シンシンシンシンシンユウ

西野尻尾

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第6章

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第6章


家を出ておよそ2時間。
自転車を持っていないわたしは歩き続けた。
街灯こそあるものの、住宅街を抜ければ景色は一変する。
田んぼと畑に囲まれた道は舗装されておらず、車のタイヤの跡が残っている砂利道を歩くことになる。
道沿いに建てられた納屋のような家は、この辺りで農業を営む人達の家なのだろう。中には藁のようなものを屋根にした小屋もあり、とても同じ源泉町の家とは思えない。
虫の鳴き声をが耳をつんざく。車が全く通らないためか、その音は海々の家周辺のものより何倍も大きく聞こえる。
わたしは休憩を挟みながら歩を進めた。
海々を早く助けたい。そして、今までの日常を取り戻したい。これが大前提だ。
でも、それだけじゃない。
誰が海々をさらったのか、それを見極めたく思っていた。
いや、そもそもさらったのかどうかもわからない。少なくとも、『あの日』海々は自ら向かっていった。自らの意志で『奴ら』のもとへ行った。あの時の海々の行動はどうしても解せないものがある。
もしかすると、海々が『誘拐』されたと騒ぎ立てたのは早計だったかもしれない。動転して冷静さを欠いていたわたしは、とんでもない勘違いをしていた可能性だってある。
だけど、何かあるのは間違いないはずだ。
これらの疑問も、海々を取り返せば解ける。
そのためにも、早く海々を取り戻さなければいけない。

ようやく、源泉湖に着いた。
ここには来たのは2回目。UFOが堕ちたというところを見たくて、去年の夏休みに海々に連れて来てもらった時以来だ。
湖の周りにはかつて土産屋か何かだっただろう、古びた建物が何軒か佇んでいて、昔はそれなりに賑わっていたことが窺える。
田んぼや畑のど真ん中ということもあって、邪魔な遮蔽物がなく見晴らしがいい。
広い湖には魚が一匹もいないらしく、その水は透明に澄んでいる。そのため銀色の月がくっきりと映し出されているその姿は、幻想的ですごく美しかった。
まるで湖が鏡のように夜空を映し出していて、ここだけ世界がふたつあるような感覚に陥ってしまう。
でも、いつまでもその光景に感じ入っている場合じゃない。
見晴らしがいいということもあって、綿谷に教えてもらった場所も容易に見つけることが出来た。
土産屋が立ち並んでいるものの中で、ひとつだけ大きな建物がある。それはこの辺りで唯一のホテルで、開業した当初は連日のように予約が殺到していたとか。
その隣に、ホテルの倉庫になっている建物がある。
ここに、海々がいると綿谷は言っていた。
窓からは光が漏れていて、中に人がいることも確認できる。
綿谷の情報によれば、奴らの人数は全部で20人程度だそうだ。
ぱっと見た感じ、入り口のところに見張りはいない。ということは、中に全員いるということだろう。
「よし」
わたしは意を決して、その倉庫に向かって歩き出した。
鼓動が高鳴る。緊張によるものだろうか。
これから何が起こるのか、全く経験がないことないだけに、皆目見当もつかない。
目的の建物まで50メートルくらいに迫った時、
「止まれ」
「っ」
不意に、すぐ隣の土産屋の中から呼び止められた。
聞き覚えのない、男の声だった。
わたしはその建物に向かって構えた。神経を研ぎ澄まし、臨戦態勢に入る。
さっき以上に鼓動が高鳴る。
喧嘩慣れはしているけど、ここまで引き締まった気持ちになるのは初めてかもしれない。
「ようやく来たか。すぐに追いかけてくるかと思い、1週間前から待機していたのだが」
声の主が、建物の中から出てくる。
「なっ、てめぇ……!」
声に聞き覚えはない。でも、見覚えはある。
灰色のスーツにウエスタンハットを被った中年。
それといった特徴はない。だけど、忘れるはずがない。
「久しぶり、とでも言っておこうか」
『あの日』、わたし達をずっと尾行していた男だった。
「どうして、海々をさらった」
わたしは極力落ち着こうとして、感情が爆発するのをなんとか耐える。今ここでこいつに殴りかかっても何の解決にもならない。
それでも、体と声が震えるのは抑えられなかった。
「さらった? 人聞きの悪いことを言わないで欲しいものだ。招待したのは我々だが、ついてきたのはあくまで彼女の意志だ」
「なっ……」
「おっと、詮索は許さないぞ。我々にだって守秘義務はあるんだ」
海々の意志? どういうこと?
