見出した。
そして、練習試合は始まった。
鈴はツートップのFWで10番を背負っていた。が、澪の期待とは裏腹に、澪はベンチスタートだった。折角来てやったのにベンチって、どんな仕打ちなんだよ、と悪態を吐きながら試合の趨勢を見守っていた。
戦況は全く芳しくない様子だった。味方チームのボールから試合は開始し、軽くパスを回していたが、すぐに敵のMFである8番の選手のプレッシャーによって簡単に破綻した。8番にボールを取られると、8番からの鋭いパスを相手の10番の選手がフリーで受け取り、忽ち鋭いシュートがネットを揺らした。10番の選手のシュートやボールを受け取る位置どり、スピードもさることながら、8番は澪の高校の女子サッカーの想像を遥かに上回った。プレッシャーのかけ方、体の当て方や守備、的確なパスに視野の広さを、ワンプレーで思い知らされた。
詰まるところ、開始2分で先制点を決められた味方チームは相手との実力差を改めて悟り、怯えているように見えた。どうやら相手チームは県大会では優勝間違いなしと言われるチームらしく、元々負け試合だと考えている味方選手が大半であったようだ。
点を決められたタイミングで監督は澪に目を配った。交代の合図のようだ。ちょうど、登録選手のいなかった7番の背番号をつけた澪は、味方のMFの選手と交代した。先程の相手の8番の選手と丁度マッチアップするポジションだ。そして、澪が小学校の時にずっと活躍していたのもこのMFというポジションだった。
久しぶりにピッチに立って、程よい緊張を澪は感じた。小学生から高校生ではコートの広さも違うため、昔に比べて、より広く感じられるかとも考えたが、身長も同じように伸びているためか、思いの外、そんな事はなかった。寧ろ、あの頃と同じような、懐かしい気持ちである。
川にでも浸かっているかのような冷たい感覚が足首を撫でた。頭は鮮明である。そんな感覚は小学校の試合以来であった。
試合再開のホイッスルが鳴り響く。点を取られた味方チームのボールからだ。トップの凛が、もう一人のトップの選手にパスをもらい、凛は真下の澪にパスを出した。パスを受けた澪は顔を上げ、他の選手にパスを出すか、それとも自分でドリブルをして相手の陣地へ切り込むかを、一瞬で考えた。
しかし、視野が広くなった気がする。試合へのブランクはあるだろうが、勝負勘も落ちていないように思う。
澪は自分でドリブルをすることを選択した。サッカー部からは離れていたものの、一人でボールを触っていた時間は長く、足元の技術は小学校の頃よりも更に磨きがかかっており、正に一級品であった。敵も味方も関係なく、おぉ、と感嘆の音を出した程であった。
簡単なフェイントで相手の選手を忽ち一人躱す。更にドリブルを加速させようとしたーーーが、例の8番がそれを阻止した。澪はフェイントで8番を抜いたつもりだったが、ボールは澪の元にはなく、寧ろ8番の足元にあった。澪はミスした訳ではなかった。ただ単に8番の技術が澪のものを上回った。やはりこの8番は相手チームの要であろう。それ程の能力だった。
一転、守備に回る味方チームであったが、またもや8番のパスは10番が受け取り、シュートまで持ってった。幸運なことに、シュートはゴールポストに当たり、ラインを割った。澪も安堵の息を吐いた。
一瞬の安息の後、味方のゴールキックからプレーは再開された。流れを変えたのは、澪と鈴だった。
ボールを貰った澪はその勢いのままにフェイント、ルーレット、ワンツーを使い見事に敵をごぼう抜きした。毎度、抜かれる相手の苦い表情を見る余裕もあった程だ。
しかし、敵の8番がまた澪の前に立ち憚った。と、見ると今度は一人で突っ込むことはせず、左前方でフリーとなった鈴にパスを出した。
ニッと笑いパスをそのままドリブルにつなげた鈴は、シュートの体制を取った。相手のGKは重心を低くし、DFはシュートコースを切ろうと走ってきて足を伸ばしたのを鈴は確認し、その足にコースを切られる前に、強烈なシュートを放った。
澪はこのシュートに息を呑んだ。相手のGKも、足を伸ばしてきたDFも、フィールドの選手に限らず、この試合を見た多くの人がこのシュートに衝撃を受けた。
結論から言うと、鈴の足から放たれた強烈なシュートは、その優れたコースや角度、スピードをもってして、味方の得点となった。
