境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

8.露天商の話

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グレゴリーでもあれだけの量を食べ切れるか、それとも残すかという密かな賭けは、シリスの勝利で終わった。

「お姉ちゃん、お兄ちゃん、またねー」

母と同じように頭を下げた父の横で、大きく手を振るヘリオに手を振りかえす。
シリスとヴェルは共に小道へと足を踏み出した。

「最終日さ、戻る直前にあの店で持ち帰りして帰るか」
「いいかも!みんなが好きそうなものも多かったし喜んでくれそう」

自分達もかなり満足したのだ、きっと気に入ってくれるだろう。お互い初めての現地任務を終えた後なのだから、戻ったら慰労会なんかを開いても良いかもしれない。
今まさに、自分たちと同じく初回の任務をこなしているだろう友人達を思い浮かべて、シリスは笑みを漏らす。

「次は卵潰すのあたしね」
「いや、あの形のガレットは持ち帰りに不向きだろ」
「半熟卵だけ家で作る?」
「どんだけ潰したいんだよ……」

ヘリオに教えてもらったように道を辿れば、すぐに大通りへ出ることができた。
昼時を過ぎてはいるが、まだまだ賑わいは衰えを見せていない。

「そういえばパレードって30分くらいで折り返してくるんだっけ?」
「そういや、爺さんがそんなことも言ってたな」

路地に入ってからあの店を出るまでに大体2時間くらいは過ぎている。折り返しのパレードも、もう終わっているだろう。
初めて見たあの光景は、当初の感動が今も蘇ってくるほどには鮮明な記憶だ。この世界にも撮影技術はあったのだから、写真を撮れば良かったなとシリスは反省した。明日か明後日には必ず撮って帰ろうと心の内で決意する。

大通りは港まで直結している。南の方へ向かえば迷うことなく目的地へと着けるだろう。

「道中なんか聞くっつってもなぁ……。観光客のフリして、最近何か変わった事ないか?くらいの感じで聞いて回るしかなさそうじゃね」
「あたしもそう思う。とりあえず食べ歩きでもしながら聞いてみたらいいんじゃないかな」

フリともいわず、元より2人は異邦人であるからして素のままで居るだけで観光客みたいなものだ。

「さっき食ったばっかじゃん」
「こういうのは別腹っしょ?すみません!このイカ焼き2つください」

シリスは手始めに、1番近くの露店で買ったイカ焼きをひとつヴェルの口に突っ込んだ。

そうやって観光を楽しむフリをしながら、大通りに店を出す露天商たちに変わったことや気になることが無かったか聞いてみる。
しかし、皆一様に何もないの一点張りだったのはやはり、緘口令があるからだろうか。その中に何人が鏡像を見たことがあり、何人が未だ存在を知らないままなのか2人には分かる術はなかった。

「ここだけの話なんだけど」

片っ端から聞くのも怪しいかと、何店舗か間隔を開けて世間話のように聞き込みをしていたときだった。1人の商人が声を潜めてそう答えた。

魔導人形のミニチュアを扱う店構えは沢山あるが、そこは動く事もない本当の置き物を取り扱っている様だった。だからなのか、いま足を止めているのはヴェルとシリス以外にはいない。
露天商の女性は、その恰幅の良い体格をなるべく縮こまらせて言葉を続ける。

「最近、魔導人形の調子がおかしいんだよ」
「魔導人形?」

全く予想外の話だった。



てっきり鏡像に関する話をされると思っていただけに少し拍子抜けだが、女性が真剣な顔で話すために2人も真面目に耳を傾けてしまう。

「あんたら観光客だろ?パレードは見たかい?」
「見ました!凄く素敵で……お祭りみたいでした!」
「喜んでもらえたならそりゃ良かったよ。……外部の人らには分かんないかもしれないけどさ、ここ数ヶ月人形たちの元気がないんだ」

その言葉に、ヴェルもシリスも顔を見合わせる。

「人形の元気がない……ですか?」
「そうさね。上手く言えないんだけどさ」

長年見てきた故だろうか、と、女性は悲しげに目を伏せた。

「前はもっと生き生きしてたんだ。だけど黒いやつらが現れてから、日に日に動きが弱ってるんだよ。エミリオさんも倒れちまったっていうから、人形たちのメンテナンスをする人間がなかなか居なくて……あ、エミリオさんっていうのは町長なんだけど今の時計守でもあってね───」
「っ、あの!」

思い出に浸って口が回り始めたのか、饒舌じょうぜつに語り始める女性の口から出た言葉に思わずシリスが声を上げた。
話の腰を途中で折られた女性はほんの僅かばかりに眉を顰めるが、続くシリスの言葉に顔色を変える。

