酸素ボンベ

ヤクモ

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ガールミーツガール

4話

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 人を自分の空間に招くのは家族や彼以外でははじめてだ。友達と呼べるような関係の人がいたこともあったが、決して自室に入れることはなかった。

「なにか、のみますか?」

「そうですね」
 正座するその女性は凛としている。まっすぐなその視線が痛く、なぜこの人はここにいるのだろうと怯える。

「麦茶と、緑茶と、コーヒーと、ココアと、紅茶と、青汁がありますが、どれがいいですか」

 震える声で、途切れ途切れ言った。以前「その話し方イライラする」と言われたことを思い出し、喉が詰まる。

「フッ」

 空気が抜けるような声に、体が強張った。耳にこびりついた嘲笑の音だ。
「失礼。予想外ですこし笑ってしまった」

「お、おかしいですか?」

 彼にも、そんなに色々な種類は必要ないだろうと言われる。彼の世界はとても広いから、来客があったときに柔軟に対応できるようにしたいのだ。もっともわたしが人と会うことを拒むため、未だに誰も来たことはない。

「ココアと青汁は思いつかなかった。なかなかに面白い方だ」
 目元がゆるく弓なりになっているのを確認し、本当に笑っているのだと安心する。人の笑いの種類に嘲笑、苦笑がある。それらを私はよく見てきた。怖かった。その笑顔が向けられたとき、私は私であることを否定されているようだった。私にこのように邪気なく笑う人は彼以外でははじめてだった。
「ココアをいただいてもよろしいかな。カフェインが入っているものはどうにも体が受け付けなくて」

「私もですっ」

 思わず食いぎみに言ってから、はっと口を抑えた。またあの目で見られる。首回りが強張るのを感じる。

「ココアも粉は少なめで、牛乳を多目にするのが好きなんだ。あなたもそうかな?」
 女性は上品に微笑んだ。すこし照れ臭そうにも感じるその表情に自然と体がほぐれる。

「そうなんです。私も、粉は少なめです」

「そうか。あなたとは合いそうだ」
 そう言った顔はとても穏やかで、バクバクと打っていた心臓がすこしずつ平穏になるのに気づいた。

「そう、ですね」
 作ってきますね。

そそくさと席を立ちキッチンに向かう。1LDKではあるが、キッチンに立つと部屋の様子は意図して覗かないと見えない。はじめて会ったばかりの人間を部屋にあげて、なんの警戒もなく一人にするなんて、今考えると信じられない所業だ。しかし、その時の私はそんなことを考える暇はなく、ただ久しぶりに人と話をして気分がよくなっていた。
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