味方チームが湧いた。格上相手に士気が落ちていた所に、一年のトンデモシュートだった。澪も湧いた。なるほど確かな実力、という訳である。相手の8番も鈴も、女子サッカーは迫力に欠けるだ、面白くないだとか言った澪自身を後悔した。
一点を得て、一対一の同点に持ち込んだものの、前半の終了間際には防戦になっていた。相手8番がボールを持つと瞬く間にバイタルエリアに侵入を許してしまい、今度は彼女自身が放ったシュートは綺麗にGKの反対を突き、一度ポストに当たり、ネットを揺らした。
2対1で1点を追いかける後半が始まった。
ボールを貰った澪はまた8番相手に勝負をかけようとした。一対一の対面に持ち込むと敢えて相手に背中を見せボールをキープする体制に入る。後ろから8番のプレッシャーを受ける。それを見た味方選手が澪の横を走りパスを要求し、澪はそれに応え、パスを出そうとする。パスを出すのを予期した8番は味方選手へのパスをカットしようと味方選手と澪との間に体を入れた。ーーーことを理解していた澪はパスを出そうとする足を逆に反転させ、味方選手、もとい8番とは逆方向にターンをした。ルーレットで8番を抜いた形である。してやられたと8番が振り返る頃には澪はドリブルにスピードをつけていた。
加速した澪のドリブルは簡単には止まらなかった。2人、3人と、相手選手を抜くと味方の他の選手がフリーだったのを視界に確認し、その選手にパスを出した。その選手はシュート圏内でパスをもらい、ダイレクトでシュートを蹴った。 相手GKの手に弾かれたボールはゴールの前に走っていた澪の足元に丁度、収まった。
ダイレクトで相手GKのいないネットへシュートを打ち込んだ。
爽快なピッというゴールを告げる音が響く。後半も中盤に差し掛かって、2対2の同点に、もつれ込んだ。再び味方は湧いた。やはりサッカーは楽しいと改めて感じる。またピッチに立てて良かった。ボールを蹴れて良かった。鈴の誘いに乗って良かった。
試合の再開は相手の8番と澪との一対一だった。8番ドリブルを澪がディフェンスする。やはり、ボールが取れない。圧倒的に上手いのだ。しかし、簡単に抜かれることもなかった。澪が止めている間に、8番の後ろから味方の足がボールへ伸びた。8番の必死の抵抗も虚しく、2対1へ持ち込みなんとかボールを奪取した澪は、ドリブルを始めた。
澪は止まらなかった。
相手を1人、フェイントで抜く。相手を1人、シザースで抜く。相手をまた1人、ワンツーで抜く。更に1人、ルーレットで抜く。そして1人、ボールを股に通して抜いた。
まさに独壇場だった。味方選手も観客も、相手チームの監督ですら、澪のプレーに目を惹きつけられた。
あぁ、サッカーは自由だ。サッカーは、最高に楽しい!
そんなことを思いながら澪はシュートを打った。
一瞬の緊張を、味方チームや味方チームを応援するベンチや保護者の歓声が破った。彼のシュートしたボールは見事に、ゴールネットを揺らしたのだ。
綺麗なセンタリングを出した少女、漆葉 澪(うるしば みお)はパスを受け取りゴールを決めた少年や、他のチームメイト達と笑顔いっぱいに喜んだ。
小学6年生で、最後の、県内では一番大きい大会を見事一位で終えた澪のチームは、地元の新聞紙からインタビューを受けた。キャプテンと監督が幾つか質問を受け、一段落着くと、質問は澪に向けられた。
「8番の漆葉 澪選手は、父であり、元日本代表の、あの漆葉 玄(うるしば げん)選手を彷彿とさせる様なシュートやアシストなど、様々な活躍を今大会でも見せてくれました。小学生としてはこの大会が最後になると思うのですが、中学校、高校と、その先のサッカービジョンについてお聞かせください。」
澪の父は、かつて日本代表の中心選手であり、引退した今はJリーグのとあるチームでコーチをしている。現役時代はその卓越した足元の技術とゲームメイクで、正にファンタジスタであると言われていた選手であった。
そんな玄の一人娘であった澪は、幼い頃から父とサッカーに励み、小学6年になった今では、男子と混ざっても目を引く程である。将来は女子のプロも全く夢ではないと目されていた。最も、彼女はまだ小学生であり、将来のことなど、とても考えていない様であった。今、サッカーがしたいから、そのサッカーへの熱意と愛ゆえにサッカーをしていた。
