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本編

第四話 その当事者、ぽんこつなり1

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 突然の王族の登場にざわつく訓練場にて、当のサミュエル第三王子は「ちょっとオリヴィア借りるね」と言い残すと、レインマンからもオリヴィアからさえも返事を貰わずに彼女の腕を掴みズンズンと迷いのない足取りで王城内を歩いて行く。
 驚いた顔の王城の使用人達を後目にサミュエルはある扉の前まで辿り着くとこれまた迷いなく扉を開け放ちズカズカと中へ入っていく。

 「で、殿下!」

 諌めるオリヴィアの言葉はどこ吹く風。簡単な応接間も含む執務室内に居た従者を下がらせたサミュエルは鼻歌を歌いながら慣れた手つきで紅茶を淹れる。その様子を見て、それなりに長い付き合いであるオリヴィアはこれはもう何を言っても聞かないな、と悟るとため息を一つ吐いてから大人しく先に座るサミュエルの向かいのソファーに身を沈めた。

 「サミュエル殿下。一つお尋ね致しますが、は休憩時間でしょうか。それとも就業時間の延長でしょうか」
 「30分ほど休憩時間としよう。勿論、昼休憩は後ほど通常通りに別途取ってもらって構わない」
 「おっけ。あ、クッキーある。…うま」

 サミュエルから休憩時間であると確認した途端、オリヴィアはピシリと伸ばしていた背筋をぐでっと丸め、勧められる前にローテーブルに置かれていた茶菓子を手に取りむしゃりと食べ出す。
 先ほどのサミュエルの勝手にオリヴィアが慣れていたように、こちらもオリヴィアの豹変と言っても差し支えのないオンからオフ状態への変化に驚きもせずサミュエルは手ずから淹れた紅茶の一つを茶菓子をもしゃもしゃと頬張るオリヴィアの前に差し出す。

 「すげー美味いねこのクッキー。作ったの?買ったの?」
 「僕はとても悲しい…。それがどうしてだか、オリヴィアは分かってくれるかい?」
 「分かった。限定販売だ、これ。もう買えないんでしょ。仕方ないからこのお姉さんがサムの取り分をちょこっと多くしてあげよう」
 「オリヴィアとはそれなりに…いや!凄く仲良くさせてもらってると思ってたのに!僕だけの一方通行だったのか!?」
 「なに?もしかしてナッツ入りよりチョコチップ入りのが好きなの?」
 「オリヴィア!!好きだ!!!!」
 「分かったって。チョコチップクッキー持ってけって」
 「…」

 成立しているようで成立していない言葉の応酬を繰り返す。サミュエルはむぐぐ、と膨れてからすぐにふっと苦笑をこぼすとオリヴィアの手によって二つの山に分けられたクッキーの皿をローテーブルの中央から彼女の方へと押してやる。

 「そんなに気に入ったなら、全部オリヴィアが食べてよ」
 「は?相変わらずよく分からん奴だなお前は…叫ぶほどこのクッキーが好きなんじゃなかったの?」
 「好きだけど、もっと好きなオリヴィアにあげる」
 「へー…ありがとう」
 「いいよ、大丈夫。オリヴィアがこれっぽっちもくれていないのはよーく知ってる。大丈夫だ、僕。大丈夫大丈夫」

 何やらぶつぶつと呟いているサミュエルを若干訝しげに眺めてから、いつもの事だな、とオリヴィアは深く考えずクッキーの咀嚼を再び開始する。

 「ふう!それはさておいて…オリヴィア。僕に何か直接言うことはないかい?」
 「サムに言うこと…?………昨夜…うちの犬が無事に仔犬を産んだ…?」
 「なんだって!?ミルクちゃんがっ!?どうしてどうしてどうして僕にすぐに知らせてくれないんだ!!!すぐに予定を調整して会いに……じゃなくって!!!他にはっ!?!?」
 「………私の乳母が還暦を迎えた…?」
 「なんと!それはめでたい!それならば僕からもベティさんに何かお祝いの品を……でもなくって!!!もうっ!!!今朝の新聞の事だよ!!!」

 まるでクイズを解くように眉根に皺を寄せて真剣に答えが分からない、とでも言いたげな様子のオリヴィアにサミュエルは駄々っ子のようにバンバンとローテーブルを叩いて遂に自分から聞きたい答えを明かす。

 「新聞…あー…私の不祥事疑惑?」
 「そっちも色々確認したいけどまずは婚約破棄!!本当に婚約破棄したの!?」
 「多分…?そういえば手続きどうなってんだろ…。貴族の婚約解消手続きって、双方のサインと家の判子必要だよね?」
 「う、うん」
 「んー……じゃあまだ婚約解消の申請してないな…。まあ今週中にでもやるわ」
 「…」

 当事者である筈なのにまるで他人事のように話すオリヴィアに、サミュエルは「はあぁぁぁ…」とそれはもう特大のため息をこぼすと前のめりになっていた体をぼすりとソファーの背もたれに放り出す。

 「…古くから親交のある君のことを、これでも心配しているんだよ。良ければ、事の経緯を教えてくれないかい?もし君がありもしないでっちあげの罪に問われているのなら助けてあげたいし、名誉を傷つけられようとしているのなら黙っていられない。…友として」
 「サム…」

 力強いサミュエルの言葉に、オリヴィアは家臣として、また姉貴分として、幼い頃から知っている彼の成長に感慨深い思いを感じる。

 「ありがとう。第三王子であるあんたにそう言ってもらえて心強いよ。…ところで私も新聞に書いてある以上の事よく分からんのだけどいい?」
 「なんで?」

 当事者でしょ…???というぎょっとした目を向けられてオリヴィアはケタケタと笑う。

 「うーん、それがさぁ、婚約者のダンが私の所に何か言いに来たのはいいんだけど、完全オフモードの、しかも寝起きだったからあんまちゃんと覚えてないんだよねぇ」

 オリヴィアのオフ時がぽんこつ過ぎる事はよくよく知っているサミュエルだったが、今回ばかりは流石にこの呑気さはどうしたものかとオリヴィアの笑い声を聞きながら頭を抱えたのだった。
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