わたしはすかさず追究しようとするけど、それよりも早く断りを入れられてしまう
「そういえば、質問に答えてなかったな。理由、か」
男は不敵な笑みを浮かべて、わたしを嘲笑うかのように答えた。
「我々のボスに、命令されたからさ」
ボス……。ということは、やはりこいつらは何らかの組織というわけか。
「あそこに、そのボスとやらがいるの?」
わたしは倉庫を顎で示した。
「あぁ、そうだよ。ボスはそこにいる」
「海々も?」
男は笑みを絶やさぬまま、小憎らしい顔で頷いた。
「そ、ありがと」
とりあえず、聞きたいことを聞けたわたしは再び倉庫に向かって歩き出す。あとのことはボスとやらに聞けばいい。
もう、こいつへの用は済んだ。
――頭っ。
ぶぉんっ、と風を切る音が後頭部をかすめる。
「行かせないよぉ!」
やっぱ、この展開は避けられないか。
わたしは軽く跳んで、男の間合いから離れてから向き直った。
男はニヤけた顔でわたしを見ていて、手には一メートルほどの長い棒が持たれていた。
「あんた、門番みたいな役だったんだね」
わたしは構えて、男を剋目した。
「くっくっ。俺は別に門番じゃねぇさ。素通りさせても構わねぇし、殺してもいいとも言われている」
「……どういうこと?」
おそらくはボスの言葉なのだろうけど、意図がよく汲めない。
「さあなぁ。本当なら招き入れたいところだけど、弱い奴には興味がないんじゃねぇのか?」
何それ。
それじゃ、まるでわたしを試しているみたいじゃない。
「……ま、深く考える必要はないか。それもそのボス本人に聞けばいいだけだし」
雑念を払って、もう一度男に集中した。
「いいねぇ、その心意気」
独り言のつもりだったんだけど、どうやら聞こえていたようだ。
男は嬉々として棒を構える。
「でも、この人数には敵わねぇよなぁ?」
そう言われて、すぐには意味がよくわからなかった。
こいつが出てきた土産屋からぞろぞろと人影が現れて、ようやくその意味に気付く。
「ふん、ちょっと人数を増やしたくらいで……」
「ちょっと、ねぇ?」
男は一層顔をニヤつかせた。
こいつと全く同じ格好をした男達が、まるでホラー映画のゾンビのようにぞろぞろと出てくる。手にはやはり鉄の棒。
10人目くらいまでは数えたけど、それ以降は面倒になってカウントを放棄した。
ようやく土産屋からの出現が止まると、男達は4列横隊で並んだ。
「はっはー! この数ではさすがのお前も勝てまい!」
……20人くらい、か。
確かに多い。こいつが自信に満ち溢れているのも頷ける。
正直、こんな大人数を相手したことはない。勝てるとも思えない。
でも。
「全員、ここに集めたんだな?」
わたしが尋ねると、男は誇らしげに頷いた。
「そうさっ。これでお前はボスのもとに辿り着くことはできねぇんだよっ」
つまり、ここさえ突破してしまえばあとはボスまで一直線ということか。
わかりやすくていい。
「窮屈だったぜぇ。狭くて暗いところにこんな大人数で居たんだからよぉ」
それはただのアホだ。
「あんた、さっきから口ばっかだね」
「……なに?」
わたしの挑発に、男が片方の眉を吊り上がる。
「ひとりに対して人数を揃えるってだけでも弱い証拠なのに、口ばっかり達者じゃ雑魚キャラもいいところだよ?」
「ふ、ふふふ……」
不気味な笑い声を漏らした男は、小刻みに身を震わせていた。傍から見ればただのアブナイ人だ。
やがて、
「しねやぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああっ!」
全員が、足並みを揃えてわたしに向かってきた。
殺意に満ちた数十個の視線を正面から受け止めて、わたしは深く息を吐く。
そして、いつものように神経を研ぎ澄ませた。

騒がしくはない。
棒が空を切る音と、かわした棒が地面を叩きつける音が辺りに反響する程度。
強いて言えば、大人数が動き回っている足音くらいだろうか。
誰も叫ばない。声を発さない。無言で、四方八方からわたしに襲いかかってくる。
――右肩っ、足、腰、首……っ。
でも、攻撃のスピードが緩まることはない。
わたしは避けるだけで精一杯だった。ひとつを避けたら、すぐに次の攻撃が来る。反撃などしている余裕がない。
時には跳ね、時にはしゃがみ、時には手を地に着き、時には地を転がった。
ずっと、その繰り返しだった。もう何分こうしているかわからない。
体中から汗が噴き出す。どんどんスタミナが削られていく。足が動かなくなってきた。
――顔っ、左腕……っ。
このままじゃまずい。相手の人数を減らさなければ、いずれわたしも避けられなくなる。
この人数差だ。体力的にも圧倒的に不利なのは間違いない。
それだけじゃない。男達の動きに無駄がない。数日前にやり合った不良のように、決して自分から隙を見せることはなかった。厄介なことに全員が場慣れしている。
――後ろっ、脇腹、足元……っ。
攻撃の軌道を見切ることはまだ出来る。でも、わたしの体は徐々に動かなくなっていた。呼吸もままならなくなる。
悔しい。これが男女の絶対的な差なのだろうか。
スポーツ番組を観るといつも思うことだ。同じ種目で、同じ世界一でも、その数字が男の記録を上回ることはない。このどうしようもなく、だけど紛れもない事実に、わたしは納得出来ていなかった。