しかし、事件はその3日後の小学校の休み時間に起きた。
隣のクラスで、同じサッカー部の2軍に所属するメンバーの会話をたまたま耳にしてしまったのだ。
「昨日の試合見た!?」
「昨日?女子の代表戦だっけ?女子サッカーは興味ないわー」
「まぁ確かに男子よりはな。迫力もないし。」
会話の内容はそんな感じだった。これを話していた男子に悪意は全くなかっただろうが、澪にとっては衝撃だった。「男子」「女子」で括られた代表戦の話は、いつしか、「女子」である澪自身のサッカーを否定している様な気がしてならなかった。澪自身、サッカーにおいて男女を意識したことは余りなかったが、突如性別の壁にぶち当たった様な気分だった。
そして、今まで共に練習をしてきた仲間に、そのように思われているんじゃないかと、一度考えると目眩が止まらなくなった。
その衝撃は、ただの小学生の情熱と愛を、遥かに凌いだようだった。
三日後、澪はサッカーを辞めた。
小学校を卒業し、地元の中学に上がると、澪はダンス部に入った。それまでサッカーに注いでいた愛は、次はダンスに向けられた。最も、週に数時間、どうしてもサッカーが忘れられずに公園で、一人でボールを蹴ることが習慣になっていたが。
田舎だったためか、澪の地区では、地元の高校がない。中学まで地元の学校はあったが、そこを出ると、皆、それぞれある程度離れたバラバラの高校に通うようになる。
澪は、中学を卒業すると、地元からは一人も行く人が居なかった高校に、一人で入学した。単にダンス部があったという理由である。
高校の入学式を終え、一週間ほど経つと、部活の勧誘会があり、一年の澪のクラスでは、すでに出来上がりつつある仲良しグループ間で、何の部活に入るのかを専ら皆、話し合っていた。
「澪は何部に入るの?」
話を振られた澪は
「私はダンス部かなー。中学でもやってたし。」
と答えたが、不意に後ろから名前を呼ばれて背筋が伸びた。
「漆葉澪!!お前はサッカー部に入れよ!」
振り返ると、短髪の女子が、ものすごい形相で突っ立っていた。顔に覚えはなかったが、上履きの色が澪と同じだったので、恐らく隣のクラスの一年生だろうと想像した。澪にサッカーをさせようとしているのを見ると、小学校の時の、澪の活躍を知っている者だろう。
「なんで!?お前はサッカーしろよ!!」
とその女子は続けた。
澪は笑って誤魔化そうと
「サッカーはもう辞めたの。今はダンスやってるから」
と言ったが、相手は未だ剣幕を放ち続けて、
「何でお前がダンスなんかやってんだ!!お前は漆葉澪だぞ!!漆葉玄のガキで!あの漆葉澪なんだぞ!?」
相手の食ってかかってくる態度も相まってか、『ダンスなんか』という言葉や、父親を持ち出されたことで、流石に澪もイラっときた。
相手のこちらの言葉を聞かない態度を見ているとつい
「うるさい!サッカーは辞めたの!女子サッカーは迫力に欠ける!女子サッカーなんて…面白くないじゃん!女子のプロになったって仕方ないじゃん!!」
と、全く思っても見なかった言葉が口をついて出た。澪自身、自分の口から出たこの言葉に驚いたが、目の前の相手の顔を見ると、どうやら相手も驚いているようだった。
澪達の口論は教室中に響き渡っていた。多くのクラスメイトがこちらに視線を向けていたのが澪は分かっていた。
暫くの沈黙の後、相手は
「…私は矢藤(やとう)。矢藤 鈴(すず)。本気で女子サッカーは面白くないって思ってるなら、一度でいい。来週の日曜日、練習試合に出て。私が出してあげるから。」
「…は?」
矢藤鈴と名乗った目の前の人物の、突飛な提案が、澪は一瞬理解できなかった。
鈴は続けて
「この学校の女子サッカー部は人数も多くないし、私はここの監督の推薦をもらってここにいる。その私が監督にちょっとでも頭下げたら、あんた一人試合に出すくらいできるわ。」
今更だが、どうやらこの矢藤鈴はとんだ高飛車な人物らしい。
澪は、これ以上続けても無駄だと思ったのと、ほんの少しだけサッカーをやりたいという気持ちもあったのか、これを了承した。
鈴は
「澪!女子サッカーは面白いって言わせてあげる。私のサッカーを見せてあげる。」
