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肆 たそかれの記憶
因縁と確執【一】
しおりを挟む過度の心身の疲労により、気を失ったであろう瞳子を屋敷に連れ帰り、四日目となる卯刻。
当初は、環境の変化による負担もあるのだろうと、思っていた。
瞳子の看病は桔梗に一任しろと言われたのが癪で、顔を見せるなと追い出したはずのイチ。
その当人が、神妙な面持ちでやって来た。
「……セキ様。お話が、あります」
高熱にあえぐ瞳子の額の布をふたたび冷やしたものと取り替えたのち、セキはぼそりと一言、応じる。
「失せろ」
「っ、大事な、ことです!」
「……大きな声をだすな。瞳子の身体に障る」
「だからそれを──」
言い争う主従のやり取りをさえぎり「失礼いたします」と、低音で品の良い中年の女の声がかかった。
障子がひらき現れたのは、たおやかでありながら、毅然とした振る舞いをする者。
「お二人とも。ここはわたくしに任せて、お引き取りを」
「いや、さ……桔梗。瞳子はオレが」
「セキ様。聞き分けのないことを、おっしゃらないでくださいまし。
御膳も隣の部屋に用意してございます。召し上がりながら、イチ殿のお話を聞かれてはいかがでしょう?」
駄々をこねるなと、かつての乳母に言われれば、立つ瀬が無い。
セキは、仕方なしに重い腰を上げる。信頼できる“花子”ではあるが、それでも今、瞳子の側を離れるのはつらい。
「……大丈夫ですよ、若」
そんなセキを見兼ねてか、桔梗の呼びかけが昔のものに戻った。そこに含まれる絶対の安心感。
「瞳子を頼む」
「何かあれば、すぐにお呼びいたします」
「ああ」
うなずいて、セキは黒髪の従者を隣室へとうながした。
「……まずは、確証が持てず、今このときまでお話せずにいたこと、深くお詫び申し上げます」
イチにしてはめずらしく、心からの謝罪だということに気づきながらも、長年の付き合いからセキはぞんざいに応じた。
「続けろ」
言い置いて、椀の汁物をすする。温かいものが胃の腑に落ちると、ささくれ立った心が和らいでいく気がした。
(不思議なものだな。“神獣”といえど、腹が減るのか)
自らを“神獣”であると認め『神』として生きると決めたのちも、『人』であった時とさほど変わらない。
『神』と『人』との境界線は何処にあるのだと、セキが頭の片隅で思ったその時。
「瞳子サマのお身体にきたした変調。
病や怪我であれば、貴方のくちづけひとつで、たやすく治せるでしょうが──……って!
ナニ立ち上がってるんですか!」
「試す価値はあるだろ! そういうことは早く言え!」
「だからっ、あの状態が【本当に】病や怪我であったらと言ってるだろ! このド阿呆ッ」
早くも障子をひらき隣室へ向かいかけたセキに対し、現在の立場をかなぐり捨てイチが怒鳴りつける。
しばし、にらみ合ったのち。セキは、おもむろに障子を閉めた。
「……病では、ないと言うんだな?」
大きく息を吐いて、ふたたび膳の前へと座り直す。
「ええ。おそらくは、白狼様の加護の暴走かと」
「加護の暴走?」
聞き慣れない言葉に、眉をひそめる。
イチはそんなセキを見つめ、語りだした。
「実は、猪子さまに言われていたことがあったのです」
セキが瞳子を連れ、萩原家に戻った際。
イチは、瞳子という“花嫁”をセキが迎えたことを、“神獣ノ里”の長であるヘビ神とその側女であるシシ神に報告に行っていた。
すでに“神籍”にあり、仮とはいえ白い“神獣”の“花嫁”である者と、赤い“神獣”であるセキが“契りの儀”を行ったと。
「私は単純に、瞳子サマの形式上の“神籍”の記載をどうにかせねばと思い、カカ様たちに天ツ神への申請を止めてくださいと、お伝えしました──が」
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