「っ」
不意に、視界が深く沈んだ。わたしの体に衝撃が走る。
「しまっ……」
足がもつれた。
無様にも前のめりに地面に倒れてしまう。
当然、奴らがこの好機を逃すはずがない。一斉に棒が降りかかってくるのがわかる。
――ダメ……。
かわせない。手も足も動かない。体を横に転がしさえすれば、かわせるかもしれない。でも、わたしの体はもう動かない。
結局、わたしは海々を取り戻せなかった。
それもそうだ。守ることさえ出来なかったのに、取り返そうとするなんておこがましいことこの上ない。
バカは早死にするって言うけど、あれは格言だね。正に今のわたしだ。
想像してみる。
体中の骨が砕け、タコのように骨のない軟体動物になった自分を。体中から血を垂れ流して、真っ赤な池の中心に横たわる自分を。
……あぁ、嫌だな。
でも、しょうがないか。無力な女が無謀な行為に出たのだから。当然の報いなのかもしれない。
わたしは目を瞑り、その瞬間を待った。
――その時だった。
「うぉらぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああっ」
聞き覚えのある声が轟音のように響き渡った。
直後、ものすごい地響きが唸りを上げ、地面を介してわたしの全身に伝わってくる。
最初は地震かと思った。
「全員突撃ーっ!」
今度は、別の聞き覚えのある声。
すると、辺りが急に騒がしくなった。まるで、戦国時代の合戦中に勝き鬨を上げるような、獰猛で雄々しい叫び声。ひとりやふたりのものじゃない。10人は軽く超えている。
わたしはなんとか仰向けになって、首だけを動かして周りを見た。
そこには灰色の集団とほぼ同じ数の漆黒の集団が、素手で武器を持った相手に突っ込んでいた。灰色の男達は棒を振り回すも、漆黒の男達はそれを腕で受け止め、相手の顔面や胴に拳を繰り出している。
「やっ、大丈夫か?」
目の前に、見慣れた爽やかマスクの二宮が現れた。
二宮は手をわたしの背中に回し、ゆっくりと上体を起こしてくれた。
「どうして、朱漢組が……?」
聞かずにはいられなかった。
これはわたしの戦い。情報提供こそしてくれたものの、朱漢組は直接関与していないはず。
だけど、二宮はただ爽やかな笑顔を浮かべて、
「そんなこと、猛さんに言ったら怒られるぞ」
質問には答えなかった。
わたしは首を傾げることしかできない。
「見てみな」
二宮は顎でわたしを促した。
わたしはその方向に目を向けると、学ランを纏った巨漢な男が灰色の男達を次々に殴り飛ばしている。灰色の男も負けじと繰り返し立ち向かうけど、その巨漢な男は返り討ちにしている。
「クッソーっ、てめぇがリーダー格かぁ!」
最初にわたしに姿を現した男が、綿谷に突っ込んでいく。綿谷の背後から後頭部目がけて棒を振り下ろした。
「危ないっ」
思わず声を上げてしまったわたしは、直後に恥ずかしくなる。
綿谷はでかい図体に似合わず機敏な動きでそれをかわすと、すぐさま反撃のパンチを繰り出した。灰色の男は鉄の棒で防ごうと試みて、
「ぎゃっ」
綿谷の拳は棒をぐにゃっと凹ませ、勢いを殺さずにそのまま男を吹き飛ばした。その腕力には脱帽するしかない。
「すげぇ……」
またもや思わず声を出してしまう。
綿谷だけじゃない。
見覚えのある朱漢組の連中が灰色の男達と対等に戦っている。殴り、殴られ、普段はふざけた連中が、目を血走らせて男達に灰色の男に立ち向かっていく。
「それから、あそこを見てみな」
二宮が指差した箇所には、最初は暗くてよくわからなかったけど、地面に直径2メートルくらいのくぼみができている。
「あの穴は?」
「ダイナマイトさ。ここまで慎重に運んできたんだぜ。途中で暴発でもしたら俺達が木っ端微塵だからな」
冗談めかしてさらっと言ったけど、その内容はとんでもない。
でも、さっきの地震の正体はあれだったのか。
なんであんな物を?と聞くつもりはない。誰かが持っていた、でいい。
それよりも、やはりこっちが気になって仕方がない。
「でも、ホントにどうして?」
さっきと同じ質問。
二宮の顔が明らかに怪訝なものになる。
そりゃそうだ。一度断った質問を立て続けにされたのた。辟易してもおかしくない。
二宮はわたしから手を離して、質問に答えずに立ち上がった。
腰のホルダーからモデルガンを取り出すと、弾倉を装着させた。
そのまま行ってしまうかと思った。同じ質問を二回して嫌気が差したのかと思った。
でも、
「これ、持ってけよ」
モデルガンをわたしに差し出してきた。
二宮の思わぬ行動にわたしは面食らう。
「何呆けたツラしてんだよ」
「あ、いや、ごめん。でも、わたしそんなオモチャいらないよ」
わたしが断ると、二宮はふふっ、と破顔した。
「これ、オモチャじゃないぜ」
「……は?」
意味がわからない。
オモチャじゃないってことは、それはつまり、
「本物さ」
だよね。そうなる。
「って、ホンモノぉっ!?」
あまりにも現実離れしていて、ツッコミを入れるタイミングが一拍遅れてしまった。
「使ったことがないから不安か?」
いやいや、そういう意味じゃなくて。
ダイナマイトといい、本物の銃といい、こいつら何者?
