境界線のモノクローム

常葉㮈枯

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始まりの町・リンデンベルグ

30.終焉の鐘

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 接着し合うレンガの隙間に刃をねじ込ませ、思い切り引き裂く。

 ぼろり。

 地面に落ちて砕けた新しい"腕"は次の瞬間、舞い上がって再びエミリオの肩口から形を成す。
 何度やっても同じことで、ヴェルの剣はエミリオ本体にはなかなか当たらない。

「もう1人の方は死にましたかね?まだですかね?」

 シリスが戦線に復帰してこないことで溜飲りゅういんが下がったのか、エミリオの口調がまた白々しく柔らかいものに変わる。気味悪ぃ、と心の中で毒づきながらヴェルは一瞬隙を見せた首を狙う。
 乾いた音を立てて、きっさきは左腕に阻まれた。

「うちのオネエサマがあんなんで死ぬワケないだろ」
「でしたら、早くトドメを刺してあげないといけませんね」

 にこり。

 無害そうな笑みを浮かべるエミリオ。顔だけ見れば、ただ人の良さそうな中年男性だ。

「情緒が終わってんのも大概にしろっての」

 もう一度。

 振り抜かれたエミリオの左手をしゃがんで|
躱《かわ》し、ヴェルはガラ空きの首に向かって剣を突き上げた。

「同じような手が使えると?学びませんねェ!」

 ヴェルの力では、レンガ片といえど分厚いつぶてを貫く事はできない。エミリオは嘲笑って右腕を構えた。

「お前がな」

 その腕を何かが穿った。

「は……」

 それは回旋する水の杭。
 ひとつだけの微々たる攻撃、貫き切らずに形を失った微々たる魔術。それでも、ヴェルが剣を捻じ込ませるには十分な隙間。

 穴を隔ててヴェルとエミリオの視線が交差こうさした。

 隙間を縫った鋭い刺突はエミリオの頬から耳を切り裂き、彼の顔から片眼鏡を弾き飛ばした。本来ならそのまま眼球ごと頭を貫けるはずだったのに、やはり一筋縄ではいかないらしい。ヴェルは刃の実体を解き、再びエミリオに肉薄した。

「もう大体グレゴリーさんが人形潰し終わってるだろ。ここらで諦めねぇ?」
「そうですか、そうですよね。困りました」

 焦るでもなく、再び実体化したヴェルの剣を受け止めてエミリオは唸る。さっき怒り狂っていたのに、今はそこまで見境なく怒りをぶつける気配がない。

 ───あれだけ怒らせるって、何言ったんだよ。
 心中で悪態をつくが、ヴェルの思いなど今のシリスが知るところではない。

 力では押し込むことが出来ない。深追いして左手が飛んでくる前に一旦後ろへ下がろうとした。その時だった。
 エミリオの右腕が急激に形を無くし、ボロボロと崩れて地面に落ちる。力を抜き切る前で力んだ体が、前方に勢いよく倒れた。

「やばっ……」

 慌てて体勢を立て直すヴェルの反応は早い。しかしそれよりも数秒、エミリオの方が早かった。
 骨ばった膝が、抉るようにヴェルの鳩尾を正確に捉える。

「げ、ぼっ」

 先程、シリスが使ったのと同じ手だ。
 痛みよりも先に猛烈な嘔吐感が臓腑ぞうふさいなむ。ヒト型の力と自らの体重で加算的に与えられたダメージは、ヴェルの膝を折るには十分だった。
 倒れ込むまいと片膝で耐えた彼の顎を、無慈悲にエミリオが蹴り上げる。

「が……」

 仰向けに倒れたヴェルの首を、指を模した礫が音を立てて抑え込んだ。

「はは、その格好、お姉さんにそっくりですよ。双子って言ってましたっけ?」

 勝者の笑みを浮かべたエミリオが、ふと頭上を確認する。先程のヴェルの不意打ちが頭をよぎったのだろう。しかし、そこにシリスの姿はない。

「安心して下さい。人形にぶつけるはずだった怨みは、邪魔をしたお姉さんとあのデカブツにぶつけてあげますから」
「……っ、ぐ」
「もうここまで来れば、リンデンベルグだけでも壊れてしまえば後は構いません。どうせエミリオの愛した人形は一体残らず無くなるのですし」

 霞むヴェルの視界に、時計塔の天井が映った。そこには沈黙したままの鐘がただ静かに存在している。



不意に───



「……は、は」



 ───頑丈なはずの姉が姿を見せない意味を、ヴェルはようやく理解した。

「なにを……」

 そこまで言いかけて、エミリオはもう一度ハッと上を見上げる。そこには誰の姿もない。

「……驚かせないでください。これでも、気は弱い方なので」
「そ、かよ。じゃ……最後に、こんなんどうよ?」

 再度見下ろしてきたエミリオの眼前に水の杭がひとつ現れ、回旋しながら凄まじい勢いで放たれた。

 しかし目視出来たそれをエミリオが躱わせないはずもない。肌に傷ひとつつけられず上空に飛んでいった魔術を横目で流し、エミリオは鼻で笑った。

「最後にしては雑ですね」
「……はっ」

 同じく、ヴェルが鼻で笑った。
 エミリオの顔から、笑みが消えた。

 ヴェルの首を押し潰そうとする腕に力が込められる。頸椎が、断末魔を上げようとした。



*




「───爆ぜろフレイムクラック!」

 轟音。

 肩口で生じた爆発で、その腕は粉々に砕けた。エミリオが目をいて振り向けば、そこには満身創痍ながらも不敵な笑みを浮かべて佇むシリスがいる。

「お、まええぇエ!!」

 またしてもトドメを邪魔された。

 その苛立ちが、エミリオの最後の理性をこれ以上ないほどズタズタにする。

 シリスがエミリオに向かって駆けた。彼の砕けた腕が、先ほどよりも早い勢いで修復されていく。

「潰す!お前らは、刺し殺すのではなく潰す!形が残らないほど潰す!潰す、潰す!!」

 修復を超えて、さらに多くの礫を取り込もうと巨大化し始める腕。凄まじい音を上げて、壁のレンガも剥がしながら、その大きさは優に大人1人以上は包めるほど大きく、凶悪なつちとなる。

