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温情は不要
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幼いアミナは、王宮の祖母のもとに通うことになった時、家族にこう言い聞かされた。「困ったときには、だれか信じられる人の言うことを聞くんだよ」と。
アミナの王宮通いは王家から承認されたことであり、先代の聖女と国王とが、わざわざアミナを後見すると国中に告示までしてくれている。大切に扱われるだろうことは家族も承知していたが、次代の聖女として認定された幼い娘へ向かう悪意や欲がないとも言い切れない。
ましてアミナは、親の目の届かないところに送り出すのが心配になるぼんやり具合だったのだ。
アミナは素直にその忠告を聞いた。
大抵、困ったときに頼るのは、もちろん祖母だ。それから、祖母がつけてくれた侍女たち。時々、父母の言いつけを奇跡的に思い出したり。長兄テセウは、何かあったらとにかく蹴り付けて逃げろ、と乱暴なことを言うので、当時は耳を貸さなかったが。
お兄様の忠告も意外と役に立つのね、とアミナは兄テセウに支えられながら、石段を登った。ちょうどテセウに小声で、「よく叫んだ。教えた甲斐があった」と褒められて、つい小さく笑ってしまう。
歩いても笑っても腕に響くのは、骨まで痛めたからだろうか。絡まった泥がこびり付いたように、一歩一歩が重たく、引きずるようだ。
時間をかけてわずか数段の石段を登り、その先、少しひらけたところで、アミナは思わず目を丸くしてしまった。
オルヴェルト王子が、腕を組み、悠然と立っていたのだ。
「聖女は」
「なんとか無事でした。鍵が開けられていたら、どうだか分かりませんでしたがね。怪我の手当てをしてやっていいでしょうか」
「しばし待て」
テセウが、ぎり、と歯噛みをした音を、アミナは頭上に聞いた。待たされるとは思わなかったのだろう。
けれどアミナにしてみれば、オルヴェルト王子が、アミナの状態を気にかけて問うてくることこそ不思議だ。それにまさか今、アミナのためにここに足を運び、のろのろとやってくるアミナを待っていたというのだろうか。
あの、オルヴェルト王子が?
疑問は、すぐに鈍く拡散していった。頭が重たくて、持ち上げていられない。どうしても項垂れてしまって、かろうじて兄に支えられながら、アミナはただ、兄とオルヴェルト王子の靴先を見ていた。
***
アミナの体が、徐々に重みを増しているのを、テセウはジリジリとした思いで支えた。腹の底が焦げつきそうだったが、そう間をおかずに別の通路から足音が近づき、オルヴェルト王子の側近が現れた。
「収牢しました」
オルヴェルト王子は頷いただけだったが、テセウは思わず問い返した。
「収牢とは、まさか先ほどの二人ですか? 何の取り調べもせずに? 一体どんな経緯でこうなったのか、私も説明が欲しい。それに、クソ共だが貴族の子弟です。申し開きの場も設けずよいのですか」
「必要か?」
オルヴェルト王子が返したのは、端的な疑問形だったが、おそらく、疑問ではない。この話はこれで終わり、ということだ。
ラ・ラーナ公爵家の長子に対して、これではまずいと思ったのか、側近が口を挟んだ。
「テセウ殿、オルヴェルト殿下は、死なせず、牢に入れよ、とのみおっしゃいました。国王陛下が聖女アミナ殿への疑念を呈された上は、妥当なご判断でしょう。ただし、意を汲んで動く者であれば、当然、治療を施し、貴族牢へと案内したはずです。その点、奴らが仕出かしたことは我らも遺憾です。
オルヴェルト殿下がここまで自ら足を運ばれていることで、殿下が意図したことではないとお分かりいただけるかと」
アミナが祈りの間から連行されたという知らせは、王宮の使用人として勤めているラ・ラーナ公爵家の縁者からテセウへともたらされた。当然、テセウは側近の男が言うように、アミナが貴族牢、あるいは軟禁用の部屋に入れられたと思ったが、どこを探しても見当たらなかった。
祈りの間にいてこそ、聖女として安全が保証されると考えていたテセウは、慌てて、城壁から帰ってきたオルヴェルト王子に直談判したのだ。
オルヴェルト王子は祈りの間に同行した側近と護衛兵を集めさせたが、地方出身の護衛兵がふたり、姿が見えず。その二人の行動を洗えば、近年は閉鎖している古い地下牢の鍵を職権で借り出していたことがわかった。
直後、テセウは周囲を見る余裕もなく、城を走り抜けた。地下牢を昔視察したことがあってこそ。途中、何人とぶつかったかわからない。
火事だと叫ぶ妹を見て、どれほど安堵したことか。
それほど救出に夢中だったために、その不浄な牢にオルヴェルト王子自らが降りてきていたことに、テセウもまた、驚いていた。
だから、それはいい。オルヴェルト殿下に、アミナを害する意図はなかったと、信じよう。
「あやつらは、殿下の指示を捻じ曲げ、私利私欲を優先して、聖女アミナ殿を監禁した犯罪者であり、殿下に対する裏切り者です。温情は不要でしょう。それとも、奴らの解放をお望みですか?」