「もちろん、こいつを使わないで解決するならそれが1番さ」
物静かな二宮に口調に、わたしは冷静さを取り戻す。
「でも、沙理沢は杞蕾を取り戻したいんだろ?」
その言葉に、自然と体が震えた。
そうだ。わたしは海々を取り戻す。明音さんにもそう約束した。
朱漢組が来る直前、わたしは自分の死を覚悟した。
結果的には助かったけど、それでも一度は死んだと思ってもいいかもしれない。死んだのなら、銃を使っても誰も咎めてこない。
……いや、違う。誰かに咎められるからだとか、法律で禁じられているからだとか、そういうことじゃない。
銃は人殺しの道具だ。人を殺すために存在する物だ。
わたしには、人を殺す覚悟がないだけなんだ。
だったら、腹を括ればいい。
海々を取り戻すためなら、人を殺すことになっても構わない。
そうだ、こう考えればいいだけだ。
もし、この銃でわたしが誰かを殺しても、きっと後悔はしない。
海々を取り戻すためなら、思いっきり汚れてしまってもいい。人殺しの烙印を押され、世界中から非難されようとも、わたしは後悔しない。
そう、こう考えればいい。
「ありがと、借りてくよ」
なんだか、犯罪者の心理が少しだけわかった気になる。
わたしは二宮から銃を受け取って、意外にも重いことを初めて知った。
「これも持ってけよ。そうすりゃ手が空くからな」
言って、ホルダーを腰から外して渡してきた。
わたしはそれを腰に巻いて、銃をホルダーに仕舞う。
「すごい。こんな格好をすることになるとは思わなかった」
素直な感想を漏らすと、二宮はいつもの爽やかな表情を作った。
「ま、頭と胴さえ外せば死にゃしねぇよ。医療技術は日々進歩してんだ」
わたしの不安を拭ってくれたのか、そんなことを言ってきてくれた。
「そんじゃ、俺もそろそろ参戦してくるわ。もちろん、オモチャでな。沙理沢ももう行け」
二宮は学ランの内ポケットからモデルガンを取り出して、わたしに背を向けた。
「うん、気をつけて」
そう声をかけると、二宮は何かを思い出したように振り向いた。
「そうそう、質問の答えだけどな、まぁうちの生徒を守るってのが大前提ではあるけどさ」
いきなりさっきの質問に答え出した。
わたしは急いで耳を傾ける。
「沙理沢と杞蕾には多大な恩があるから、だそうだ」
借りじゃなくてな、と二宮は付け足して、戦場へ走っていった。
『借り』ではなく『恩』。これにどれだけ深い意味があるのかはわからない。わからないけど、良い方向で考えてもよさそうだ。
わたしは立ち上がって、目的地の倉庫に向かって歩き出す。
だいぶ体が動くようになっていた。
少し休んで体力が回復したってのもあるだろう。
でも、それ以上に――。
わたしは一度だけ後ろを振り向く。
朱漢組の連中が、灰色の男達と激戦を繰り広げている。誰もが真剣な顔つきで、果敢に立ち向かっている。
そんな味方の勇姿が、心から頼もしく思えた。


倉庫のシャッターは硬く閉ざされていた。
その代わりに脇の勝手口の鍵が開いていたので、無意味とわかっていても忍び足で中に踏み入った。それまで聞こえていた朱漢組と『奴ら』の交戦の音がぱたっと聞こえなくなる。
橙色の明かりが点いている倉庫の中はひんやりとしていて、ずっと放置していたわりには生活感があった。しばらく『奴ら』が住み着いていたことが窺い知れる。
ホテルの予備だったのか、ベッドもいくつか置いてある。業務用の冷蔵庫やテレビまで揃っていた。
なるほど、確かにここは拠点として適しているかもれない。
わたしは歩を進めた。コンテナが置かれていないところを縫うように歩く。
大量のコンテナが隊列を組んで積み重ねられていて、奥の方がどうなっているか見えない。
自然と汗が滴り落ちる。暑い、わけではない。
もう夜だし、すぐ側には湖がある。それに倉庫という建物の性質上、中の気温が上がり過ぎないようになっているはずだ。
それなのに、汗が止まらない。
これから何が起こるかわからないから? 海々に危害が及んでいるかもしれないから? ボスとやらがすごく凶悪かもしれないから?
