孤独な狼は愛を返す:たとえ惨めに打ち捨てられても、貴方のために祈ります

日室千種・ちぐ

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平民の子

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 ルーディウスは、平民の子だ。
 異国から流れてきた母親が、王都で父親と出会って産まれてきた。
 母親から受け継いだのは、髪の色と目の色と、身体能力だ、と父はよく懐かしむ目をしてルーディウスに語り聞かせた。屋根より高く跳べたし、馬より速く走ったと、ちょっと遠い目でそう言っていた。
 当の母親は、ルーディウスが歩くようになった頃に、病を得て亡くなっている。

 父と二人、ごく普通に王都の市井に暮らしていたが、五歳になったある時、庭園管理に携わる父の仕事について貴族の屋敷に行ったことで、その後の人生が大きく変わることになる。
 父を手伝っていたルーディウスは、自分の背より高い生垣の向こうで、子供の声がすることに気がついていた。高梯に乗っていた父も、ちらちらとそちらを気にしていた。だが貴族の屋敷の庭で遊ぶ子供は、その家の子供に決まっている。作業中だからと注意するわけにもいかないのは、幼いルーディウスにもわかった。
 その見て見ぬ振りをした近い距離が、災いとなった。
 生垣の向こうで甲高い音がした。父親が切り落とした枝を集めて両手に持っていたルーディウスは、微かに風を切る音を聞いて、宙を見上げた。
 視線の先では、空中でくるくると回転した剣が、ちょうど刃を下に向けて静止したところだった。そして運悪く、それはルーディウスの真上にあった。
 ルーディウスは剣を見上げると、手の中の枝を落としつつ、さっと一歩、退いた。
 刃が下を向いているならば、当たる面積は小さい。慌てずに避けるその動きは、理にかなっている。
 だがルーディウスは。
 最小限の動きで剣の軌道から外れると、落ちる剣を追いかけて視線を動かし、ふと、右腕を動かした。

 子供の剣で、刃が潰してあるとはいえ、鉄の塊が飛んでいって、守り役は肝を冷やしたのだろう。
 生垣を踏み越えてまで、こちらへと顔を出した。
 その目の前で、ルーディウスは落ちてくる剣の柄をパシリと捕らえたのだ。

 興奮した守り役から、幼いこどもの武勇伝を聞いたカスティラ侯爵は、これを話半分に聞いた。この守り役は、息子の上達具合についても大袈裟に褒めるところがある。
 だが、我が子の不注意で危ない目に合わせたことを詫びねばならんと、その日のうちに父親ともどもルーディウスを、庭と部屋をつなぐテラスへと呼び寄せた。
 そしてルーディウスの青い眼を見て、カスティラ侯爵は、自分の幸運に感謝した。

 この地では青い目の子が稀に産まれてくる。これは父母の目の色によらないので、これが田舎の地であれば、少し珍しい色の目で済むだろう。だが王都には、国王と王子たちの目の色を知る者が多い。青い目に散る銀の光は、早晩誰かの目にとまるはずだった。
 見つかる相手によっては、どんな火種として仕込まれるか、わからない。
 そう考えた侯爵は、元軍人らしい決断の早さで、この父子を囲うことにした。
 父親に、子の置かれた危険な立場を説明し、侯爵の考える最良の対策を提案した。結果、翌日には、ルーディウスはカスティラ侯爵家にその身柄を引き取られることが決まったのだった。

 一方父親は、王都を離れ、領地で隠居生活をしている先代侯爵夫妻の元で、庭師として雇われることとなった。王都の家には戻らず、侯爵家の庭師の小屋で過ごし、数日後に出立する。ルーディウスは、生まれ育った家からも、父からも、突然切り離されることになった。

 父親が旅立つ朝、見慣れた背中が馬車に乗り込むのを、ルーディウスは泣きもせずにじっと見ていた。昨夜は父親と同じ寝台で眠ったし、先ほどは、強い力でぎゅうぎゅうと抱きしめられ、最後にいつものように、髪をかき回すようにぐしゃぐしゃと撫でられた。
 五歳とはいえ、ルーディウスは事情をあらかた理解していた。これが、父との別れだということも。
 やがて馬車が遠ざかると、どこからか現れた侯爵家の誰かに連れられて、着替えさせられた。見たこともない綺麗な上着と、触ったこともない柔らかな胴衣。鏡の中の自分は、もう父の子ではないな、と思った。この服に着替えるのが、見送った後でよかった。この格好をしていたら、父はきっと、我が子を抱きしめることをせず立ち去ったかもしれない。

 一夜にして現れた新たな家族を、カスティラ家の面々は、穏やかに受け入れた。もとより貴族の家では養子縁組や、領地で見所のある子を寄子として世話をすることは珍しくない。ましてまだ五歳の子と夫に聞いて、情け深い性質の奥方は、母代わりにならんと気合を入れて対面に望んだのだが。
 身綺麗にされたルーディウスは、生まれながらの貴族の子弟と言われても疑わないほどの落ち着きぶりで、奥方は拍子抜けをした。
 むしろ侯爵家の実子二人の方がそわそわと落ち着かず、一通りの挨拶が済むや、わっと新しい「兄弟」に飛び付いた。守り役が、目撃したルーディウスの離れ業を何度か語っていたために、七歳と四歳の二人にとっては、ちょっとした英雄だったのだ。

