青蔦の若君と桜の落ち人

楡咲沙雨

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バクストンへの旅路

その震える心を掴みたい 前編

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コロナと年度末のバタバタで昨今稀にみる過密スケジュールでした…皆様自衛頑張りましょうね!
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 美桜がカイドにくるくると回されている頃、少しばかり離れた森の奥で、ジャンルードは目の前の獲物と対峙していた。これなら一頭いれば十分足りるだろう。

「悪いが、夕飯にさせてもらう。『拘束バインド』。ハリス!」
「はいはい。これでいいかなっと。オッケー。しかしジャン。これどうすんの。」
「吊るして血抜きしたら解体して持って帰る。」
「・・・・容赦ねーな。さすが彼女に褒めてもらうご褒美があると違うねぇ。」

ハリスはやれやれと今しがた獲物に振り下ろした剣から血をぬぐう。ジャンルードはいそいそとロープで獲物を縛り逆さまに木の枝につるす。・・・自分よりもさらに大きなワイルド・ボアをだ。枝のほうが血抜きより先に折れそうだ、なんてことは口が裂けても言えない。小さいが美味いウサギもいたし鹿もいた。けれどジャンルードは首を振るばかりで、やっと見つけたこの大物で初めてにやりと口の端をゆがめたのだ。

――あんなに人の事どうでもいいって感じの冷めた目で生きていたのにな。

吊るした枝の下に穴を掘り、ある程度血が落ちたことを確認すると、嬉々として軽く冷凍し、解体し始めた友の姿を見ながらハリスは溜息をついた。

「どうした?ハリス。」
「お前が彼女に会ってからの変貌ぶりに驚いているだけだ。なぁ。他の御令嬢と何が違う? 冒険者として活動していた時もお前を見初めてくれた御令嬢はいただろう?」

ジャンルードは振るっていたナイフを止めてハリスの問いを考える。確かにいた。熱のこもった瞳で「好きだ」と伝えてくる娘たち。

「貴族の令嬢の瞳には『王子』の俺しか映っていなかった。冒険者の俺に近づいてきた娘たちは「上級冒険者のそれなりに整った顔立ちの俺」しか映っていなかった。別に『俺』じゃなくてもいいんだ。例えば俺が顔にけがをしたら?足を失ったら?多分あの娘たちの瞳から熱はなくなる。それは直感でわかった。だから別にいらなかった。花が顕現していなくて本当によかったと思った。運命ではない。と告げれば去っていったから。」
「それが彼女は違うと?」
「彼女は、俺の愛は求めていない。むしろ逃げている。薄い膜を張って周りと自分を隔絶して、傷つかないように。それが解るんだ、俺もだったから。俺はその膜を剥がして、何も心配いらない、離れないよって安心させてやりたい。俺が守ってやりたい。笑ってくれるだけでいいんだ。」

そう言って爽やかに笑うと、ジャンルードは解体を終えて穴の中に全てを落とし込み、土魔法をかけた。その姿を見て、ハリスは改めて「唯一」に出会った友を羨ましく感じた。同じ痛みを知る、魂の片割れ。そんな相手がいつか俺にも現れるのか。軽いじゃれあいのような恋ばかりをしてきたハリスにとって、そんな絶対的な愛は想像もつかない。けれど。不思議と羨ましいと感じる。

――俺もそろそろ身を固める時期なのかな。

「そんな顔をしなくても、お前もいつか解る。お前はきっとちょっかいかけすぎて「大っ嫌い」って逃げ回られるよ。俺はそれを見て笑うんだ。美桜と一緒に。きっともうじきだ。何もかもが可愛くて仕方がない、何をしていても愛しいしか感じない。そういう相手がお前にもどこかにいる。予言してやるよ。」
「そうか。じゃあその時は精一杯利用させてもらうよ。王子様。」
「おう。任せとけ。」

そう二人で笑いあうと、ジャンルードとハリスは獲物を抱えて休憩所まで戻った。隊商や自分たちの仲間が食べても十分に行きわたる量を狩ってきたジャンルードを美桜が手放しで褒めて、ジャンルードが真っ赤になって照れたのはそのすぐ後のことだった。

 美桜が用意したポムの実やショウガ、ニンニクをすりおろし、醤油やハチミツと合わせたタレは塩コショウを振って焼き上げ、付け合わせとして出された葉野菜やハープで巻いたワイルド・ボアを今まで食べたことのない一品へと仕上げた。ギリアンはせっせとレシピを書き留め、『これは特産品になりますよ!!』と叫んでは口に運んでいる。手が止まらない男たちの喧騒を、サーシャと共に給仕しながら美桜はにこにこと見つめていた。良かった。こっちの料理は塩コショウで仕上げる、と言った単純なものが主流で、野菜を苦手とするものも多い。美桜としてはもっと色々組み合わせて色んなものをしっかり食べてもらいたかった。

