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海岸編
生と死と再生と
しおりを挟む目が光に慣れるのに時間がかかったせいで、今日中に抜けようと思っていた森の中で、すでに空は暗くなってきていた。
進んでいるのは街道とも呼べない、獣道を少しマシにした程度のものではあるが、下草を狩りながら歩く必要もないのは助かっている。
森を大雑把に分断するようなその道をさらにしばらく進むと、やや開けた場所へと出た。誰かが薪を燃やしたのだろう、地面が黒く焦げている。
その跡はまだ新しく、最近ここで夜営をしたことがわかる。
この世界にちゃんと自分以外に人がいて、生活をしているんだという、他人の生活の痕跡を初めて確認できて少し安心した。
(もしかしたら、ここで夜営した後で引き継ぎの場に向かったのかも知れないけどな)
そうなると、俺がここに来るのは二度目ということになるが、それは確認のしようもないことだ。
夜が来る前に、ここで夜営の準備をしよう、そう決めて必要な作業に入る。
とりあえず水分の補給と食事だ。
調停者、つまり俺はあまり魔術は得意では無いが、最低限火を付けたり水を生むことくらいはできる。
もちろんできるといっても、実行したことは無いが。
周囲を簡単に散策して薪を集め、魔術で火を付けた。もし火を消す必要が出た時に慌てないで済むように水を発生させる魔術も試してみる。
意図した二つの現象が滞りなく再現されたことにささやかに満足しながら、手のひらに出した水で軽く口をゆすいで、少し喉の渇きを癒した。
次に魔力の使い方を試す。アービトレーションを鞘から抜き、俺は魔力を練った。
『記録』を参考に初めて魔力を練ってみたが、これが上手くいっているのかどうか確信を持てずにいると、頭の中に声が響く。
『なかなかの錬魔だ。歴代の調停者でも三指に入るだろう』
『そうかい』
なら大丈夫だろう。俺は練った魔力を剣に込めながら地面に突き刺す。
剣を刺したところから、僅かな魔力の波を周囲へと伝播させた。すると自分の感覚が延長されたように周囲の地形、そしてそこにいる生物の情報が伝わってくる。
木々で視界が塞がれてはいるが、やや離れた場所に生物がいるのを確認。
本来索敵に使用する技だが、狩りにも応用が可能だ。
生物が四足歩行であることから、人間ではないと判断し、魔力を込めた剣をそちらの方向へ投げる。
剣はひゅんと音を立てながら、俺と、その生物の間にある木々を破壊しながら飛んでいった。その後、投げた剣の方向へと歩いていく。
生物を感知したあたりまで歩いていくと、アービトレーションに首を貫かれた一頭の鹿が絶命していた。
鹿の首から剣を引き抜いていると、無音の声が頭に響く。
『もう少し丁寧に扱って欲しいものだな』
感情の無いはずの剣は、やや不満そうに抗議してきた。
『次回からな、今回は魔力の使い方のテストも兼ねてるんだ』
そう返事をしてから鹿の頭を剣で切り落とした。
後ろ足を片手でつかんでから俺よりやや大きい鹿を持ち上げ、血抜きをする。ついでに栄養と水分の補給の為に首から滴る血を手で掬って飲む。
初めての食事らしき行為は、初めての殺生と合わせて行われた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
その後アービトレーションを使って鹿を解体し、毛皮と今日食べる部分以外は魔力で地面に穴を開けて埋めた。
肉を、適当な枝に刺して、夜営用の火のそばの地面に刺して肉を炙る。
再び魔力で水を手のひらに発生させ、鹿の血が付いた手を洗う。汚れが落ちたのを確認してから焚き火で乾かしていると、頭に声が響いた。
『解体用に、ナイフを用意すべきだ』
自らを解体に使われたのが不満なのだろうか。感情など無いくせに、やたらと要求の多い相棒の言葉は無視して、肉を炙っている間に荷物から布を取り出す。
引き継ぎの間ではじっくりと見れなかったそれを改めて観察する。
白地の布に、青の花の刺繍が幾つか施され、布の角に赤い糸で「愛する息子 ザック」と記されている。
肉が焼けるまでの間、それをじっと見つめる。
『あまり引き継ぎ前のことに執着しない方が良いだろう』
アービトレーションが助言なのか──それとも、そうされると不都合なことでもあるのか──そんなことを伝えてくる。
それに反発するつもりなど無かったが、暇なときにこの布を眺めるのは、その後の俺の習慣となった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
引き継ぎから二日後の昼頃、俺はアービトレーションが闘神の発生を予測した場所に来ていた。
そこは廃村だった。
木造の建物の多くは原型を留めておらず、人の気配もしない。
俺は魔力を練って剣に送り込み、地面に突き刺して狩りの時同様に魔力を飛ばし索敵を行った。
気配を捉え、そちらに向かう。
死体が幾つも転がっていた。
つまりこの場所は廃村になったばかりだ。その中で唯一の生存者──いや、それを生存者と言うのは間違いかも知れない──とにかく唯一この村で動き続ける住人を発見した。
人のかたちはしているが、全身は夜の闇に黒く塗り潰されたように、目鼻さえ区別がつかない。
