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敬愛と愛は違う
しおりを挟むその下命は、誰も予想していないものだった。
国王の呼び出しを受け、長々と待ち続けた挙句、国王の側近が形ばかり丁寧にやって来て、書面だけ手渡された。こうした軽い扱いは、国王のというより、その周囲の思惑によるものだ。今更何を思うこともない。
だが国王の署名が入った書面を確認し、ルーディウスは絶句した。
『聖女アミナと婚姻を結び、聖女の守護者となること』
「俺が、聖女アミナ様と、婚姻……?」
その日ばかりは、滅多に帰らないカスティラ侯爵家へと、慌てて馬を走らせた。
「これは、断ることのできない縁談だ」
カスティラ侯爵は、幾分増えてきた白髪を丁寧に撫で付け、色味を抑えたコートを羽織りながら、息子を迎え入れた。馬で駆けてきた息子から知らされた突然の王命に、まるで驚く様子がない。おそらく、先にどこからか情報がもたらされたのだろう。
ルーディウスは、安堵ともつかない息をついて、失礼します、とソファに腰を下ろした。いつもよりも、ずっしりと沈み込む気がする。
「個人的に不満があるなら、今だけ聞こう。婚約が成立すれば、嗜めなければならなくなる。――アミナ様を、受け入れ難いか?」
「いえ、そんなことは。聖女アミナ様には、騎士として私も仲間も守っていただいたと思っています。敬愛していると言っても、間違いではありません」
「敬愛と愛は違うし、お前はアミナ様と、主従ではなく夫婦にならなくてはならない」
「そ、れは。承知しています」
返答しつつも、気弱な顔をしていたかもしれない。
養父は一瞬だけ悪戯めいた顔をしたが、すぐにそれを改めた。
「アミナ様を受け入れられないわけではないのなら、覚悟を決めて、大切にしろ。――おそらく、アミナ様には、選択肢は与えられない」
最後の言葉にはっと顔を上げた時、部屋の扉が前触れもなく乱暴に開かれた。瞬時に養父を庇って立ち上がったルーディウスは、数年ぶりに見る顔に、言葉を失った。
「弟」
いつの間にか背が伸びて、神経質そうに痩せた顔つきのせいで、年齢より歳を取って見えた。険しい表情で、ルーディウスを一瞥もせず、いきなり父カスティラ侯爵に食ってかかった。
「なんで、こいつが聖女様とどうこうって話になるんだよ。聖女様だぞ。うちの誰かがって言うなら、レリック兄貴でも、俺でもいいじゃないか」
「盗み聞きか、ミゲル」
「関係ねえよ、秘密にする方がおかしいだろ。俺はこの家の息子だぞ」
養父が、げっそりとして息を吐く。弟に続いて入ってきた兄は、ルーディウスに向かって両眉を上げて見せると、人払いはできている、と父に合図をした。
「事情を何もわからぬまま、かくも愚かな発言をするとは。情けない。この縁談は、カスティラ侯爵家に来たものではない。ルーディウス個人に来た話だ。ルーディウスに代わってカスティラ家の他の子息が名乗りを上げるのは、理屈が通らない」
「名指しだっていうのかよ。こいつを」
「名指しだとも。こいつではない。お前の兄だ。血は繋がっておらずとも、兄だ。だがミゲルよ、兄弟であろうとも、お前がルーディウスに代わりたいと望むなら、その資格があることを示さねばならん。王子たちの信頼篤く、騎士として側近としての実力を身につけたルーディウスに、代わり得ると」
「おおげさに褒めるもんだな。俺だって知ってるぜ。こいつが黒髪を嘲笑って黒犬と呼ばれてるってな。しかも言われっ放しで、情けない犬っぷりだと」
「ミゲル! 情けないのはお前だ。人の言葉をこねくり回さず、自分の言葉で語らぬか。――今のお前が、何を人に誇れるものがあるというのか。いままでに一体何を成したか、言うてみよ」
弟が腕を振り、入り口近くに置いてあったランプを叩き落とした。
「うるせえよ、そんなの、そもそもいつ俺の実力を証明する機会があったんだよ! 城に上がってれば、俺だっていまのこいつの地位にいたさ。もっと上だ。黒髪じゃないからな。あの時、城に行きたいと言った俺を無視して、差し置いて、いつの間にかこいつに取られてた。そんなんで、どう実力を示せとか言うんだよ。笑わせんな」
ルーディウスは、めまいがするようだった。
弟とは、城に上がるようになってから、いや、養母が亡くなってから疎遠になり、たまに屋敷に寄ることがあっても、顔を合わすことすらなかった。
これほど恨めしく思われていたとは、気づくこともなく来てしまった。
「ミゲル。私は、当時の不安定だったお前を、城に上がる候補から真っ先に外したよ。当人が希望したからといって、父として当主として、資格がない者を選びはしない。差し置いて、だの、取られた、だのと、いまだにそのような考えでいることが、お前の成長のなさを示している」
「う、うあ、くそっ」
どれほど衝撃を受けていても、危険を察知すれば体が動く。ルーディウスは養父を突き倒そうとした弟の手首を片手で掴むと、よろめいた養父をもう片手で支えた。
軍人のころに受けた古傷のために、右脚だけでは体重を支えきれないのだ。しっかりと立つのを確認するまでそちらに気を取られていて、弟の苦悶の声には気がつくのが遅れた。
「ルーディウス、離してやって。また暴れたら、殴り飛ばしていいから」
