嫉妬

ヤクモ

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嫉妬

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 彼女が俺を見ることはない。
 わかっているのに懲りずに俺は彼女に言い寄り、彼女は微笑む。
「マナに会わせて」

 彼女のラインアカウントを俺に教えたのは他でもないマナだった。
「好きなんだろ?」
 ニヤリと厭らしい笑みを浮かべながら、マナは悪い話をするように耳に唇を寄せた。
「教えてやろうか?」
 連絡先。
 食いついてマナを見ると、プフッと独特な吹き方をして、マナは腹を抱えた。
「わっかりやすいなぁ」
「…もう、ノート見せてやんないぞ」
「それは困る!君のノートはそこらのノートとは違うんだ」
 どう違うんだ。従順に黒板を写しただけのノートだぞ。
 マナはスマホを取り出した。
「ここWi-Fi無いんだよなぁ。まったく、時代に遅れた店だ」
 そう言いながらも、ここがマナのお気に入りの喫茶店なのは、店員とのやり取りでわかる。マナに限らず、この店の常連はほとんどが同じ学校の生徒だ。
 学生でも気楽に注文できる値段にもかかわらず、芳しい香りが高級感を演出する紅茶に口をつける。
「なんで、彼女の連絡先を知っているんだ?」
「彼女ぉ?。君がそんな仰々しい言い方をするなんてね」
 そう言うマナは、どこか時代錯誤な口調だ。本人曰わく、言葉を覚えはじめの年頃に祖父に育てられたからだとか。
「小学からの腐れ縁でね。あっちはどう思っているかわからないが、こちらとしては、共通の話題がある人とは仲良くしたいだろ?」
 仲良くしている姿を見たことがないのだが。
「それで?知りたくないのかい、連絡先」
「教えろ」
「そんな態度でいいのかなぁ」
「教えろください」
 フハッと笑い、マナは「いいよ」と言った。

 マナが死んだ。
 朝はやくにきたラインに虫の知らせを感じながら見たその内容は、昨夜マナが死んだと書かれていた。内容を書いたのは、マナの姉らしい。数年前から癌に侵されていたマナだが、この数ヶ月で体調が悪化したとのことだった。明日、明後日で、通夜と葬儀を執り行うと締めくくられている。
 病気だったなんて、聞いていない。そもそも、連絡も大学を卒業したあたりからしていない。
 ふと、頭に浮かんだのは彼女だった。

 教室の片隅で、彼女はいつも本を読んでいた。椅子の背に寄りかかることなく凛としたその姿勢は見惚れるきれいさがある。
 マナに彼女の連絡先を教えてもらったのはいいが、さて何と言葉を紡ごうか頭を悩ませた。その折りに思いついたのが、本だった。
 俺は本を読む習慣はないけれど、話題作には目を通していた。流行にのっているだけにすぎないが、すこしでも彼女との会話の種にならないかと思った。
「突然ごめん。マナから連絡先聞いたんだ。いつも本読んでるよな。何かおすすめとかある?」
 メッセージを送ってから、これは気持ち悪くないかと不安になった。いや、これは気持ち悪いだろう。何の前触れもなく、話すこともない同級生からの連絡。無視させて当然だと思っていた。
 返信がきたのは、その日の夜だった。
「今晩は。好きなジャンルはある?」
 それからは、俺が彼女にすすめられた本の感想を伝え、彼女は新たに本を紹介する、友達のような関係となった。
 彼女と連絡をとっていたのは高校生のときだけだった。

 去年友人の結婚式に着ていった黒のスーツを着て、記載された会場に向かう。思った以上に人がいた。そのほとんどが俺と同じ世代で、マナの人徳がひしひしと感じる。重い顔持ちもいれば、どこか無理を感じる笑みを浮かべているのもいる。俺は、どんな顔をしているだろう。
 受付で記帳すると、彼女の姿を探す。同窓会に彼女は一度も参加していないため、高校卒業後の彼女の雰囲気はわからない。それでも、見れば彼女だと気づく気がした。
「いた」
 まさか、本当にいるとは。
 壁に寄り添うように立っている姿は、高校のときと変わらないように見える。流行を気にしない黒髪は、記憶よりも伸びた気がする。
 高校生のときの淡い恋心はとっくに消えたと思っていた。大学生、就職に至るまで、二人と交際した。つい先月、互いの仕事の時間があわないことを理由に恋人と別れた。面と向かって話をし、後腐れもなかったように思う。
 マナの葬儀では彼女の隣になったが、周囲で鼻のすする音がする中、彼女は色白な顔を歪ませることはなかった。それが、気にかかった。
 彼女にとってマナは、泣くほどの仲ではなかったのか?
 泣けたのは良い。
 どこかで聞いたそれが、ふと浮かんだ。もし、悲しみを受け止めけれずに、未だ泣けずにいるのなら。
 今の彼女に悲しみを打ち明けられる人はいるのだろうか。
 その日の夜、高校を卒業してから使っていなかった彼女とのライントークを開いた。最後のメッセージは、俺が送ったおやすみのスタンプだった。
「久しぶり。今度、会えないかな」
 単刀直入すぎたか。
 今日中には返事は来ないだろうと、ベッドサイドのテーブルに置いたとき、ラインの着信音が響いた。
 画面を覗くと、彼女から「明日は、どうかな」とメッセージがきた。

