僕のみる世界

雪原 秋冬

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一章

37.とくべつ

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 階段を一段上がっていくたびに、既視感が強くなってゆく。
 これは以前伊織たちと来たときの感覚が重なっているのか、それとも昔に一人で訪れたときのものが掘り起こされているのか。なんとなく、後者のような気がしている。
「――イザナイさん、お願いします。イザナイさん、聴いてください――」
 目的地である鏡の前まで到着してすぐ、例のワードを口にする。
 あの日は――あのときの夜は、願いを口にする前にイザナイさんらしきものが現れ、そして蹂躙していった。本来なら人の欲望を聞くだけの存在が、なぜあんな挙動をしてしまったのか、いまだに何も分からないままだ。
 少し震えの混じった喉で空気を吸い込み、続きを発した。
「――……俺たちが七不思議を実行しようとしたあの夜に、どうしてあんなことが起こってしまったのか、何か原因があるなら教えてくれ」
 物音ひとつどころか、風の音や虫の鳴き声すらも聞こえて来ない、静寂に包まれた世界のまま、俺は鏡を見つめ続ける。
 ……どれくらいここに立っていればいいのかは知らないが、これまでの情報を鑑みるに、おそらく指定はないだろうから、自分の好きなタイミングで去ってもいいのだろう。しかしそれならば、いつ答えを知らせてくれるのか。
 鏡の前まで来られた時点で、俺の願いがイザナイさんに受け入れられていることは間違いないはずだ。このまま無視されるということはないとしても、帰るタイミングがつかめないのは少々困るかもしれない。
 そんなことを考え始めたころ、目の前にある鏡に、ぼんやりとした白いもやのようなものが映り始めた。瞬時に緊張が走り、とっさに身構えつつも様子をうかがう。
 もやはすぐに人の形をとり、造形の細部が明らかになった先に現れたのは――ワンピース型のセーラー服を着た、同い年くらいの少女だった。
 彼女は肌も髪も文字通り真っ白で、血の通った生命というものを一切感じさせないそれは、明らかに人間とは異なる存在だと本能で理解できる。
 俺は人の美醜に興味を抱かないのだが、それでも顔立ちは整っていると思えるほどなのだから、通常ならかなりの美少女だと評するのだろう。
「――――」
 微笑をたたえながらこちらを見つめてくるその姿は、敵意の類を一切感じないどころか、好意的ではないかと錯覚させるほどだった。
『――あの夜……は……』
 頭の中に声が響いてくる。ノイズが混じったような、複数人の声を雑に合成させたような、どこまでも人間味がなく、聞き心地がいいとは言えないものだった。
『成海和樹……と……宮原伊織が……いた……』
「は……?」
 続きの言葉を待ってみても、張り付いたような微笑みを浮かべたままこちらを見つめるばかりで、静寂は一向に破られない。
「……俺と伊織があの場に揃っていたから、あんなことが起こったって言いたいのか?」
 彼女――イザナイさんの姿がゆらぐ。白く長い髪はまるで水中にでもいるかのように、重力を感じさせない、自由な動きを見せた。
『この……身体、は……そちらの……世界……では……保て、ない……』
 これは俺の質問に対する回答なのか? 知りたい答えがはっきりと得られず、断片的な情報を渡されるばかり。このまま終わってしまったら、願いが叶ったなどとはとても言えない代物だと思うのだが、どうするのだろうか。
 そもそも、イザナイさんは『そちらの世界』と言うが、あのときは校舎全体が異界化――つまり、イザナイさんの世界になっていたと聞いている。宮原家の――柚織くんの見解が間違っていて、本当は普段と何も変わらない、現実世界のままだったと言うには、どうしても違和感がぬぐえない。
 だって、三咲の身体や血痕の類は、どこにも残っていなかったんだ。
 異界で起こった出来事は、現実世界ではなかったことになる――柚織くんは、確かそんな感じのことを言っていた。だから異界化自体はしていたはずだと思うのだが、もしかしたら完全に一致しているわけではないのかもしれない。