違う。
『招待したのは我々だが、ついてきたのはあくまで彼女の意志だ』
あの男の言葉が脳裏から離れない。
いったい、海々は何を考えてついて行ったのだろうか。
わからない。
今更になって、海々を取り戻しにきたことを疑問に思い始めてきた。
『海々を取り戻したい』というのは単なるわたしのわがままで、海々からしたら迷惑じゃないだろうか。わたしは、余計なことをしているのだろうか。
「……いや」
わたしは首を振った。
今はそんなことは考えなくていいのだ。とにかく海々を取り戻す。話なんてそれからいくらでも出来る。
服の裾で額の汗を拭う。歩幅を広げ、奥に進んだ。
もう何も考えない。海々の気持ちなんか知ったことか。
――っ。
一瞬、悪寒のようなものが背筋を撫でた気がした。
不安や恐怖に近いけど、それらとは似て非なる感覚。
せっかく歩幅を広げたのに、また狭くなる。
前に進むだけで精一杯だった。
それでも、わたしは海々を取り戻さなければいけない。
その一心で、狭い歩幅でひたすら前に進んだ。
そして。
「っ」
元々客室に置いてあったものなのか、鏡台の前に座っている女のもとに辿り着いた。夏だというのに、深緑色のコートを羽織っている。
わたしに背を向けているから顔は見えない。でも、腰まで届くストレートの綺麗な金髪が印象的だった。化粧をしている真っ最中のようで、今は口紅を塗っている。
こいつがボスだろうか。女とは想像してなかったけど、有り得ない話ではない。
わたしは音を立てないように首だけを動かして、海々の姿を探した。
女の足元には絨毯が敷かれていて、周りにはベッドやクローゼットも置かれていた。環境が整えられていることから、ボスだという信憑性も出てきた。
他にも小さめの冷蔵庫や旧型の扇風機、さらにマッサージチェアまで――、
「海々!」
黒くて革製のマッサージチェア。
そこに、ロープに縛られた海々の姿があった。
眠っているのか、眠らされているのか、わたしの大声にも反応すらしない。
そして、顔には多数の青アザ……。それはあくまで見えている部分だけで、服の下はどうなっているのだろう……。
わたしの海々の名を呼ぶ声に、女がわたしに気付いた。
口紅を鏡台に置いて、こっちに振り返る。
「あら、早かったわね」
――っ。
また、さっきの悪寒がわたしに襲いかかった。
「な、うそ……、なんで……」
言葉をうまく導き出せない。言いたいことが、頭の中でうまくまとまらない。
「1年半ぶりくらいかしらね。会いたかったわ」
その言葉は、決して会うことを切望していた者の言葉じゃない。
悪意に満ちた、狂言にも似た戯言。
「髪、染めたんだけど似合ってる?」
わたしのお母さんが、禍々しい笑みを浮かべて髪を摘んだ。

「動かないで!」
わたしは腰のホルダーから出来る限り素早く銃を取り出して、銃口をお母さんに向けて構える。正しい構え方なんかわからない。わからないから、ゲーセンで射撃ゲームの台に書いてある『銃の持ち方』を思い出す。
腕をまっすぐ伸ばして、右手を前に押し出すように、左手は手前に引くように。
「おやまぁ、オモチャでもそんな物を親に向けるなんて、どうかしてるわ」
「どうかしてるのはあんたの方だっ」
お母さんは髪を摘んでいた手を下ろして、残念そうにため息を吐いた。
「どうしてあんたがここにいるっ。どうして海々をさらったっ。どうして海々を傷つけたっ」
わたしは畳み掛けるように問いただした。
「ふふ……」
女は再び禍々しく笑みを浮かべ、視線を地面に向けた。
やがて顔を上げて、氷のように冷え切った視線をわたしに向ける。
「どうして? それはこっちのセリフだわ」
今度は、間違いなく恐怖だった。
首筋に氷を突きつけられたように、わたしの体が震え上がる。
「1年以上も家出しておいて、わざわざ迎えに来てあげたのに……なによ、その口の利き方はぁっ!」
女はそう叫んで、胸ポケットからナイフを取り出した。その切っ先をわたしに向ける。
わたしは血が出るくらいに舌を強く噛み締めて、恐怖に捕らわれないように前を見据える。
「だったら直接わたしに会いに来ればいいだろうがっ、海々をさらう理由がどこにあるっ」
負けじとわたしも叫ぶ。
すると、女は呆けた顔をして、さもわたしを軽蔑するような口調で言ってきた。
「あら、だってこの子もあんたと一緒に拾ったもの。だから本当の親は私。でも、二人をいっぺんに育てるのは大変でね、片方を同級生の明音に任せたのよ」
「拾った……? 任せた……?」
「あんたも聞いたでしょ、この町にUFOが墜落した話。その時、私はここに一番先に来て、UFOの残骸付近で赤ん坊のあんたとこの子を拾ったのよ」
意味が、わからない……。