「「バーベキュー」って楽しいな。美桜。肉はうまくなるし。ありがとう。」

皿に目いっぱい盛った野菜と肉を片手に、ジャンルードが満足げに喉を鳴らす。せっかくの長い体躯を子供のように折り曲げて、ハリスから奪われないようにかばいながら食べる姿に、美桜はただおかしくなる。この人はそんなふうに夢中になって食べながらも、自分が手に持っているレモーネの入った果実水にそっと氷を浮かべてくれる。

「ハリー。エミリオっていつもこうなの?」
「ふぐ・・もぐ・いいや? あいつは感情が読めない氷の貴公子って呼ばれてたぞ?」
「え? すごい表情豊かだけれど。」

目をやれば、エールを片手に肉を頬張る護衛たちと気やすく笑いあっているジャンルードがいた。どこが氷の貴公子?

「あいつも家族に難ありだからなぁ。まあ今度本人に聞いてやってくれよ。あいつはいいやつなんだ。」
「えぇ・・・。それは解る。」
「ん? そりゃあ良かった。」

ほんの少し陰りのある笑顔でジャンルードを見つめる美桜に違和感を感じながらも、ハリスは「解る」と言ってくれた事に安堵し、夜は更けていくのだった。そのうち、肉争奪戦という喧騒が終わり、片づけを終えた美桜とサーシャは馬車の中に乗り込んだ。夜の火の番は護衛が多くなったために男だけで回せるということで、二人はたくさんのクッションとラグで居心地のいい馬車で寝るのだ。おやすみなさいとサーシャにキスをされ、ハティとスコルにくるまれて美桜は眠りについた。

『どうしてお前は家族と仲良くできないんだ』
『あなたは私を認めはしないのね。ひどいわ。』
『お姉さまは何でも持っているのだから、くれたっていいじゃないの。意地悪ね。』

――やめて。私にかまわないで。仲良くしないのはあなたたち。認めないのもあなたたち。
 私の居場所なんてここにはない。近寄らないで。

『美桜・・・・美桜!』

ざらりとした舌で舐められた感触で、美桜ははっと目を覚ました。月はまだ空にある。もこもこの毛皮で包んでくれていた二頭が、心配そうにこちらを見下ろしている。

『少しうなされていたので起こした。大丈夫か?』
『悲しい気持ちが流れてきたの。大丈夫?』

あぁ。昔の夢を見た。あんまり最近は見なくなってきていたのに。

「大丈夫だよ。少し外の空気を吸いに行きたいな。ついてきてくれる?」

 ローブを羽織ると、美桜はサーシャを起こさないように馬車を降りた。火の回りに何人かの護衛たちが集まって談笑している。美桜はコーヒーを入れてふるまうと、自分の分を水筒に詰めて少し離れた水場である泉へ向かう。ハティとスコルがいるので、大抵の獣は寄ってこないから護衛もいらないと言うと、男たちは笑って手を振った。泉の周りでは馬たちが寄り添って静かに眠っている。美桜は、持ってきた薪で小さな焚火を作ると草むらに腰を下ろした。ハティとスコルが寄り添って座る。

「綺麗だな。花盛りだし。春だね。桜がないのが残念。」
『サクラってなんだ?』
「これだよ。こっちにはない花。見せてあげたいな。すごい綺麗なんだよ。」
『見たいな。美桜の花は綺麗だと思うの。』

首元のボタンを少し外すと桜の紋章が見える。あぁ。見たいな。私も見たい。

「できるかな・・・。『創造』せよ。開花せよ『開花フロレゾン』。」

きっとできるんじゃないかなと確信もないまま、美桜は日本語でソメイヨシノを『創造』した。見る間に目の前の草むらから数本の若木が生えだし、ぐんぐんと夜空に向かって枝葉を伸ばす。桜の花、ソメイヨシノ。日本人なら誰もが心を揺さぶられる花。通った高校の校門から玄関までの桜並木を思い出しながら、美桜は右手に魔力を流し続けた。ほっと一息ついて頭上を見上げると、そこには見慣れた、そして二度と見ることは叶わないと思っていた満開の桜が数本立っていた。先端に行くにしたがって細く繊細な枝に満開の白い小さな花。風に揺られるたびにはらはらと散っていく。