 高校の頃は、このミステリアスな雰囲気が大人っぽいという理由で好いていたが、今はそれが酷く危うく見える。「久しぶりだね」と言う声は張りがなく、化粧で隠れているが青白い顔は疲れて見える。
 高校の頃来ていたこの喫茶店は、店員こそ知らぬ顔がいるが、店主や店の雰囲気は記憶とさほど変わらない。
「何か食べるか」
「私は、紅茶を」
 コーヒーと紅茶を頼み、話は高校の頃のやりとりから、互いの現在の話になる。
「そっか。編集部かぁ」
「今も本読んでるのか?」
「たまにね。前ほど読む時間が無くて」
 そう言って笑う姿は弱々しい。放って置けず、核心をつく言葉が口をつく。
「マナの病気は、知っていたのか」
 ぴたりと、カップを持ち上げていた手が宙で止まった。もう少し時間をかけるべきだったか。内心焦っていると、彼女はゆっりとカップを置き、ふうっと息を吐いた。
「知ってたよ。お見舞いにも行った」
「そうか」
 それじゃあ、あの場にいたときには、すでに気持ちに整理がついていたのか。
 ──いや、そんなわけがない。
 見舞いに行くほどの仲であるなら、死別の悲しみはより深いだろう。
「俺に、できることはないか」
 何を言っているんだ。これじゃあ、俺の意図なんて伝わらない。
 彼女は、首を傾げて困ったように笑った。
「殺してほしいな」
「……は?」
「自殺は怖いから。私を殺してくれないかな」
 とても、冗談を言っているようには見えない。
 置いてきぼりの俺をよそに、彼女は言葉を続ける。こんなに流暢に話をするイメージはなかった。
「マナは死んだから、会うなら死ぬしかないでしょ?はやくに死なないと、私とマナの間に時間が空いちゃうから。できれば、今週中に殺してほしいんだ。頼める人を探していたから、助かるよ」
 何が助かるんだ。
 彼女は生き生きとして1人でペラペラと話す。
「もちろん遺書には、私が頼んだと書くし、万が一に備えて信頼できる弁護士に声をかけておくよ。自殺幇助も軽い罪ではないだろうけど、できるだけ軽くしてもらえるよう頼んであるから」
 何を、言っているんだ。目の前に座っているのは、あの彼女なのか?生気がないのに、その瞳は異様に爛々としている。
 走り出した彼女を止めなければ。
 混乱する頭が出した言葉は、短いものだった。
「俺は、君が好きだ」
 ぽかんと止まった彼女は、柔らかく微笑んだ。
「ありがとう」
「だからっ」
 重なった台詞を、叫ぶように、絞り出すように言う。
「死なないでくれ。マナだけでなく君まで死んだら、俺は、寂しい」
「それじゃあ」
 その微笑みは優しさに溢れて見えるのに、悲しい言葉を紡いだ。
「マナに会わせてよ」



 息を吐くと、紅茶の香りが白い蒸気とともに空気に混ざった。
 先ほどまで向かい合っていた彼を思い出す。高校生のような若さや初々しさは消え、頼りがいのある男性へと成長していた彼は、私の言葉をどう受け取ったのだろう。冗談だと思っただろうか。
 私にとって岡田愛華おかだまなかは生きる標であり、私がこの狭い世界で息ができる酸素ボンベのような存在だ。そのマナがいない今、私は呼吸の仕方がわからずにいる。
 彼なら、私を導いてくれるのではないかと思ったが、困惑するだけだった。ただ、あの告白にはすこし驚いた。
 これからどうしようか。自殺するために、薬やロープや練炭、カッターや普段呑まない酒を用意した。あとは、背中を押してもらうだけ。
 マナと見上げた星空を思い出す。
「マナぁ」
 どこにいるの。
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