「私は思ったわ。このふたりの赤ん坊は宇宙からやってきた。どっかの研究所に高く売れるかもしれない。きっと、一生遊んで暮らせるような大金が」
女の顔が徐々に綻んでいく。
「でもね、そこでふと思った。こいつらをある程度まで育ててから公表した方が、大金だけじゃなくて世間の名声も得られるかもしれない。『得体の知れない生物を、よくここまで育てた!』と褒め称えられるかもしれない」
でも、その顔に浮かぶのは、
「当時の私は独身だったから、いきなり子供がいたらおかしいでしょ? だから、隣の県に引っ越したのよ。そこで知り合いの男に事情を説明して、あんたらを育てるために籍も入れたわ。ま、要は金づるなんだけどね」
欲望にまみれた、濁りきった笑み。
「あんたはよかったわよ、碧。おとなしくて、面倒がみやすかったもの。でも、この子は違った。私が近付くだけでびゃあびゃあ泣きやがって、鬱陶しいったりゃありゃしなかったわ」
女が海々のもとへ歩み寄る。
「思い出すだけで腹が立つ。脳みそをくり抜いてやろうかしら」
海々を忌々しそうに眺めて、右手に持つナイフを額に突きつける。
「やめろーっ!」
右手の人差し指に力を込め、力の限りに叫んだ。
女は刃を海々から離して、いたずらっぽく笑う。
「冗談よ。それでね、あまりにも鬱陶しいから、同級生の中で一番面倒見のよさそうな明音の家の前に置いてきたのよ。あいつは昔から人が良くてね。それはあんたも知ってるでしょ? 子育てをさせるにはうってつけの人材だったわ」
その笑みが、また禍々しいものになっていく。
「これで碧を育てるのに集中出来るようになって、せっかく15歳になるまで育て上げたのに、家出しちゃうんだもの。血眼になって捜したわよ。近所の人達にもすごく心配かけちゃった」
そう言いながらも、女は禍々しい笑みを絶やさない。
「でもね、あんたが行った高校なんて学校の先生に聞けばすぐわかるのよ。そこで碧が源泉高校に入ったって聞いた時は、心から運命を感じたわ。まさか私が育って、預けていたもうひとりの子と同じ町に行ったんだからね。やっぱり、あんたとこの子は引かれ合っているのかもしれないわ。同じ宇宙人としてね」
その言葉に、わたしの胸の奥から込み上げてくるものがあった。
「だから、私はむしろ安心して碧を好きにさせてあげられたわ。でも、高校を卒業したらさすがに行方を掴みにくくなるからね、そろそろ世に公表しようと思って。大金を分けてあげる、という条件で男達を雇って、まずはこの子を連れてきてもらったのよ」
碧を誘い出すためにね、と女は付け足す。
「多少強引にでもふたり一緒に連れて来た方が時間も手間も省けてよかったんだけど、ほら、あんた強いじゃない? だからこの方が効率いいと思ったのよ」
「……どうやって、海々を誘導したの?」
ずっと抱いていた疑問のひとつ。
こんな奴らに自らの意志で同行させるなんて、並大抵の言葉じゃ無理なはずだ。
「あら、そんなの簡単よ」
でも、女はあっけらかんと答えた。
「『あんたがおとしくついて来れば、碧のことは見逃してあげる』って言うように部下に言ったのよ。そしたら、あっさりついてきたらしいわ」
「なっ――。わたしを、餌に……?」
「もちろん、そんなの嘘なんだけどねぇっ!」
女が高らかに笑い上げる。
わたしは怒りが爆発するのを必死に抑えた。
口の中で血の味がする。ずっと噛み続けていた舌から出血したようだ。
「しかもねっ、碧を見逃すってことは嘘だと伝えたら、土下座なんかしてきたのさっ。『お願いしますっ、碧だけは助けてやってください!』ってねぇっ」
「え……?」
「あまりにもうるさいもんだからさぁ、殴って黙らせようと思ったのよ。でも、この子、顔に似合わず頑固でさぁ、ついつい顔も殴っちゃったのよねぇ。それでもまだやめないからさ、気絶するまで殴り続けたの。そんな日々が毎日続いたわ。友情って素晴らしいわよねぇ」
含み笑いを必死に堪える女に、わたしはもう、自分の感情を抑えられなくなった。
「てめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええええええっ」
この際、自分が地球人じゃないことはさておく。
そんなことより、わたしはこいつのあまりにも身勝手な考えを許せない。
「金が欲しかった……?」
怒りはもちろんある。
「名声が欲しかった……?」
でも、それ以上に悔しかった。
海々はわたしを助けるために、自らこいつらについて行った。さらに、わたしのために土下座までして、殴られても、殴られても、気を失うまでそれを続けて……。
「そんなもののために……」
母親という仮面を被って。
都合よく明音さんの良心を利用して。
海々を騙して。傷つけて。