 現実世界では、あくまで現実ベースで構成され、異界化してもその影響が強いとか。現状、憶測の域は出ないけれど。
『――成海和樹の願いは、本当にそれでよかったの?』
 突然明瞭に聞こえたその声は、少女のものと幼い子供の声が混じったようなものだった。
 驚いて思考の海から強制的に浮上させられたが、目の前の鏡にはもう何も映っておらず、イザナイさんがその場にいたという痕跡すらも残っていない。
 しかし一息つく暇もなく、視界が暗闇に包まれる。意識を失ったと言うよりは、目を通して見ている世界の映像を、強制的に切り替えさせられたような感覚だ。テレビのチャンネルを勝手に変えられたり、動画の視聴中に広告が入ってくるような、己が意図しない割り込みとでも言えばいいのだろうか。
 次に映し出されたのは、この踊り場そのものだった。ただし、視点の位置が違う。
 そう――ちょうど、鏡からこの場所を見たらこうなりそうだ、という景色になっていた。つまりこれは、イザナイさんの見ている世界とでも言うのだろうか。とはいえ、今いるはずである俺の姿は見えないあたり、今この瞬間を見せているわけではないのかもしれない。
 そして襲いかかる高揚感は、俺が感じているものではなく、これを見せている存在から伝わってくるものだった。
 今から願いにくる者――この校舎に侵入してくる者を心待ちにしていて、嬉しくて仕方がないといった具合だ。
 なんなら、願わなくてもいい。ふたたび相まみえるのであれば、いくらでもこの道を通そう。それほどまでに特別なのだ、その相手が。
 ……俺の願いが聞き届けられていて、かつ、先ほどの断片的な情報で終わりというわけではないとしたら、イザナイさんが待ち望んでいる人物というのは……。
 閉館されていて静かなはずの校舎内に、わずかながら話し声が反響してきた。
『今の――、これ――問題――なさそう――』
 三咲の声だ。そのあと須納の声が続き、東雲も混ざって少しのやり取りをしてから、階段を上がってくる複数の音が聞こえてきた。
 ……あの夜をもう一度、直に見せようと言うのか。
 足音がこちら――鏡のもとへ近づいてくるたびに、イザナイさんから伝わる高揚感も増してくる。そして過去の俺たちが踊り場に現れた瞬間に感じたものは、とても奇妙で不可解なものだった。
 伊織に親近感を覚えているのだ。
 双子の片割れと不意に再会できたような、感動と表しても差し障りないもので、俺には理解ができない。
 イザナイさんが俺に対して特別な感情を抱いていることも確かに今、伝わってきているのだが、それ以上に伊織へ向けているものが分からない。伊織の家柄を知っているからなのか? 違う。これは伊織個人に向けたものだ。
 俺が衝撃を受けているあいだに、誰が願うのか、という会話が流れ、伊織が鏡に近づいていた。
 ――ああ、まさか成海和樹が来るうえに、あの宮原伊織が願うなんて!
 そんな言葉が聞こえてくるようだった。この状況はイザナイさんにとって青天の霹靂だったらしく、高ぶった気持ちが治まるどころか、あふれんばかりにとめどなく湧き出てくる。
 ……いや、実際にあふれていたのかもしれない。
 自制の利かなくなったイザナイさんは鏡の外へ出ようとしたのはいいものの、今の身体はすでに朽ちかけており、人の形をまともに保てないまま這い出てしまった。
 新しい身体がほしい。でも、俺と伊織にも会いたい。
 そんな思いがイザナイさんに生じた結果、あのとき俺たち二人に合流できてしまった三咲と東雲のうち、三咲が犠牲になってしまったらしい。
 イザナイさんは三咲を意図的に選んだわけではなく、「成海和樹と宮原伊織以外」という考えしか頭になかった。つまり東雲や須納が死んでいた可能性もあったということだ。
 血の海から走って逃げていく俺たちを、イザナイさんは追いかけもせずに見つめ続ける。そんな彼女から伝わってくるものは、ふと我に返ったような「成海和樹と近しい者を殺すつもりはなかった」という、怪異が抱くとは思えない後悔だった。
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