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肆 たそかれの記憶
もう一度、信じても【一】
しおりを挟む目覚めた瞬間、夢ならいいと、思った。
けれども、夢ではないことは記憶として残っていたし、最期も看取ったことも事実。
「ホントに、独りになっちゃったな……」
つぶやいても、現実は変わらない。
何かの拍子に涙はあふれるが、幸い、仕事中は緊張感が抜けないせいもあって泣くことはなかった。
両親が死んで、瞳子を支えてくれた叔母──朱鷺子が亡くなって半年が経つ。表面上は何事もなかったかのように、瞳子は日々を送っていた。
「瞳子さん!」
従業員用の駐車場から、職場であるショッピングセンターへ向かう敷地内道路脇。
いきなり呼びかけられて、瞳子は驚いてそちらを振り返った。
「……樋村──さん」
心のなかで呼び捨てていた癖で敬称をつけるのを忘れ、あわてて言いそえた瞳子と、それほど変わらない上背の男。瞳子より、確か三歳下だったか。
「おはようございます。あの、あと」
言って樋村が、彼についての情報源であるパートさんらいわく『アイドル顔負け』の笑顔をみせる。
「誕生日、おめでとうございます」
「…………ああ。わざわざ、どうも」
こういうところだ。瞳子が、樋村を苦手に思っていたのは。
(たとえ誕生日知っていても、妙齢の女性に言う?)
今年、瞳子は25歳になる。ひと昔前よりは結婚適齢期などと騒がれなくなったとはいえ、実際この年齢は「出産適齢期」であることは周知の事実だろう。
それこそ、身の回りの既婚者からは、子供は早く産んだほうがいいよと、言われることが増えた。
(別に、子供は欲しくないんだけど)
などと、思っていても口にだしては敵をつくるだけ。瞳子は、それらの横槍を笑顔でかわし、内心でストレスを溜めていた。
(ホント、人付き合いってめんどくさい)
何度、山に籠もって仙人になりたいと思ったことか。友人にそうこぼすと、
「あんたってホント変わってるよねー。面白いけど!」
と、本気の本音を笑われてからは、誰にも言わずにいるが。
「瞳子さん、休憩ってだいたい13時過ぎですか?」
「ああ、まぁそうですね」
向かう先が一緒なので、必然、樋村と共に歩くことになり、瞳子は面倒な奴に捕まったと思いながらも適当に受け応えをしていた。
──その結果。
(マジか……)
休憩室に向かう途中、声をかけてきた樋村から手渡されたものをかかえ、瞳子はうなった。
同じ敷地内にある、洋菓子店『シャルル・エトワール』の持ち手付きの箱。中身は間違いなく、ショートケーキだろう。
(人の好意って、時にメンドイよね……)
これを食べたら、何か礼をしなければならないのかと思うと、憂うつだった。
(あ……)
味覚の記憶というのは、不思議なもので。
瞳子は、叔母──朱鷺子に初めて買ってもらったショートケーキを、その瞬間、思いだしてしまった。
鼻に抜ける生クリームの香りと、やわらかなスポンジの食感、そして、ほんのりとした苺の甘酸っぱさ。そこに、涙の塩味が加わるとは。
(……樋村のヤツ、覚えてなさいよ!)
瞳子は、休憩室の片隅で、他の従業員らに気づかれないよう、こっそり鼻をすすった。
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