黙って見守っていたに兄言われてようやく、弟が掴まれた腕の痛みに青ざめていることに気がついた。
「すまない」
慌てて手を緩めると、弟が床に崩れ落ちた。相当に痛かったようだ。動転していたせいか、力加減をする心の余裕がなかった。
「ミゲル、もう行って、誰かに手首を冷やしてもらいな。それとも、まだ俺の方がルーディウスより強い、なんて言うつもり?」
ミゲルは蹲ったまま答えなかったが、兄はしょうがないな、というため息をついた。
「納得できないなら、もう一度正々堂々と相手してもらったら? ルーディウスは優しいからね。お前が泣いて喚いたら、子供の頃のように手加減してくれるだろうさ」
優しいふりをした、突き放した言葉に、弟は俯いたまま部屋を飛び出していった。
「……兄上」
「やあ、背が伸びたね、ルーディウス。元気そうで、なによりだ。もしかして気にしてるなら、あいつだってわかってるし、分からないなら切り捨てられておかしくない年だ。な。
それより、父上、馬車は用意できました。ルーディウスは連れて行かないのですか?」
「ああ、あちらも、アミナ様にはまだ内密にしているようだからね。――ルーディウス」
弟のことなど何もなかったように、養父は穏やかに息子の名を呼んだ。
「ラ・ラーナ公爵家へ行ってくる。帰ってくるまでには、覚悟を決めておきなさい」
やはり、ルーディウスより先に、動いてくれていたらしい。それも、もう一方の当事者ラ・ラーナ家とすでに面談を設定しているとは。ルーディウスには、その手腕はまだない。
「お前個人へのご下命だが、家から支援することを禁じられているわけではないからね」
「まあ、少し待ってなよ。ミゲルのことも、今は放っといてやりな」
よく似た笑顔を残して、親子は去り。
子供扱いをされたようで居心地が悪かったが、聖女との婚姻という想定もしなかった難問を前に、一人になれる時間を与えられたのは、素直にありがたかった。
これまで、聖女アミナを最も近く感じるのは、戦場だった。
王子たちの側に控えるルーディウスは側近であると同時に騎士でもあり、戦士でもある。成長した王子たちは、徐々に直属の軍を充実させてきている。国王から出陣の命が下る機会が増え、共に従軍した経験も両の手では足りなくなった。
何度か、命の危機を感じる場面もあった。その度に、かろうじて隙を縫って生還した。
一度目は幸運だと思っただけだが、二度目からは、誰かに囁かれているような気がしていた。言葉にならない、直観力をほんのわずかに底上げするような、ささやかな追い風。意識した後は、戦場ではそれを常に感じられるようになった。
あれが聖女の祈りというものではないか、と思い至ったのは、同僚が同じようなことを呟いていたのを聞いたからだ。今は、命をかける戦場に赴いたことのある者ならば、誰もが聖女に対して感謝と敬意を抱くであろうと、確信している。
二年ほど前までは、聖女アミナは王宮に日参していた。
当時の王宮で、その存在はちょっとした崇拝対象だった。
金の髪と、琥珀の目。大理石に宝石を埋め込んで作ったような、整った容姿の少女だと誉めそやされるのをよく聞いた。さらに次期聖女として幼い頃早々に見出されたことで、聖女としても大きな期待をかけられていた。
ルーディウスはそれを情報として把握していたし、王宮中が注目するのも当然だ程度に思っていたが。他の側近候補の少年たちにとっては、口にするのは恥ずかしいものの、ごく稀にその姿を見かけることができるのは、過酷な修養の日々の幸せな息抜きであり、ご褒美のようなものだったようだ。気のないふりで、よく周囲を見回す者がいたし、見かけてもすぐに逃げてしまうと、ぼやいているのを聞いたことがある。
ルーディウスが、その姿をはっきりと目にしたのは、一度きり。
先代聖女の不調が囁かれていた、冬の日だった。
言い争う声を聞いて、万が一を警戒しつつ角を曲がった先の光景に、目を疑った。
見慣れた長身の後ろ姿。その向こうに、お仕着せを着た侍女らしき女性が三人、固まっている。何かオルヴェルト王子相手に粗相でもしたのだろうか、と少し気が焦る。だが、どんな事情があれ、オルヴェルト王子が使用人と相対しているということに、違和感を感じた。下の者が多少の間違いを犯しても、大して興味を持たない方だ。
「下がれ。通らず迂回せよ」
「祖母の具合が悪いのです。早く離宮に帰りたくて」
言い返す声は、初めて聞く声だが、幼いことはわかる。その声がオルヴェルト王子に言い返したことに驚いたが、王子が舌打ちを返したことにも驚いた。
相手が気になって覗き込み、さらに驚いた。
明らかに苛々とした様子のオルヴェルト王子に対して、何の怖れもなく姿勢良く立って見上げているのは、金の髪と琥珀の目が美しい少女だった。小柄で、まだ幼いといっていい年齢だ。
次期聖女のアミナだと、一瞬で確信した。
その後の予想だにしない顛末は、あれから二年ほど経つのに、ルーディウスの中でいまだに鮮烈だ。
あの聖女アミナと、夫婦になる。
腕を組んでどう思案しても、オルヴェルト王子の胸までしかなかった姿しか思い浮かばない。ルーディウスは、それこそ、途方に暮れた。
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