上 下
15 / 36
本編

第十三話 笑う赤薔薇

しおりを挟む
 いつもよりもバタバタと慌ただしいジャクソン公爵邸の当主執務室で、室内にて一人外から響くその音を聞きながらローズマリーは当主の席に脚を投げ出して座る。

 「ふふ…ふふふっ」

 ヒクヒクと口角を引き攣らせ、抑えきれない笑いがローズマリーの真っ赤な唇からうっすらとこぼれる。

 「悩みの種だった問題も無事、お父様達と一緒に処分出来たし、そろそろうざったくなってきていた第七騎士隊長も黙らせる事が出来たし…それに目障りだったあの女も名声を地の底まで落としてやった!」

 ローズマリーは机の上に置かれていた上等な羽根をあしらって造られたペンを手に取ると、乱雑に置かれている書類の当主署名の欄にサインをしていく。
 するとコンコンコンコン、と扉を叩く音がして顔を上げる。どうぞ、と返すとゆっくりと扉が開き、両腕一杯に抱えてもこぼれ落ちてしまいそうなほどの薔薇の花束を抱えそれは嬉しそうに微笑むダンが入ってきた。

 「おめでとう。ローズマリー。これで君の欲しいものは手に入った?」
 「ええ、ありがとう」

 強過ぎる薔薇の香りに包まれて微笑むローズマリーをダンはうっとりと眺める。

 「それにしても君は凄いよ、ローズマリー。まさか近衛騎士だけじゃなく、さえ動かせる力があるなんて…」
 「あら、いやですわ。勘違いなさらないで?わたくしはあくまで、そうしてみたら?って貴方に助言しただけですもの…」
 
 ローズマリーは花束から薔薇を一輪抜き出す。丁寧に棘を抜かれたそれを撫で、うふふと笑う。

 「これも貴方があのオリヴィア・ブラックの周囲の人間関係を熟知していたお陰ですわ」
 「まぁ、一時期は婚約者だったからね…。周囲の人間を調べておくのも当然だろう。オリヴィアはなぜかサミュエル王子殿下とは親交がある。とすれば、今回のような騒ぎが起これば殿下が第一近衛騎士を率いて何か企てるのは目に見えていた」
 「ふふ、頼みの綱はサミュエル王子殿下だけの伯爵令嬢ごときを始末するのなんか、簡単でしたわね」
 「まさか君があの方、ヴィクター王弟殿下と懇意だなんて思いもしなかったろうな!あはは!」
 「まぁ、ダン。懇意だなんて。わたくしと彼は経営者とお得意様だというだけですわ。ちょっと言えない賭博上おみせですけれど」

 ローズマリーは薔薇の花弁をゆるくその唇で食む。花弁よりも赤いルージュの跡が残るそれを眺めて、ローズマリーはもうちょっと薄い色のルージュもいいかも、とダンを見つめて言う。

 「あ…確か、人気の化粧品店の新作が発売するとか…」
 「本当?わたくし、それを試してみたいですわ」
 「君が望むなら、明日にでも、すぐ」
 「うーん…でも、明日は今回の汚職に手を染めていた元公爵夫妻と第七騎士隊長、オリヴィア・ブラックを逮捕する協力をした特別褒賞を頂ける特別授与式を陛下が開いてくださるじゃない?」
 「あ、じゃあ…明後日は?」
 「い、ま」
 「え?」

 薔薇の花束をバサリと床に落としてダンのすぐ目の前まで近付くと、ローズマリーは白い両腕をダンの首に巻き付ける。そしてぷっくりとした唇を薄く開いてダンの耳たぶをゆるく食む。

 「ぁっ、ローズ…!」
 「今、欲しいな。新しいルージュ」
 「っ!」

 そのままわざと息を吐きかけながらダンの耳元で喋る。上唇と下唇で柔らかくダンの耳たぶを挟んだり時折歯を立てて欲しい欲しいと囁く。

 「で、でももうこんな時間だし…うっ、店も、とっくに…っ閉まって…!

 ローズマリーはピタリと動きを止めて顔を離すと正面からダンの目を見つめる。

 「…ダンはわたくしのお願い、聞いてくださらないの?」

 真っ赤に上気した顔のまま、転がるように部屋を駆け出して行くダンの背中を見つめる。その背中が消えるまで見届ける事もなくあっさり視線を逸らすと、ローズマリーは再び当主席に座る。

 「ヴィクター王弟殿下か…でも後妻っていうのもねぇ…。ま、彼を通して後々王子達の誰かを婿に取りましょう。ふふ、傷心のサミュエル殿下をお慰めしてあげるのもやぶさかでないわね」

 最後の書類にサインをすると立ち上がり、そのまま当主室を出て自室へと進む。そして大きなクローゼットの扉を両手で開け放つと、溢れるほど収められているドレスや宝石飾りを取り出し眺める。

 「さて。明日はわたくしの晴れの舞台ですわよ、ローズマリー…この国で一番、美しくしないとね」

 勝利の悦にひたり酔うローズマリーは、今度こそ抑えきれずに高笑いを響かせた。
しおりを挟む

処理中です...