着ている衣服は恐らく動きに耐えられなかったのだろう、辛うじて布が申し訳程度に上半身と腰の部分にくっついている。
『魔力を練るんだ、早く』
俺が闘神を発見すると同時に、アービトレーションが警告を飛ばしてくる。
しかし記録を引き継いでいるとはいえ、初めての実戦で俺は少し緊張していた。
──それは致命的だった。
俺が闘神を視認した瞬間、当たり前だがあちらも俺を見つけていた。そして奴は俺とは違い一切の緊張も、躊躇いもなかった。奴はあっさりと俺の懐へ飛び込んで、緊張で動けない俺の腹部に、魔力で強化した拳を埋め込んだ。同時に俺は腹部と、血が上って来たのだろう喉に熱さを感じ──
奴が俺の腹から拳を引き抜くのを見ながら、俺は死んだ。
『わかっていると思うが、残り九回だ』
『わかってるよ』
わかりきった事を伝えてくるアービトレーションに多少イラっとしながら、俺は立ち上がる。
死んだはずの俺は、アービトレーションに再生されていた。
アービトレーションには調停者を再生させる能力がある。ただし調停者の代ごとに最大十回と決まっているので、この数が零になる前に引き継ぎを行う必要がある。
立ち上がる俺を見て──闘神が視覚によって相手を把握しているのかは不明だが──闘神が再び襲いかかって来た。
「何度も食らわねえよ」
一度死ぬ事によって緊張が解けたのか、それとも開き直ったのだろうか、俺はスムーズに魔力を練り、障壁を展開する。障壁は闘神の一撃をあっさりと食い止めた。
その攻撃を『記録』から判断すれば、この闘神はそれほど強力な個体では無さそうだ。
当然油断できる相手ではないが、それでも本来は貴重な再生を消費するほどの相手ではない。
『多くの調停者は初戦で再生を使用する。授業料と思うしかないな』
そう慰められても、心が晴れる訳ではなかったが少し気が楽になった。
攻撃を受け止められた闘神が、距離を取ってこちらに認知を向け、解析してきた。闘神の魔術は強力で、よほどの魔術の実力がなければ、反論するのは容易ではない。
俺は魔術に対抗するために、アービトレーションに魔力を込めた。
鈍い灰色だった刀身が、虹色に輝く。それと同時に闘神の認知が消失した。
これが調停者が魔術をそれほど必要としない理由だ。アービトレーションの持つ自動反論効果が、相手の魔術の発動を阻害する。
俺は剣に魔力を込めたまま、相手の懐まで一瞬で間合いを詰めた。
「さっきのお返しをさせてもらうぜ」
そう宣言しながら放った一撃が、闘神の左肩から腰のあたりまで切り裂いた。
もう少しで両断できるという所で、ふたたび間合いを離す。
相手が体を切り裂かれながら繰り出した一撃が、少し前まで俺がいた場所で空を切った。
闘神はちぎれかけた体をあっさりと再生した。
相手の攻撃は、緊張さえ無ければ防ぐのも、かわすのも容易に思えた。
油断しなければ負ける相手ではない、と俺が確信したときに、頭の中に声が響く。
『この闘神はお前が戦いを学ぶのに丁度良いだろう。しばらくとどめを刺さずに戦い、実戦経験を積むのに適している』
調停者を引き継いで初めて、素直にうなずいて相棒に同意した。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
決着がついた頃には、夜になっていた。
多くの建物が破壊されていたが、その中でも多少マシなものを見つけた。恐らくこの村の有力者のもので、多少頑丈に作られていたのだろう。
中に入ると、家具類は多少倒れたりはしているものの多くは原型を留めていた。
長い戦いが終わると同時に感じ始めた空腹を満たすために、家の中で食料を捜した。
闘神に襲われる直前に焼いたのか、かまどに残るパンを見つけてそれをかじる。
多少腹が満たされたためか、眠気が襲ってきた。衣服は最初の一撃を食らった時に腹部に穴が開いているうえに、自らの血が付着し、パリパリと乾いて不快だったが着替える気も起きず、明日村の中を適当に物色しよう、そう決めてベッドに入る。
生まれて初めての寝具に身を委ねると、睡魔は一層強くなった。
まどろむ中で疑問が浮かぶ。体は疲労を感じるが、あれほど使用したのに魔力にはまだ余力があった。
そんな寝る前の思い付きのような疑問に、アービトレーションが答えてくる。
『調停者は魔力の回復速度が極端に早い、余力を感じるのはそのせいだ』
『そうなのか、そんな記録は引き継がれていないが……』
『全ての記録が調停者に与えられている訳ではない。もちろん私のわかることなら聞かれれば回答が可能だし、必要な事はその都度伝えていく』
『そうしてくれ』
眠さの限界が近付き、返事も短くなる。
『ある年齢を境にその回復速度は落ちてくる。その前に大体引き継ぎが行われるから、それほど考慮する必要はない、ということだ。だからわざわざこの記録は引き継いでいないのだ』
『なるほどな』
ようは若い間に使い捨てるってことだな、皮肉を込めて納得する。
『君達に、過酷な使命を課してるのは理解している。だが、重要な使命だ』
その言葉を聞きながら、 それは誰にとって重要なのか考えるのも面倒になってきていたので、同意も反論もせずに俺は眠りに落ちた。
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