「そんなもののために、お前はぁっ!」
ようやくわかった。
わたしは、この女の家畜でしかなかった。
成長させて、程よく肥えさせて、時期が来たら売り飛ばそうとしていた。
わたしは檻に閉じ込められ、餌を与えられていただけ。
小さい頃は餌で懐かせて、成長して手がつけられなくなったら首輪で繋いだ。
わたしは、そんな風に育てられていたのだ。
「海々を離せっ! 今すぐにだっ!」
もう、わたしはこいつを親と認めない。
ここまで育ててもらった恩なんか微塵も残っていない。
あるのは憎悪と怨恨だけ。
「はぁ? 今の話、聞いてなかったの? あんたらはこれから売るのよ。テレビでもたくさん紹介されるでしょうねぇ。よかったじゃない、テレビに映れるなんてなかなかないことよっ」
そのふざけた笑顔が、どうしようもなく憎たらしい。
「早くしろっ! お前の言い分なんか知るかっ!」
わたしの言葉に、女から濁った笑みが消える。
次に出てきたのは、怒りと欲望を混ぜたような、醜い表情だった。
「さっきから親に向かってなんだよ、その態度はぁっ! 本当に殺してやろうか! あんたがいなくても片方が残ってんだぞっ、あぁっ?」
「うるせぇっ! もうお前を親だと思わねぇ! お前が死ねばいんだよっ」
そして、体を震わせた。
「こ、のっ、クソガキがぁぁぁぁぁああああああああああああああああっ!」
人間の、あらゆる汚いものを集めて固めたような物体が、ナイフを携えてわたしに向かってくる。
――胸。……心臓、か。
いつものように、相手の軌道が見える。
今にして思えば、この能力は人間のものじゃなかったのだ。人間離れしているとか、並みの人間ではないとか、色々な人から言われたし、自分でも少しは思っていた。
でも、そうじゃない。
人間離れしているんじゃない。
わたしは、人間じゃないんだ。
有り得ないようなことでも、そう結論付ければ辻褄が合う。
矛盾が、矛盾でなくなる。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええっ!」
女がわたしの目前まで迫ってきた。
あと数秒でわたしは心臓を貫かれ、きっと死ぬ。
でも。
「死ぬのはあんただよ」
不思議なことに、わたしは落ち着いていた。
これも、人間じゃないからなのだろうか。
『人間じゃない』というだけで、こんなにも世界の定理から外されても、正当性が出てきてしまうのだろうか。
……いや、そうじゃない。
世界の定理とか、法則とか、それらは全部人間が定めたもの。
人間が、人間に合わせて作ったものなのだから、他の生命体に当てはまらないのは当然なのだ。
人間じゃないわたしに、当てはまるはずがないのだ。
だから、人を殺しちゃいけない、という決まりは、わたしには適用されない。
息を止めて、右手の人差し指を手前に引いた。
――パン。
予想以上に小さく、乾いた音が響いた。
反動もさほどない。
その音と共に、女の動きが止まった。
音が反響する空間で、訪れたのは静寂。
でも、やがてそれは破られる。
「い……、い、い……」
唇と、体中をわななかせた女の顔が、すぐ目の前にあった。
真っ赤な血が、わたしの服に飛び散る。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああっ!」
そして、その体が地面にひれ伏した。
わたしは何も言わず、その女がどこを手で押さえるか待った。
「いっ、痛いっ、いたいぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいぃぃぃぃぃいいいいいいいいっ!」
絶叫する女が左手で押さえたのは、右肩だった。

わずかに安堵する気持ちが一抹あったのは否めない。
殺さずに済んだ。
それで安心しているわたしは、やっぱり人間なんじゃないだろうか。
そんなどうでもいいことを考えていたら、自分の手が震えていることに気が付いた。
わたしは汗ばんだ手から力を抜いて、銃を地面に落とした。
がしゃっ、と鈍い音を立てる。
絶叫する女に背を向けて、わたしは海々のもとへ歩み寄る。
「海々……」
綺麗な顔に傷がついたのは悔しいけど、いつまでもそんなことを苛んではいられない。今は一刻も早く海々を解放してあげなきゃ。
ロープに手をやって、固い結び目をなんとか解こうとする。手はまだ震えていて、思うようにいかない。
なんとか解けた頃には、数分が経っていたと思う。
わたしはロープを絨毯の上に置いて、優しく海々の頬を撫でた。
柔らかくて、あたたかかった。
「海々、起きて」
声をかけると、海々がわずかに顔を歪める。
「ほらほら」
ぺちぺちと頬を軽く叩いてみる。
海々は顔を歪めはするけど、目を開くまでには至らなかった。
