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兄上が、聖女アミナに
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オルヴェルト王子は、その光景にも眉ひとつ動かさない。
動かない表情は、王子から生きているものの気配を消している。美貌のせいでもある。首元に巻いたストールが頬の線と喉元を少し隠しているせいで、いずれの美姫かと見紛うほどの繊細な美しさ。
だが、オルヴェルト王子はすでにそこらの大人の男より背が高く。その場の誰よりも高みから、足元の小石を蹴り飛ばすように、しんとした青い目でアミナを見下ろしていた。
「下がれ。通らず迂回せよ」
「祖母の具合が悪いのです。早く離宮に帰りたくて」
言い返せば、舌打ちが返って来た。
オルヴェルトの後ろから、黒髪の背の高い少年が現れて、主君と小柄な少女が向き合っているのに気づいて立ち止まった。
あの少年だ、と思う間もあらばこそ。
「その、おめでたい頭は、完全に飾りらしい。お前が聖女でなかったなら、そのお粗末な言い訳を口にした時点で、躊躇なく飾りは切り落としてやるものを」
唾でも吐きそうな苦々しい顔で、オルヴェルトはアミナの腕を捕まえると、そのまま引き摺るようにして歩き出した。体格だけ見れば、大人と子供ほどの差がある。文字通り引き摺られかけて、慌てて足を動かす。
侍女らが悲鳴を上げ、慌てて止めようとしたが、オルヴェルト王子に手をかけるわけにもいかず、アミナを引っ張るわけにもいかず。嘆く声が三重に宮を騒がせた。
黒髪の少年だけは、幾分冷静に状況を見て「殿下」とだけ呼びかけた。それに、傷つけはせん。躾だ。と叩き落とすように返答があり、そして、誰もが手を引っ込めざるをえなくなった。
「殿下、殿下、何するんですか。離してください」
初めは驚いて騒いだアミナだが、周囲の様子を見るにつれ、口を閉じた。誰も手が出せないのだ。どう暴れても、助けが来る可能性は低そうだ。
オルヴェルト王子がアミナを傷つけない、と口にしたので、皆安心したのかもしれない。そうアミナは考えた。
そんな時は、好機を待て。と言ったのは、例によって長兄だ。
だからアミナは口を閉じて、そして、転ばないように足を動かすことに集中した。オルヴェルト王子の歩幅は大きく、アミナの二歩分はある。
公爵家の令嬢として、そして次期聖女として、大切にのびのびと育てられたアミナは、理不尽な扱いや暴力を受けたことがない。
唯一、オルヴェルト王子からのこの扱いこそが理不尽というものだろうか。
だから、想像ができないのだ。
普段冷淡なオルヴェルト王子が、聖女アミナにだけ、罵るような言葉を浴びせ、礼儀も配慮も打ち捨てた振る舞いをする異常さ。それがどこまでエスカレートするか、その最悪の結果をも想像した周囲が、どれほど肝を冷やしているか。
本人ばかりが知らぬ間に、アミナの侍女と護衛は各所に助力を求めたり指示を受けに奔走し、一部始終を目撃した使用人たちに口止めする者もなく、この一件は王宮中に伝わることになった。
黒髪の少年に続いてやって来たケルヴィン王子と側近たちは、ざわめく気配に首を傾げた。
「ルーディウス、何があった? オルヴェルト殿下はもう次のご予定に行かれたのか? お一人で?」
「いや…、殿下は今聖女アミナ様と」
「アミナ様? 次期聖女の方か」
「おそらく。殿下が聖女と呼びかけておられた」
難しい顔のままのルーディウスに、少年たちはますます首を傾げた。
「まだお小さいだろう? 12歳か、13か? 成人前だ。オルヴェルト殿下がその子と何をされたって? なんか想像できない取り合わせだな」
「……」
説明しづらい。自分の目で見ていても、あの罵倒とぞんざいな扱いは、普段のオルヴェルト殿下を知る者からすれば、別人だ。
「兄上が、聖女アミナに接触したの?」
だが、ケルヴィン王子にゆるりと問いかけられては、答えないわけにいかなかった。
「……はい、下がって迂回せよと、とてもご不快の様子で、聖女様の腕を掴んで引き摺って行かれました」
「兄上が?」
「はい」
ふーん、とケルヴィン王子がいまだ子供らしさを残した頬に睫毛の影を落として何事か考え込んだ。
周囲の少年たちは、わずかに息を呑んだ。
ケルヴィン王子も成人間近となり、近頃はめっきり減ったが、兄のやることすべて真似しないと気がすまないところのある弟王子だ。何を言い出すか、という、うっすらとした緊張感が漂った。
「うーん。聖女は会ってみたいけど、女の子を虐めるのは気が進まないなあ。兄上、すぐ戻ってくるかな」
ケルヴィン王子は、兄王子が冷たく扱う相手を、興味の対象から外したようだった。
周囲はほっと胸を撫で下ろす。側近候補の少年たちの中には、王子たちとアミナとの接近禁止の命令を知る者もいたのだ。では、オルヴェルト王子とアミナは、と二人が消えた方を見れば。
「あ、兄上。戻って来られたね」
のほほんとケルヴィン王子が手を振って出迎える。
オルヴェルト王子は弟を一瞥して、そのままの速度で次の予定のある部屋に向けて歩みを止めない。
「兄上、アミナってどんな子ですか?」
すぐに隣に追いつき早足で並びながら問いかけられ、オルヴェルト王子は流し目を送って端的に答えた。
「邪魔な子供だ」
そっか、とケルヴィン王子はそれきり興味を失ったようだ。
ふたりの王子たちに追従しながら、黒髪の少年はひとり、オルヴェルト王子が来た方に意識を向けた。
