青蔦の若君と桜の落ち人

楡咲沙雨

文字の大きさ
上 下
28 / 40
辺境の街 マノア

ピタパンと持て余す感情

しおりを挟む


 結局。サーシャとカイドがシナモンロールで夫婦喧嘩を始めそうになったので、美桜は午前中いっぱいを厨房で過ごすことになった。ハティとスコルも全身をきれいに洗い、しっかりブラッシングをしてから厨房の一番日の当たる場所で丸くなってこちらを眺めている。アーヴィンがパンに目覚めてしまったので、基本のレシピを渡し、任せてしまった。

「夜にはうまいパンをお出しできるようになって見せます!」
見習いや出勤してきた料理人たちも目がぎらついている。そうだよね。新しい知識はそういう目になるよね。
美桜はアドバイスをしつつ、家族の昼食を任されていた。明日からのパンはとっても期待できそうだ。

「んー。パン祭りみたいになってるし、同じ系統で簡単に作れてお弁当とかにもしやすい・・・。あ。あれだ。」

美桜は、塩とパン用小麦粉。酵母液を分けてもらうと

「えーと。サンマルイッパチコサジイチっと・・・」

 フライパンで簡単にできるからキャンプにピッタリよと、歌のように教えてもらったレシピ。ドライイーストがない今はとても助かる。ボウルに強力粉、塩を入れ、手で混ぜながら酵母液を加えてまとめていく。手につかなくなってきたら頃合だ。打ち粉を広げ、作業台に押し伸ばすようによく捏ねる。こね終わったら8等分にして、二倍になるまで少し寝かせる。振り向くとじっと見ていたアーヴィンに同じ要領で増産してもらう。その間に具を用意してしまおう。鳥のもも肉を出してもらってちょうどいいサイズに切っていく。多分これはたくさんいる。ハチミツとニンニク、錦秋の国から来てるっていう醤油を混ぜ込んだものに漬けて揉みこむ。あとはレタスとクレソン、人参の千切り、さらした生玉ねぎ。

――さすがに生卵は無理そうだ。
とマヨは諦め、マーマレードと粒マスタードとオリーブオイル、ちょっとの岩塩を合わせておいて。ちょうどいい感じに膨れたパン種を、麺棒で長く伸ばしていく。

「よし。できた。アーヴィンさーん。これフライパンで焼いてー。」

出来上がったものをアーヴィンに焼いてもらう。鳥は他の料理人さんが焼いてくれるそうだ。

「表面がぼこぼこになってきたらひっくり返してね。で今度はすぐひっくり返して、あとはじーっと待つ。じーっと。」
「うおっ。膨らんできましたぜ。」
「じゃあ取り出して冷ます。はい出来上がり―。」

全部焼いてもらうと、真ん中でカットする。ピタパンだ。それに用意した具材と鳥を詰め込むと、ソースは別添えにする。
「こりゃあいい。野営でも焼いて持たせれば男でもなんとかなりそうですな。」
「そう?良かった。何でも好きなものはさめるの。いいでしょ?」
「えぇ。確かに。あとはスープでもありゃあ上等ですな。」
「豆と燻製肉とトマトの煮込みとかもあっていいんじゃないかな。」

 ワイワイと話し合いながら作った昼食は、日のよく当たるテラスに用意された。執務室にこもっていたカイドとエミリオ、ハリーはその光景に驚いた。サーシャと笑いあいながら、色とりどりの野菜、鳥や燻製肉の薄切り、ハムの皿をテーブルに用意している美桜。空は晴れ渡り、エールと果実水のグラスが並んでいる。豆の煮込みや、玉ねぎのスープも厨房からほかほかの状態で運ばれてきた。

「お疲れ様。カイド。今日の昼食は美桜が用意したのですって。すっごくおいしいのよ!」
「おぉ。なんだかいい匂いがすると思ったら。美桜だったか。」
「父様、ごめんなさい、貴族がこういう食べ方してもいいのかわからないのだけれど。このパンに好きな肉と好きな野菜をはさんで。ソースはこれか、無しでも美味しいと思うの。豆の煮込みをつけてもおいしいはず。」
「そうか。俺は冒険者だから別にこういう食事でも構わない。楽しみだ。エミリオ、ハリー。一緒にここで食っていけ。」
「ありがとうございます。」

 最初は選びにくいだろうと、カイドとエミリオ、ハリーの分を美桜が作ってくれると申し出た。嫌いな野菜が無いというと、様々な野菜を鳥の肉と一緒に穴の開いたパンに詰め、ソースをかけて皿に載せてくれる。
「エミリオさんもハリーさんもどんどん食べてね。」
「あぁ。ありがとうございます。」
「敬語いらないって言ったじゃない」
「え・・・あ・・・あぁすまない。」

 エミリオは慌てて皿を受け取り食べ始める。シャキシャキした野菜と漬けこまれて焼かれた鳥肉のうまみがギュッと詰まっている。そして酸味と甘みのあるソースが美味い。

「これは・・・うまい。何が入っているかわからないが、とにかく今まで食べたパンの中で一番うまい。」
「うん。すっごくうまいよ。この鳥すごく柔らかくて。野菜もシャキシャキでうまい。」
「よかったー。手でこねてばかりだったから、うまくいってよかった。」

 そう言うと美桜は椅子に座ってふぅっと息をつき、果実水に手を伸ばす。さすがに疲れたし、味見でお腹もいっぱいだ。その時、持ったグラスがヒヤッとするのを感じた。氷だ。いつの間に。見ると、斜め前の席でピタパンに上品に食らいついているエミリオの緑の瞳がこちらを見て、にこっと笑った。その笑顔からすぐ目が離せなくて、美桜は慌てて果実水を飲み干す。
――落ち着け心臓。イケメン耐性ないにもほどがある。あれはただの優しさだから!!