と教室を出て行った。
いつの間にか名前呼びされていることや、最後の『私のサッカーを見せてあげる』と言う発言も、よっぽど自信があると見えて、かなり鈴の実力に興味が湧いた。
澪は来週の日曜日、練習試合の日をただ、待っていた。一人でボールを蹴っていた中学3年間を経て、小6振りのチームスポーツとしてのサッカーをほんの少しだけ、楽しみにして。それが澪にとって、最後のサッカーになるのだろうと、澪は確信していた。
日曜日、これから練習試合が始まるサッカーコートを前にして、澪は自身の心が、幾らか高揚しているのを自覚した。味方の選手も、敵の選手もアップを始め、今から試合が始まるという緊張感が、澪の興奮を加速させたのかもしれない。
それにしても、サッカー部ではない自分が、味方チームのユニフォームを着てここに居るのは不思議である。朝イチで監督から味方選手に紹介してもらったが、『あの漆葉玄の娘だ!』という紹介のされ方だったため、アップ中の今でも幾人かの選手が、澪の噂をしているようだ。その選手達の少し横に、凛の姿があった。どうやら本当に鈴は監督に、こんな無茶を認めさせたらしい。監督に無茶が言える程、凄いのか、という興味に、今からプレーを見ることで、答えが出せるという事実に、更なる興奮を見出した。
そして、練習試合は始まった。
鈴はツートップのFWで10番を背負っていた。が、澪の期待とは裏腹に、澪はベンチスタートだった。折角来てやったのにベンチって、どんな仕打ちなんだよ、と悪態を吐きながら試合の趨勢を見守っていた。
戦況は全く芳しくない様子だった。味方チームのボールから試合は開始し、軽くパスを回していたが、すぐに敵のMFである8番の選手のプレッシャーによって簡単に破綻した。8番にボールを取られると、8番からの鋭いパスを相手の10番の選手がフリーで受け取り、忽ち鋭いシュートがネットを揺らした。10番の選手のシュートやボールを受け取る位置どり、スピードもさることながら、8番は澪の高校の女子サッカーの想像を遥かに上回った。プレッシャーのかけ方、体の当て方や守備、的確なパスに視野の広さを、ワンプレーで思い知らされた。
詰まるところ、開始2分で先制点を決められた味方チームは相手との実力差を改めて悟り、怯えているように見えた。どうやら相手チームは県大会では優勝間違いなしと言われるチームらしく、元々負け試合だと考えている味方選手が大半であったようだ。
点を決められたタイミングで監督は澪に目を配った。交代の合図のようだ。ちょうど、登録選手のいなかった7番の背番号をつけた澪は、味方のMFの選手と交代した。先程の相手の8番の選手と丁度マッチアップするポジションだ。そして、澪が小学校の時にずっと活躍していたのもこのMFというポジションだった。
久しぶりにピッチに立って、程よい緊張を澪は感じた。小学生から高校生ではコートの広さも違うため、昔に比べて、より広く感じられるかとも考えたが、身長も同じように伸びているためか、思いの外、そんな事はなかった。寧ろ、あの頃と同じような、懐かしい気持ちである。
川にでも浸かっているかのような冷たい感覚が足首を撫でた。頭は鮮明である。そんな感覚は小学校の試合以来であった。
試合再開のホイッスルが鳴り響く。点を取られた味方チームのボールからだ。トップの凛が、もう一人のトップの選手にパスをもらい、凛は真下の澪にパスを出した。パスを受けた澪は顔を上げ、他の選手にパスを出すか、それとも自分でドリブルをして相手の陣地へ切り込むかを、一瞬で考えた。
しかし、視野が広くなった気がする。試合へのブランクはあるだろうが、勝負勘も落ちていないように思う。
澪は自分でドリブルをすることを選択した。サッカー部からは離れていたものの、一人でボールを触っていた時間は長く、足元の技術は小学校の頃よりも更に磨きがかかっており、正に一級品であった。敵も味方も関係なく、おぉ、と感嘆の音を出した程であった。
簡単なフェイントで相手の選手を忽ち一人躱す。更にドリブルを加速させようとしたーーーが、例の8番がそれを阻止した。澪はフェイントで8番を抜いたつもりだったが、ボールは澪の元にはなく、寧ろ8番の足元にあった。澪はミスした訳ではなかった。ただ単に8番の技術が澪のものを上回った。やはりこの8番は相手チームの要であろう。それ程の能力だった。