『これは・・・すごいな。これが桜か。葉が出る前に花をつけるのか。』
「そうだよ。それが私の花。1週間くらいで全部散ってしまって、葉が芽吹きだすの。ピンクや緑、黄色とかもあったな。八重咲とかね。でも、私はこのソメイヨシノが一番好き。春が来たなって思うの。水面の花びらもきれいでしょう?」

コーヒーを飲みながら、美桜ははらはらと舞い散る桜を見つめる。あちらの世界に心残りももちろんある。いい友人も上司もいた。けれどじゃあ戻りたいか。というとそうではない。サーシャに「戻る条件」を聞いて本当に「帰れない」ことを実感した日感じた淋しさ。それは、戻ってきてほしい。と真摯に願ってくれる家族も恋人も、もういないということだった。こちらの家族ほど愛してくれる人はもういない。それでもあの世界を愛していた。

――さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん

さくら さくら
野山も里も
見わたす限り
かすみか雲か
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり

心に刻み込まれたかのような桜の歌が口からこぼれる。美桜の優しい澄んだ歌声は泉の上を静かにわたっていく。月の光が反射してキラキラと輝く咲き乱れる花に囲まれた泉を見つめていると、ささくれた心が少しずつ癒されていくようだ。

「美桜? こんなところでどうした。危ないだろ・・・ってこの花は・・・・。」

振り返るとジャンルードが立っていた。恐らく交替で出てきて護衛たちに聞いたのだろう。美桜を探しに来たようだ。

「私の国の花。『サクラ』っていうの。春には必ず見ていた花だったからつい見たくなって。」
「そうか。これが・・・。」

美桜の隣に座りながら、ジャンルードは頭上の木々に揺れる小さな花を見上げた。小さな5枚の花弁をひらひらと揺らし、風に吹かれてははらはらと散っていく。その幻想的な美しさと儚さにしばし心を奪われた。

「綺麗だな…。なんというか初めて見る花なのに懐かしさを感じる。儚いが潔さと強さも感じる。」
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しい。私の名前の由来でもあって、私大好きなの。」
「そうか。名前の由来でもあるのか。なぁ。この花を出してみているということは、美桜は・・・その・・・かえりたいのか?」

言葉を選び出しながら、頭を振り、眼鏡をいじりながら、そっと聞くジャンルードに美桜は笑う。この人は優しい人だ。この人はいい人だ。信じてもいい。

「帰りたいなと思わせてくれる人はもういないんだ。帰ってきてほしいって思ってる人もいないんじゃないかなぁ。エミリオ。私ね。黙っていたけど、『落ち人』なんだ。あっちが帰って来いと強く願ってくれる人がいない限り。私は帰れない。それでもいた世界のことは恋しいよ。生きてきた世界だからね。」
「美桜・・・。」
「うちはさ。ちょっと大きな商売をしている家でね。母のもとに父が入り婿してきたの。母が生きていたなら今頃父はそれを継げていただろうけど、母が6歳の時亡くなって私に後継が譲られたの。それがいやだったのか、待っていたのか知らないけど亡くなってすぐ愛人だった人と1つ下の妹を家に入れてね。私の居場所はなくなった。愛されていると思っていたけど、妹に対する愛情とは全然違ってた。父にとっての「家族」はこの人たちなんだなと思ったら息が苦しくて。それに気づいた祖母と伯父が私を家から引き取ってくれて、父を子会社に・・・えーと降格してね? 伯父が後を継いでくれた。あの時の父の顔、今でも覚えている。心底私を愛していないっていう冷たい顔でね。なぜ家族と仲良くできないんだって怒鳴ってた。」
「なんだそれは・・・! 当然じゃないか。1つしか違わない妹など。貴族でもないのなら妻は一人なのだろう? 本筋の跡取りの娘に対してその対応は・・・。」
「あはは。ありがとう。それからあまり人の愛情を信じられなくてね。自分にも自信が持てなかった。もう一人でいいやって。そう思っていたらこっちに落ちてきたの。落ちてきて、初めて私は「家族」を持った。今は幸せ。ただ、少し懐かしいだけだよ。」
「美桜はまだ、人の愛情を信じられないか?」
「怖いよね。好きだって言ってくれていた人でさえ、新しく恋を見つけてしまう。この考えが相手を試しているようで卑怯で自分でも嫌い。だけどもっとも純粋に愛してくれるはずの父ですら愛さなかった娘を愛してくれる人などいるのかな。」

コーヒーの湯気越しに寂しげに笑う美桜に、ジャンルードは心が締め付けられた。そんなことはない。俺がいる。俺はずっとそばにいる。だから。だから俺を見てくれ。

「美桜。美桜は紋章をもう学んだか?」












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