側近の言に、テセウの体が揺れた。アミナの体をつい、きつく抱き寄せてしまう。妹が入れられていた朽ち果てそうな牢の、あまりの不潔さと劣悪さを思い出し、全身の毛が逆立つのを感じた。
だが、とテセウは首を振った。
アミナの王宮通いは王家から承認されたことであり、先代の聖女と国王とが、わざわざアミナを後見すると国中に告示までしてくれている。大切に扱われるだろうことは家族も承知していたが、次代の聖女として認定された幼い娘へ向かう悪意や欲がないとも言い切れない。
ましてアミナは、親の目の届かないところに送り出すのが心配になるぼんやり具合だったのだ。
アミナは素直にその忠告を聞いた。
大抵、困ったときに頼るのは、もちろん祖母だ。それから、祖母がつけてくれた侍女たち。時々、父母の言いつけを奇跡的に思い出したり。長兄テセウは、何かあったらとにかく蹴り付けて逃げろ、と乱暴なことを言うので、当時は耳を貸さなかったが。
お兄様の忠告も意外と役に立つのね、とアミナは兄テセウに支えられながら、石段を登った。ちょうどテセウに小声で、「よく叫んだ。教えた甲斐があった」と褒められて、つい小さく笑ってしまう。
歩いても笑っても腕に響くのは、骨まで痛めたからだろうか。絡まった泥がこびり付いたように、一歩一歩が重たく、引きずるようだ。
時間をかけてわずか数段の石段を登り、その先、少しひらけたところで、アミナは思わず目を丸くしてしまった。
オルヴェルト王子が、腕を組み、悠然と立っていたのだ。
「聖女は」
「なんとか無事でした。鍵が開けられていたら、どうだか分かりませんでしたがね。怪我の手当てをしてやっていいでしょうか」
「しばし待て」
テセウが、ぎり、と歯噛みをした音を、アミナは頭上に聞いた。待たされるとは思わなかったのだろう。
けれどアミナにしてみれば、オルヴェルト王子が、アミナの状態を気にかけて問うてくることこそ不思議だ。それにまさか今、アミナのためにここに足を運び、のろのろとやってくるアミナを待っていたというのだろうか。
あの、オルヴェルト王子が?
疑問は、すぐに鈍く拡散していった。頭が重たくて、持ち上げていられない。どうしても項垂れてしまって、かろうじて兄に支えられながら、アミナはただ、兄とオルヴェルト王子の靴先を見ていた。
***
アミナの体が、徐々に重みを増しているのを、テセウはジリジリとした思いで支えた。腹の底が焦げつきそうだったが、そう間をおかずに別の通路から足音が近づき、オルヴェルト王子の側近が現れた。
「収牢しました」
オルヴェルト王子は頷いただけだったが、テセウは思わず問い返した。
「収牢とは、まさか先ほどの二人ですか? 何の取り調べもせずに? 一体どんな経緯でこうなったのか、私も説明が欲しい。それに、クソ共だが貴族の子弟です。申し開きの場も設けずよいのですか」
「必要か?」
オルヴェルト王子が返したのは、端的な疑問形だったが、おそらく、疑問ではない。この話はこれで終わり、ということだ。
ラ・ラーナ公爵家の長子に対して、これではまずいと思ったのか、側近が口を挟んだ。
「テセウ殿、オルヴェルト殿下は、死なせず、牢に入れよ、とのみおっしゃいました。国王陛下が聖女アミナ殿への疑念を呈された上は、妥当なご判断でしょう。ただし、意を汲んで動く者であれば、当然、治療を施し、貴族牢へと案内したはずです。その点、奴らが仕出かしたことは我らも遺憾です。
オルヴェルト殿下がここまで自ら足を運ばれていることで、殿下が意図したことではないとお分かりいただけるかと」
アミナが祈りの間から連行されたという知らせは、王宮の使用人として勤めているラ・ラーナ公爵家の縁者からテセウへともたらされた。当然、テセウは側近の男が言うように、アミナが貴族牢、あるいは軟禁用の部屋に入れられたと思ったが、どこを探しても見当たらなかった。
祈りの間にいてこそ、聖女として安全が保証されると考えていたテセウは、慌てて、城壁から帰ってきたオルヴェルト王子に直談判したのだ。
オルヴェルト王子は祈りの間に同行した側近と護衛兵を集めさせたが、地方出身の護衛兵がふたり、姿が見えず。その二人の行動を洗えば、近年は閉鎖している古い地下牢の鍵を職権で借り出していたことがわかった。
直後、テセウは周囲を見る余裕もなく、城を走り抜けた。地下牢を昔視察したことがあってこそ。途中、何人とぶつかったかわからない。
火事だと叫ぶ妹を見て、どれほど安堵したことか。
それほど救出に夢中だったために、その不浄な牢にオルヴェルト王子自らが降りてきていたことに、テセウもまた、驚いていた。
だから、それはいい。オルヴェルト殿下に、アミナを害する意図はなかったと、信じよう。
「あやつらは、殿下の指示を捻じ曲げ、私利私欲を優先して、聖女アミナ殿を監禁した犯罪者であり、殿下に対する裏切り者です。温情は不要でしょう。それとも、奴らの解放をお望みですか?」
側近の言に、テセウの体が揺れた。アミナの体をつい、きつく抱き寄せてしまう。妹が入れられていた朽ち果てそうな牢の、あまりの不潔さと劣悪さを思い出し、全身の毛が逆立つのを感じた。
だが、とテセウは首を振った。
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