そんな美桜とエミリオを見ながら、サーシャとカイドはグラスをかちりと合わせて乾杯した。神に感謝を。わが愛しい娘と甥に幸あらんことを。

 午後からは好きなことをしていいといわれたので、美桜は魔導書を持ち、お気に入りの場所へと向かう。川辺の柳の下は風も通って涼しい。ハティとスコルも外で遊べて楽しそうだ。そんな2匹を見ながら魔導書を読み始める。自分の魔力は解った。けれどイメージと詠唱が結びついていない。安定しないのだ。それに攻撃魔法は苦手だ。獣ならともかく、人相手にも使うことがある魔法。もしケガさせたら?と思うと練習も躊躇してしまう。甘いなあ。こんな世界に落ちてきたのに。と自分でも思うが、どうにもならない。そんな自分に腹が立つ。

「どうしたらいいのかなぁ。」
「なにが?」
「ひゃぁっ!!!」

慌てて椅子から立ち上がると、目の前の椅子にエミリオが座った。なんだろう、この人逢ってから異様にぐいぐい来る。

「いきなり来ないで!」
「す、すまない。部屋に戻ろうとしたらここにいるのを見かけたので。ところで何が「どうしたらいいのかなぁ。」なんだ?」

長い足を組んで座る姿は本当に様になる。ついている顔は全然違うのに、驚かされた心はふっと別れた彼のことを思い出す。あの彼も背が高くて、組む足は長く斜めに座るのが常だった。そして気を抜いていると独り言が多くなる美桜を黙って見ていて脅かせたものだった。

―― 『もう。見ていたなら教えてよ。恥ずかしい。』
   『こんな美桜を見るのは俺だけだから見ていたかったんだ。大好きだよ美桜。』

ふっと浮かんだ記憶を振り払うように美桜は言った。

「な・・・なんでもないよ。大丈夫。ただ魔法の勉強をしてただけ。」
「今まで知らなかったことを知るのは、疑問が多いだろう? 俺は水のことしか余り解らないけれど、それでもよければ聞いてくれて構わないよ。躓きをそのままにしておくと、そこから進めなくなる。」
「大丈夫だって! いいよね。エミリオさんは魔法上手で。剣も強いし。外見もいいし女の人にもモテたでしょう? 何にもできないことなさそうでうらやましいよ。」

――これは八つ当たりだ。居ない人間に対する黒い気持ちを目の前にいる人にぶつけてるだけ。本当にかわいくない。自分でもなぜか止められないもやもやした気持ちを、魔法も上手で悩みなんて何にもなさそうに笑う、逢ったばかりのこの人にぶつけている。

「っ。ごめんなさい。失礼なことを言いました。」
ハッと口走ってしまったことに後悔して、謝ると、目の前の人は無言で顔を背けている。見れば肩が少し震えている。美桜はかぁっと頭に血がのぼってしまった。

「なんで笑ってるのよ。そうよね。魔法のこんな簡単なところで躓いているんだもの、おかしいわよね。だけど、今まで魔法なんてなかったんだもん、わかんないよ。言葉だってまだうまくなってないし。言いたいこともあんまりまだ伝わらないし。貴族になったって言われても、貴族なんて今までいなかったもの。マナーもいつもちゃんとしている格好し続けるのも疲れるよ。皆優しくしてくれるし大事にしてくれてるの解ってるから、もっと早くもっとちゃんとしないといけないって解ってる。解ってるけど!」

 自分が子供っぽいことを言い立てていることは自覚している。でもこの一ヵ月近く、美桜だって気を張って頑張ってきたのだ。できることをしようと頑張ってきた。ここでしかもう生きられないというのも解っているつもりだ。自分でもラッキーだったと思うくらい、いい縁に恵まれている。だけどそれと自分の感情は別なのだ。今までの積み上げてきたものが全く通用せず、誰かに頼らなければいけない自分がお荷物のように感じてしまう。一人で生きてくる力を必死でつけてきた美桜にとって、それはどうしても受け入れることが難しかった。

――あぁ最低だ。こんな子供みたいなこと言いたくないのに。


************************************************
サンマルイッパチコサジイチ。強力粉と酵母の液が300、180、小さじ1の塩。あとはきっちり膨らむまで待ってやるとフライパンでピタパンが焼けます。母が自家製酵母に凝りまくっていた時期、よくうちにも酵母が避難してきました。使いきれなくてww その時に調べたレシピで、今ではうちのリンゴ酵母ちゃんの主な用途になっています。照り焼きチキンと山盛りの千切り野菜、マスタードマヨが鉄板に美味しいです。何なら、コンビニのサラダチキンとパック野菜と手持ちのクリーム系ドレッシングでも。ラップで包んで持って行った場所てはさんで食べるのがいいお弁当になります。ピタパンじゃないんですけど、昔「Dave」という映画でケヴィンクラインがめっちゃうまそうなサンドイッチ作ってるのにあこがれたものです。

しおりを挟む

処理中です...