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~霜月の便り~

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 街を彩っていた街路樹の葉も落ち北風が吹き始めていた。通行人たちは分厚いコートに身を包み、寒そうにしながら家路を急ぐ。
 見返り坂の方では街路樹に光り輝く電球が取り付けられ、夜のイルミネーションがクリスマスシーズンの雰囲気を醸し出していた。しかし、華やかな通りからいなり横丁に入ると風景は一変して町家が立ち並ぶ落ち着いた雰囲気の空間が広がるので、そこに迷い込んだ者はまるでタイムスリップしたような錯覚を覚えるのだった。
「年賀状、出します?」
 そう問いかけられた私は茶碗蒸しを食べている手を止めて、赤いポストと男の子組み合わさったデザインのキャラクターと年賀状はお早めにのロゴが入ったトレーナーを着た河童さんに視線を向ける。
「仕事関係の方には年賀状は出しますが、プライベートは電子メールで済ましちゃってますね」
 私の返事を聞いた河童さんはなるほどと答えると、少し考え込むような仕草をみせた。
「私の場合、会社員だからお付き合いの挨拶年賀状は出しますが、画家さんの場合ってどうなんですか?」
「僕の場合は、手書きの絵を描いた年賀状をお得意様や友人たちに送ってるんですよね」
「さすが画家さんだなぁ。私は絵が下手だから、電子メールが無かった時代は干支のハンコを押して一言添えたものを出してました」
「ああ、なるほど。昔はサツマイモや消しゴムを彫刻刀で彫ったハンコとか作りましたよね」
 そう言いながら河童さんは懐かしそうに笑う。そんな私たちの会話を聞いていた女将が「みかんの汁であぶり出しの年賀状とか作らなかった?」と話に加わってきた。
「作りましたね…電熱線のコンロや火鉢の上であぶって絵を浮き上がらせるのはいいんですが、あぶりすぎてはがきの端を焦がしたりしてましたね」
 そんな私の言葉に女将と河童さんがあるあると笑う。
「僕はプリントごっこの年賀状に憧れました…高いから買って貰えませんでしたが」
 家庭用のはがき用の印刷ができるプリントごっこは、カラフルで見栄えの良い年賀はがきを作れる事から人気だったアイテムである。本体価格も高かったし消耗品のインクや焼き付け用の電球なども結構するので、プリントごっこを持っているのは一定収入以上の裕福な家庭だった気がする。
「PCが一般家庭に普及してプリンターを所有する家庭が増えてからは、プリントごっこで印刷した年賀状はあまり見なくなった気がするわね」
 女将さんはそう言うと小首を傾げる
「家庭用プリンターが普及した後も、写真屋さんで注文して作る写真付き年賀状は無くならなかったですね」
 写真屋さんで注文した年賀状は、結婚報告や子供の誕生や成長を報告するものが多いのも面白い傾向である。
「…確かに電子メールが一般的になった後も、お祝い報告系の写真付きはがきはよく送って来ましたね——特に結婚や出産が多い30代の事は。僕がそんな報告をする機会はありませんでしたが…」
 そう言って河童さんは苦笑いを浮かべた。
「そうですね。会社関係ならともかく冠婚葬祭以外の個人のはがきを印刷するだなんて昔は考えられませんでしたし」
「昔は手書きのはがきや手紙の時代だったけど、最近手書きで文章を書かないから漢字は読めるけど書けなくて困ってるわ」と女将がぼやいた——それは女将だけではなく、電子メールなどを使っているすべての者に当てはまる問題ではないかと、自分の事を考えても似たような状態である。
「——手紙と言えば、文通とか流行りませんでした?」
 何かを思い出したのか河童さんが小学生の頃の流行を口にした。
「雑誌の読者コーナーに文通相手募集とかあって、知らない人と文通したような記憶がありますね」
 昭和の時代はインターネットすら無い時代だったので、雑誌の読者コーナーでの募集告知が知らない人と知り合うきっかけの場所だった。今考えたら、やっている事はアナログかデジタルかの違いだけで、本質は今のSNSの交流と同じかもしれない。
「手紙と言えば、ラブレターを書いたりもらったりした事ある?」
 女将が興味津々といった様子で私と河童さんに問いかける。
「…ないなぁ」
「机や下駄箱にラブレターとか少女漫画の世界ですよね」
 私たちが口々にそう返すと女将は「私、たまにいいただくわよ」と笑った。
「…いただくって、今も?」
 そんな私の問いに女将は頷く。
「相手はどんな人なんですか?」
「知らない人ね…たぶん。どんな方かは全くわからないんだけど」
 そう言いながら女将は割烹着のポケットから二つ折りの封筒を取り出して、私と河童さんの間のテーブルに置いた。その封筒は和紙製でラベンダー色にエンボスのバラ模様…上品で高価そうな封筒である。
「…読んでいいんですか?」
 遠慮がちに河童さんが訊ねると、女将はどうぞと言って口元に微笑みを浮かべた。河童さんはそっと封筒を手に取ると、中から手紙を取り出した。

――いくつもの美しい星々が冴えわたる季節になりましたね。
そんな星々の中でもひときわ美しいシリウスはあなたのようです。
そして私はオリオン。常にあなたと共にありたいです——

「…普通に恋文ですね」
 夜空の星に例えたロマンテックな文面だが、いささか少女漫画チックではある。
「…たしか古代エジプト神話ではオリオンの奥さんはシリウスでしたよね」
「つまり、貴方と私は夫婦のようにいたいって願望ですか…」
 河童さんの神話解説に私がそうツッコミを入れると女将が楽しそうに笑う。
「今時珍しいわよね――恋文だなんて」
「差出人の心当たりはないんですか?」
「全く」
 あっけらかんと女将は否定する。女将の話によると、恋文はいつも店の引き戸の格子部分に差し込んであるらしい。
「知らない人からの恋文って気持ち悪くないですか?」
「ストーカーとかなら気持ち悪いけど、この程度の恋文なら何とも思わないし——季節ごとに届くって感じだから、この手紙の送り主の生存確認みたいなものね」
「そんなものかなぁ…」
 恋文など生まれてから一度も貰った事がない私にはわからない事である。それは河童さんも同じだったのか、「僕にはわからない気持ちだなぁ」と呟いていた。
「…縁結びの神様にお願いしたらもらえるかもよ」
 女将がそう言うと河童さんが「もう霜月だから、神無月で出雲に行っていた神様帰って来ちゃってますよ~」と不満げに口を尖らして抗議する。
「出雲に集まった神様は来年の相談をするっていう言い伝えですが、どんな新しい年になるのやら…」
「来年の事を言うと鬼が笑うって言いますよ」
 願わくば心穏やかな一年にしたいものである。
――ただこの横丁では、たまに科学では説明出来ない妙な事が起きるので、その期待は無理な相談かもしれないが…。
 そんな思いを巡らせていると、強い北風が吹いたのか店の引き戸がカタカタと音をたてる。それはまるで私をあざ笑っているようだった。
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