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参 呼びかける真名(なまえ)

《四》ずっと側にいるから。あなたに名前を伝えても……その先も。【後】

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「眠いのか? 遅くまで付き合わせて、すまない」
「…………いや、あの……いま私に───」

 なんとか理性を取り戻し問いかけた咲耶の髪を、ハクコの手のひらが撫でた。

(ちょっ……これから寝るっていうのに、心臓がっ……!)

 唇を奪われて、髪を撫でられて。「好き」と伝えたそばから行われるハクコの一連の行動に、咲耶は自分のなかの認識が、間違っていたような錯覚に陥った。

(「性成熟してない」って、ガセネタですか、茜さ~んッ!)

「───咲耶? 私はお前にされたようにお前に返したつもりだが……不快だったのか?」

 ハクコの顔がくもって、咲耶はあわてて首を振る。

「ふ、不快じゃないわよ、全然。むしろ気持ちい───じゃなくて、いや、そうなんだけど、そうではなくて……。え? 返したって、なに?」

 咲耶の混乱ぶりに、ハクコの瞳がとまどったように揺れる。

「……お前にされて『嬉しい』と感じたことは、お前に返すといいと師に教わった。駄目だったか?」
「だ、ダメじゃないけどっ……」

(愁月さん、なに教えてんのっ!? ……って、アレ? この場合、私が教えちゃったのか……!?)

 一瞬、あらぬ疑いを愁月にかけたが───どうやら元凶は、咲耶本人だったようだ。

 思えば、咲耶の『頬っぺにチュー』を、まじないだと信じて続けてるようなハクコである。純粋な、汚れなき想いで、咲耶にされた「嬉しいこと」を返してくれていたのだ。それなのに、こんなに動揺してしまっては、ハクコがまた変に誤解してしまうかもしれない。

「ごめんね。全然、ダメじゃないよ、ハク。……ええと、嬉しすぎて、その……ちょっと、びっくりしただけ」

 言葉を選ぶ咲耶に、ふたたびハクコの顔に笑みが浮かぶ。そうか、と、相づちをうって、咲耶の身体を引き寄せた。

「人の身になると、こうしてお前を抱きしめることができる。やわらかくてあたたかいお前の身体は、とても心地よい」

(ぎゃーっ! だから、寝られないっての!)

 心のうちで絶叫する咲耶をよそにハクコの暴走は止まらない。咲耶の首筋に顔をうめて、呼吸する。

「……獣の身ほどではないが、お前の匂いも感じられる」
「えっ、ヤダ! 私ちゃんと、お風呂に入ってるよ!? そんなに臭う?」

 ───『こちら』に来て、初めての日。椿から、

「わたし供は普段、湯に浸かる習慣はないのですが、姫さま方のいた世界では日常だそうですね?」

と言われ、逆に椿たちはどうしているのかと問えば、

「着物に香をめますし、行水が一般的なんです。
 けれども、ハク様はじめ虎さま方は、匂いにとても敏感で……香を嫌がられるのです。ですから、その分、姫さま方は、日々の入浴が必要になると伺っております」

という、さらに逆の説明を受けた咲耶である。

 匂いに敏感、などと言われては、きっちり毎日風呂に入り、一日の汚れを落とすようにしている。しかし洗髪に関しては、乾燥させるのがめんど……大変なので、三日に一度で済ませてしまっていた。

(髪!? 髪がクサいの!?)

 思わずハクコの腕のなかから逃れ自分の髪をいでみる。……咲耶に感じられるほどの匂いはないが、ハクコの嗅覚きゅうかくでは違うのかもしれない。

「なぜ、私から離れていくのだ」
「だってハク、いま、臭うって言ったじゃん!」
「……すべての生き物は匂いを放つ。そして、お前の匂いは私にとって「良い匂い」なのだ。側で感じていたいのに、そんな風に離れられては意味がない」

 不満そうに言いきって、ハクコは咲耶を抱き寄せる。

「……これで良い」

 咲耶をのぞきこむハクコの瞳には無邪気さが宿っている。

(クサいって言われたんじゃないのは解ったけど、これはこれで問題が……)

 向き合う形で横になっているハクコを、咲耶は複雑な心境で見返す。咲耶を慕ってくれてはいるが、ハクコの寄せるそれは、愛玩動物が飼い主に対して抱くものと同じような気がした。

(これからずっと、こんな感じなのかなぁ?)

 咲耶がハクコへ寄せる想いは、それと対になる要素が含まれているだけに、お互い様なのかもしれない。しかし───。

(これで良いような悪いような……物足りないような?)

 いま現在はハクコが性的に未成熟ではあるが、この先、咲耶に対して欲情したりする日がきたら───。

 この綺麗な顔と長い手指、低い声音がつむぐ一夜。ふたりの共寝の意味が、変わる日。

(……って! 私ってば、ナニ考えてんのよっ!?)

 よこしまな妄想をしかけて、咲耶は身を縮めて頭を横に振る。

「咲耶? 先ほどから一体どうしたのだ? そんなに興奮していては、眠りにつけないのではないか?」
「こ、興奮なんて、してないわよっ。ってか、誰のせいで、こんな気分になってると思って……」
「誰のせいなのだ?」

 いぶかしげに見られ、咲耶はハクコの言葉通り『眠れない夜』を過ごすことを悟ったのだった……。



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