 エミリオは次こそ目の前の煩わしい存在を叩き潰すと決めた。懐に入り込むまで、ギリギリまで待って、確実に潰すのだ。

 今度こそ。

 シリスが剣を掲げたとて、所詮は子供の力、女の力。それを受け切れる事はないはずだ。
 それほどまでに肥大した腕を前に、シリスが取った行動は。

「ねえ───



水蒸気爆発ってさ、知ってる?」

 ただ、エミリオの前のヴェルを抱えて転がる事だった。

「え?」

 呆けた声が喉から溢れる。
 目の前で流れるように金糸が靡き。

 直後、エミリオの思考はとてつもない重量と質量に押し潰された。




*




 2人して座り込みながら、土煙が立ち昇る時計塔の床を眺める。

「……やった?」
「おい、それ"フラグ"ってやつだからやめろよな」

 釣鐘つりがね型の上部分がもの見事に損壊したリンデンベルグのシンボル。
 落下したそれが、エミリオが居た場所の上に無惨にも転がっている。

「よくあたしのやりたいこと分かったね?」
「というより、シリスならそうするかなって思ったんだよな。あれくらいで気絶するタマでもないだろうし」

 ヴェルはシリスが吹き飛ばされていた方向を見上げた。螺旋の階段は一部崩れ、壁には大きくヒビが入っている。
 弟の答えに不満そうに口を尖らせて、シリスが反論した。

「あたしこれでも繊細なんだけど」
「はいはい。その繊細なお姉様が鐘をこんがりさせてくれたおかげで、爆破できたってワケな」
?だっけ。勉強はあんまり好きじゃないけど、アスに聞いてた雑学が役に立ったね」
「帰ったらあいつになんか奢るか」

 膝に手をついて、ヴェルがよろめきながら立ち上がる。

「お前も、よくあいつが腕を自己修復するって分かってたよな。吹っ飛ばされたあとは見てなかったろ?」

 片手で腹を抑え、もう片方の手を姉に向かって差し出すヴェル。

「いや、ただの偶然。君が絞め落とされる前になんとかしようとしただけ」

 その手を断って、シリスもよろめきながら立ち上がる。彼女の目にはヴェルの膝が震えているのがよく見えたからだ。そうやって立ち上がった彼女の膝も、力を込めていることで僅かに震えている。

「んじゃ、上手い具合で落ちたってことな。音はあいつの腕吹き飛ばした時の音で相殺か」
「そうそう。自分で引き付けてくれたお陰で狙いもズレなかったし、完璧な布陣だったっしょ」

 シリスが魔術で高温に熱した鐘に、ヴェルの水魔術が接触。生じた破壊現象は鐘と吊り縄の繋ぎ目を爆散させ、鐘は自重のままに落ちる。そこにエミリオが自らに磁場を生じさせたことにより、図らずも重力以上の加速度を伴ったそれは凶悪なまでのエネルギーを抱えた。

 結果、彼は自らの能力によりその暴力を直上から受け、下敷きに。
 つまりはそういうことだった。

「いくらヒト型とはいえ、回復できる傷にも限界あるからさ。即死だったら儲けもん───これで頭潰れてるか、全身粉々になってたら安心なんだけど」

 シリスが目を細めて土煙の向こうを覗こうとした。

「くそ、ガキ、ども……が」

 薄れ始めるそこに、上半身だけでもがいているエミリオの姿があった。
 腹から下は鐘に押し潰され、分たれている。それでも片腕の力だけで地を掻く彼の上体は、ゆっくりだが前に進みつつあった。

「あー……ヴェル、どれくらい動ける?」
「正直、もう一戦しろって言われたら秒でやられる自信あるかも」
「あたしも」

 エミリオが片手で重たげに体を起こす。溢れる赤が腰から下に纏わりつき、既にパキパキと形を成し始めている。
 ゆるやかだが確実に再生し始める半身。双子を睨む彼の瞳には、未だ苛烈な光が灯ったまま。

「私は、この町を……」

 絞り出す言葉に呼応して、床に散らばる礫がカタカタと震え出す。

「私が私で……本物で、あるためにィイ!」








 ───大きく吼える口から上が、弾けるように消し飛んだ。

「まったく……」

 静かな声が場に響くと共に、今度こそ力を失ったエミリオの上半身は存外軽い音を立てて地面に転がる。今まさに再生しようとしていたはずの下半身は、小さく音を立て始めた。
 あまりにも唐突な終わりに、呆然とする2人。
 見る間にエミリオの身体は色を失い、至る所のヒビから少しずつ砕け、失われていき────

 やがて、その場には彼が纏っていた服のみが残された。




「朝から待機指示への無視に、ヴェルに至っては私を置いて勝手に先行……」

 双子の背後で、靴音が鳴る。

 振り返れば、長い銀髪から覗く碧眼。
 微笑むヴァーストの手に携えられていた弓が、淡い光の粒子となって弾けた。

「反省文だけで済むと思うなよ、問題児ども」

 笑っているはずのその相貌そうぼうの背後に鬼神が見えた。と、後に双子は語る。

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