そういえば、海々って最悪に朝に弱いんだっけ。……今は夜だけど。
「しょうがないなぁ」
わたしは顔を海々の口元に近付ける。
「せーの」
去年の11月。
遠足の日だというのに、寒いことも手伝って海々は布団から出ようとしなかった。せっかくの遠足なのに、集合時間に遅れるわけにはいかない。
だから、遠足の日の朝ということもあってテンションが高かったわたしは、思い切った行動に出た。
――ちゅっ。
という擬音が似合うよね。女の子同士だし。
「んん……?」
あれ? 前は「ひゃわっ」とか言って起きたのに、今日は普通だなぁ。
まぁ、目を覚ましてさえくれればどうでもいいことなんだけど。
「起きた?」
頭を軽く撫でながら声をかけた。
海々はゆっくりと目を開いて、しばらくはボーっとしていたけど、次第にわたしの顔に焦点が合っていくのがわかった。
「あおい……?」
よしよし、わたしのことはちゃんと覚えているね。
「そうだよ。立てる?」
わたしの質問の意味をいまいち把握できていないのか、しばらく頭上に「?」を浮かべていた海々だったけど、
「……あれっ、海々っ、確か碧のお母さんに……!」
ようやく回路が繋がったようだ。
わたしは海々の口をそっと押さえる。
もういい。もう、終わったんだよ。
「ちょっと我慢してね」
わたしは海々の体を持ち上げた。
相変わらず軽いし、大好きな海々だからちっとも苦にならない。
「わっ。あ、碧っ、自分で歩けるよっ」
「いいからいいから。わたしがこうしたいのよ」
わたしは海々をお姫様抱っこして、倉庫を出た。

外は灰色の男達が横たわっていて、朱漢組の連中が地面にしゃがみこんでいた。
そんな中で、ふたりの男が凛として佇んでいた。
「やっ」
わたしが声をかけると、ふたりの男は驚きつつも暖かく迎えてくれた。
「無事に、助け出せたようだな」
学ランを肩にかけて、白のタンクトップを来た、全身土まみれの巨漢な男。
「さすが、沙理沢だなっ。お前ならやってくれると信じてたぜっ」
うさん臭い言葉で出迎えてくれたのは、対照的に綺麗な服のままの爽やかマスク。
わたしは改めて周囲を見渡す。
20人はいたであろう、灰色のスーツを着た男達が、ひとり残さずに地面に横たわっている。
「これ、全部朱漢組が?」
わたしは尋ねると、誇らしげに頷いたのは二宮だった。
「あぁっ、俺達が本気を出せばこんなもんよっ」.
胸ポケットからモデルガンを取り出し、決めポーズらしき構えをする。
「俺らをなめんじゃねぇぞ!」
「これでわかったか、本気を出しゃあお前にだって楽勝で勝てるんだよ!」
「明日から俺らを敬えよ!」
その言葉に呼応するように、地面にしゃがんでいた朱漢組が次々に雄叫びを上げる。
「うん、ありがとう」
いつもなら生返事で流すようなこいつらの戯言も、今日ばかりは笑顔で応えてあげる。
こんなにも素直な気持ちでお礼を言えたのは、海々以外に初めてかも。
「…………」
それなのに、みんな黙ってしまった。
暗くてよくわからないけど、顔を赤くしている奴もいる気がする。
「杞蕾、無事か?」
綿谷がわたしに抱えられた海々の顔を覗き込んできた。
「う、うん。ありがとう……」
青アザは確実に見えているはずなのに、そこをすぐに突っ込まないことから、やはり綿谷は人間として信頼できる。
わたしも海々の顔を見る。
わたしと目が合うと、海々は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
そんな海々が、たまらなく愛しい。
「海々」
その名を呼ぶ。
これからは、ずっと一緒に暮らそうね。
ずっと、ずっと仲良く暮らそうね。
一生、仲良く暮らそうね。
今度こそ、絶対に海々を守り通してみせるから。
わたしはそう言おうと口を開く。
――パン。
でも、その言葉は声にならなかった。
喉まで出かかったのに、そこで止まってしまった。
「あっはははははははははははっ。しねっ、しんでしまえぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええっ!」
……まずい、力が抜ける。
今のわたしは海々を抱えているのだ。力を抜くわけにはいかない。
わたしは意識が離れるのをなんとか堪え、海々を落とさないように強く抱きしめる。
「わっ」
直後、膝に衝撃が走った。
一瞬、海々が腕から離れた気がしたけど、すぐにその重みが腕に戻る。
よかった。海々を地面に落とすことは免れたようだ。
「碧っ!」
そう安心した刹那、わたしの全身から、力が抜けた。


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