僕のみる世界

雪原 秋冬

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一章

24.夕刻のメロディ

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 記憶を頼りに、須納の最寄であろう駅へたどり着く。問題はここからだ。バスや自転車、徒歩といった様々な手段があるが、須納がどれを使って自宅と駅を行き来しているのか分からない。

 ひとまず、駅周辺をうろついてみるか。カフェやゲームセンターの店員に聞き込みをするのは……、少し勇気のいる行為だが、やらないよりはいいだろう。

 しかしまあ、現実はそううまくいかないわけで。手掛かりすらも特につかめないまま、あっという間に時間が過ぎていった。

 日が傾き始め、地平線に近づくたびに覚える焦燥感。……今日はもう帰ろうか。そんなことを考え始めたころ、ふと思い出したことがあった。

 いつだったか、須納はバイトをしていると言っていた気がする。ただ、詳しい場所を言っていたかどうかまでは覚えていない。うちの学校はバイト禁止ではなかったと思うから、利便性の高い場所……つまり最寄り駅周辺か、学校のそばだと思うのだが……、くそっ、こんなことならちゃんと聴いておけばよかった。

 自分自身に軽く苛立ちを覚えながら、制服のポケットからスマートフォンを取り出す。

 ……やはり、須納からの連絡はない。

 夕方に時報として流れるメロディが、雑踏に溶け込みながら響き渡る。たいていの人には、ただのバックグラウンドミュージックとして耳に入っているのだろう。内心で「もうそんな時間か」と現時刻を確認する者もいれば、まったく意に介さない人だっている。

 けれども俺にとって、これは幼い頃から恐怖の合図でしかなかった。

 最近は頻度が少なくなっていたからその度合いも薄れつつあったというのに、まるで小学生のときのような、反射的に肩を震わせてしまうほど恐れてしまったのは、そう――あれがまた起こるという、漠然とした予感があったからだ。

 視界が黒くブレる。目がかすんだりしたわけではないのだと、俺自身が一番よく知っていた。

 駅のそばにある広場を行きかう人々の風景に、じわじわと黒い影が染み出す。たとえすぐそばにあったベンチが黒い人の形を成したとしても、それに対する驚きを表に出してはいけない。

 だってこれは、俺にしか見えていないのだから。

「…………っ」

 閉じてしまいたくなる目を必死に開けながら、平常心を装って駅の改札を目指す。

 植込みのそばで佇んでいる黒いニンゲン。違う。あれは、あの場所には確か、街灯があった。駅舎の外壁にぶら下がっているように見える黒い人影だって、何かが首を吊っているわけではない。あそこには、時計があったはずだ。

 俺の世界が徐々に侵食されていく。どういうわけか夕方のメロディを合図に、俺にしか見えない影たちが普段よりも一層濃く、そして数多く姿を現すことが、小学生のころ頻発していた。

 それが家にいても起こるというのだから、目を閉じて布団でも被っているくらいしか自衛の手段がないうえに、主に兄貴のせいで毎日そんな行動をとれるわけもなく、早く影たちが消え去ることを祈るしかなかった。

 ……ああ、ダメだ。そんなことを振り返ってしまったら、忘れていたはずの不快感が戻ってきてしまう。
 見られている。ずっと。

 影たちに目があるかどうかなんて分からないし、そもそも基本的にはうつむいていて動かないのだから、仮にあったとしても俺のほうへ視線を向けられるはずがないのに、なぜかそう感じるんだ。

 多数の視線に耐えられなくなり、俺は走り出していた。――が、すぐに何かとぶつかる。このタイミングでまさか影……の本来の物体とぶつかってしまったのか、と強い不安に駆られながら障害物の正体に目を向ける。

「……須納!?」
「……は、え……?」

 探し求めていた人物が目の前にいた。ぶつかってしまったことに対して「ごめん」と謝罪を述べながらも、まさか会えるとは思わず、驚きを隠せない俺に何かしらのアクションを起こすわけでもなく、須納は心ここにあらずといった具合で佇んだままだった。

「……成海、どうしてここに」

 それでも俺がいることは理解しているのか、当たり前の疑問を口にする。

「連絡、ずっと取れなかったから心配してんだよ」
「連絡……、ああ……。悪い」

 やはり様子がおかしい。身なりは最低限整っており、どこか薄汚れたりしている部分も見当たらないから、家に帰らずふらふらと徘徊していたわけでもなさそうだ。

 須納が緩慢な動作でシャツやズボンのポケットを探る。

「……スマホ、たぶん家だ。というか……、しばらく見た覚えがないから、充電切れてっかも」
「……まあ、それでもこうして顔を合わせられたからよかったよ」
「そうだな」

 彼は少し苦しげに笑みをこぼす。無理して笑おうとしているようなぎこちなさを見せるが、本人はちゃんと笑っているつもりなのだと思う。

 須納の背後で、黒い影がゆらめく。あらゆる衝撃で意識の外に追いやられていたが、件の影たちはまだ見えたままだ。……大丈夫。さっきより気持ちは落ち着いた。

「ここで何してたのか、聞いてもいいか?」
「……なにもしてない。ただぼんやりしてただけ」

 伊織みたいなことを言うんだな、と思った。須納は伊織を嫌っているし、そんな感想を口にしたら怒られそうだから心のうちに秘めておくけれど。

「……ほら、俺一人暮らししてるって言っただろ? あんなことがあったあとじゃ、家にいるのはきつくて」
「なら、さっさと家に帰らず伊織の家でしばらく過ごせばよかったじゃないか」

 なるべく以前の状態を壊さず対応していきたいと、側近のような女中である楠さんが言っていたから、おそらく須納も宿泊の継続は断られてしまっていたかもしれないが、当の須納はそんなこと知らない。

 東雲は家族と暮らしているから受け入れられなかっただけで、一人暮らしの須納ならもしかしたら構わなかったかもしれないのだ。帰れば一人きりになってしまうという恐怖が待ち受けていると分かっていながらも、彼は早々に帰宅するという選択肢を選んでしまった。

「そのことだけどさ。……ここで話すのもなんだから、家に来てくれないか」
「まあ、須納が構わないならいいけど」
「本当は家よりもカフェやレストランみたいな、人が多いところのほうがいいんだがな。そっちだと誰が聞いてるか分かんないし」

 曖昧に返答しながら、須納の後をついていく。もちろん広場以外にも影たちは点在しているのだが、夕刻のチャイムが鳴ってから時間が経っていることもあり、その数は徐々に減りつつあった。
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