一転、守備に回る味方チームであったが、またもや8番のパスは10番が受け取り、シュートまで持ってった。幸運なことに、シュートはゴールポストに当たり、ラインを割った。澪も安堵の息を吐いた。
一瞬の安息の後、味方のゴールキックからプレーは再開された。流れを変えたのは、澪と鈴だった。
ボールを貰った澪はその勢いのままにフェイント、ルーレット、ワンツーを使い見事に敵をごぼう抜きした。毎度、抜かれる相手の苦い表情を見る余裕もあった程だ。
しかし、敵の8番がまた澪の前に立ち憚った。と、見ると今度は一人で突っ込むことはせず、左前方でフリーとなった鈴にパスを出した。
ニッと笑いパスをそのままドリブルにつなげた鈴は、シュートの体制を取った。相手のGKは重心を低くし、DFはシュートコースを切ろうと走ってきて足を伸ばしたのを鈴は確認し、その足にコースを切られる前に、強烈なシュートを放った。
澪はこのシュートに息を呑んだ。相手のGKも、足を伸ばしてきたDFも、フィールドの選手に限らず、この試合を見た多くの人がこのシュートに衝撃を受けた。
結論から言うと、鈴の足から放たれた強烈なシュートは、その優れたコースや角度、スピードをもってして、味方の得点となった。
味方チームが湧いた。格上相手に士気が落ちていた所に、一年のトンデモシュートだった。澪も湧いた。なるほど確かな実力、という訳である。相手の8番も鈴も、女子サッカーは迫力に欠けるだ、面白くないだとか言った澪自身を後悔した。
一点を得て、一対一の同点に持ち込んだものの、前半の終了間際には防戦になっていた。相手8番がボールを持つと瞬く間にバイタルエリアに侵入を許してしまい、今度は彼女自身が放ったシュートは綺麗にGKの反対を突き、一度ポストに当たり、ネットを揺らした。
2対1で1点を追いかける後半が始まった。
ボールを貰った澪はまた8番相手に勝負をかけようとした。一対一の対面に持ち込むと敢えて相手に背中を見せボールをキープする体制に入る。後ろから8番のプレッシャーを受ける。それを見た味方選手が澪の横を走りパスを要求し、澪はそれに応え、パスを出そうとする。パスを出すのを予期した8番は味方選手へのパスをカットしようと味方選手と澪との間に体を入れた。ーーーことを理解していた澪はパスを出そうとする足を逆に反転させ、味方選手、もとい8番とは逆方向にターンをした。ルーレットで8番を抜いた形である。してやられたと8番が振り返る頃には澪はドリブルにスピードをつけていた。
加速した澪のドリブルは簡単には止まらなかった。2人、3人と、相手選手を抜くと味方の他の選手がフリーだったのを視界に確認し、その選手にパスを出した。その選手はシュート圏内でパスをもらい、ダイレクトでシュートを蹴った。 相手GKの手に弾かれたボールはゴールの前に走っていた澪の足元に丁度、収まった。
ダイレクトで相手GKのいないネットへシュートを打ち込んだ。
爽快なピッというゴールを告げる音が響く。後半も中盤に差し掛かって、2対2の同点に、もつれ込んだ。再び味方は湧いた。やはりサッカーは楽しいと改めて感じる。またピッチに立てて良かった。ボールを蹴れて良かった。鈴の誘いに乗って良かった。
試合の再開は相手の8番と澪との一対一だった。8番ドリブルを澪がディフェンスする。やはり、ボールが取れない。圧倒的に上手いのだ。しかし、簡単に抜かれることもなかった。澪が止めている間に、8番の後ろから味方の足がボールへ伸びた。8番の必死の抵抗も虚しく、2対1へ持ち込みなんとかボールを奪取した澪は、ドリブルを始めた。
澪は止まらなかった。
相手を1人、フェイントで抜く。相手を1人、シザースで抜く。相手をまた1人、ワンツーで抜く。更に1人、ルーレットで抜く。そして1人、ボールを股に通して抜いた。
まさに独壇場だった。味方選手も観客も、相手チームの監督ですら、澪のプレーに目を惹きつけられた。
あぁ、サッカーは自由だ。サッカーは、最高に楽しい!
そんなことを思いながら澪はシュートを打った。
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