あちらに、今代の聖女の住まう離宮へ迂回する通路があっただろうか、と。
動かない表情は、王子から生きているものの気配を消している。美貌のせいでもある。首元に巻いたストールが頬の線と喉元を少し隠しているせいで、いずれの美姫かと見紛うほどの繊細な美しさ。
だが、オルヴェルト王子はすでにそこらの大人の男より背が高く。その場の誰よりも高みから、足元の小石を蹴り飛ばすように、しんとした青い目でアミナを見下ろしていた。
「下がれ。通らず迂回せよ」
「祖母の具合が悪いのです。早く離宮に帰りたくて」
言い返せば、舌打ちが返って来た。
オルヴェルトの後ろから、黒髪の背の高い少年が現れて、主君と小柄な少女が向き合っているのに気づいて立ち止まった。
あの少年だ、と思う間もあらばこそ。
「その、おめでたい頭は、完全に飾りらしい。お前が聖女でなかったなら、そのお粗末な言い訳を口にした時点で、躊躇なく飾りは切り落としてやるものを」
唾でも吐きそうな苦々しい顔で、オルヴェルトはアミナの腕を捕まえると、そのまま引き摺るようにして歩き出した。体格だけ見れば、大人と子供ほどの差がある。文字通り引き摺られかけて、慌てて足を動かす。
侍女らが悲鳴を上げ、慌てて止めようとしたが、オルヴェルト王子に手をかけるわけにもいかず、アミナを引っ張るわけにもいかず。嘆く声が三重に宮を騒がせた。
黒髪の少年だけは、幾分冷静に状況を見て「殿下」とだけ呼びかけた。それに、傷つけはせん。躾だ。と叩き落とすように返答があり、そして、誰もが手を引っ込めざるをえなくなった。
「殿下、殿下、何するんですか。離してください」
初めは驚いて騒いだアミナだが、周囲の様子を見るにつれ、口を閉じた。誰も手が出せないのだ。どう暴れても、助けが来る可能性は低そうだ。
オルヴェルト王子がアミナを傷つけない、と口にしたので、皆安心したのかもしれない。そうアミナは考えた。
そんな時は、好機を待て。と言ったのは、例によって長兄だ。
だからアミナは口を閉じて、そして、転ばないように足を動かすことに集中した。オルヴェルト王子の歩幅は大きく、アミナの二歩分はある。
公爵家の令嬢として、そして次期聖女として、大切にのびのびと育てられたアミナは、理不尽な扱いや暴力を受けたことがない。
唯一、オルヴェルト王子からのこの扱いこそが理不尽というものだろうか。
だから、想像ができないのだ。
普段冷淡なオルヴェルト王子が、聖女アミナにだけ、罵るような言葉を浴びせ、礼儀も配慮も打ち捨てた振る舞いをする異常さ。それがどこまでエスカレートするか、その最悪の結果をも想像した周囲が、どれほど肝を冷やしているか。
本人ばかりが知らぬ間に、アミナの侍女と護衛は各所に助力を求めたり指示を受けに奔走し、一部始終を目撃した使用人たちに口止めする者もなく、この一件は王宮中に伝わることになった。
黒髪の少年に続いてやって来たケルヴィン王子と側近たちは、ざわめく気配に首を傾げた。
「ルーディウス、何があった? オルヴェルト殿下はもう次のご予定に行かれたのか? お一人で?」
「いや…、殿下は今聖女アミナ様と」
「アミナ様? 次期聖女の方か」
「おそらく。殿下が聖女と呼びかけておられた」
難しい顔のままのルーディウスに、少年たちはますます首を傾げた。
「まだお小さいだろう? 12歳か、13か? 成人前だ。オルヴェルト殿下がその子と何をされたって? なんか想像できない取り合わせだな」
「……」
説明しづらい。自分の目で見ていても、あの罵倒とぞんざいな扱いは、普段のオルヴェルト殿下を知る者からすれば、別人だ。
「兄上が、聖女アミナに接触したの?」
だが、ケルヴィン王子にゆるりと問いかけられては、答えないわけにいかなかった。
「……はい、下がって迂回せよと、とてもご不快の様子で、聖女様の腕を掴んで引き摺って行かれました」
「兄上が?」
「はい」
ふーん、とケルヴィン王子がいまだ子供らしさを残した頬に睫毛の影を落として何事か考え込んだ。
周囲の少年たちは、わずかに息を呑んだ。
ケルヴィン王子も成人間近となり、近頃はめっきり減ったが、兄のやることすべて真似しないと気がすまないところのある弟王子だ。何を言い出すか、という、うっすらとした緊張感が漂った。
「うーん。聖女は会ってみたいけど、女の子を虐めるのは気が進まないなあ。兄上、すぐ戻ってくるかな」
ケルヴィン王子は、兄王子が冷たく扱う相手を、興味の対象から外したようだった。
周囲はほっと胸を撫で下ろす。側近候補の少年たちの中には、王子たちとアミナとの接近禁止の命令を知る者もいたのだ。では、オルヴェルト王子とアミナは、と二人が消えた方を見れば。
「あ、兄上。戻って来られたね」
のほほんとケルヴィン王子が手を振って出迎える。
オルヴェルト王子は弟を一瞥して、そのままの速度で次の予定のある部屋に向けて歩みを止めない。
「兄上、アミナってどんな子ですか?」
すぐに隣に追いつき早足で並びながら問いかけられ、オルヴェルト王子は流し目を送って端的に答えた。
「邪魔な子供だ」
そっか、とケルヴィン王子はそれきり興味を失ったようだ。
ふたりの王子たちに追従しながら、黒髪の少年はひとり、オルヴェルト王子が来た方に意識を向けた。
あちらに、今代の聖女の住まう離宮へ迂回する通路があっただろうか、と。
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