【本編・完結】神獣の花嫁〜かの者に捧ぐ〜

一茅苑呼

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漆 禍(まが)つびの神獣(かみ)【中】

《九》桜咲く日──ほんとうの愁月の姿【後】

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       *


 牛車のなかにいた時にもあった、悪酔いしたような感覚。

 ひとつ足を踏みだすごとに揺れる大地と、込み上げるわずかな吐き気。

「姫。ご気分が優れませぬか?」

 気遣うように声をかけられても、以前のように沙雪に対し素直にはなれない。

 咲耶は無言で首を横に振る。

 片手を沙雪に引かれ、逃げる気力すらない状態は、この吐き気と倦怠けんたい感のせいなのか。

 思考力さえままならない感じは、神力を遣い始めた頃の自分の身体のようだった。

 ふら、と、仰向けに倒れそうになった咲耶に気づき、沙雪の腕が背に回された。

 ふたたび咲耶を気遣う言葉が投げかけられたが、それは咲耶の耳には届かなかった。

 ───回廊を歩いていた咲耶の目の端に、桜の樹が映る。すると、視界がぐにゃりとゆがんだ。

「何を見ている?」

 独特の抑揚をもつ声音が頭上からした。次いで、右手に暖かなぬくもりを感じ、驚いて見上げる。

 口を開こうとするも、言葉が出てこない。

 黙っていると、視線の先の男がかすかに笑ったのが分かった。

「桜か」

 ひらり、と、雪を思わす欠片が目の前を横切る。よくよく見れば、淡く色づいた花びらだ。

「───見よ、あれを。無表情で、何を考えておるのか、まるで解らぬ」

 ひそめられた声は、遠くの位置で発せられたもの。

 回廊の折れた手前、先ほど通りすぎた辺りからだった。

「愁月が造り出した人形ひとがたではないのか? 気味の悪いことだ」
「確かに。黒虎こくこ赤虎せきこも我らと通ずるものがある。だが、あれは……」
「参ろうか、白虎はくこ

 ふいに、近くでした声に視線を戻せば、微笑を浮かべたままの男が自分を見下ろしていた。

「……そなたの心にも、いつかは桜咲く日が訪れよう。
 案ずるな。今はまだその時ではない・・・・・・・だけだ」

 にぎられた手のひらから伝わる温度。

 それはまるで何かの予兆のようだと、自分ではない自分が考えるのを咲耶は感じていた。


       *


「───姫……姫! どうぞ、お気を確かに!」

 遠くのほうから聞こえる声と咲耶の頬をなでる手の感触に、水底に沈んでいたような意識が浮上する。

「……沙雪さん……」
「姫……!」

 ぼんやりと見上げた先の女の表情が、張りつめたものからやわらかな微笑へと変わる。

 すぐにそれは、ふたたび険しいものへと戻った。

「姫……お気持ちは察するにあまりありますが、どうぞ、ご自分をお保ちくださいませ。
 そうでなければ……御身に宿されたお命も危うくされますゆえ」

 沙雪の言葉には、これ以上の不幸な出来事が起こらないようにしたいという、祈りに似た響きがあった。

(沙雪さんは私のお腹に“神獣の仔”がいるって思ってるんだ)

 疑うことなく。しかし───。

(確かに私もさっきまでは半信半疑だった)

 自分の身体のことながら、愁月や尊臣らのやり取りに、もしかしてと思いかけたりもした。

(だけど)

 そうと皆に思わせるように、愁月が仕向けたのではないのだろうか。

(愁月は私が和彰の御珠を持っていることを知ってるはずなのに)

 本来なら真っ先に問いただされるべきことを、誰も咲耶に問わなかった。

 その不自然さは、まるで誰かが“神獣の仔”という大義を前に、事実を消し去ってしまったかのようだった。

「姫……?」
「もう……大丈夫です」

 いぶかしげな沙雪の眼差しに、咲耶は自分の考えを気取られまいと、小さく笑い返す。

 沙雪が咲耶の心と身体を心配してくれたことに対するものであるかのように。

 だが、その実は、咲耶のなかで本当に大丈夫だ・・・・・・・と思える気持ちが芽生え始めていたからだった。

(和彰が信じた人を、私も信じてみたくなった)

 幾度も咲耶の身に起きた不思議な感覚。

 あれはすべて、和彰の御珠──こころを通じて見た真実ほんとうの愁月の姿に違いないと思えたからだ。

 ───和彰を通して自分に向けられたのは、愛しいものに対する、眼差しと微笑み。

 それが、愁月が今まで為してきたことと、為そうとしていることを、生み出す根源であるはずなのだから。



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