「黒いやつら……って、なんのことですか?」
「あ!な、何でもないよ!」

女性は鏡像が町に現れ始めているのを知っている様だ。しかし慌ててしらばくれようとする辺り、やはりヘリオの父が言った様に圧力が掛かっているのは確かなのだろう。
シリスはもう一度ヴェルに目線を投げかける。それを受け取ったヴェルは、シリスにだけ分かる程度に頷いて口を開いた。

「俺たち、ここに来た時に路地に迷い込んじゃったんすよ。その時に黒いモヤみたいなのが飛んできて」
「…‥あんたらも見たのかい?」

ビンゴだ。騙すのは心苦しいが、2人は女性の言葉に乗り掛かることに決めた。

「通りかかった自警団の人に助けてもらったんすけど、内緒にしててくれって言われたもんで。あれって鏡像ですよね?俺たちの町……フルベルグでも最近見るようになってきて」
「隣町にも出るのかい!?」

ヒトは共感を得ると口が軽くなりやすい。隣町の名前を出したヴェルの言葉に、女性は分かりやすく警戒を解いているように見えた。
特技といっていいものかは疑問点だが、ヴェルはこういった舌先三寸はそれなりに得意である。
よく隣町の名前を覚えていたなとシリスはその横で密かに感心していた。

「俺たちのとこはつい先月くらいから、ちらほら見るようになってきて。ここ数十年見たことなかったから町の人間も最初は分からなかったんすよ」
「ここもさ。こっちは3ヶ月前からだけどね……鏡像なんて今日日見たことなんてなかったさね。でも、私らの世代はまだ存在を教えられてるだけ気付けるから良いさ。今の子供は鏡像のことも守護者様のことも教えられてないんだよ、あまりに遭遇しなくて夢物語みたいなもんと思われてるのさ。学ぶ優先度が低くなっちまってんだ」

そう語る女性自身の歳は40~50くらいだろうか?目元に刻まれた皺がそれなりに深いことから、おそらく中年を過ぎているかいないかだと思われる。

「俺たちのところと同じっすね。こないだ守護者様に連絡を取ったそうなんで、あとは待つだけなんすけど」
「……いいねぇ、あんたらの町は。ここは今のところ大きな町で自警団も数がいるからさ、何とか対応できてるみたいなんだ。だから上の人間からは観光客に影響を与えるような情報を出すなって言われちまってんだよ。一応、私らも早めに対処してもらうように連絡を取ってくれって言ったんだけどね」
「でも対応できてるなら良いんじゃないすか?」
「あんたらもしっかりとは学ばせてもらってないクチかい?鏡像は恐ろしいんだよ」

女性はそこで一旦言葉を切ると、周りを見回した。
周りには他にもまだ人はいるが、皆が思い思いの買い物や観光に興じている。騒つく通りでは耳を澄ませない限り3人の話がわざわざ聞こえることはないだろう。
女性はそれを確認して、再びヴェルとシリスに向き直った。

「鏡像はヒトの近くに出る奴が殆どさ。それに、弱い個体でもヒトを食うとどんどん成長しちまう。今は対処できてるから良いさ、でもいつか自警団でも撃ち漏らすくらいに数が出たらどうだい?誰かを襲ったら?人間じゃ太刀打ち出来ないくらい育っちまったら?ヒトに擬態できるほどに」
「……」
「だから守護者様が必要なんだ。定期的に見回りをしてくれてるって話だが、この町は皮肉にも平和だからね。次にいつ来てくれるのか誰もわかんないんだよ」

はぁ、
女性はこめかみを抑えて嘆息した。

「平和にかまけて、守護者様の有り難みや鏡像の怖さを軽んじたバチが当たったんだよ。若い奴らは鏡像をそこまでの脅威と見做みなしちゃいないし、私らは自分の生活を守るために上の言うことを聞いて大人しくしなきゃならない。今はただ、守護者様が次の視察に出来るだけ早く来てくれることを祈るばかりさ」

最後に力無く笑うと女性は肩をすくめた。

ヘリオの父の話と、あまり相違はなかった。
この女性が感じていることは、おそらくそれなりの数の人間が感じていることだろう。
叶うならば、いま守護者グレゴリーが来ている事を伝えて安心させたい気持ちはあるが、そのために身分を明かしても良いかの判断はシリスやヴェルができるところではなかった。

歯痒い思いを抱えながら、港までの道を再び歩き出す。
同じように地道な聞き込み作業を続ける事はやめなかったが、先程の女性ほど話してくれる人間はいない。

大きな成果が出ないまま大通りはとうとう終わりを迎える。


大きく開けた視界。

周りを遮る建物がなくなった2人の目の前には、絶え間なく波が輝く、青い海が広がっていた。
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