 ルーディウスも、同じ年頃の彼らに対しては馴染むのが早く。
 やがて五人は、家族として過ごす時間に違和感を感じなくなっていった。

 カスティラ侯爵にとっては、これはやや誤算だった。
 引き取ることが決まり、家族の一員のように扱いながらも、ルーディウスはまだ法的にはカスティラの子ではなかった。青い目の子供の処遇を、侯爵はしばらく様子を見て決めるつもりだったのだ。

 本当に王家に連なる子供ではないのか、念入りに調べさせた。父親の家系に不審な点はなさそうだ。これは、父親から聞き取った話にも合致する。母親の身寄りや身元については、一切情報が手に入らなかった。
 だが、そうした情報は、必要であればある程度は捏造が可能である。
 辺境の地では、王家と近衛軍への恨みが蓄積している。怨嗟に食いしばった歯の折れる思いで、領主達は子供達を人質として王城へ送り出している。事実、その子達は、人としての扱いをされない。
 彼らに、ルーディウスの青い目は、どう見えるだろうか。未だに読みきれない。

 近衛軍の背後にいて、国王の欲望をうまく利用し便乗している、一部の宮廷貴族達の顔を思い出して、カスティラ侯爵は眉間に深い刻みを作った。彼らに危険視されれば、ルーディウスは必ず、殺される。

 みだりに利用されないよう、手元で保護する目的は達している。このまま、屋敷に隠し通せば、もっとも安全でもっとも穏便にことは済むだろう。だが、ああも才気に溢れた一人の男の子を、いつまでも隠すことは、残酷なことだ。
 いっそのこと、目だけを失えば、ルーディウスの人生は穏やかなものになるのではないか、とまで考え、重たい息をつく日が続いている。
 ここまで心を傾けてしまったのは、本当に誤算だ。




「この前ね」

 奥方が、黙考する夫の肩にそっと触れた。

「鳥が逃げてしまったのよ。ミゲルが大事にしていた小鳥。レリックが世話をしてやろうとして、逃してしまったの。皆で庭で探したけれど見つからず、二人は泣きながら眠ったんだけど」

 二人が眠ったあとに、侍女に連れられたルーディウスが、会いに来たという。

「ルーディウスは、死んでしまった鳥を持ってきたの。見つけた時にはもう何かに襲われて死んでいたのだけれど、見つけさせてはいけないと思い、ふたりに秘密で回収したのだ、というの」

「見つけさせてはいけない?」

「遺体が見つからなければ、遠くに飛んでいってしまっただけになる。小鳥ならそれで済む。弟は世話を自分ですればよかったと自省し、兄はうかつさを反省している。遺体を見つけると、辛さの方が大きくなって、ただの喧嘩になってしまうと言うの」

 カスティラ侯爵は、唸った。それは、わずか五歳の子が考えることだろうか。
 そして、自分の信頼する妻が、それになんと返答したのかが気になった。

「今回庇っても、いずれは違う形で直面するものだわ。そしてそれを、ルーディウスもわかっているみたいだった。だから——小鳥の件はルーディウスの提案を受け入れました」

「受け入れたのか」

「ええ、優しい気持ちでしたことよ。私にはそれがいけないとは思えない。ただ、ルーディウスは兄弟に対して、秘密を持つことになるわ」

 決めたことだときっぱり言いながらも悲しげな顔をした妻の手を、カスティラ侯爵はそっと温めた。

「小鳥の死のことでも、それを隠匿したことでもないの。死んだ小鳥をみつけた悲しみを、ルーディウスは一人で抱えることになる。小鳥を、きれいにハンカチに包んだ時の気持ちを、一番近い兄弟に言えなくなってしまう。……それを、あの子はまだ辛いと思っていないかもしれないけれど」

「ああ、そうだね」

「今回のことで縁ができて、ルーディウスはきっと、将来どんな立場になっても、うちの兄弟を大事にしてくれるでしょう。自分を後回しにしてでも、守ってくれるかもしれない。そんな子です。でも私は、ルーディウスにも、自分が大事にされることをあたりまえに感じる、そんな時間を持ってほしい」

 カスティラ侯爵は一瞬言葉を見失った。妻が、まさに今自分が悩んでいたことについて話していると気がついたのだ。その洞察の鋭さには、いつも素直に感服する。

「あたりまえに大事にされる環境か」

「ルーディウスにそう感じてもらえるかどうかはわからないけれど、私は、もうあの子のことが大好きよ。私、ルーディウスを本当の意味で私たちの家族にしたいと思うの」

「私にとっても、ルーディウスはもう家族さ」

 自分の言葉ににっこりと笑う妻は、誰よりも美しい。カスティラ侯爵にはそう見える。

「兄弟三人、一人が無理や無茶をしても、他の二人が助けてあげられるなら。母親としては子育てを成功した、って誇れると思うわ」

 こうして、侯爵夫人の強い意向のもと、ルーディウスはカスティラ家に正式に養子に入った。



 それから四年後、王家の兄弟のためにと、世襲貴族に対し、直系の子息を一人ずつ登城させるよう命令が下った。
 だが、王子達の将来の側近としてはおかしなほどの数の子息になる。案の定、兄弟と相性がよくなければ、代わって近衛軍への従軍四年が課せられると、追って告知された。これが宮廷貴族が国王に吹き込んだ、国王による世襲貴族へのふるい分けであるのは明らかだ。
 どの家も、我が子を差し出すのを渋った。
 夫人の急な逝去に悲しみの底に落とされていたカスティラ侯爵家もまた、対象となり。
 養子ながら直系次男として、ルーディウスがその招集に応じることになったのだった。
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